サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』。2021年7月12日に実装される育成ウマ娘“フジキセキ”の、競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』におけるフジキセキ

公式プロフィール

  • 声:松井恵理子
  • 誕生日:4月15日
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B84、W58、H82

誰の手も優しく取ってくれる、イケメン風のエンターテイナー。
ウマ娘たちに大モテだが、いわゆるタラシではなく、いつも親身に助けてくれる。栗東の寮長も務める。
舞台女優を母に持ち、同様の感動をレースで与えたいと望んでいる。その先に――幻の三冠を見据えて。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

フジキセキの人となり

 本作におけるフジキセキは、トレセン学園にあるふたつの寮“美浦寮”、“栗東寮”のうち、栗東寮の寮長を務めている。なお、美浦寮の寮長は、前回(2021年6月21日)育成ウマ娘が実装されたヒシアマゾン。史実では1歳違いの両者だが、残念ながらレースで相まみえることはなかった。

 ちなみに、ウマ娘の中では唯一マルゼンスキーだけが寮生活をしていないことになっている。マルゼンスキーは史実では関東の厩舎所属だったのだが、現役時代はまだ美浦トレーニング・センター(美浦寮のモデル)が完成しておらず、美浦にはいなかったからなのだろう。そのときは美浦トレセンではなく、東京競馬場内の厩舎で暮らしていたのだ。

 競馬界では関西(栗東)優勢の状況が続いていることもあって、『ウマ娘』でも栗東寮所属のキャラクターが多い。それゆえ、栗東寮の寮長であるフジキセキは出番が多く、育成モードを中心になかなかの頻度で顔を見せている。その甘いマスクと言動で、“ポニーちゃん(後輩ウマ娘)”たちをトリコにするシーンも見られるなど、基本的にやさしく、かつ寮長として締めるところは締めるという文句のつけどころのないイケメンぶりである。

フジキセキ_スペ門限

フジキセキの能力

 競走馬としてのフジキセキの成績は、GIの朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)や、GII弥生賞など4戦4勝。底を見せなかっただけに『ウマ娘』での能力が楽しみだったが、マイルでの実績が買われてマイルAとなっている。

 先行Aについては、先行抜け出し型の横綱相撲を得意としていただけに、納得だろう。固有スキル“煌星のヴォードヴィル”も、そんな先行抜け出し戦法を再現するものだ。

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フジキセキ黒枠カット
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競走馬のフジキセキ

フジキセキの生い立ち

1994 朝日杯3歳S

 1992年4月15日、フジキセキは日本で生を受ける。青鹿毛(※)で均整の取れた美しい馬体をしており、牧場でも期待馬として真っ先に名前が挙がる存在だった。額の星(白い模様)や抜群のプロポーションは、ウマ娘としてのキャラクターデザインにもわかりやすく反映されている。

※青鹿毛……全身ほとんど黒色で眼及び鼻の周辺、腋、ひばら等がわずかに褐色の毛色(JRA公式サイトによる)。

 父は、日本競馬史に燦然と輝く大種牡馬サンデーサイレンス(Sunday Silence)。現役時代はアメリカで14戦9勝(うちGI6勝)、1989年度の年度代表馬にも輝く名馬だったが、当時は血統面での評価が低かった。そこで、現役時代から注目していた日本の牧場が購入を持ち掛け、輸入されることになったのだ。その牧場の原資は、こちらも大種牡馬のノーザンテースト(メジロライアンの祖父でありマチカネタンホイザの父。猫好きで有名)がもたらしたものとも言われている。

 果たして、サンデーサイレンスはアメリカでの低評価を覆し、日本で大成功を収めた。優れた競走馬だからといって、必ずしも優れた種牡馬になれるとは限らないものだが、サンデーは自身の競走能力を伝えることに長けていた。さらに、配合相手のよさを引き出しやすいという長所もあり、短距離から長距離、そしてダートまで、ありとあらゆる種類の活躍馬を輩出。日本の血統シーンを塗り替えた。

フジキセキ血統表
フジキセキの曾祖父Hail to Reason(ヘイルトゥリーズン)の血統からは、ナリタブライアンやマヤノトップガンの父ブライアンズタイムなども輩出されている。さらにその祖父のRoyal Charger(ロイヤルチャージャー)の血統は、サンデーやブライアンズタイム以外にも種牡馬を多数輩出し、いまでは日本のサラブレッドの4割以上にその血が流れていると言われている。まさに“根幹血統”なのだ

 フジキセキはその初年度産駒の1頭であり、もっとも早くに頭角を表した競走馬だった。加えて、種牡馬デビューから長く活躍し、“サンデーサイレンス系”種牡馬の筆頭格でもあった。そういった“長男”的な立ち位置から、寮長というポジションになったのかもしれない。なお、父がサンデーサイレンスのウマ娘は、ほかにスペシャルウィーク、サイレンススズカ、アグネスタキオン、マンハッタンカフェ、エアシャカール、ゼンノロブロイ、マーベラスサンデーなどがいる。

 “フジキセキ”の名前の由来は“富士奇石(富士山の珍しい石)”から。富士山とキセキ(奇跡などともかけている)という、栄光を願う意味が込められているようだ。

フジキセキサムネ

フジキセキの競走成績

 圧倒的な能力を誇る競走馬をつぎつぎと輩出し、日本競馬を席巻したサンデーサイレンス産駒だが、一方で気性の悪い馬が多いことでも有名。調教でまったく動かなかったり、少しでも気に入らないことがあると立ち上がって暴れたりなど、その悪行(?)のエピソードは枚挙にいとまがない。そういった特性は孫の代まで受け継がれることもあり、たとえば某ゴ○シのように、いきなりほかの馬(トーセンジ○ーダン)に蹴り掛かるような荒くれ者もいた。

