サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年9月20日に新たな育成ウマ娘“アグネスデジタル”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。
『ウマ娘』のアグネスデジタル
公式プロフィール
- 声:鈴木みのり
- 誕生日:5月15日
- 身長:143センチ
- 体重:増減なし
- スリーサイズ:B74、W51、H75
ウマ娘オタク。大好きなウマ娘にお近づきになり、御姿を愛で、幸せな日々を送るためにトレセン学園にやってきた。とはいえ礼節はわきまえており、迷惑行為を働いたりはしない。あらゆるウマ娘を近くで拝みたい一心で、芝ダート問わぬ万能な走力を見せつける。
アグネスデジタルの人となり
「うひひ…じゅるりら☆」(『うまよん』より)
育成シナリオ実装よりも先に、トレセン学園内での会話のおもしろさやアグネスタキオンの育成シナリオ中の言動で大いに話題となったウマ娘、"デジたん”ことアグネスデジタル。
愛する美少女ウマ娘たちを間近で見るためにトレセン学園へとやってきたというほどの熱心さと、それでいて“推し”への迷惑行為だけは一切しない(許可が下りた場合は別)潔癖な心を持つ、まさにオタクの鑑とも言える存在である。
栗東寮ではアグネスタキオンと同室で、マッドサイエンティストのタキオンからじーっと観察されながらも気にしていない。むしろ、タキオンがデジタルの熱すぎる視線にぞわぞわしているという、非常に珍しい光景がそこで展開しているのである。
競争馬のアグネスデジタルがエアシャカールと同い年なほか、テイエムオペラオーやメイショウドトウとも年が近く、『ウマ娘』の作品内ではデジタルが彼女らと絡んでいるシーンも見られる。
なお、もっと彼女の活躍を見たいという人はコミック『STARTING GATE! ―ウマ娘プリティーダービー―』やアニメ『うまよん』などに触れることをオススメする。
『STARTING GATE! ―ウマ娘プリティーダービー―』(Kindle)の購入はこちら (Amazon.co.jp) アニメ『うまよん』Blu-ray BOXの購入はこちら (Amazon.co.jp)デジタルの勝負服はセーラー服をアレンジしたようなフォルムの、かわいらしいドレス姿。カラーリングはアグネス軍団の勝負服(黄、赤、水色を使っている)がモチーフとなっているようだ。
アグネスデジタルの能力
現役時代の詳しい戦績は後述するが、芝、ダート、マイル、中距離の距離馬場不問で活躍したアグネスデジタル。その経歴を反映して、芝ダートともに適性A、マイルと中距離も適性Aだ。
先方も、先行A、差しA、追い込みBとなっており、まさに変幻自在。これらの適性の広さから、アオハル杯シナリオではトレーナー(『ウマ娘』プレイヤー)にとって、頼れる存在となっている。
キャラクター名に[超特急!フルカラー特殊加工PP]と付いているが、“特殊加工PP”というのは印刷の用語で、表紙に透明なフィルムを貼って高級感を出す加工のこと。恐らく、デジタルが同人誌を描いていて、印刷データを本当の超ギリギリのタイミングで印刷所に入稿していることを示しているのだろう(※)。
※編注:デジタルは印刷所に特急料金(急仕上げのための割増料金)を支払っていると思われるが、締切をぶっちぎるのは印刷所の人がマジでブチ切れるのでやめたほうがいい。
固有スキルは“尊み☆ラストスパー(゚∀゚)ート”。これは“尊み秀吉”というスラングと“キタ――(゚∀゚)――!!”の顔文字を合わせたもので、スキル発動の演出もニコニコ動画っぽい弾幕が流れたりするわけだが、それ以外にも“ウママニア”、“狙うは最前列!”など、オタク用語を用いたレアスキルを持っている。
成長率はほかのウマ娘とは異なり、スピード+8%、スタミナ+8%、パワー+7%、賢さ+7%とバラけている。これは意外と育てやすいかもしれない。
なお、筆者はかつてアグネスデジタルについて書いた際、適性について「芝A、ダートA、先行A、差しA、追込A、マイルA、中距離Aくらいの能力になってもおかしくない」と述べた。追込適性はBだったものの、だいたいは合っていたので安心している。その記事もぜひ読んでみてほしい。
競走馬のアグネスデジタル
アグネスデジタルの血統
アグネスデジタルは1997年5月15日、アメリカ合衆国ケンタッキー州生まれ。ヒシアケボノと牧場は違うが、同じ州の出身だ。父はミスタープロスペクター産駒のクラフティプロスペクター、母はチャンシースクウォー。
