サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年2月16日に新たな育成ウマ娘“★3 [Starry Nocturne]アドマイヤベガ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のアドマイヤベガ

公式プロフィール

  • 声:咲々木 瞳
  • 誕生日:3月12日
  • 身長:157センチ
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B85、W57、H82

どこか影を背負い、周りと関わろうとしないウマ娘。幼少期に何かあったらしく、レース活動は、何かの罪滅ぼしのためにやっている節もある。ダウナーでストイックで、どこか放っておけなくなる危うさをはらむ。
同期のテイエムオペラオーの巻き添えをよく食らう。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

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アドマイヤベガの人となり

 孤高を貫くウマ娘。寡黙でほとんど感情を表に出さない一方、悲壮な闘志を内に秘めている。といっても付き合いは悪くないようで、周囲からは「アヤベさん」と呼ばれ親しまれているようだ。栗東寮に所属しており、同室はカレンチャン。

 テイエムオペラオー、ナリタトップロード、メイショウドトウとはライバルで、その打倒に並々ならぬこだわりを見せている。ただし仲が悪いわけではなく、とくにオペラオーには振り回されがち。なお、リアルではほかにハルウララが同い年で、ストーリーイベント“瑞花繚乱!新春かるた合戦”でもチームを組んでいる。

 趣味は天体観測。モデル馬となったアドマイヤベガの母の名前の由来である、こと座の一等星ベガには思い入れがある模様で、『うまよん』ではテイエムオペラオーに“ボクの星座”の星にされてさらなる敵愾心を燃やしていた。

【ウマ娘】アドマイヤベガが見せた一等星の煌めき。オペラオーとトップロードを一蹴したダービーなど現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 また、彼女には“生まれてこられなかった双子の妹”がいた。どこか危うさすら感じさせるストイックさは、そこに理由があるようだ。寮の同室で“妹”キャラのカレンチャンには「お姉ちゃん」と呼ばれて最初は思うところがあったようだが、何だかんだで仲よくやっている。

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 勝負服のデザインはリアルのアドマイヤ軍団のカラーリング(水色、白袖、青鋸歯形模様)が随所に取り入れられており、基調となる青、袖やネクタイの白、スカートの水色の鋸歯形といったところに見られる。また、茶色の髪色は毛色(鹿毛)、左右で色の違うシューズは、モデル馬の後脚の模様がモチーフになっていると思われる。

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アドマイヤベガの能力

 アドマイヤベガの成長率はスピード+10%、パワー+20%。適性は芝がA、中距離がA、追込がAとなる。

 固有スキル“ディオスクロイの流星”は、「最終直線で先頭から離されていると 星に導かれるように速度が上がる 最後方付近にいる場合はすごく上がる」という能力。直線一気などの加速スキルと組み合わせるとよさそうだ。

 レアスキルは、「レース終盤に追い込み態勢に入り位置を上げる」という効果の“疾風怒濤”(追込専用)と、“前が詰まった時に落ち着いて態勢を立て直す”という回復スキルの“冷静沈着”(追込専用)を持つ。

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競走馬のアドマイヤベガ

アドマイヤベガの生い立ち

 1996年3月12日、北海道早来町(現安平町)のノーザンファームにて生まれる。父はサンデーサイレンス、母はベガ。アドマイヤベガはベガの初仔で、ひとつ下の全弟にはセントライト記念を勝ったアドマイヤボスが、3つ下の半弟にはGI級レースで7勝を挙げたアドマイヤドンがいる。

 前回紹介したメジロアルダン同様、双子として生を受ける。ただしアルダンとは異なり、流産や死産、生後の虚弱子となることを避けるため、早期に一方が堕胎されている。このとき残された胎児がアドマイヤベガとなった。『ウマ娘』における“亡き妹”の存在は、このことがモチーフになっているのだろう。

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 アドマイヤベガはグッドルッキングホースの代表格とも言える美しい馬体が特徴だったが、母ベガからは高い能力とともに左前脚の内向という体型も受け継いでしまっており、そのことから来る負担が、のちの競走馬生命に影を落とすことになる。

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アドマイヤベガの血統

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 父サンデーサイレンスはアメリカ二冠馬にして、日本競馬史上最高の実績を残した大種牡馬。“最高の栄誉”と言われるダービー馬だけでも、以下の6頭を輩出している。

