サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年12月31日に新たな育成ウマ娘[初晴・青き絢爛]“テイエムオペラオー”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のテイエムオペラオー

公式プロフィール

  • 声:徳井青空
  • 誕生日:3月13日
  • 身長:156センチ
  • 体重:常に完璧(自称)
  • スリーサイズ:B76、W55、H80

大仰なほどナルシストで、どこかコミカルな歌劇王。
その挙動はいつも演技過剰で、時に高らかに、時に切々と自己愛を語る。
自分の美しさと強さを知らない者は不幸と本気で考えており、日々、啓蒙活動にいそしむ。
メイショウドトウから憧れの目で見られている。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

テイエムオペラオーの人となり

 某歌劇団の男役を思わせるような中世的な美貌と、すべて芝居がかった(本人はいたってマジメ!?)言動が特徴のウマ娘。超ナルシストなボクっ娘で、ピンクの王冠を被りトレセン学園内を闊歩している。学園にいるウマ娘たちの多くは、何かと悪目立ちしているその姿に呆れつつも優しい目で見ている。

 ゲーム中のランダムイベントには、鏡に映る自分の姿を見て調子が上がったり、ひと晩中お月さまに自分語りを続けて寝不足になるというとんでもないものが用意されている。完全に“本物”である。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 会話は最終的に必ず“ボク、最高”という展開になるため気付きにくいが、他者に悪口を言ったり、けなしたりすることがない。自分だけでなく、他者にも超ポジティブでやさしいため、エキセントリックな性格でも皆に好かれているのかも。そのあたりは学級委員長に通ずるものがある。

 ゲームでのセリフには、さまざまなオペラの有名な言い回しが引用されているらしい。ほかにも練習を“エチュード”と表現するなど、オペラ(演劇)用語もモリモリ出てくる。そんな彼女だが、温泉イベントではふだんなかなか表に出さない素の表情を見せてくれる。「本音トークが苦手」という彼女のレアな姿、言動が見たい人はプレイを重ねて発生させてみよう。

 あまりにも浮世離れしているせいか、どこか歌劇王というより喜劇王的な印象が拭えない彼女だが、アニメでは多くの女性ファンの姿も見られている。やはりスターであることは間違いないようだ。2017年にリリースされた、キャラソン(自画自賛ソング)の『帝笑歌劇~讃えよ永久に~』は必聴である。

 ゲームでは“イベント短縮設定”が可能で、短縮すると各イベントがダイジェストで説明される。そのほとんどはトレーナー目線での“地の文”なのだが、テイエムオペラオーの短縮版だけは彼女がみずから読み上げているようにしか見えない。

 オペラオーは、リアルで同期(1996年生まれ)のアドマイヤベガやメイショウドトウとの絡みが多い。アドマイヤベガは、オペラオーが勝手にライバルと認定したことでものすごく嫌がられているが、メイショウドトウは反対に、ダイヤモンド級メンタルのテイエムオペラオーに憧れの念さえ抱いている模様。なお、リアルではほかにハルウララ(今回、同時に新たな育成ウマ娘が実装された)も同い年である。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 栗東寮所属で同部屋はビワハヤヒデ。よく勉強を教えてもらっているようだ。リアルでは牡馬クラシック3冠を分け合ったライバル構造(1993年ナリタタイシン-ウイニングチケット-ビワハヤヒデと1999年テイエムオペラオー-アドマイヤベガ-ナリタトップロード)の一角で、その後世代最強に上り詰めたという共通点がある。

 もうひとつ、ド派手でかなり奇抜に見える勝負服だが、じつはリアルにおけるテイエムの勝負服の配色(桃地+緑一本輪、桃袖+黄縦縞)が反映されたものとなっている。

2001年 天皇賞(春)(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

[初晴・青き絢爛]テイエムオペラオーの能力

 [初晴・青き絢爛]テイエムオペラオーの成長率は、スピード+14%、スタミナ+8%、賢さ+8%。

 固有スキル“恵福バルカローレ”は、“残り400メートル地点で先団だと少しの間速度を上げる。それまでに7回スキルを使っている場合はすごく上げる”という能力。残り400メートルで先団という発動条件を考えると、逃げ戦法で使うのもいいかもしれない。