父はクラフティプロスペクターは、アメリカ生まれで10戦7勝、2着2回とすごそうな数字だが重賞勝ちはない。産駒は基本的にダート馬で、出世頭にはアグネスデジタルの名前が挙がる。日本でもアグネスデジタルのほかに産駒が走っていて、地方を中心に重賞勝ち馬も出ている。ただし特筆すべき事項はない。
母も現役時代に特筆すべき成績を収めてはいないが、繁殖牝馬としては優秀。デジタルの後も、2003年のデビュー時に素質馬として期待されたシェルゲーム(父スウェイン)や、重賞勝ち馬のジャリスコライト(父ファンタスティックライト)などを送り出している。デジタルを含めた3頭はすべて輸入されたもので、母自身はずっとアメリカで暮らしていた。
なお、芝ダートの二刀流で鳴らしたアグネスデジタルだが、産駒は血統通り、ほぼダート馬だった。デジタルが能力の高さで芝もこなしていた、と見るべきだろうか。
アグネスデジタルの生い立ち
アメリカ生まれのアグネスデジタル。『ウマ娘』では143センチと背が小さいが、競走馬のデジタルも生まれ故郷の牧場ではもっとも小柄だった。デビュー後も440~450キロで走っていることが多く、それが『ウマ娘』でちびっ子になっている理由だろう。
さて、デジタルは小柄だったせいもあり、そこまで注目される存在ではなかったようだが、スペシャルウィークを育てた白井寿昭調教師が「これは走る!」と見込み、庭先取引で購入されることに。
性格はとても素直で、調教を嫌がることもなく順調に成長していく。本コラムに登場してきたさまざまなウマ娘のモデルたちがそうだったように、強くなる馬は往々にして我が強いものだが、アグネスデジタルはおとなしく扱いやすい馬だったようだ。
アグネスデジタルの現役生活
「真の勇者は、戦場を選ばない。」(JRAの広告“ヒーロー列伝”より)
2歳(ジュニア級):将来有望なダート馬
デビュー戦は1999年9月12日の新馬戦。血統的にダート向きと見られていたこともあって、コースは阪神競馬場のダート1400メートルが選ばれた。ここでは7馬身も離されての2着に終わるが、折り返しの2戦目で早くも初勝利を飾る。勝利後は、芝でも走れそうと見て連闘で芝1200メートルのもみじステークスに挑むが、いいところなく8着に敗れ、再びダート戦線へと戻ることに……。
5戦目で2勝目を挙げると、地方との交流重賞である全日本3歳優駿(現・全日本2歳優駿。川崎競馬場、交流GII)(※)に出走してこちらにも勝利する。このころすでに、鋭い末脚の片鱗は見られていた。
※2001年度まで競馬界では数え年が採用されていたため、現在の2歳世代のことを“3歳”と言っていた。
3歳(クラシック級):マイルCSでまさかの激走
年明けはダートのオープン特別、ヒヤシンスステークスに出走して3着。その後は、当時ダート戦線ではオープン馬が出られるレースがなく、芝もそこそこ走れるだろうという理由から、NHKマイルカップを目指すことに。前哨戦のクリスタルカップ、ニュージーランドトロフィーをそれぞれ3着でまとめ、いよいよ本番へ。しかし最後の直線で末脚が不発、7着に終わる。
夏からはダートの交流重賞が始まるので、三たびダート戦線へ。6月の名古屋優駿(名古屋競馬場ダート1900メートル、交流GIII)をレコードタイムで勝ち、2000メートルのジャパンダートダービー(大井競馬場、交流GI)へ。しかし、ここではスタミナが持たなかったのか、最後の直線でまさかの失速。14着と惨敗してしまう。このころはまだ体が出来上がっておらず、不安定なレースが続いていた。
放牧を挟んでようやく体が出来上がってきたアグネスデジタル。9月のユニコーンステークス(1996年と、1998年~2000年のみ中山ダート1800メートルで開催されていた。GIII)を力強く勝利すると、続く武蔵野ステークス(GIII)では初の古馬との対戦で2着と健闘。つぎはいよいよジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)か……と思いきや、なんと陣営は芝のマイルチャンピオンシップ参戦を決断する。
そして本番。誰もがこれまでの成績を見て「アグネスデジタルはダート馬」と思っていたのか、単勝13番人気という低評価に。しかもレースが始まると、久々の芝で流れに乗れず、後方からの競馬に……。これは万事休すと思いきや、最後の直線で15番手からとてつもない豪脚をくり出して一気に全馬をまくり切ってしまう。タイムは1分32秒6で当時のレコードタイムというおまけ付き。そしてこれが芝での初勝利なのだから本当に驚きだ。
