サイゲームスよりiOS、Android、PC(DMM GAMES)で配信中の『ウマ娘 プリティーダービー』(以下、『ウマ娘』)。2021年6月6日に、実際の競馬でGIレース“安田記念”が開催されることにともない、ウマ娘たちのリアル競馬での活躍を振り返る。

 「マイル戦のために進化を遂げたその脚が、名馬の条件を塗り替えた。」(2012年のJRAのCMより)

 2021年6月6日、東京競馬場で第71回安田記念が行われる。日本の上半期マイル王決定戦として注目される、GIレースだ。『ウマ娘』でも夏合宿前最後のマイルGIということで、重要なレースのひとつと認識しているトレーナー(『ウマ娘』のプレイヤーのこと)も多いことだろう。

 ヴィクトリアマイルやNHKマイルカップと同じ東京芝1600メートルという舞台だが、コーナーが少なく直線が長い、そして坂が多いという特徴を持ち、“勝つためのスキル構成”が重要となるコースでもある。

 今回も、史実のデータや歴代優勝馬の活躍を追いながら、史実が『ウマ娘』でのキャラクター作りにおよぼしたと思われる要素や、今後の新規実装などで期待されることについて解説していく。

※過去の『ウマ娘』コラム

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リアル競馬における安田記念の歴史

安田記念概略

開催:東京競馬場(東京レース場)
距離:芝1600メートル(根幹距離)
走る向き:左回り
開催時期:6月(『ウマ娘』ではクラシック級、シニア級6月前半)
出走条件:3歳以上(『ウマ娘』ではクラシック級、シニア級で獲得ファン15000人)

 安田記念の現在の正式名称は“農林水産省賞典 安田記念”。農林水産大臣が賞を提供するレースということで“農林水産省賞典”とついている。中央競馬では10以上のレースが農林水産省賞典競走となっていて、じつに多い。というのも、競馬事業は農林水産省の管轄だから。クイズに出てきそうなトリビアである。

 明治、大正、昭和にわたって競馬に携わり、競馬法制定や日本ダービーの創設などに尽力したJRA初代会長・安田伊左衛門氏の功績を称え、1951年に“安田賞”の名称で創設されたこのレース。東京競馬場の芝1600メートルという舞台は創設時から変わっていない。

 1958年、安田氏の死去にともない“安田記念”と改称される。1984年に“グレード制(GI、GII、GIIIという格付け)”が導入されると、最高グレードであるGI(当時は15レースで発足)に格付けされた。

 このころの競馬は中・長距離に偏っており、短距離やマイル路線は一流ではない……という見かたがされることも多かったのだが、1984年に安田記念がGIに昇格し、マイルチャンピオンシップが新設されてから、その風潮は少しずつ変わっていった。

 冒頭のキャッチコピーは、純粋なマイラーとして育てられたニホンピロウイナーが、1985年に安田記念を制したことを称えたもの。このような名馬が現れるようになるなど、安田記念のGI化は日本競馬史のターニングポイントでもあったのだ。

 また、安田記念はとにかく“荒れる(高配当がつきやすい)”レースとして有名で、過去に何度もドラマがあった。2001年には9番人気-15番人気で決着し、馬連のオッズが1206倍(100円が12万円以上に!)なんてことも……。

安田記念のコースについて

 安田記念は、ダービーやオークスと同じ東京競馬場の芝外回りコースを使用している。その2レースと異なるのは、距離が1600メートルと短く、スタート地点が2コーナーの出口付近に設定されているということ。

 つまり、安田記念のコースは直線とコーナーの数がそれぞれダービーよりも少ない。一方で、坂については緩い上り坂が1ヵ所なくなっただけで、1600メートルの8割以上がアップダウンというとんでもない構成になっている。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
東京競馬場、芝コースの立体図。1600メートルと書かれた場所からスタートし、左回りでゴールまで走る(画像はJRA公式サイトより引用)。
『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
東京競馬場、芝コースの断面図。左から右に向かって走る。安田記念では2コーナーの途中、1600メートル地点からスタート。ゴールの直前以外、ほとんど坂である(画像はJRA公式サイトより引用)。

東京競馬場芝1600メートル外回りコースの坂の場所

  • スタート~バックストレート(下り→急な上り→下り)
  • コーナー途中~ホームストレート入口(緩い上り)
  • ホームストレート(急な上り)

※バックストレートは、立体図における奥の直線。ホームストレートは同手前の直線のこと。

 とにかくキツいコースで、リアルでも「マイルの距離だが、中距離を走れるスタミナが必要」と言われており、実際に1800~2000メートルを主戦場とする馬が何回も勝っている。『ウマ娘』では“登山家”や“直滑降”、“下校の楽しみ”、“勢い任せ”といった坂が関係するスキルを修得しておくと、かなりの確率で発動し、役立ってくれるはずだ。

ウマ娘のモデルとなった競走馬たちの活躍は……?