 レアスキルは、回復スキルの“円弧のマエストロ”と、“レース終盤が迫ったとき前方にいると速度が上がる”という効果を持つ“真打”を備える。

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競走馬のテイエムオペラオー

テイエムオペラオーの生い立ち

 1996年3月13日、北海道浦河町の杵臼牧場で生まれる。父はオペラハウス(その父サドラーズウェルズ)、母はワンスウエド(その父ブラッシンググルーム)。姉に1992年のCBC賞2着で通算4勝のチャンネルフォー(父ノーザンディクテイター)がいる。

 名前の由来は、冠名“テイエム”+父“オペラ”ハウス+“王”、から。英字表記は“T.M. Opera O.”となる。

 岩元市三調教師とその幼なじみである竹園正繼オーナーが牧場を訪れた際にひと目ぼれし、購入を決意。ただ、父オペラハウスは軽種馬協会のA級種牡馬で、当時A級種牡馬はセリに出さなければならないという規則があったためにセリに上場され、結果として竹園氏が落札した。落札額は1000万円と、平均よりは高いものの驚くほどの高額馬ではなかった。これはおそらく、セリが行われたのがオペラハウスの産駒がデビューした直後で、種牡馬実績が出る前の取引だったことも大きかったと思われる。

 オペラオーの現役中に、JRAの競走馬総合研究所が肉体データを調査していたことがある。すると、心臓がほかのサラブレッドよりもかなり大きく、送り出す血液量にいたっては2倍近くも多かったという。その強靱な心肺機能が、圧倒的な強さの源泉になっていたようだ。

 性格はいたってマジメで頭がいい馬だった。また、長距離輸送など環境の変化にもまったく動じない、いい意味でのずぶとさも。ウマ娘としてのダイヤモンド級のメンタルの由来はここからだろう。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

テイエムオペラオーの血統

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 オペラオーの父はオペラハウス。コロネーションカップ、エクリプスステークス、そしてキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスと、欧州を舞台にGIを3勝した名馬である。その父サドラーズウェルズは世界中でGI馬を数多く輩出した歴史的な名種牡馬だ。

 引退後は日本で種牡馬入りし、2年目の産駒としてテイエムオペラオーが生まれた。ほかにも2006年に皐月賞、日本ダービーのクラシック2冠を達成するなど大活躍したメイショウサムソン、重賞4勝で中長距離戦線を沸かせた個性派逃げ馬のミヤビランベリなど、大物が出ている。

 産駒の傾向は、芝の中長距離に適性があってロングスパートが得意という馬が多かった。また晩成になりがちではあるものの、気性も激しくなく身体面も頑丈と、生産者にとってはありがたい要素ばかり。そのほか、ダートや障害でのGI級勝ち馬も出ている。

 オペラオーの母はワンスウエド。杵臼牧場の代表、鎌田信一氏が初めて海外のセリで購入した繁殖牝馬である。産駒には、父である大種牡馬ブラッシンググルームの特徴が出ているのか、短距離路線を主戦場とする馬が多かった。先述したチャンネルフォーを始め、そこそこ活躍できる馬を出す堅実なお母さんだった。オペラハウスとはお互いの足りない部分を補い合うかのような配合であり、結果GI7勝のスーパーホースが誕生することとなったのだ。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

テイエムオペラオーの現役時代(表記は現在のものに統一)

「その戦いに、人は夢を見る。さぁ、夢を見よう」(2013年JRA有馬記念CMより)

 オペラオーは、牧場でその才を見抜いた岩元市三師の厩舎に入った。主戦は当時岩元厩舎に所属していた若手の和田竜二騎手で、彼はオペラオーのすべてのレースで手綱を取ることになる。

2歳(ジュニア級:1998年)