デジタルはその万能ぶりから、ネットでは“変態”と呼ばれて称えられることがあるが、彼のビクトリーロードはここから始まったのだ。
2000年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式
4歳(シニア級):世間を震撼させた天皇賞(秋)
誰もが驚いたGI勝利から2ヵ月。年明け初戦は新年最初の重賞、京都金杯(GIII)が選ばれた。しかしGI馬の貫禄を見せることはできず3着に敗れると、脚のケガで休養に入る。
その後5月の京王杯スプリングカップ(GII)で復帰、ひと叩きして安田記念に出走するも、それぞれ9着、11着と大敗。競馬ファンからは「これは噂に聞く“一発屋”というやつなのでは……」という疑惑が囁かれるようになる。
しかし人気が落ちたころに不死鳥のように蘇るのがアグネスデジタルなのだ。放牧から帰ってきた9月の日本テレビ盃(船橋競馬場、交流GIII)で久々の勝利を飾ると、ここから怒涛の快進撃を見せる。
まずは10月、盛岡競馬場で開催された交流GI・マイルチャンピオンシップ南部杯に出走。中央、地方の強豪たちが集うダート最強馬決定戦の様相を呈していたこのレースで、ライバルたちを蹴散らし見事優勝する。1984年のグレード制導入以降では初となる芝、ダート両方でのGI制覇を果たすと、連覇を狙うべくマイルチャンピオンシップに……ではなく、なんと天皇賞(秋)への出走を表明。
じつはこの年から、天皇賞は外国産馬に対して出走枠が設けられることになり、メイショウドトウに次いで外国産馬獲得賞金第2位のアグネスデジタルが出られるようになったのだ。当初はその年のNHKマイルカップ優勝馬クロフネ(賞金第3位)が出るものと思われていたが、出走に踏み切ったデジタル陣営の決断により、クロフネは天皇賞に出られなくなってしまった。怪物クロフネのパフォーマンスを見たかったと期待を寄せていた人々からは、アグネスデジタルへ心ない誹謗中傷もあったと言われる。
レースは世紀末覇王テイエムオペラオーと、この年の宝塚記念でついにその牙城を破ったメイショウドトウに加え、ドバイシーマクラシックを制したステイゴールドが3強を形成、アグネスデジタルはそこから離れた4番人気となった。レース当日は雨が降り、重馬場に。3強が先団で進み、アグネスデジタルは後方に控える形で進む。そしてゆったりとした流れから、最後の直線でテイエムオペラオーが抜け出すが、馬場の荒れていない大外から飛んできたのはアグネスデジタル。内外離れた競り合いはゴール前まで続き、東京競馬場に響くテイエムオペラオーへの声援の中、最後に抜け出したのは外のアグネスデジタルだった。
このレースでフジテレビの実況を担当した塩原恒夫アナは「これならば納得でしょう、クロフネ陣営も!」と叫んだが、まさにデジタルは周囲の声を、自身のパフォーマンスで黙らせたのだった。
2001年 天皇賞(秋)(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式
※上記の動画は実況の内容が異なります。
なおクロフネのほうはというと、前年アグネスデジタルが2着に終わった武蔵野ステークスをレコード勝ちすると、ジャパンカップダートを圧勝。アグネスデジタルに次ぐ史上2頭目の芝ダートGI制覇を達成している。もしクロフネが天皇賞(秋)に出ていたら、ダート路線に進むことはなかったかもしれず、これもまた競馬のおもしろさと言えるかもしれない。
話をデジタルに戻そう。彼の進撃はまだ止まらない。むしろ天皇賞(秋)は通過点に過ぎなかったのだ。つぎなるレースは、前年も制したマイルチャンピオンシップ……と思いきや、なんと香港。しかも1600メートルの香港マイルではなく、2000メートルの香港カップだった! 評論家もファンも、先がまったく読めないレース選択。『ウマ娘』での神出鬼没なキャラクターは、間違いなくここから来ているのだろう。
デジタルにとっては初の海外レースとなったが、先行策から押し切って完勝を果たす。天皇賞での勝利は「重馬場だったからだろう」と、まぐれのように見る向きもあったが、そんな声を実力でねじ伏せてしまった。この所業、変態どころか冒頭のキャッチコピー通り、まさに“勇者”である。
5歳(シニア級):ドバイで夢敗れる
夢が膨らむ陣営は、つぎなる目標を世界ナンバーワン決定戦である“ドバイワールドカップ”に定め、前哨戦として2月のフェブラリーステークスに出走。女傑トゥザヴィクトリーや2001年覇者のノボトゥルーなどを寄せ付けず、ゴール前できっちりと差し切りGI4連勝を達成する。
