サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年2月24日に新たな育成ウマ娘“★2[ぱんぱかティルトット]マチカネタンホイザ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のマチカネタンホイザ

公式プロフィール

  • 声:遠野ひかる
  • 誕生日:5月7日
  • 身長:155センチ
  • 体重:微増(食べすぎちゃった)
  • スリーサイズ:B80、W55、H80

真面目で前向き、いつでも全力の優等生な性格……なのにイマイチ勝ちきれなかったり、肝心な部分でポカをするなど、天然なところも。
そんな彼女の自分への評価は……『普通』な子。
個性の強い子たちに憧れたりもするけれど、自分らしさを大事に、ひたむきにがんばります!

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】マチカネタンホイザは一生懸命走るがんばり屋。鼻血エピソードやブルボン、ライスとの戦いなど現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

マチカネタンホイザの人となり

 栗東寮に所属する、ふんわりとした雰囲気の明るい女の子。基本的にマジメで前向きな優等生でありながら、肝心なときにポカをするドジっ子属性を持つ。

 要素だけ並べれば“主人公属性”の塊だが、個性派揃いのトレセン学園においては埋もれがちなようで、ゲーム中でも自分の個性のなさを気にしている。そのせいか、たまによくわからない奇行に走ることも……。練習量もとんでもなく、確実に“ふつう”ではないのだが。

 そんな彼女の口癖である「えい、えい、むん!」は、トレーナー諸氏からも大きな人気を得ている。ストーリーイベント“Brand-new Friend”のイベントミッション画面でしゃべっていたもので、現在はトレーナーノートもしくはサークルチャットでのタンホイザのボイス付きスタンプで聴くことが可能だ。

【ウマ娘】マチカネタンホイザは一生懸命走るがんばり屋。鼻血エピソードやブルボン、ライスとの戦いなど現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 この「むん!」という神フレーズを生み出したのは、ボイス収録時の担当ディレクターによる功績だと言われている。タンホイザは上記のイベント後も「ばばんば~♪」なる新たなキラーフレーズを生み出しており、この分野において確固たる地位を築きつつある。

 アニメではドジっ子というより不幸体質なところを見せており、「チーム<カノープス>に大型新人現る!」と登場したつぎの瞬間に、頭上から鈴が落ちてきて顔面に直撃、鼻血を出すなど、何かと辛い目に遭っている。

 アニメではチーム<カノープス>のメンバーであるナイスネイチャ、ツインターボ、イクノディクタスたちや、キタサンブラック、サトノダイヤモンドといっしょにいるシーンが多い。ゲームではチーム<カノープス>は存在しないものの、やはり彼女たちとは仲はいいようだ。

 ちなみに、リアルではミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、ニシノフラワーと同い年。とくにミホノブルボン、ライスシャワーとは何度も対戦をくり広げた仲でもある。

 また、タンホイザと言えば鼻血シーンだが、元ネタは1994年のジャパンカップにある。競走馬のタンホイザが本馬場入場を済ませ、返し馬をしている最中に鼻から出血し、出走寸前で競争除外となったのだった。

 勝負服は、リアルのマチカネ軍団のカラーリング(赤地+青二本輪、青袖+赤二本輪)を反映した、ドイツの民族衣装風のかわいらしいデザイン。“タンホイザ”という名前がドイツに縁があることから連想したものなのだろうか。また、トレードマークの帽子は、人間用のキャスケットに穴を開けて右耳に被せている。帽子から前髪に続く、白く右側に流れている模様も、リアルの毛色からだろう。

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マチカネタンホイザの能力

 マチカネタンホイザの成長率はスタミナ+20%、根性+10%。適性は芝がA、中距離と長距離がA、先行と差しがA。

 固有スキル“レディー、どんっ!”は、“レース中間付近で中断にいるとき気合を入れなおして持久力を少し回復し、さらに速度をわずかに上げる”という能力。星3に才能開花させると名前が“どんっ、パッ、むんっ!”に変化し、効果がより強力になる。

 レアスキルは回復の“どこ吹く風”と、速度アップスキルの“怒涛の追い上げ”を持つ。

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競走馬のマチカネタンホイザ

マチカネタンホイザの生い立ち

 1989年5月7日、北海道平取町(びらとりちょう)の稲原牧場にて生まれる。父は昭和を代表する名種牡馬ノーザンテースト。母は日本の名牝系スターロツチ系の血を引き、なおかつ母父アローエクスプレス、母母父モンタヴアルという名種牡馬の名前がズラリとならぶ超良血のクリプシー。いとこには、重賞を4勝し、ライスシャワーやナイスネイチャにも勝利している牝馬ワコーチカコがいる。