 調教で好タイムを連発し、デビュー前から“大器”と話題になっていたオペラオー。しかし8月15日、京都競馬場芝1600メートルで行われた新馬戦では6馬身差の2着と大敗してしまう。それもそのはず、どうやらレース中に骨折してしまっていたようで、ここから約半年もの休養を余儀なくされた。

 もはや来春のクラシック競走には間に合わないだろう、と判断した陣営は、出走に必要なクラシック登録を見送った。

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3歳(クラシック級:1999年)

 年が明け、ようやく戦線復帰したオペラオー。骨折後の脚の状態を考慮してダートで勝ち上がりを狙っていく。復帰初戦は4着に敗れたものの、2月のダート未勝利戦で初勝利。その後は芝に戻ってゆきやなぎ賞、毎日杯と連勝し、復帰からたった3ヵ月で重賞ウィナーとなったのである。

 まさかのスピード出世。どうやらオペラオーの能力は想像よりも遥かに高いものだったようなのだ。岩元師は慌てて竹園オーナーを説得し、追加登録料200万円(当時)を支払ってクラシック登録を済ませ、皐月賞へと向かう。

 迎えた4月18日、中山競馬場。前哨戦の弥生賞を制したナリタトップロードと2着のアドマイヤベガが人気を分け合い、オペラオーは単勝5番人気となる。これまでのレースでは前目につける先行策ばかり採用してきたのだが、このレースでは12番枠とやや外目からの出走だったこともあり、ムリに前に行かず人気どころの2頭をマークするかのように後方に控えた。アドマイヤベガの仕掛けにも反応し、最終コーナーで大外に持ち出して一気にスパート! さらに内に斬り込んで、中央から進出してきたナリタトップロードと馬体を併せて加速していく。そしてきっちりクビ差前に出たところがゴールに。

1999年 皐月賞(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

 この勝利でオペラオーは高らかに凱歌を揚げ、ナリタトップロード、アドマイヤベガとともに“3強”を形成することとなった。 なお、和田騎手はこのレースがGI初勝利。岩元師も騎手時代に日本ダービーを勝っているものの、調教師としては初めてのGI勝利となった。

 この3強は、若手騎手とベテランの対決という向きもあった。オペラオーの和田騎手はデビュー4年目の21歳。ナリタトップロードの渡辺薫彦騎手もまだ24歳で、この年の2月にトップロードから初の重賞勝利をプレゼントされたばかりだった。

 それに対してアドマイヤベガに騎乗していたのは、トップジョッキーの武豊。前年にスペシャルウィークで初の日本ダービー制覇を成し遂げた武騎手は30歳と脂が乗り切っており、この年の3月には、JRA通算1600勝を史上最速・最年少で達成していた。

 6月6日に開催された日本ダービーでは、そんな若手ふたりの焦りがレースに影響を及ぼした。最後の直線に入って3強が横並びの状態になると、まず抜け出したのはオペラオー。だが、早仕掛けがたたったのか、残り200メートル地点でオペラオーの脚色がやや鈍ってしまう。そのスキを突くかのようにトップロードがグイッと前に出て、勝負ありかと思われた。
 
 しかし、その外からさらなる伸びを見せたのがアドマイヤベガだった。粘るトップロードに豪快な末脚で迫り、図ったかのようにクビ差抜け出したところでゴール。武騎手はこの勝利で、史上初となる日本ダービー連覇を達成。オペラオーは3着に終わった。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 捲土重来、陣営は距離が延びる菊花賞での巻き返しを誓う。前哨戦の京都大賞典は大本命スペシャルウィークをマークしながら進んでいったのだが、肝心のスペシャルウィークが末脚不発に終わるという予想外の展開に。それでもなんとか3着まで食い込み、長距離への適性を示した。

 迎えた菊花賞は、ダービーと同じく3強で人気を分け合う形となった。

 長距離レースでは、純粋なスピード能力よりも適性やスタミナが勝負を分ける。残念ながら、3強のうちアドマイヤベガは“距離の壁”に泣いて脱落することになった。そしてダービーとは逆に前でレースを進めたトップロードが、後ろに控えたオペラオーの追撃を防ぎきったのである。