安田記念で勝利したウマ(ウマ娘)たち

 GIに昇格してから、これまで37回開催されてきた安田記念。『ウマ娘』に登場しているキャラクター(サポートカードのみの登場や、ゲーム未実装のウマ娘も含む)は合計5人で、のべ6回優勝している。

  • 1989年 バンブーメモリー
  • 1990年 オグリキャップ
  • 1998年 タイキシャトル
  • 2003年 アグネスデジタル
  • 2008年、2009年 ウオッカ

そのほかの安田記念に出走したウマ(ウマ娘)たち

 ビコーペガサスはなんと4年連続で出走。バンブーメモリーも勝利した年から3年連続で出走している。

  • 1989年 サクラチヨノオー(16着)
  • 1990年 ヤエノムテキ(2着)、バンブーメモリー(6着)
  • 1991年 ダイタクヘリオス(2着)、バンブーメモリー(3着)
  • 1992年 ダイタクヘリオス(6着)
  • 1993年 イクノディクタス(2着)、ニシノフラワー(10着)
  • 1994年 サクラバクシンオー(4着)
  • 1995年 ビコーペガサス(4着)
  • 1996年 ヒシアケボノ(3着)、ビコーペガサス(5着)
  • 1997年 ビコーペガサス(6着)、ヒシアケボノ(8着)
  • 1998年 シーキングザパール(10着)、ビコーペガサス(13着)
  • 1999年 グラスワンダー(2着)、シーキングザパール(3着)、キングヘイロー(11着)、シンコウウインディ(13着)
  • 2000年 キングヘイロー(3着)
  • 2001年 アグネスデジタル(11位)
  • 2004年 ファインモーション(13着)
  • 2005年 スイープトウショウ(2着)

バンブーメモリー

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
バンブーメモリー(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 もともと蹄が弱く、デビュー以来脚に負担の少ないダートで走ってきたバンブーメモリーだったが、1989年、古馬(『ウマ娘』ではシニア級)になってようやく才能を開花させる。その才能を信じ、トレーナーサイドは当時5月に1600メートル戦で開催されていたシルクロードステークスからの連闘(※)というきびしい日程で、安田記念への挑戦を決意した。

※2週連続で出走すること。『ウマ娘』では2週間が1ターンのため、連続出走してもそれなりに休めていると思われるが、リアル競馬の連闘は体力の消耗が激しく、大レースの連闘はあまり行われない。とはいえ、バンブーメモリーやオグリキャップなどは、その“大レースの連闘”を経験しているのだが……。

 それまで4勝中3勝がダート、しかも重賞未勝利というキャリアから10番人気に甘んじたバンブーメモリーだったが、中団後方からレースを進め、最後の坂を上りきってまだ5、6番手というところから、とてつもない豪脚をくり出して見事に差し切る。

1989年 安田記念(GⅠ) | バンブーメモリー | JRA公式

 一躍スターダムへ名乗りを上げたその後は、短距離~中距離と幅広い路線で活躍する。とくに、同じ1989年のマイルチャンピオンシップではオグリキャップと死闘をくり広げ、2着に終わったものの競馬ファンを大いに盛り上げた。このあたりは、『ウマ娘』でのオグリキャップとのライバル関係に通じるところがある。

 バンブーメモリーは、毎回かなりムキになって走るところがあったようで、『ウマ娘』でやる気が空回りするシーンが見られるのも、そんなところから来ているのかもしれない。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?

