サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年9月29日にハロウィン仕様の育成ウマ娘ふたりが新たに実装された。本記事では、そのうちのひとり[Make up Vampire!]ライスシャワーの能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

※同時に実装されたハロウィン衣装のスーパークリークの記事はこちら

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『ウマ娘』のライスシャワー

公式プロフィール

  • 声:石見舞菜香
  • 誕生日:3月5日
  • 身長:145センチ
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B75、W51、H76

周りで起きる不幸は全て自分のせいと思い込んでいる、臆病で弱気なウマ娘。
実際は単に間が悪いだけだが、完全にジンクス化していて、どうにか拭おうとしている。
趣味は絵本を読むことで、とくにお気に入りの本は『しあわせの青いバラ』。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

ライスシャワーの人となり

 素直で純粋な性格をしており、自分のことを不幸体質だと思い込んでいる気弱なウマ娘。トレーナーのことをお兄さま/お姉さまと呼び、そのはかなげなたたずまいが庇護欲を誘う。自己評価はとんでもなく低いが、ただウジウジしているばかりではなく変わろうと努力する健気さが随所に見られ、そのたびに全国のお兄さま、お姉さまの涙腺を緩ませている。

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 テレビアニメSeason2は彼女にスポットを当てたストーリーが展開し、天皇賞(春)でのメジロマックイーンとの対決を描いた回(第8R)では、極限まで研ぎ澄まされた鬼気迫る姿を見せていた。オープニングアニメーションまでも特別仕様で制作されたこの回は、多くの人の心に強い印象を刻んだのではないだろうか。まだ観たことがない人は、それまでの過程も含めてぜひ観てほしい(配信情報については以下の記事を参照のこと)。

 小柄で頼りなさげな雰囲気からは意外に思われるかもしれないが、じつはライスはトレセン学園の高等部に在籍しており、栗東寮ではゼンノロブロイと同室。このふたりは、ウマ娘としておとなしい読書好きなキャラクター、そして長距離が得意という共通点がある。

 また、リアルでもクラシック戦線で激闘をくり広げたミホノブルボンとは『ウマ娘』でもいいライバル関係。あまり感情を表に出さないミホノブルボンだが、ライスシャワー絡みではアツい一面を覗かせてくれるので、このふたりの関係はトレーナーたちにとって尊い成分の宝庫となっている。

 勝負服は、濃淡は違えど青、茶襷(腰の短剣を差したベルト)、赤袖というリアルのカラーリングがうまく反映されている。青と言うより紫っぽい色なのは、母の名前“ライラック”ポイントが影響しているのか……?

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画像は『ウマ娘』公式サイトより。

 ゲームでは、育成ウマ娘の中では比較的難易度の高めな目標構成となっており、とくにゲーム配信直後は新人トレーナーをよく泣かせていたが、それ以上にシナリオで泣かせてくる、何とも憎らしい存在。また、新育成シナリオ“アオハル杯”登場後の2021年9月に実装されたSSRサポートカード“[幸せは曲がり角の向こう]ライスシャワー”も話題となっている。パワータイプだが、“円弧のマエストロ”のヒントがもらえるイベントと、高いトレーニング効果を備えているのが特徴だ。

[Make up Vampire!]ライスシャワーの能力

 今回実装されたハロウィン衣装のライスシャワーは、スタミナ+15%、パワー+15%と育てやすそうな成長率を持つ。

 固有スキル“Drain for rose”は、“レース中間付近を好位置で走行中に詰め寄られると、前方のウマ娘から持久力を吸い取る”という効果。どのくらいの頻度で発動するのかは気になるが、レアスキル“余裕綽々”も持つので、スタミナに困ることはなさそう。

 また、“見惚れるトリック”という新しいレアスキルも持つ。“レース中盤に前の方にいると、後ろの掛かったウマ娘が疲れる”という効果で、掛かるかどうかは相手次第だが、スタミナが減少しやすくなるという点を考慮すると長距離向きだろう。

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競走馬のライスシャワー

ライスシャワーの血統

ライスシャワー血統表

 父のリアルシャダイはアメリカ生まれ。もともと日本で種牡馬にするべく購入された馬で、父ロベルト、祖父ヘイルトゥリーズンの血統がノーザンダンサー系の牝馬と相性がいいことから、日本で繁栄している父ノーザンテースト(ノーザンダンサーの子)の牝馬と交配させる狙いがあったという。現役時代はフランスを主戦場にフランスダービー(ジョッケクルブ賞)2着などの活躍を見せ(通算8戦2勝)、引退後はすぐに日本へ輸入された。