 勝ちきれないオペラオーは中3週で芝3600メートルの超長距離戦、ステイヤーズステークスに参戦する。さすがにここは役者が一枚上手と、単勝1.1倍と圧倒的な人気を集めたが、クビ差届かず2着に。ダービーに続き騎手の腕で負けたと言えるレースだった。竹園オーナーもこれには堪忍袋の緒が切れて「騎手を変えよう」と岩元師に告げる。

 ところが、岩元師は愛弟子の和田騎手は変えない。もし変えたいならオペラオーごと転厩してくれと突っぱねる。これは竹園オーナーと岩元師が同郷の幼なじみで、腹を割って話ができる間柄だからこそのエピソードだが、その言葉に岩元師の本気を感じた竹園オーナーが折れて、和田騎手はその後もオペラオーに騎乗することとなる。

 ということで、オペラオーは年末の有馬記念も和田騎手を鞍上に臨む。グラスワンダーとスペシャルウィークのあいだに割って入ることはできなかったものの、彼らに続く3着をキープし、同期のエースとしてのプライドを見せ付けたのだった。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

4歳(シニア級:2000年)

 2月の京都記念から始動し、トップロードをクビ差で下して久々の勝利を飾ったオペラオーは、3月の阪神大賞典もトップロードらを従えて難なく勝利を収める。和田騎手はもちろん、岩元師を始めとしたスタッフたちも、竹園オーナーに啖呵を切った以上はもう負けられない。一丸となってオペラオーを万全に仕上げていく。

 天皇賞(春)も、阪神大賞典の再現のようなものだった。中団から早めに前に進出、あとはギリギリのタイミングで前に出ればいい。オペラオーは並びかけると強いが、いったん先頭に出ると気を抜いてしまいがちという弱点があった。和田騎手はそういった特徴も踏まえて絶妙なタイミングでステッキ(ムチ)を入れながら、“ハナ差圧勝”を成し遂げたのである。

2000年 天皇賞(春)(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

 宝塚記念では、有馬記念で苦汁を飲まされたグラスワンダーへ逆襲するチャンスが到来する。人馬ともに充実著しいオペラオーと、2000年に入ってから極度の不振に陥ったグラスワンダー。勢いの差からも世代交代は間違いないと見られていたが、グラスワンダーは前走、前々走の不振がウソのように抜群の手応えで最終コーナーに突入していく。ところが、直線に入っても伸びない。じつは、このときグラスワンダーは骨折していたのである。

 一方のオペラオーは、最内枠から先行策に出るも他馬に先に仕掛けられてしまい、前が塞がってしまった。それならと大外にコースを変え、一気にまくりにいく。和田騎手が愛馬の力を信じているからこそできる作戦で、果たしてオペラオーは前にいたすべての馬を抜き去った。そんな中、最後まで抵抗したのが、このレースがGI初挑戦となったメイショウドトウである。わずかクビ差で及ばなかったが、「新星現る」と話題になった。

2000年 宝塚記念(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

 それから約1ヵ月後の7月末、前年の菊花賞以来の復帰を目指していたアドマイヤベガが、ケガを理由に引退。オペラオー世代の一等星が競争生活に幕を下ろした。メイショウドトウは、そんな彼と入れ替わるように頭角を現したのである。オペラオーのライバル物語は、ここから第2章へと突入した。

【ウマ娘】テイエムオペラオーは世紀末に現れた“覇王”だった。アドマイヤベガやメイショウドトウとの死闘など現役時代の活躍やゲームの元ネタを紹介

 オペラオーの秋シーズンは京都大賞典からスタート。スローペースにも動じることなく、ほぼ馬なりでアタマ差楽勝する。そして最大の難関、天皇賞(秋)へ。じつはこのレース、1988年のオグリキャップ以来、単勝1番人気の馬がさまざまな理由で12連敗していた。その期間の1番人気には、メジロマックイーンやトウカイテイオー、ビワハヤヒデ、サイレンススズカらの名前も……。そのジンクスもあって、オペラオーの単勝オッズは2.4倍と、4レースぶりに2倍台に落ち込んだ。