 フジキセキはその点では優等生で、調教でもよく走った。しかしながらスタート練習だけはお気に召さなかったようで、競走馬には必須の“ゲート試験”には5回も落ちている。それも、おとなしくゲートに入ったと思っても、扉が開くのをわざと知らんぷり……というスタッフへのイヤガラセをかましてのことだったようだ。ゲームでも、スイープトウショウとのイベントなどで、そんないたずら好きな性格が垣間見られる。

フジキセキ_スイープいたずら

 厩舎スタッフがそんな苦難を乗り越えて迎えた1994年8月20日。フジキセキは、新潟競馬場の3歳新馬戦・芝1200メートルでデビューした。結果は、ステッキ(鞭)も使わず8馬身差の圧勝。タイムにして1秒3差の大勝だが、これがスタートで出遅れたうえでの話であるというのだから驚きだ。

 2戦目は関西の阪神競馬場に移って、芝1600メートルのもみじステークス。このレースも悠々と勝つ。しかも、前年の阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)でヒシアマゾンがマークしたコースレコードを、0秒4も更新するというおまけ付き。もうひとつおまけに、このレースで必死に2着に食い込んだのは、翌年の日本ダービーを勝つことになるタヤスツヨシだった。このことからも、フジキセキがいかにとんでもない才能の持ち主だったかがわかるだろう。

 3戦目は、中山競馬場の芝1600メートルコースで行われていたGI、朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)。ここでフジキセキのライバルと見られていたのは、注目の外国産馬スキーキャプテン。この翌年には、アメリカのクラシック第1戦・ケンタッキーダービーに日本の厩舎所属馬で初めて出走することになる俊英だ。この馬は良血で、半姉のスキーパラダイスはフランスGI、ムーラン・ド・ロンシャン賞を勝っている。

 ここは正念場だ……と思いきや、フジキセキはスキーキャプテンを軽くあしらって勝利。むしろ、ゴール前で初めてフジキセキにステッキを使わせるほどに迫った、スキーキャプテンをほめるべきだろう……。

 そんなフジキセキのあまりの強さに「もはや同世代に敵なし。三冠馬は間違いない」と多くの競馬ファンが脱帽。そして年明け初戦に選んだのは中山芝2000メートルのGII、弥生賞だった。ウマ娘でのプロフィールでは“体重:増減なし”となっているが、現役時代はデビュー以降+14キロ、+6キロ、+16キロと順調に増えており、このレースでは508キロにまで達していた。とは言え、太いというよりは堂々とした体格という感じで、『ウマ娘』での身長の高さ(168センチの長身)やナイスなバディは、そのあたりから来ているのかも。

 レースは初の重馬場だったが、またもやステッキなしでひょいひょいっと楽勝してしまう。後ろから2着のホッカイルソーが猛追してくるのが見えていたのか、最後だけ加速して引き離すという省エネ走法である。ファンも三冠よりもむしろ「フジキセキはいつ本気を出すのか?」と色めき立っていた。

 しかし好事魔多し。なんと、弥生賞の直後、サラブレッドにとって不治の病と言われる“屈腱炎”という病気に見舞われてしまう。屈腱は人間で言うとアキレス腱(多少乱暴なたとえだが)のようなもので、重症化すると立てなくなる=死の危険もあるうえ、完治が難しい病気なのだ。ウマ娘になった競走馬でも、ウイニングチケットやビワハヤヒデ、ナリタブライアンにマヤノトップガン、セイウンスカイ、アグネスタキオン、ダイワスカーレットなどなど……多くの優駿がこの病気でターフを去っている。

 フジキセキは弥生賞までの4戦で圧倒的な才能を示し、種牡馬としての活躍も期待されていたことから、「三冠は確実」と言われながらも、ムリをさせずに引退することとなった。けっきょく本気は見せずじまいである。テレビアニメSeason1の最終回でフジキセキが“幻の三冠ウマ娘”と紹介されていたが、それは史実でも“幻の三冠馬”と呼ばれていたことに由来するものだろう。『ウマ娘』での、いつも余裕がありそうな立ち居振る舞いは、競走馬としての底知れない実力に影響されたものかもしれない。

超モテモテの種牡馬生活

 かくして、クラシックシーズンを前にして無念の引退となったフジキセキだったが、休む間もなく種牡馬としての生活がスタートすることになった。父のサンデーサイレンスもフジキセキやタヤスツヨシ、ジェニュインなど第1世代の華々しい活躍により株を上げ、種付け料が高騰。手が出ない牧場はその代役として、フジキセキを求めたのだった。

 その結果、初年度から118頭ものお嫁さんが集まったうえ、産駒にGI馬が出てからはさらに人気が高まり、生涯を通じてなんと2889頭もの種付けを行うことになった。これはカレンチャンの父、クロフネに次ぐ歴代2位の記録だ。ゲーム内のシナリオでも、登場するたびにウマ娘(ポニーちゃん)たちの黄色い声を浴びているフジキセキだが、史実でもモテすぎてたいへんだったのである。顔がいい、家柄もいい、しかも超優秀。うらやましい。

フジキセキ_ポニーちゃん

 フジキセキの血統は、遠く海を越えてオーストラリアや南米にも広がっている。残念ながら2015年に亡くなっているが、いまなおその血は世界中のポニーちゃんたちを魅了してやまないのだろう。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。課金は月1回のデイリージュエルパックだけだが、JRAには毎月もっと課金している(ただし一方通行)。

 コツコツ貯め込んでいるジュエルが解放されし時、今度こそ一流トレーナーの仲間入りを果たすのだ……!(なお、前回は200連で星3が1枚)

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