2002年 フェブラリーステークス(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式
ここで、改めてそのGI4連勝の内容を整理してみよう。
- 南部杯(盛岡競馬場、ダート1600メートル)
- 天皇賞(秋)(東京競馬場、芝2000メートル)
- 香港カップ(シャティン競馬場、芝2000メートル)
- フェブラリーステークス(東京競馬場、ダート1600メートル)
GI4連勝というだけでも歴史的快挙なのに、ダート、マイル、地方、芝、中距離、中央、海外と、これだけ属性てんこ盛りな記録は後にも先にもアグネスデジタルだけである。だからこそデジタルは“変態”と呼ばれて愛されているのだ。
また、毎回違う属性のレースで戦うものだから、生涯で対戦したGI馬はなんと20頭を超えている。このあたりは『ウマ娘』のゲーム中でも、”いろいろなウマ娘と触れ合いたいウマ娘オタク”というキャラクターとして反映されている。
フェブラリーステークスの後、満を持して日本を飛び立ったアグネスデジタルだったが、好事魔多し。飛行機のトラブルに遭い、さらにドバイ到着後も集中豪雨のため調教が満足にこなせないなど、本調子からはほど遠い状態でレースに挑むハメに。もちろん、そんな状態で勝てるほど世界は甘くなく、6着に敗れてしまう。
不完全燃焼に終わった陣営だったが、その足で再び香港へと向かい、クイーンエリザベス2世カップ(国際GI)に出走。香港で大活躍した日本馬のエイシンプレストンに敗れるも2着に入り、少し溜飲を下げた。
6歳(シニア級):最後に見せた一瞬のきらめき
香港から帰国後、疲労が抜けず1年にもわたる長期休養をすることになったアグネスデジタル。復帰戦に選ばれたのは、2003年5月1日、名古屋競馬場で行われた交流重賞、かきつばた記念(交流GIII)だった。
そんな復帰戦に現れたデジタルは、前走からプラス23キロの472キロと、だいぶ大きくなっていた。レースは久々がこたえたか、はたまた太すぎたのか、最後に失速して4着に終わる。
つぎに歩を進めたのはGI、安田記念。芝GIの前にダートGIIIを使うというのは、競馬ゲームでしかありえないようなローテーションだが、これまで積み重ねてきた実績もあり、驚く人は少なかった。
前走の体たらくから「ピークを過ぎた」という声もあったものの、同時に「アグネスデジタルなら激走してもおかしくない」と考える人も多かったのか、フタを開けてみると4番人気とそこそこの人気に。しかも実際、レースでは中団からスルスルッと忍者のように抜け出して、勝利をかっさらってしまった。このときの勝ち時計の1分32秒1は、オグリキャップが記録した1分32秒4をも上回る、当時のレコード記録となった。
2003年 安田記念(GⅠ) | アグネスデジタル | JRA公式
その後は再び調子を崩して勝てなくなり、年末の有馬記念9着を最後に引退となった。しかし、引退式のために調教をつけていたらGIを勝った時の好気配が戻ってきて関係者を騒然とさせるなど、最後まで周囲をハラハラ、楽しませてくれていた。
芝ダートの二刀流どころか、1600~2000までこなす万能馬だったアグネスデジタル。4年連続GI勝利、GI4連勝、GI通算6勝(芝4勝、ダート2勝)、地方中央香港でそれぞれGIを制した実績は超一流。まさに、“真の勇者は、戦場を選ばない。”である。最強のライバルたちを打ち破ってきたアグネスデジタルに、これ以上ふさわしいキャッチコピーはないだろう。
アグネスデジタルの引退後
2004年より北海道のビッグレッドファームで種牡馬になったアグネスデジタル。残念ながら父のように芝ダート兼用の後継者は現れず、ダートで活躍する馬が多かったようだ。そして2020年に種牡馬を引退、現在は十勝軽種馬農協種馬所に移って余生を過ごしている。
牧場でもふだんはとてもおとなしいが、放牧地ではつねに歩いたり走ったりと体を動かしていたようだ。このあたりはさすがGI馬というところだろうか。
著者近況:ギャルソン屋城
リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減(虫歯の治療中)。
累計課金額は5880円(パック更新忘れ期間含む)の、王道微課金プレイヤー。「ストーリーを楽しむエンジョイ勢だから」とつねづね口にしているが、本当は勝ちたくてしょうがないらしい。