 しかしレースが始まってみると、スタートでゴチャついた以外はまったく危なげない展開で勝利を収めることになる。かつてのシンボリルドルフやメジロマックイーン、ビワハヤヒデらと同様、「強すぎておもしろくない」と言われるほどの圧倒的な横綱相撲だった。

2000年 天皇賞(秋)(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

 秋3戦目のジャパンカップでもオペラオーの強さは変わらず、最終コーナーまでずっときびしいマークを受けて進路を塞がれていたのだが、一瞬の隙を突いて抜け出し、勝負あり。このレースには、本年の皐月賞と菊花賞を制したエアシャカールや、日本ダービーでエアシャカールを7センチ差で抑えたアグネスフライトなど、ひとつ下のクラシックホースたちも参戦していたが、オペラオーに食い下がれたのはドトウと、このレースの後に本格化して世界屈指の競走馬となる外国馬のファンタスティックライトくらいで、若駒たちは遥か後方に沈んでいた。

 なお、このレースでも1番人気の連敗が14年間も続いてたが、オペラオーはそのジンクスもあっさり解消してしまった。

2000年 ジャパンカップ(GⅠ) | テイエムオペラオー | JRA公式

 有馬記念では、当日になって鼻出血のアクシデントに見舞われ、さらにレース中もジャパンカップ以上にきびしいマークに遭う。目の前には先行馬が並んで壁を作り、大外に持ち出したくても、真横に別の馬が陣取ってそれを許さない。オペラオーは残り200メートルを切っても馬群から抜け出せず、その絶望感は、フジテレビで実況を担当した堺正幸アナウンサーに「テイエムは来ないのか!?」と連呼させるほどだった。

 だが、勝利を目指すドトウのイン側にわずかなスペースが発生。それを見逃さなかった和田騎手に導かれ、オペラオーはグイっとスペースに鼻先を突っ込む。そして道は開けた。堺アナはその動きに呼応するように「テイエム来た! テイエム来た!」と叫んだ。

 悲願のGI勝利まで文字通り“あと一歩”に迫っていたドトウ陣営を天国から地獄へと叩き落とす、無慈悲すぎるハナ差差し切り。20世紀最後の年に現れた恐るべきサラブレッド。オペラ“オー”の名を体現した世紀末覇王の誕生の瞬間だった。この勝利で2000年は8戦全勝、重賞8連勝、GIも5連勝という空前絶後の大記録を打ち立てている。

テイエムオペラオー【有馬記念2000】

 このレースでオペラオーが達成した秋古馬(シニア)三冠は、シンボリルドルフすらも成し遂げられなかった史上初の大記録。ゲームにて、オペラオーの育成シナリオで秋シニア三冠を達成すると隠しイベントが発生するのは、この快挙にちなんだものだ。

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 なお、秋古馬三冠を達成した馬は、現在までオペラオーとゼンノロブロイの2頭のみ。オペラオーの育成イベントにゼンノロブロイが登場するのは、この関係性によるのだろう(※)。

※ゼンノロブロイの名前は、スコットランドの義賊ロバート・ロイ・マグレガーの通称“ロブ・ロイ”から取られている。ロブ・ロイを題材にした小説や映画なども作られていることから、オペラオーとの“演劇つながり”の可能性もある。

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5歳(シニア級:2001年)

 もう1年現役を続けることになったオペラオー。主戦の和田騎手が落馬骨折してしまったため、始動は4月の大阪杯に設定される。しかし調整がうまくいかず、4着に敗れてしまい、思わぬ形で連勝が途切れることとなった。