  • 1995年:タヤスツヨシ
  • 1998年:スペシャルウィーク
  • 1999年:アドマイヤベガ
  • 2000年:アグネスフライト(アグネスタキオンの全兄)
  • 2003年:ネオユニヴァース(ゼンノロブロイ世代の二冠馬)
  • 2005年:ディープインパクト

 母ベガは現役時代にユキノビジンらと戦い、桜花賞とオークスを制した名馬。牝馬三冠をかけて臨んだエリザベス女王杯(当時)は3着に惜敗したが、そのレースに勝ったのは9番人気の伏兵ホクトベガで、「ベガはベガでもホクトベガです!」という名実況が生まれた。

 ベガの母アンティックヴァリューは競馬史上でも屈指の大種牡馬ノーザンダンサーの娘で、その母系にもトムフール、ボールドルーラー、ブルリーと、昔の競馬ゲームファンにはおなじみの有名どころがズラリと顔を並べる世界的な超良血。そのアンティックヴァリューと凱旋門賞馬トニービンの娘であるベガも、良血オブ良血ということになる。

 ただしベガには、生まれつき左前脚が内向しているという欠点があった。アンティックヴァリューから受け継いだもので、そのせいで何度も故障を発生し引退を余儀なくされたのだが、それがアドマイヤベガにも遺伝し、母仔揃って悲運の名馬と呼ばれるようになってしまったのは悲しい運命である。

 なお、ベガは繁殖牝馬としても“理想の名牝”と称えられ、6頭の仔のうちアドマイヤベガ、アドマイヤボス、アドマイヤドンが重賞を勝ち、不出走だった唯一の牝馬ヒストリックスターからは、桜花賞馬ハープスターが生まれている。

 このように重賞ホースを3頭も生んだベガだが、その中でもっともGIを勝ったのがアドマイヤドンだ。アメリカ三冠レースのひとつプリークネスステークスの勝ち馬・ティンバーカントリーとベガとのあいだに生まれた同馬は、朝日杯FSを制した後にダート路線に転向し、フェブラリーステークスやJBCクラシックなどGIを6勝(朝日杯FSと合わせて合計7勝)。同い年にはウオッカの父タニノギムレットやスマートファルコンの父ゴールドアリュールなどがおり、彼らとの対戦経験もある。また、晩年に芝への再挑戦をした際は、ゼンノロブロイといっしょに走ったこともあるが、ゼンノロブロイの秋古馬三冠を見届ける形で7着に敗れた。ともあれ、間違いなくダートで一時代を築いた名馬だった。

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アドマイヤベガの現役時代(表記は現在のものに統一)

 2歳になったアドマイヤベガは、アドマイヤ軍団が多く所属していた橋田満厩舎に入厩することになった。鞍上は、8戦すべて武豊騎手が担当している。

2歳(ジュニア級:1998年)

 11月7日、京都競馬場芝1600メートルの新馬戦でデビュー。圧倒的人気に応えて楽勝したかに思えたが、最後の直線で斜行したとの判定を受け、4着降着処分となってしまう。この前週の天皇賞(秋)でサイレンススズカの悲劇が起こっていたため、鞍上の武騎手にはそのショックが残っていたのではないかとも言われている。

 結果としてアドマイヤベガは4着になってしまったものの、内容は圧勝だったことから、陣営は「あの新馬戦は勝ったものと考える」とし、次戦に未勝利戦ではなく、予定通り500万下(現1勝クラス)のエリカ賞を選択する。そしてアドマイヤベガは単勝1.2倍の期待に応え、今度はしっかりと勝った。

 3戦目は当時“クラシックの登竜門”と呼ばれていた、阪神芝2000メートルのGIII、ラジオたんぱ杯3歳ステークス。この時点での有力どころも名を連ねていたが、メンバー中最速の末脚で見事に勝利を収め、クラシックの有力候補に名乗りを上げた。

 なお、この年に朝日杯3歳ステークス(現朝日杯FS)を勝った2歳牡馬王者は、アドマイヤベガと同じ橋田厩舎のアドマイヤコジーンだったが、彼は重度の故障のため、クラシックシーズンを全休することとなる。その後、長い低迷を経て6歳にして復活し、後藤騎手を背に安田記念を制するのだが、それはまた別のお話。

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3歳(クラシック級:1999年)

 アドマイヤベガの年明けは、伝統の“クラシックロード”と言われる前哨戦、GII弥生賞から始動。後方から進み、前走に続き上がり3ハロン(600メートル)をメンバー中最速タイムで追い込むが、先頭で粘るナリタトップロードを捉えきれずに2着に敗れる。