 タンホイザの名の由来は、ドイツの音楽家ワーグナーが作曲したオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』から。本来なら“タンホイザー”としたかったところ、日本軽種馬登録協会の規定で10文字以上の馬名が登録できないことから“タンホイザ”となった。同様にアルファベット表記も規定に従って少し変更され、“Machikane”が“Matikane”となっている(アルファベット表記についてはマチカネフクキタルも同様)。

 タンホイザは良血であることから、幼駒時代から注目を集めていた。能力的には瞬発力に優れていたため、脚を溜めて後方から追い込む作戦に向いていたのだが、猪突猛進というか、とにかく一生懸命走ろうとする性格のため、道中抑えるのがたいへんだったようだ。

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マチカネタンホイザの血統

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 父のノーザンテーストは、かの大種牡馬ノーザンダンサーの直仔で、日本で種牡馬にするために幼駒時代にアメリカで購入され、フランスなどヨーロッパで競走馬生活を過ごした後に日本へとやって来た。母系の特徴を引き出すことで知られ、国内リーディングサイアーに10回も輝いている。

 なお、ノーザンテーストは種牡馬引退後、悠々自適の生活を送っていて、いつも厩舎に入り込んでくる猫を背中に乗せてゆったり歩いていた。このエピソードや髪の模様から、ファンのあいだでは秋川理事長のモデルではないかと噂されている。

 母のクリプシーは、通算11戦2勝と実績はほとんど残せなかった、しかし前述の通り良血だったため、繁殖牝馬として期待されており、実際にマチカネタンホイザを輩出した。重賞馬はタンホイザ1頭だったが、産駒の勝ち上がり率はかなり高く、期待に応えたと言えるだろう。

 ちなみに、クリプシーが属するスターロツチの牝系は、当時かなりの勢いがあった。現役時代にオークスと有馬記念を制したスターロツチは、自身の仔はあまり活躍できなかったものの、孫やひ孫の代になって大爆発。皐月賞馬ハードバージに始まり、天皇賞(秋)を勝ったサクラユタカオー、2冠馬サクラスターオー、ダービー馬ウイニングチケットなど、数々のGIウィナーを輩出している。

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マチカネタンホイザの現役時代(表記は現在のものに統一)

 順調に育ったマチカネタンホイザは、後にウイニングチケット、エアグルーヴ、ファインモーションなどを手掛ける栗東の名伯楽、伊藤雄二厩舎へ入厩する。

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2歳(ジュニア級:1991年)

 デビューは1991年9月15日、中京競馬場芝1700メートルの新馬戦。武豊騎手を背に6馬身、1秒差の圧勝を飾る。2戦目のいちょうステークス(現サウジアラビアロイヤルカップ)は4着に敗れたものの、3戦目の府中3歳ステークスを勝利してオープン馬に昇格。なお、このレースから鞍上は岡部幸雄騎手に替わっている。

 4戦目は2歳チャンピオン決定戦の朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)。しかしここでとんでもない“怪物”が立ちはだかった。スパルタの坂路調教で鍛えられ、“サイボーグ”と呼ばれたミホノブルボンである。初の重賞、初のGI挑戦となったタンホイザはその影さえ踏むことができず、4着に敗れた。

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3歳(クラシック級:1992年)

 年明け初戦は、2月の共同通信杯。関西所属ながら、5戦目にしてじつに3回目の東京コースである。というのも、じつはマチカネタンホイザは右回りを苦手にしていたため、左回りコースである中京や東京に遠征して戦っていたようだ。しかし今回は前目にポジションを取ってレースを進めるも不発、4着に敗れてしまう。

 2戦目は中山のスプリングステークス。このレースにはタンホイザを始め、ブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオーも出走しており、『ウマ娘』でもそれぞれの目標レースに設定されている。

 結果はと言うと、ブルボンが7馬身差の圧勝。ライスシャワーが4着、タンホイザが5着で、バクシンオーは距離の壁に敗れ、バクシンできず12着に沈んだ。

 ブルボンの強さは圧倒的で、続く皐月賞も勝利。タンホイザは7着で、8着のライスシャワーには先着したものの、大きく引き離されてしまった。

 日本ダービーの出走権を確実にするために出走したNHK杯(※)では、最後に競り負けて勝ちきれなかったものの、2着で賞金と優先出走権をゲット。善戦を重ねながら日本ダービーへとたどり着く。

※当時はGII、芝2000メートルで日本ダービーのトライアル競走として行われていた。

 本番でもいつも通り一生懸命に走り、最後に力強く追い込んで4着に入ったが、勝ったブルボンはタイムにして1秒4、8馬身以上も先にゴールしていた。最後の600メートルのブルボンの走破タイムは、逃げていたにも関わらずタンホイザと同タイムである。また、スプリングステークスと皐月賞の2レースで、タンホイザと同じような順位でゴールしていたライスシャワーが、このレースでついに覚醒。2着に粘り込んだ。