 種牡馬としては大成功を収め、ライスシャワーのほかにも桜花賞馬シャダイカグラ、阪神3歳Sに勝ったイブキマイカグラ、ライスシャワーのライバルでもあったステージチャンプやハギノリアルキングなどを輩出している(後述するが、その3頭で1995年の天皇賞(春)は3位まで独占している)。1993年度の日本リーディングサイアーも獲得。ロベルトの血統はパワー型で勝負根性に優れたステイヤーが多く輩出されているが、リアルシャダイもその系譜を受け継いでいたと言える。ナリタブライアンらの父ブライアンズタイムもロベルトの仔だ。

 なお、リアルシャダイが3歳秋に出走し勝利したGIIドーヴィル大賞典で2着になったのがノーアテンションで、彼は後に日本へと輸出され、スーパークリークなどを輩出した。

 母はライラックポイント(父マルゼンスキー)。現役時代は39戦4勝と一見冴えない数字のようだが、じつはオークスにも出走している(17着)。そのときの鞍上は、息子ライスシャワーの主戦騎手でもあった的場均だった。マルゼンスキーは脚部不安を持つ仔が多いことを除けば非常に優秀な種牡馬で、ライスシャワーの水準以上のスピードと豊かなパワーはマルゼンスキーからの遺伝と言われている。

 同じく母父マルゼンスキーからは、ウイニングチケット、スペシャルウィークなど10頭以上のGI馬が誕生している。

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ライスシャワーの生い立ち

 ライスシャワーは、小柄ながら非常にバランスの取れた体躯をしており、さらに柔軟性にも優れていたことが評判を呼んで、馬産地では幼駒の段階から注目を集めていた。

 とても素直な性格で、しかも賢く鞍上の言うことには逆らわなかったので、調教ではまったく苦労しなかったらしい。それでいて、レースでは闘志を燃やしよく粘る走りをしていた。

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 馬主がオーナーブリーダー(馬主兼生産者)だったため、セリなどに間に合わせるための急仕上げをされることもなく、じっくりと育てられた。ある程度成長してからは生まれ故郷のユートピア牧場を離れ、千葉県にある分場の大東牧場で育成、調教が進められた。

ライスシャワーの現役時代

「極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る」((JRA・2012年のテレビCMより)

2歳(ジュニア級)

 順調に調教を積んできて、7月にはデビューできそうだったライスシャワーだったが、直前で熱を出してしまう。その1ヵ月後、8月10日の新潟競馬場、芝1000メートルの新馬戦が初舞台となった。

 デビュー戦を楽勝すると、2戦目に早くもGIIIの新潟3歳ステークス(表記は当時のもの)に挑戦する。しかし直前で騎手が変わったことや、出遅れたことなど悪条件が重なって、なす術なく11着と大敗。それでもすぐさま3戦目の芙蓉ステークスに勝ってオープン入りを果たす。

 この3戦でこなした距離は1000メートル、1200メートル、1600メートル。その後の経歴からライスシャワーには晩成のステイヤーというイメージがあり、実際短い距離はあまり向いていないと言われていたが、素質で何とかしてしまっていたのである。

 しかし、芙蓉ステークスのレース後に骨折が判明し、長期休養に入ることに。

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3歳(クラシック級)

 復帰戦は3月のスプリングステークス。結果として、骨折によるブランクの影響と距離不足で4着に敗れることになるのだが、ここには後に何度も相まみえることになるライバルたちが出走していた。1着のミホノブルボン、そして生涯で10回も戦った5着のマチカネタンホイザである。

 なお、このレースの12着にはサクラバクシンオーの名前が……。バクシンオーの育成でもスプリングステークスが目標レースに設定されているが、史実ではここで大敗したことがターニングポイントとなって、短距離路線で「バクシンバクシン!」することになったのである。

 さて、ライスシャワーは芙蓉ステークスの勝利で賞金は足りていたため、次戦は皐月賞に。ここから後に主戦となる的場均騎手が手綱を取ることになった。しかしまだ調子は戻りきっておらず、勝ったミホノブルボンから遥か後方の8着に敗れ、次戦のNHK杯(NHKマイルカップの前身で、当時は芝2000メートルのGII)も8着に終わる。

