「今年もあなたの、そして私の夢が走ります」(杉本清氏の宝塚記念実況より)

 上半期を締めくくる、春のナンバーワン決定戦。ファン投票で選出された4頭を含む14頭が参戦を予定する、第62回宝塚記念が2021年6月27日、阪神競馬場にて開催される。

 稀代のトリックスター、ゴールドシップを始め、これまで数々の“役者”たちがドラマを演出してきた夢レース。本コラムでは、今回も『ウマ娘』で活躍するキャラクターのモデルとなった競走馬たちの歴史を追いながら、ゲームやアニメの元ネタや考察をお届けしていく。

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私の夢は……

 本コラムの冒頭にも引用した「今年も貴方の、そして私の夢が走ります」。宝塚記念でを象徴するこの名フレーズは、1962年から競馬中継に携わり、1997年の定年退職後も2004年まで宝塚記念の実況を続けた“レジェンド”、元関西テレビアナウンサーの杉本清氏によるもの。1976年の宝塚記念が始まりと言われている(翌年の有馬記念でも使われた後、1988年から宝塚記念で使われるように)。

 ちなみに、杉本氏は1991年から「私の夢が走ります」の後に「貴方の夢は○○か○○か。私の夢は○○です」と、有力馬とともに自分の本命馬を語るようになったのだが、初年度に指名したバンブーメモリーはなんと最下位! その後も外し続け、関係者からもからかわれるようになるが、その呪いを振り払ったのは1998年のサイレンススズカだった。ここでもいい子だったのね……。

ウマ娘のモデルとなった競走馬たちの活躍は……?

『ウマ娘』に登場しているキャラクター(サポートカードのみの登場や、ゲーム未実装のウマ娘も含む)は、「私の夢は……」が復活した1988年のタマモクロスから毎年のように勝ち続けており、なんとダービーの13人をも超える15人(16回)が優勝している。

  • 1988年 タマモクロス
  • 1989年 イナリワン
  • 1991年 メジロライアン
  • 1992年 メジロパーマー
  • 1993年 メジロマックイーン
  • 1994年 ビワハヤヒデ
  • 1996年 マヤノトップガン
  • 1997年 マーベラスサンデー
  • 1998年 サイレンススズカ
  • 1999年 グラスワンダー
  • 2000年 テイエムオペラオー
  • 2001年 メイショウドトウ
  • 2005年 スイープトウショウ
  • 2010年 ナカヤマフェスタ
  • 2013年 ゴールドシップ
  • 2014年 ゴールドシップ(連覇!)

グラスワンダー(1999年)

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
グラスワンダー(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 アニメSeason 1の第8話でも描かれた宝塚記念。リハビリ中のスズカのことばかりが気に掛かってどこか上の空になっていたスペちゃんを、オーラが見えるほどの闘志をまとったグラスが一蹴する……という展開だった。

 このレースのモデルは1999年の宝塚記念。実際もスペシャルウィークとグラスワンダーで人気を二分しており、単勝オッズではスペシャルウィーク1.5倍(支持率約52%)、グラスワンダー2.8倍(同約28%)で、この2頭のどちらかが勝つと見ていた人が8割もいたということになる。

 レースはグラスワンダーがスペシャルウィークの真後ろでピッタリとマーク。スペシャルウィークに騎乗していた武豊騎手が、グラスワンダーの位置を確認しようと左右に首を振る姿は、アニメではスペちゃんのものとして再現されていた。そして、最後の直線に入るとグラスワンダーが脅威の末脚で並ぶ間もなく一気に抜き去り、3馬身も引き離して勝利する。

 3着のステイゴールド(ゴールドシップらの父でもある)はそこからさらに7馬身差。まさに異次元の強さだった。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

 グラスワンダーの鞍上は、“刺客”や“マーク屋”と言われた的場均騎手(現調教師)。杉本アナがこのレースの実況で「相手はこれと決めた時の的場は怖いぞ」と言ったように、グラスやライスシャワーなどで腹を括った乗りかたをさせたら天下一品だった。

※以下の動画は実況の内容が異なります。

1999年 宝塚記念(GⅠ) | グラスワンダー | JRA公式

ゴールドシップ(2013~14年連覇)

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
ゴールドシップ(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 宝塚記念史上、記録にも記憶にも大きな足跡を残したのがゴールドシップだ。