【ウマ娘】マチカネタンホイザは一生懸命走るがんばり屋。鼻血エピソードやブルボン、ライスとの戦いなど現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 タンホイザの秋シーズンは、オープン特別のカシオペアステークスから始動、先行策から最後は差しきられて2着に終わったが、ここはあくまで調整。菊花賞なら、スタミナに不安のあるブルボンにも勝てるチャンスがあるかもしれない。

 そして迎えた菊花賞。名手岡部に導かれたタンホイザは、先行策からインを抑え最短距離を行く省エネ走法で道中を乗り切り、最後の直線ではブルボンをついに捉える。しかし、脅威の勝負根性で差し替えされ、アタマ差競り負けてしまった。さらに、その1と1/4馬身前にはライスシャワーの姿が……。

1992年 菊花賞(GⅠ) | ライスシャワー | JRA公式

 最善を尽くしてもなお、主役の座を掴めなかったタンホイザだったが、4着以下には7馬身以上の大差をつけていた。この強さは本物である。ぜんぜん、“ふつう”じゃなかった。

4歳(シニア級:1993年)

 GI戦線で善戦はしたものの、まだ2勝馬に過ぎなかったタンホイザは年明けから積極的にレースに出走する。初戦の中山金杯こそ最後に失速して8着に敗れたが、続くダイヤモンドステークスでは3200メートルもの長丁場(※)を悠々と乗り切り、2着に3馬身以上の差をつけたコースレコードでの圧勝劇を演じた。

※現在は3400メートルで施行。

 さらに当時は2月開催だった目黒記念でも、58キロという重いハンデを背負いながらも危なげなく勝利。このレースにはライバルのライスシャワーも出走していたが、こちらは調整途上ということもあり、タンホイザから2馬身半離れての2着に終わっている。

 長距離重賞を2連勝。こうなると当然、長距離GIの最高峰である天皇賞(春)が視野に入ってくる。「充実一途のタンホイザなら勝てるのではないか……!」と周囲の期待も膨らんだ。

 しかし、この年はとんでもないメンバーが揃っていた。天皇賞(春)3連覇を狙うメジロマックイーン。目黒記念でタンホイザに敗れたとはいえ、このレースに照準を定めて調子を上げてきたライスシャワー。そして有馬記念、阪神大賞典と連勝し、6歳にしてさらなる充実を見せるメジロパーマー。『ウマ娘』絡みではイクノディクタスも出走していた。

 レースはパーマーが引っ張り、マックイーン、ライスシャワーを含めた三つ巴の戦いに。そして最後の直線でマックイーンが一度は抜け出すも、その影で終始マークしていたライスシャワーが交わして勝利。歴史に残るマッチレースを制し、マックイーンの偉業を阻止した。タンホイザは彼らから大きく離された4着に終わった。

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 その後は東京のオープン特別メイステークスで1着。さらに、京都で代替開催された高松宮杯(※)での4着を経て、夏の休養へと入った。

※当時は7月開催で芝2000メートルのGII競走だった。

 秋は、当時芝1800メートルのオープン特別として施行されていた富士ステークスで復帰し、1着。この年の4勝目を挙げた。

 そして中1週でジャパンカップに挑戦。相性のいい東京コース、2400メートルという距離もタンホイザ向きかと思われたが、世界の強豪が集うレースは甘くはなく15着と惨敗する。

 なお、このレースではコタシャーンのケント・デザーモ騎手が残り100メートルのハロン棒をゴール板と勘違いし、追うのをやめてしまって敗れるという、歴史に残る珍事件があった。タンホイザは、またしても歴史の証人となったのである。なお、1着になったのは、タンホイザと同い年のレガシーワールド。タンホイザとは何かと近い着順になることの多いライスシャワーは、ひとつ上の14着だった。

 そして迎えた有馬記念。このレースは、テレビアニメ2期でも描かれた“トウカイテイオー奇跡の復活”で有名だ。1着になったのはもちろんトウカイテイオーで、2着はビワハヤヒデ、3着は3年連続でナイスネイチャだった。

 タンホイザはと言うと、鞍上に柴田善臣騎手を迎え、これまでの先行策を捨てて追い込み戦法で臨んだ。これが功を奏したのか、上位陣には敵わなかったものの、レガシーワールドに先着する4着と健闘した。

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5歳(シニア級:1994年)

 この冬も休まずに走り続けるタンホイザは、GIIのアメリカジョッキークラブカップ(AJCC)から始動し、これを制する。22戦目にして、初めて苦手な右回りコースを克服しての勝利となった。なお、このとき2着になったフジヤマケンザンは、のちに海外レースの香港国際カップを制することになる。

 さて、幸先のいいスタートを切ったタンホイザだったが、続く日経賞では3着。このレースが最後の対戦となったライスシャワーが2着になっており、やはり似たような着順に落ち着いていた。