 とは言え、あくまで調整段階の前哨戦。天皇賞(春)までには立て直し、ファンも断然の1番人気に支持した。オペラオーもその期待に半馬身差の“完勝”で応え、これでGIの通算勝利数は“皇帝”シンボリルドルフに並ぶ7勝目。その更新も時間の問題となった。またこの勝利を受けて、宝塚記念後に海外遠征をするという計画も持ち上がる。

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 ところが、宝塚記念ではここまで5戦連続でオペラオーの2着に甘んじてきたドトウが執念を見せる。馬体を併されたら勝ち目はない。ならば、追いつかれないくらい前で競馬を進めればいい――。積極的な先行策と早い仕掛けでオペラオーの追撃を封じ、ついにGI初勝利を挙げたのである。オペラオーは3着のホットシークレットには“ハナ差”で勝利したものの、ドトウの影を踏むことはできず、海外遠征の計画も白紙に戻された。

 秋は3年連続となる京都大賞典から始動。レースはステイゴールドがオペラオーにぶつかり、巻き込まれたトップロードが騎手落馬で競走中止、加害者となったステイゴールドは1着入線も失格となった。その結果、2着入線のオペラオーがくり上がりで1着に。

 そんな波乱の幕開けとなった秋シーズン、天皇賞(秋)はドトウとの7回目の対決となった。宝塚記念の二の轍は踏むまいと、今度はオペラオーも積極的に前に出て早めに仕掛けてドトウを競り落とすことに成功する。しかし、今度は仕掛けが早すぎたのか、ゴール直前で大外から突っ込んできたアグネスデジタルにかわされてしまう。

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 さらにジャパンカップでも、同じように早めに先頭に立つもゴール前で2歳下のダービー馬ジャングルポケットにかわされ、2戦連続2着に終わる。競り合ってこそ強さを見せるオペラオーにとって、単独走はあまりいい状態ではなかったのかもしれない。オペラはひとりでは演じきれないのだ。

 そしてこの年の有馬記念をもって、オペラオーの引退が決まる。1年半にわたって死闘をくり広げてきたドトウと初めて同じ8枠の隣どうしに収まり、仲よく(?)5着と4着という結果に。勝ったのは、この年の菊花賞馬であるマンハッタンカフェ。オペラオーとドトウは、ジャングルポケットやマンハッタンカフェなど新世代に道を譲ってターフを去ったのだった。

 オペラオーの引退式は翌年の1月13日。京都競馬場にて、ドトウと合同で行われた。

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テイエムオペラオーの引退後

 竹園オーナーの個人所有という形で種牡馬入りしたオペラオー。頭のいい馬で、種付けの際も手が掛からない優等生だったらしい。テイエムの馬を中心に種付けされたものの、残念ながら平地競走では目立った馬は生まれなかったが、障害競走では活躍馬を輩出した。2018年、心臓麻痺のため急逝。享年22歳だった。

 シンボリルドルフのGI7勝という大記録を更新することはできなかったが(2020年にアーモンドアイが更新)、通算26戦14勝、重賞12勝、GI7勝(6連勝)、獲得賞金は当時の世界記録となる18億円超と、まさに“王”にふさわしい数字が並ぶ。

 主戦だった和田騎手はその後ビッグタイトルからは遠ざかるも関西の一流騎手に成長し、44歳のいまも現役で通算では1400に迫る勝利を挙げている。2018年にオペラオーが死去した直後の宝塚記念では、中央競馬では17年振りとなるGI勝利をミッキーロケットに騎乗して飾り、「オペラオーが後押ししてくれたと思います」と声を震わせながら語った。

 なお、和田騎手はオペラオーの引退後も何度か牧場まで会いに行ったものの、そのたびに噛みつかれて追い返されてしまっていたようだ……。引退すると穏やかになる馬は多いが、オペラオーは逆のパターンで、歳を取って気の強いところが出てくるようになったそうだ。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減。

 有馬記念で当たった勝ち分を「東京大賞典で3倍にしてくるわ」と出掛けていって、その後音沙汰がない。来年もよろしくお願いします。

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