 当然のことながら、惨敗続きの馬に世間の評価はきびしい。日本ダービーでは18頭立ての16番人気で出走することとなった。ゲートが開くといつも通り、ミホノブルボンがハナを切って逃げる。すると、ライスシャワーはその直後の2番手集団につけて、いつもより前目でレースを進める。この日は馬場状態が稍重で、パワーのいる展開に。さらに東京競馬場の最後の坂が馬たちのスタミナを奪っていく……。パワーとスタミナが必要とされる、まさにライスシャワーのために作られたような舞台で、伏兵は躍動した。ミホノブルボンには楽勝されたが、追い込んできたマヤノペトリュースを再逆転し、見事2着に粘り込んだのだ。

 ここで一気に評価を高めたライスシャワーは、夏場は休養して身体作りに励む。そして9月のセントライト記念で復帰し、2着で賞金を稼ぐと、菊花賞の前哨戦である京都新聞杯へ向かう。4度目の対戦となったミホノブルボンには及ばず今回も2着に敗れたが、菊花賞は距離が800メートル延びるため逆転できるという手応えを得た、価値ある敗戦となった。

 いよいよ本番である。キョウエイボーガンが逃げ、ミホノブルボンは2番手で進む。そこからやや後方、4番手にマチカネタンホイザ、5番手にライスシャワーがつける。最後の直線、今回も先頭でやってきたのはミホノブルボンだったが、その後突き放す一方だったダービーとは違う展開が待っていた。

 淀の坂を悠々と乗り越え、内からマチカネタンホイザ、外からライスシャワーがミホノブルボンに襲い掛かる。2頭に挟まれるように追い上げられたミホノブルボンは抵抗するかのように再度加速するが、それを上回る末脚で彼を突き放したのはライスシャワーだった。レコードで決着したこのレースでは、3強から離されてゴールした4着までじつに1秒4もの大差がついており、彼らがいかに突出した力を持っていたかがわかる。

1992年 菊花賞(GⅠ) | ライスシャワー | JRA公式

 前年、骨折で挑戦すらできなかったトウカイテイオーに続いて無敗の三冠に挑むとあって、ミホノブルボンを応援する声は単勝1.5倍というオッズの数字以上に大きかった。そんなミホノブルボンに正面から挑み、偉業を阻止したライスシャワーはヒール(悪役)として喧伝されることになってしまう。ゲームやアニメでの描写以上に、当時の風当たりは強かった。

 結果としてミホノブルボンの逃げを潰したキョウエイボーガンにも、多くの心ない声が浴びせられたという。しかし、上の映像を観てもらえば、菊花賞が強者どうしのすばらしい戦いだったと理解していただけるだろう。

 話はライスシャワーに戻って、年末はGI馬として有馬記念に出走。しかし、誰もがマークしていた1番人気のトウカイテイオーが不調で勝負できる状態ではなく、そのことに気付いた時にはまんまとメジロパーマーの逃げ切りが決まっていた。ライスシャワーも仕掛けが遅れ、8着と着外に沈んでしまうのであった……。

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4歳(シニア級)

 年明けは当時2月開催だった目黒記念から始動。マチカネタンホイザに敗れるが、調整途上での2着は悪くない成績だった。続く日経賞でイクノディクタスらを下して勝利を収めると、天皇賞(春)で3連覇を狙うメジロマックイーンに勝つべく、陣営は徹底的なスパルタ調教を施していく。そして淀の舞台に現れたライスシャワーは、体重こそダービーと同じ430キロだったが、そこから早く走るための筋肉だけを増やし、ムダなものすべてを削ぎ落とした究極の馬体を手に入れていた。

 レースは前年の有馬記念を制したメジロパーマーが逃げ、メジロマックイーンは追走集団に、そしてライスシャワーはマックイーンを背後からぴったりとマークする形で進んでいった。2周目の3コーナーに入ってマックイーンが仕掛けると、ライスシャワーも影のように寄り添って上がっていく。最後の直線はそのままメジロの2頭とライスシャワー、3頭の争いとなったが、いかにマックイーンと言えど“マーク屋”的場のマークから逃れる術はなかった。菊花賞に続き、ライスシャワーがレースレコードでの勝利を決めたのである。

1993年 天皇賞(春)(GⅠ) | ライスシャワー | JRA公式

 このときのライスシャワーは、鞍上の的場騎手によるとさながら猛獣のような気合の入りようだったようで、管理する飯塚調教師もその姿に勝利を確信していたという。JRAのCMで“鬼”と形容されたのは、決して誇張表現ではなかったのだ。

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 なお、腰に下げた短剣の鞘のモチーフであろう“関東の刺客”という呼称は、このレースで関西テレビの杉本清アナウンサーがとっさに口にした言葉だったようだ。名誉とは言えない名前だが、それだけ強いということの裏返しでもある。しかし、その強さを示す機会はすぐには訪れず、ここから長いトンネルに突入することになる。