 とは言え、あくまで前哨戦であり、少し緩めの馬場も影響した可能性もあることから、本番となる皐月賞でも単勝1番人気に支持された。しかし、直前で体調を崩し、前走から12キロも体重を落とすというアクシデントに見舞われていたアドマイヤベガは、まったくいいところなくテイエムオペラオーから0秒6も離された6着に敗れてしまうのだった。

 そして迎えたダービー。アドマイヤベガはテイエムオペラオー、ナリタトップロードとともに“3強”と目されていた。ここで初めて1番人気をナリタトップロードに譲ったアドマイヤベガだったが、体調も回復し状態は万全。虎視眈々と勝利を狙う。

 まずまずのスタートを決めたアドマイヤベガ。道中は掛からないようにだけ気を付けながら、後方から内ラチ沿いの最短コースを進んでいく。レースが終盤に差し掛かると、最終コーナーを前にして皐月賞の再現とばかりにテイエムオペラオーが早めに仕掛けて大外を回っていく。するとオペラオーをマークしていたナリタトップロードもスパートを開始。

 しかし、オペラオーとトップロードはここで脚を使ったのが痛かった。最後の直前に入り、悠然とステッキを抜いた武騎手が合図をすると、余力十分のアドマイヤベガがスパートを開始。ぐんぐん加速して抜け出した2頭に追いき、最後は粘るトップロードをクビ差差し切って先頭でゴール板を駆け抜けた。勝ちタイムの2分25秒3は、当時のレースレコードタイ記録だった。

1999年 日本ダービー(GⅠ) | アドマイヤベガ | JRA公式

 3強対決と呼ばれたこのダービーの勝敗を分けたのは、騎手の力も大きかっただろう。仕掛けが早すぎたオペラオーの和田竜二騎手と、それについて行ってしまったトップロードの渡辺薫彦騎手に対し、きっちり最適なタイミングで仕掛けた武騎手。20歳前半のふたりと、30歳にしてトップジョッキーに君臨していた武騎手とでは、やはりメンタル面の強さに差があったのかもしれない。

 なお、この勝利で武騎手は、前年のスペシャルウィークに続いてダービーを連覇。これは史上初の快挙だった。現在は四位洋文元騎手(ウオッカ、ディープスカイ)、福永祐一騎手(コントレイル、シャフリヤール)も達成している。

 さて、見事に初の栄冠を手にしたアドマイヤベガは、秋に備えていったん休養。再始動はGIIの京都新聞杯(当時は秋開催)となった。このレースはトップロードとの4回目の対決となったが、クビ差できっちり差し切って勝利。

 迎えた菊花賞では1番人気に推された。しかし、長距離には向いていなかったのか、最後に息切れし、勝ち馬のトップロードから離された6着に敗れる。

 この結果、クラシックはオペラオー、トップロードと1冠ずつ分け合うこととなった。その後は大事を取ってジャパンカップや有馬記念は見送り、休養に入ることとなる。

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4歳(シニア級:1990年)

 宝塚記念を目標に調整が進められていたが、なかなか状態がよくならず春シーズンは全休となる。そして秋に向けて再始動したところで、今度はもともと内向を抱えていた左前脚に繋靭帯炎を発症。そのまま引退することとなった。

 生涯成績は8戦4勝、重賞3勝(うちGI1勝)。獲得賞金は約2億9000万円。もし脚元に問題がなければ、4歳以降もオペラオーやトップロード、メイショウドトウらといい戦いをくり広げたであろうことは容易に想像できるだけに、その引退は多くのファンに惜しまれた。

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アドマイヤベガの引退後

 2001年より社台スタリオンステーションにて種牡馬に。その能力と良血ぶりから優秀な牝馬が集まり、将来が期待されていたが、初年度産駒がデビューした2004年の秋、胃破裂により急死してしまう。

 残された4世代の産駒の中からは、なんとGI馬4頭を含む13頭ものJRA重賞(障害競走含む)勝利馬が誕生している。短距離から中距離、障害と、幅広い活躍馬を輩出したものの、競走生活と同じく一瞬の煌めきで終わってしまったことが惜しまれる。せめて子孫たちの活躍を祈りたい。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。
 
 とうとう今年も花粉症の兆候が出てきました。早めにボックスティッシュを買いだめしておかないとなぁ。

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