 再び挑戦した天皇賞(春)では、ビワハヤヒデとナリタタイシンのマッチアップに加われず、最後はナイスネイチャにも差し切られて5着。京阪杯(※)4着を挟み、宝塚記念でもビワハヤヒデに1秒6も差をつけられ完敗し、波に乗りきれないまま春シーズンを終える。

※当時は5月開催で芝2000メートルのレースだった。

 休養を挟み、秋は毎日王冠から動き出し5着。そして迎えた天皇賞(秋)は、大本命のビワハヤヒデ、対抗と見られていたウイニングチケットがともに異常発生で勝負に加われないという波乱の展開となった、しかしやはりタンホイザは勝ちきれず、勝ったネーハイシーザーからわずか0秒4差の4着に終わる。

 なお、ビワハヤヒデとウイニングチケットはともに屈腱炎を発症していたことがレース後に判明。このレース限りでの引退が決まった。

 この2頭が戦線離脱したことで、ジャパンカップに参戦する日本馬からはGIホースが1頭もいなくなってしまった。そんな中、押し出されるような形で、重賞3勝のタンホイザが日本の最有力馬に急浮上する。

 当日、競馬ファンの期待を背負って東京競馬場に現れたタンホイザだが、本馬場入場を終え、レース直前のウォーミングアップにあたる“返し馬”に入ったところで、異常な動きを見せる。なんと、鼻出血を発症していたのだ。

 鼻血というと、人間にとっては大したことがないようにも思えるが、馬は鼻でしか呼吸ができないため、出血で鼻を塞がれるのは命に関わる一大事。当然ムリはできず、残念ながらレース直前にして競争除外となった。レースは日本馬の伏兵、マーベラスクラウンが勝利している。

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 タンホイザの悲運は、ジャパンカップだけでは終わらなかった。続く有馬記念では、直前にじんましんを発症してしまい、出走取消となってしまう。

 一説には、飼い葉(エサ)桶の中に蜘蛛が紛れていてそれを食べてしまったから……とも言われている。じんましんは顔面だけに出ており、昔からよく言われる“クモ疹”という症状だったからだ。伊藤雄二師も、マスコミに「クモでも食ったんちゃう?」と語っていたらしいが、あくまで迷信というか冗談であり、実際のところはストレスなどほかの原因があったとも。しかし、この件の真相を知るのはタンホイザのみだ。

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6歳(シニア級:1995年)

 年が明けてもタンホイザのトラブルは収まらない。今度は急性の化膿性疾患であるフレグモーネを発症。サラブレッドの場合は進行が早く、一夜のうちに悪化して激しい痛みが生じることもある病気だ。タンホイザは治療に専念するため、長期休養を取ることになる。

 再始動は7月の高松宮杯から。得意の左回りということもあって、ブランクをものともせずに勝利。タイムこそ2分2秒6と遅かったが、1番人気だったヒシアマゾンも5着に沈む難しいレースで、力のあるところを見せてくれた。このレースは翌年から芝1200メートルのGI競走に昇格したため、芝2000メートルのレースとしてはタンホイザが最後の覇者となっている。

 つぎこそはGIタイトルを、とファンも期待したが、その後は急激に輝きを失い、函館記念で8着、天皇賞(秋)で6着、ジャパンカップで12着と冴えないレースが続く。そして最後の望みを懸けた芝3600メートルのステイヤーズステークスも7着に敗れ、ついに引退することとなった。

 大きな故障もせず、長い期間にわたって第一線で活躍し続けたタンホイザ。GIでは勝利どころか連対さえできない“善戦マン”だったが、5年間の競走馬生活でGIに挑戦することなんと14回。大舞台を彩った名バイプレイヤーであった。生涯成績32戦8勝、重賞4勝。獲得賞金は約5億円と、ノーザンテースト産駒の中では最高額を叩き出している。

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マチカネタンホイザの引退後

 引退後はブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入り。しかし、交配相手があまり集まらず目立った実績も挙げられなかったため、2003年限りで種牡馬からも引退。2006年にはマチカネ牧場に移動し、さらに2010年からはオーナーが同じマチカネフクキタルとともに、山梨県の小須田牧場で功労馬として余生を過ごすことになった。

 高齢になったこともあってか、性格ものんびりと物怖じしないものになっており、相棒のフクキタルがちょっかいを出してきても、ほとんど相手をすることもなかったらしい(ただし、食事のジャマをしてきたときだけは怒ったようだ)。そんな穏やかな暮らしを送っていたが、2013年12月に享年24歳で亡くなっている。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:適量

 先日、新馬戦の最短距離でもある1000メートル走(40歳上・未勝利クラス)に挑んだが、400メートル地点で右脚に故障を発生して競走中止。陸上部OBなのに「50メートル以上は長距離だからむ~り~」とボヤいていた。

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