 秋初戦、オールカマーでは、テレビアニメSeason2の第10話で描かれたツインターボの“伝説の大逃げ”の前に屈し3着。天皇賞(秋)は1番人気に支持されたが、最後の直線で失速して6着に終わる。距離が短いのかと思われたが、2400メートルのジャパンカップ、2500メートルの有馬記念をそれぞれ14着、8着と惨敗。タイムも芳しくなく、原因不明のスランプに関係者も首をひねるばかりだった。

5歳(シニア級)

 菊花賞、天皇賞(春)と良績を残してきた京都競馬場が合っているのではないかと、一縷の望みを託し京都記念から始動したライスシャワー。60キロを背負いながらも5着に粘ってつぎに繋ぐと、日経賞ではステージチャンプの2着に粘りきる。

 復活の兆しが見えてきて安堵する陣営だったが、天皇賞の1週間前になって故障が判明する。デビュー後に骨折した右前脚が、またしても折れていたのだ。しかも今回は競走馬生命を脅かすほどの重症。一時は引退も検討されるほどだった。

 その後現役続行が決まり、ケガも予定より早く回復したため、年末の有馬記念で復帰。馬体重こそ、過去最高の452キロまで増えていたが、むしろ力強さもついてきたのか、ナリタブライアン、ヒシアマゾンにつぐ3着と健闘した。

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6歳(シニア級)

 この年も前年と同じ、京都記念→日経賞→天皇賞(春)というローテーションで春競馬へ。やはり斤量が重いのか、京都記念、日経賞はそれぞれ6着と着外に沈む。しかし勝負はあくまでGI。最強ステイヤーのプライドをかけて天皇賞(春)に臨むのであった。

 ナリタブライアンが故障で回避し、唯一のGI馬として出走したライスシャワー。2年間も未勝利ながらそれまでの実績が買われ、上位4頭で人気を分け合う形の4番人気に落ち着く。レースは逃げ馬が不在で極端なスローペースに。その間隙を突き、2周目3コーナーでロングスパートを仕掛けるという奇襲作戦に出るが……。

 最後の直線、いち早く抜け出して逃げ切り体勢に入るライスシャワーを、大外からステージチャンプ、ハギノリアルキングがすさまじい末脚で追い詰めてくる。ステージチャンプがギリギリ交わしたかに見えた、結果はライスシャワーが1着! あと10メートルでもゴールが遠くにあったら、完全にかわされていただろう。しかし、ゴールはそこにあったのである。かくして、ライスシャワーはGI3勝目を手に入れた。なお、1着ライスシャワー、2着ステージチャンプ、3着ハギノリアルキングは父が全員リアルシャダイ。父の強さも再確認されたレースとなった。

1995年 天皇賞(春)(GⅠ) | ライスシャワー | JRA公式

 天皇賞の後は疲れが出たため放牧する予定だったが、ファン投票で1位に選出され、さらに舞台が得意の京都競馬場になったことなどから、一転して宝塚記念への出走が決定する(阪神競馬場が改修中だった)。斤量も56キロと、ライスシャワーにとっては好条件ばかりが揃っていた。

 しかしスタート直後からライスシャワーの様子がおかしい。鞍上の的場騎手は早々に勝負を放棄し、ただ安全に回ってくることだけを考えた騎乗に切り替えるも、第3コーナーで故障のため競走中止。その場で生涯を終えることとなってしまった。

 「もしライスシャワーが生きていたら……」
 あれから四半世紀が経ったいまでもつぶやかれるこのフレーズ。『ウマ娘』では、ファンが想像する未来のひとつが投影されたストーリーが描かれている。

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 運命のいたずらで、記録達成を阻止するヒール役ばかりを押しつけられてきた全盛期。その後のスランプから復活し、ようやくヒーローとして認められるようになった矢先の悲劇だった。公平な目で見られるいまは、ライスシャワーの強さに異論を唱える人も少ないだろう。京都が得意で、一方小柄なため重い斤量に耐えられず、能力を発揮できないこともあったはず。『ウマ娘』をきっかけに、もう一度その功績を正しく評価し、あらためて後世に伝えられれば、競馬ファンのひとりとして幸せである。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減(虫歯の治療中)。

 累計課金額は5880円(パック更新忘れ期間含む)の、王道微課金プレイヤー。「ストーリーを楽しむエンジョイ勢だから」とつねづね口にしているが、本当は勝ちたくてしょうがないらしい。

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