オグリキャップ

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
オグリキャップ(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 古くはハイセイコー、トウショウボーイ(ミスターシービーの父)、テンポイントなど、競馬の長い歴史の中には何頭も“アイドルホース”のような存在がいた。しかし、“芦毛の怪物”オグリキャップへの熱狂振りは別格だったと言っていい。

 当時小学生だった筆者(アニメとプロ野球くらいにしか興味がなかった)だったが、オグリキャップの名前は知っていた。ほとんどの人が競馬は知らなくてもオグリは知っているというくらいの国民的知名度を誇る、まさに“アイドル”だったのだ。ちなみに、当時グッズとして販売されたぬいぐるみは信じられないくらい売れたらしく、街を走るクルマの中にオグリのぬいぐるみが飾ってある、というのはありふれた光景だった。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
アイネスフウジンとサクラチトセオーのぬいぐるみ。担当編集者の私物。記憶が定かではないが、1990年代前半にクレーンゲームで取った模様。

 そんなオグリキャップが、1990年の安田記念に出走する。オグリフィーバーで沸く東京競馬場のパドックは、フラッシュを焚いて写真を撮るファンがいるなど、異常な雰囲気に包まれていた。競走馬はとても繊細な生き物で、フラッシュなどの刺激を与えてはならないというのは、『ウマ娘』でエアグルーヴがフラッシュを嫌っているという、史実にちなんだエピソードからもわかる通り。

 そんな環境で多くの馬が平常心を失う中、オグリキャップはひとり悠然としていたという。そんなマイペースさが、『ウマ娘』での、のんびりした性格につながっているのかもしれない。

 レースはハイペースで進み、これまでバンブーメモリーの主戦だった武豊を鞍上に迎えたオグリキャップは2番手につける。「このペースでは最後までもたないんじゃないか?」という不安もよぎるが、オグリキャップの脚色は最後まで衰えを知らず完勝。1分32秒4という、当時としては驚くべきレコードタイムを記録した。後方から差し切りを狙っていたバンブーメモリーも、この走りには脱帽するしかなかっただろう。

1990年 安田記念(GⅠ) | オグリキャップ | JRA公式

 なお、オグリキャップと言えば、お腹が空きすぎて雑草や寝ワラまで食べてしまっていたと伝えられるほどの旺盛すぎる食欲が有名だが、馬体重の増減はそれほど激しくなく、とくに古馬(シニア級)になってからは490~500キロで維持するなど、エイシンフラッシュばりに管理されていたようだ。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?

タイキシャトル

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
タイキシャトル(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 外国産馬であるがゆえにクラシックレースや天皇賞に出走できなかったタイキシャトル。3歳(クラシック級)の1997年には芝、ダートを問わず活躍し、さらにマイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークス(※)とGIを2連勝するという際立った活躍をしていたにも関わらず、年度代表馬に選ばれることはなかった。

※このころのスプリンターズステークスは12月に行われていた。

 この年の年度代表馬は、“女帝”エアグルーヴ。天皇賞(秋)を制するなど中・長距離戦線で活躍したことが評価され、牝馬として26年ぶりの年度代表馬に輝いた。

 タイキシャトルが受賞できなかったのは、中・長距離路線に比べてやや軽んじられていた短距離路線だから? それとも、外国産馬だから? エアグルーヴの戦績が立派なものであることに間違いはないが、この年の年度代表馬選考では疑問の声も多く聞かれた。このエピソードは、タイキシャトルのシナリオでも重要なテーマのひとつとなっている。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?

 明けた1998年、タイキシャトルは安田記念への出走を決める。その後に控えた海外遠征の試金石としての挑戦だった。しかし当日はとんでもない豪雨が降り注ぎ、超不良馬場に。それまで良馬場でしか走ったことのなかったタイキシャトルに不安を持ち、競馬評論家たちは浮き足立った。しかし一方でファンの信頼は揺るがず、単勝は1.3倍(支持率60%強)と高い評価をキープ。

 果たして、レースが始まるといつものようなスタートダッシュを見せて逃げ馬2頭の後ろにつけ、そのまま馬場のど真ん中を突き抜ける王道競馬で勝ちきってしまう。タイムこそ歴代2番目に遅い1分37秒5だったが、「大雨の中の無敵」とJRAのCMで称された通り、圧倒的な“強さ”を見せ付けた勝利だった。『ウマ娘』のタイキシャトルのシナリオにおいて、シニア級の安田記念が必ず不良馬場での開催となるのは、この史実に基づいていると見ていいだろう。

1998年 安田記念(GⅠ) | タイキシャトル | JRA公式

 タイキシャトルはその後、フランスに渡り同国の1600メートル最高峰、ジャック・ル・マロワ賞に出走して歴史的な勝利を飾る。帰国後はマイルチャンピオンシップを前年に続いて制し、スプリンターズステークスには敗れたものの、マイル・短距離路線を歩んだ馬としては初めて、年度代表馬に選出されることとなる。この年はさらにフランスの最優秀古馬にも選ばれた。