 連覇も複数回勝利もオンリーワンの記録であるが、最後にやらかした世紀の出遅れは、100年経っても思い起こされるであろう珍プレーと言っていい。

 母ポイントフラッグが現役時530キロほどもあった大型馬だったこともあり、子のゴールドシップも500キロ前後と大きい馬だった。ウマ娘としても、同じ大型馬だったタイキシャトルらと並んでもかなりの高身長である。

 そして気性は父ステイゴールドに似てとても荒かった。カッカすることはないが、言うことを聞かず、調教でもマイペースだったらしい。さらにレースでは毎回のようにスタートで出遅れ、菊花賞では“追込馬なのに3コーナー前の上り(残り1000メートル)から進出開始”という前代未聞の作戦を採るなど、従来の常識をくつがえすとんでもない馬だった。ゴールドシップの固有スキル“不沈艦、抜錨ォッ!”は、このときのレースに影響を受けていると思われる。

 栗東トレセンのボス的存在だったトーセンジョーダンとは非常に仲が悪く、顔を見ると蹴りに向かったというエピソードも……。ゴルシのストーリーにジョーダンが登場するのは、こういった理由があるわけだ。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

 なお、ゴルシがメジロマックイーンの孫……という血縁関係を知っている人もいると思われるが、メジロマックイーンは母方の祖父(母の父)である。もし性格が母方似だったら、どういう競走馬、どういうウマ娘になっていたのだろうか? もしかすると、「絶対の強さは、時に人を退屈させる」とJRAのCMで形容されたマックイーンのように、優等生だったのかも……。

 生涯28戦中、約半分のレースで出遅れをかましたゴールドシップだが、2013年の宝塚記念は超スムーズなスタートを見せる。そして4番手という超前目で(!)追走し、直線でライバルを蹴散らすとんでもない豪脚をくり出すという“正攻法で”圧勝。まるでメジロマックイーンである(実際、その後も似たような走りかたをするようになった)。さまざまな意味でファンの度肝を抜いたのだった。

2013年 宝塚記念(GⅠ) | ゴールドシップ | JRA公式

 なお、前々走の阪神大賞典では、最後の直線で抜け出した後にサボり始めたことが鞍上の内田博幸騎手にバレてしまい、ゴール直前にステッキで「お仕置き!」と1発シバかれている。それが2走後に効いてきたのか……?

 その後、2013年秋から2014年春にかけて絶不調に陥る。それでも、破天荒なゴールドシップの復活を願う人は多く、2014年の宝塚記念はファン投票1位で出場。するとスタートこそあまりよくなかったが、その後馬なりで先頭集団に取りつき、自然に交わし、最後の直線でちぎるという王道展開で圧勝。鞍上を務めた横山典弘騎手は「お願いします。走ってください」と話し掛けながら騎乗していたのだとか。

2014年 宝塚記念(GⅠ) | ゴールドシップ | JRA公式

 そして2015年。3度目の正直で天皇賞(春)を制し、「やはり現役最強はゴールドシップ」という論調に。阪神コースをめっぽう得意としているだけに、同一GI三連覇という歴史的大偉業が達成されるという意見が強い中で、誰しもが油断して忘れていたのだ。自分たちが期待を寄せているのが、ゴールドシップという稀代のクセ者だということを……。

 そして事件は起こる。スタート直前、興奮して立ち上がり、扉にドロップキックをかましたのだ。その瞬間、スタートが切られ……世紀の出遅れである。こうなっては、いかにゴルシといえど万事休す。最後の宝塚記念は、15着という結果に終わった。

2015年 宝塚記念(GⅠ) | ラブリーデイ | JRA公式

 ゲームのゴールドシップの育成シナリオでクラシック級、シニア級と宝塚記念を連覇し「歴史に名を~」の選択肢を選ぶと、一定確率で“愛嬌○”もしくは“ゲート難”が付加される。いずれも上記のエピソード(愛嬌○は2014年、ゲート難は2015年の宝塚記念)にちなんだものだと思われるが、じつによく考えられたものである。

 なお、アニメ第1期『BNWの誓い』(『ウマ箱 第4コーナー』に収録されているOVA作品)にも描かれている解説役の細江純子元騎手の悲鳴。実際は解説席ではなくスタートゲートの脇におり、スタートを切られるほんの少し前、ゴールドシップが立ち上がった瞬間に短く発声されている。声を上げてしまったことで当時はかなり怒られたようだが、いくら元騎手とはいえ目の前であれを見たら驚くだろう……。その顛末はご本人がYouTubeチャンネル『スナックズンコちゃんねる』で語っていらっしゃるので、観てほしい。