 なお、アメリカ生まれのタイキシャトルは500キロを超えるかなり体格のいい馬で、マイペースな性格だったようだ。『ウマ娘』でのしゃべり方やカウガール風の勝負服、スタイルのよさ、性格などには、そういったプロフィールがうまく反映されている。

シーキングザパール

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
シーキングザパール(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 タイキシャトルが勝利を飾った1998年の安田記念には、同い年で同じアメリカ生まれの牝馬(女馬)、シーキングザパールも出走していた。惜しくも破れてしまったが、彼女についても触れておこう。『ウマ娘』ではエキセントリックな言動が見られる彼女だが、リアルでもかなりの気分屋だったようで、NHKマイルカップを楽勝したかと思えば、不良馬場が大の苦手で安田記念でも10着に沈むなど、浮き沈みが激しかった。

 しかし大敗した安田記念の後、海を渡ってフランスのGIモーリス・ド・ギース賞(芝1300メートル)に勝利。タイキシャトルのジャック・ル・マロワ賞に1週間先んじてのこの勝利は、“日本調教馬初の海外GIレース制覇”という偉業となった。『ウマ娘』での彼女が何かにつけて“世界”をアピールするのは、この出来事が由来と思われる。こうした、シーキングザパールやタイキシャトルの活躍がきっかけとなり、その後エルコンドルパサーらが海外へ羽ばたいていくことになるのだ。

 なお、シーキングザパール(Seeking the Pearl=真珠を探している)という彼女の名前は、父のシーキングザゴールド(Seeking the Gold=金を探している)から連想されたもの。パールの祖父ミスタープロスペクターは“(鉱山などの)試掘者・探鉱者”という意味があり、パールの息子はシーキングザダイヤ(Seeking the Dia.=ダイヤモンドを探している)なので、この一族は連想での名付けが続いている。

アグネスデジタル

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
アグネスデジタル(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 アグネスデジタルは1997年にアメリカで生まれた。このころには外国産馬もクラシックや天皇賞に出られるようになっていたが、デジタルは血統的にダート馬と見られており、2歳時はダート路線で活躍していた。

 しかし、翌2000年に3歳になると芝のレースに出始めてソコソコの活躍を見せ、NHKマイルカップにも出走。だが、そこで7着と振るわずダート路線へ出戻り、ユニコーンステークスなど重賞を2勝する。

 「やっぱりダートで強い馬か」との評価が定まっていたなか、デジタル陣営は突如として「マイルチャンピオンシップに出ます」と表明。ファンも「さすがにムリだろう」と思ったのか、当日は単勝13番人気(55.7倍)と軽視されていた。しかし、このレースでデジタルは後方からとんでもない追込を見せ、優勝してしまう。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?

 2001年の秋から2002年にかけては、GIに4連続で出走して全勝というとんでもない記録も達成。しかも以下を見ていただければわかる通り、ローテーションがとんでもないのだ。

  1. 地方・盛岡で行われる地方とJRAの交流競走、南部杯(ダート1600メートルのGI)に勝利
  2. 芝2000メートルの天皇賞(秋)に勝利
  3. 香港へ遠征して、芝2000メートルの香港カップに勝利
  4. ダート1600メートルのフェブラリーステークスに勝利

 芝、ダート、マイル、中距離の条件不問。作戦も先行、差し、追込と変幻自在。450キロ前後の小柄な馬体を躍動させ、史上例を見ないほどの万能っぷりで活躍を重ねていったのだ。ちなみに天皇賞(秋)では、“世紀末覇王”テイエムオペラオーを下している。

 さて、ここからが本題の安田記念である。約1年の長期休養を経ての出走となった2003年の安田記念は、その前走に、交流競走のかきつばた記念(ダート1400メートル)を選ぶなど、競馬ゲームでしかありえないようなローテーションで挑むことに。かきつばた記念で4着に敗れ、衰えたと見る向きもあったものの、それまでの偉業を目の当たりにしているファンの中には「アグネスデジタルならやってくれるんじゃないか」と謎の期待を抱くものも多く、4番人気に支持された。

 結果、中団からスルスルッと忍者のように抜け出して勝利。当時筆者は単勝を的中させたものの、「もうちょっと高配当でもいいんじゃないの……」と競馬ファンの慧眼っぷりに腹を立てていたのだった。

2003年 安田記念(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式

 どんなレースにも出て、そして勝ってしまうという愛すべき変た……もとい、万能戦士のアグネスデジタル。『ウマ娘』でもやや小柄な彼女の“濃ゆい”キャラクター性は、リアルのアグネスデジタルの破天荒な経歴に由来しているのかもしれない。

 もしアグネスデジタルが育成ウマ娘になるとしたら、芝A、ダートA、先行A、差しA、追込A、マイルA、中距離Aくらいの能力になってもおかしくない。そして、現行の仕様ではレースが足らないので、地方や海外のレースが追加されることになるかも!?

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
“デジたん”ことデジタルとエアシャカールは、同じ1997年生まれ。

ウオッカ

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?
ウオッカ(画像は『ウマ娘』公式サイトより)

 最後は安田記念を連覇しているウオッカ。彼女は東京コースで無類の強さを発揮し、安田記念2回のほかにヴィクトリアマイル、ダービー、天皇賞(秋)、ジャパンカップと、東京だけでGIを6勝もしている。なお、4歳(シニア級)になってからのウオッカは、初戦の京都記念を除いて東京かドバイでしか走っていない。

 2008年の安田記念は、前走ヴィクトリアマイルでのまさかの敗北(2着)を受けて、2番人気で出走。そしてこのレースでは、定位置である中団後方ではなく、3番手のポジションで3コーナーへと突入していった。そして好位置から楽に差し切って優勝。ニュースタイルを見せてくれた。

2008年 安田記念(GⅠ) | ウオッカ | JRA公式

 そして、ディープスカイとの新旧ダービー馬対決となった翌2009年。この年は定位置の中団後方から進んだウオッカだったが、最後の直線では有力馬たちが大接戦となり、進路が塞がれてしまう。誰もが「これはさすがにダメか!?」と思ったその瞬間、右に左に進路を変えながら軽やかに抜け出し、先行していたディープスカイを猛追。きっちり差し切ったところでゴールとなった。

 このレースで見せた驚愕のステップは、テレビアニメSeason1のオープニングや、ゲームでウオッカを星3以上にすると発動する固有スキル“カッティング×DRIVE!”のカットインのモチーフとも噂されている。

2009年 安田記念(GⅠ) | ウオッカ | JRA公式

 実際のレース映像をご覧になっていただければわかると思うが、とても時速60キロオーバーでできる動きではない。たとえば、ママチャリに乗って下り坂を全力で漕ぐとだいたい時速40キロくらいは出せる。それが18台ある中で、スピードに乗ったままほかのママチャリを交わせるのかと考えてみると、ウオッカのすごさが少しはわかる……かもしれない。

 ちなみに、ウオッカで史実通り安田記念を連覇すると特別なイベントが発生し、スキル“垂れウマ回避”のヒントレベルが上がったり、“練習上手○”がついたりする。しかしこのレースを改めて見返すと、「垂れウマって言うけど、ウオッカがすごすぎただけで別に垂れてなかったよね」と思った(笑)。

『ウマ娘』で見る安田記念物語。タイキシャトルやアグネスデジタルが見せた圧巻のパフォーマンスは、ゲームにどんな影響を与えたのか?

 なお、2009年の安田記念は、GIになってから初めて1着と2着が1番人気(ウオッカ)と2番人気(ディープスカイ)で決着するという、記念すべきレースとなった。馬連はカッチカチの2.9倍だったわけだが、人気サイドの決着が珍しいということからも、通常の安田記念がいかに荒れるレースであるのかがよくわかる。それはつまり、劇的なエピソードにも事欠かないということ。つぎのウマ娘候補は、安田記念から生まれる……かもしれない。

著者近況:ギャルソン屋城

 イベント“花咲く乙女のJune Pride”で忙しくて『ウマ娘』の原稿が進まないという、よくわからない状態に陥っている。

 一方リアル競馬のほうでは、過去に万馬券を4回も当て、回収率1700%超えという自信満々の安田記念で「今年も大穴ゲットだぜ!」と息巻く。ただし、同じコースであるヴィクトリアマイルでは4%、NHKマイルカップにいたっては2%と逆に脅威の回収率を誇っており、「ただの偶然」との声が絶えない。馬場が渋りそう(重や不良になりそう)なので、グランアレグリアやシュネルマイスターに不安を感じつつ、池添騎乗のダノンプレミアムが一発何かやってくれるんじゃないかと期待している。

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