【ウマ娘】ゴルシ&細江のゲート事件とは?ズンコママが語るあの時の話。#4

メジロ一族 ライアン・パーマー・マックイーン(1991年~93年)

 1987年に誕生したメジロパーマー、メジロマックイーン、メジロライアン(誕生日順)。同い年のこの3頭が、宝塚記念勝利のタスキを3年にわたってつなげることになる。

メジロライアン

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
メジロライアン(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 1991年の宝塚記念は、ライアンとマックイーンの3度目の対決となった。もともとこの世代は、メジロと言えばライアンだったのだが、菊花賞と天皇賞の勝利でそれを追い抜いていったのが、同じ牧場で育ったマックイーンである。ライアン陣営の覚悟は何よりも強かった。

 レースは、いつもの後方待機ではなく積極的に先行策を採用したライアンが残り800メートルから早めに仕掛け、最後はマックイーンの怒濤の追撃をなんとか振り切って優勝。ついに念願のGIタイトルを手にした。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

 『ウマ娘』のライアンはボーイッシュなベリーショートの髪型が特徴だが、リアルのライアンもたてがみを短く刈り込んでいた。皮膚が弱く、かぶれないようにするためだったようだ。

1991年 宝塚記念(GⅠ) | メジロライアン | JRA公式

メジロパーマー

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
メジロパーマー(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 1992年はライアンが引退、マックイーンが骨折で離脱する中、一度は障害競走に挑戦していたパーマーが参戦した。競走馬には珍しい、頭を上げたまま走るフォームが特徴だったパーマー(アニメでもその走りは再現されていた)だが、そんな個性と重賞2勝という実績をもってしても9番人気と、世間からはあまり注目されていなかった。

 しかし、その後名コンビとして有名になる山田泰誠騎手に導かれてハイペースで飛ばすと、パーマーの姿を誰もとらえることはできなかった。結果としてまんまと逃げ切り、前年のライアンに続くメジロの馬による連覇を成し遂げることに。

 ……しかし、口取り式にオーナーの姿はなかった。なんと関係者もまさか勝つとは思っていなかったのだ! あわれパーマー。しかし、この年の年末にもう一度、関係者を、そしてファンを仰天させることになる。

 このレースでは『ウマ娘』でパーマーと“ズッ友コンビ”として活躍するダイタクヘリオスが5着に入っている。ヘリオスはつねに大きく口を割って走っていて、“笑顔の馬”と呼ばれていた。それが明るいギャルキャラにつながったのかも?

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

1992年 宝塚記念(GⅠ) | メジロパーマー | JRA公式

メジロマックイーン

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
メジロマックイーン(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 1993年、2年振りにマックイーンが参戦する。前走で天皇賞(春)3連覇を逃したことから「さすがに衰えたか……」という声もちらほらと囁かれる中、荒れた馬場を避けてアウトコースを通りながら、いつもの“先行してスタミナで押し切る”横綱相撲で楽勝し「やっぱり強かった!」と賞賛された。

 このレースでオグリキャップを抜いて当時の通算獲得賞金額歴代1位に躍り出たマックイーン。逃げが不発に終わったパーマーとは通算6勝0敗、ライアンとも3勝1敗と、同期のふたりには圧倒的な強さを見せていたのだった。

 2着にはイクノディクタスが入る。マックイーンはイクノディクタスに想いを寄せていたという噂もあった。『ウマ娘』では、ふたりは栗東寮の同部屋となっている。

 なお、ゲームではシニア期の宝塚記念で、ライアンと対決するというシナリオになっているが、これはライアンが勝った1991年のレース再現だろう。マックイーンが勝った1993年の宝塚記念の時点では、すでにライアンは引退していた(パーマーは10着)。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

1993年 宝塚記念(GⅠ) | メジロマックイーン | JRA公式

 メジロ牧場は2011年に解散しているが、その設備と繋養馬はレイクヴィラファームに受け継がれている。そして同牧場で生産され、2021年のフラワーカップを勝ったホウホウイクセル(スペシャルウィークとメジロドーベルから生まれたメジロオードリーの仔でもある。父方の祖母はエアグルーヴ)、フローラステークスを勝ったクールキャット(祖父はグラスワンダー)らが、メジロ牧場の血流を受け継いで今日も走っている。

メイショウドトウ(2001年)

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
メイショウドトウ(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 20世紀最後の年である2000年、“世紀末覇王”テイエムオペラオーが競馬界を席巻した。8戦全勝、そのすべてが重賞以上、GIは5連勝……ととてつもない偉業なのだが、ここで2000年~2001年当時の成績を見てみよう。

  • 2000年 天皇賞(春) 1着テイエムオペラオー、2着ラスカルスズカ
  • 2000年 宝塚記念 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
  • 2000年 天皇賞(秋) 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
  • 2000年 ジャパンカップ 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
  • 2000年 有馬記念 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ
  • 2001年 天皇賞(春) 1着テイエムオペラオー、2着メイショウドトウ

 おわかりだろうか、この不憫さを。2001年の天皇賞(春)も含めて、何と5回もGI2着の憂き目に遭っていたのがメイショウドトウなのだ。テイエムオペラオーさえいなければ、GI6勝の歴史的名馬になっていたかもしれない。

 さて、話はドトウが唯一勝利したGI、2001年の宝塚記念だ。このレースでドトウはテイエムオペラオーをマークするのではなく、内枠を利して先行。早めに仕掛けてつねに最高のコース取りを取ることで追撃をしのぐ、という作戦に出て、6戦目にしてオペラオーからついに初勝利を挙げた(その後1勝2敗で通算では2勝7敗)。その他、勝利時はだいたい内枠だったので、サポートカードにスキル“内枠○”があるのも納得である。

 ちなみに、メイショウドトウは本コラムでは何度もその名が出てきた“外国産馬”。しかし、グラスワンダーやエルコンドルパサーらのエリートとは異なり、超格安馬(500万円くらい)だったと言われている。その一方、獲得した賞金総額はなんと約9億! 『ウマ娘』では不憫キャラのイメージが強いが、じつはスゴい馬だったのだ。そしてその特徴である、額の大きな流星模様はウマ娘のデザインにも反映されている。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】

2001年 宝塚記念(GⅠ) | メイショウドトウ | JRA公式

そのほかの宝塚記念に出走した競走馬たち

  • 1989年 バンブーメモリー(5着)、ヤエノムテキ(7着)、ゴールドシチー(10着)、サクラチヨノオー(16着)
  • 1990年 オグリキャップ(2着)、ヤエノムテキ(3着)、イナリワン(4着)、バンブーメモリー(6着)
  • 1991年 メジロマックイーン(2着)、バンブーメモリー(10着)
  • 1992年 ダイタクヘリオス(5着)
  • 1993年 イクノディクタス(2着)、ニシノフラワー(8着)、メジロパーマー(10着)
  • 1994年 ナイスネイチャ(4着)、マチカネタンホイザ(9着)
  • 1995年 ナリタタイシン(16着)、ライスシャワー(競走中止)
  • 1998年 エアグルーヴ(3着)、メジロドーベル(5着)
  • 1999年 スペシャルウィーク(2着)、マチカネフクキタル(5着)、キングヘイロー(8着)
  • 2000年 メイショウドトウ(2着)、グラスワンダー(6着)、マチカネフクキタル(8着)
  • 2001年 テイエムオペラオー(2着)、エアシャカール(5着)
  • 2002年 エアシャカール(4着)
  • 2003年 アグネスデジタル(13着)
  • 2004年 ゼンノロブロイ(4着)
  • 2005年 ゼンノロブロイ(3着)
  • 2007年 カワカミプリンセス(6着)
  • 2011年 エイシンフラッシュ(3着)、トーセンジョーダン(9着)
  • 2012年 エイシンフラッシュ(6着)
  • 2014年 トーセンジョーダン(10着)
  • 2015年 ゴールドシップ(15着)
  • 2016年 キタサンブラック(3着)
  • 2017年 キタサンブラック(9着)
  • 2018年 サトノダイヤモンド(6着)

 前回の安田記念のコラムで登場したアグネスデジタルの名前がここにも……。残念ながら宝塚記念では勝てなかったが、さすが変た……もとい、神出鬼没の万能ホースである。

 ほかに注目したいのは、当時栗東トレセンのボス的存在であったがために、ゴールドシップに一方的にライバル視されていたというトーセンジョーダン。2011年(5歳)、2014年(8歳)となんと3年ものブランクを置いて2回出走している。2014年はゴールドシップとゲートが隣でなくてよかった……。ちなみに、2014年の宝塚記念でトーセンジョーダンに騎乗していたのは、かつてのゴールドシップの相棒、内田博幸騎手であった。

 長い歴史の中には、悲しい出来事も。1995年には、ライスシャワーがレース中に故障し、そのまま予後不良となってしまったのである。折しもこのときの宝塚記念は、阪神競馬場の改修のため、ライスシャワーが得意とする京都競馬場で行われていた。淀で活躍し、淀に散った名ステイヤー・ライスシャワー。その姿はヒールではなくヒーローとして、いまも競馬ファンの心に深く刻まれている。

宝塚記念概略

  • 開催:阪神競馬場(阪神レース場)
  • 距離:芝2200メートル(非根幹距離)
  • 走る向き:右回り
  • 開催時期:6月(『ウマ娘』ではクラシック級&シニア級6月後半)
  • 出走条件:3歳以上(『ウマ娘』ではクラシック級以上、獲得ファン20000人)

 宝塚記念は、年末に行われる“有馬記念”のようなレースを関西にも作り、関西競馬を盛り上げようという主旨から1960年に創設された。

 そのため、有馬記念同様出走馬はファン投票で選出される(現在ではファン投票上位10頭に優先出走権が与えられ、残りは通算獲得賞金などで決まる)。

 第1回は芝1800メートルで行われ、翌年から芝2000メートルに、さらに1966年の第7回から現在の芝2200メートルに延長されている。また、1968年からは出走資格が5歳(現4歳、『ウマ娘』でのシニア級)以上とされていたが、1987年にふたたび改訂され、現在は4歳(現3歳、『ウマ娘』でのクラシック級)以上となっている。

 なお、レース名の“宝塚”は、有馬記念や安田記念のような人名由来ではなく、阪神競馬場の所在地である兵庫県宝塚市にちなんだものだ。

宝塚記念のコースについて

 宝塚記念は阪神競馬場の芝2200メートル内回りコース(※)を使用。内回りコースを1周と約3分の1走り、ホームストレートのみ2回走ることになる。東京競馬場と異なり、基本的には凹凸の少ないコースではあるが、ゴール直前に約1.8メートルも上る急坂が存在する。リアルでも『ウマ娘』でも、その攻略がキーポイントだと言えるだろう。

※3~4コーナーにかけて、外側が外回りで内側が内回り。実際の競馬では内回りのほうがカーブがきつく、スピードが落ちやすい。

 リアルでは、トリッキーなコースや重馬場になりやすい時期が影響してか、上記のメジロライアンやメジロパーマー、メイショウドトウなど、初GIをここで飾る馬が多かった。

『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
阪神競馬場の立体図。右下の“2,200m(内)”と書かれた場所からスタートし、右回り(時計回り)でゴールまで走る(画像はJRA公式サイトより引用)。
『ウマ娘』ゴルシはなぜこんなにも愛され、そして破天荒なのか。その理由を知るカギは宝塚記念にある!? 競走馬のエピソードを多数紹介【宝塚記念物語】
阪神競馬場、芝コースの断面図。右から左に向かって進行するのだが、スタートは“4コーナー”と書かれている場所の上、525メートル地点からとなる(画像はJRA公式サイトより引用)。

阪神競馬場芝2200メートル内回りコースの坂の場所

  • スタート直後~ホームストレート半ば(下り)
  • ホームストレート半ば~ゴール板前(上り)
  • バックストレート半ば~3コーナー~4コーナー~ホームストレート半ば(下り)
  • ホームストレート半ば~ゴール板前(上り)

※バックストレートは、立体図における奥の直線。ホームストレートは同手前の直線のこと。

 コースの半分以上が下り坂。“直滑降”などのスキルは狙いどころだが、スタート直後から発動する恐れもあり、ウマ娘によっては前に行きすぎて不利になってしまうこともあるので注意しよう。また、上り坂が2回出てくるものの、スタート直後とゴール寸前でスキル発動の旨味があまりないので、このレースを目指すならほかのスキルを伸ばしたほうがよさそうだ。

 リアルでは下り坂だらけで息を入れる場所が少なく、コーナーの角度もキツい(コーナーの距離が短い)ので先行馬が有利と言われているが、『ウマ娘』ではどうだろうか?

著者近況:ギャルソン屋城

 馬券とガチャがまったく当たらず、資金もジュエルも尽きて途方に暮れている。

 今回のコラムを書くにあたって、あらためてカンテレのYouTubeチャンネル『カンテレ競馬』内『はみだし競馬BEAT』を観返していたら止まらなくなってしまった。下の3動画は長いがとくにオススメなので、まだ観ていない人はご覧あれ。杉本清氏の、御年83、4とはとても思えない声と斬れ味に注目!

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