アトラスの人気RPG『真・女神転生』シリーズ最新作、『真・女神転生V』(以下、『真V』)を深掘りしていく当連載。神に忠誠を誓う天使“アブディエル”に焦点を当てた前回に続き、締めくくりとなる今回は、本作の大きなテーマについて考察する。

 『メガテン』の識者として知られるフリーライター・塩田信之氏による、神話上の逸話などをふまえた知識、解釈をふまえて『真V』を遊べば、その味わいもいっそう深まるだろう。

塩田信之(しおだのぶゆき)

ゲームやアニメなどのジャンルで活動の多いフリーライター。編集プロダクション“CB's Project”創立メンバーとして、SFC版『真・女神転生』のころより多数のメガテン関連書籍を制作。『真4Fと神話世界の旅』などアトラス公式サイトのコラムや、『真・女神転生 DEEP STRANGE JOURNEY』限定版付属『メガテンマニアクス』の編集執筆なども担当してきた。

人間は悪魔と合体することで神と為れるのか

 今回は『真・女神転生V』の発売直前ということで、作品のテーマに迫ってみることにしましょう。とはいっても、私自身もまだ実際にゲームを遊んではいませんし、あくまでも公開されている断片的な情報から推測してみよう、という試みです。

 今作のカギとなる要素を考えるなら、まず思い当たるのはやはり、主人公とアオガミの合一によって生まれた“ナホビノ”の存在です。ナホビノについては第1回でも取り上げましたが、あくまでも名称からその役割を想像してみたに過ぎません。アオガミは悪魔の一種とは言えるでしょうけれども、どのような存在なのかはわかりませんから、合一することで何が起こるのかも不明です。

「汝(ヒト)よ、神と為れ──」。プロモーションムービーでも使われているこの言葉がナホビノを指すのであれば、人間と悪魔の合一で神が生まれると解釈できます。この考えかたは『真V』の重要なテーマのひとつではないかと考えられるため、前回と同様、『旧約聖書』やそれをもとにしたミルトンの『失楽園』をベースに掘り下げてみることにしましょう。

『真・女神転生V』PV04

『真・女神転生V』汝(ヒト)よ、神と為れ──この言葉が意味するものとは。本作の重要なテーマを考察する!【『真V』深掘りコラム最終回】
※プロモーションムービーより

神の息によって人間は魂を得る

 まず、世界も人間も神によって造られたとする考え方が根底にあってこそ、人間が神になりえるという思想が生まれるものと思われます。『旧約聖書』で人間が神の似姿として造られたとしたように、人間は神に造られた特別な存在となるわけです。

『旧約聖書』では、最初の人間アダムは“土(地の塵)”から作られます。神自身に似せて形を整えたあと、その顔に神が息を吹きかけることで命が宿ります。妻となるイヴは、アダムを眠らせてから神があばら骨の一部を取り出し、肉を詰めて造ったとされます。

 ここで重要なのは、アダムの身体を作った土よりも、鼻から吹き込まれたという“神の息”でしょう。ヘブライ語で“ルーアッハ”と呼ばれる神の息は、神の霊性そのものをも指します。吹き込まれた息は、ヘブライ語で“ネフェシュ”と呼ばれる“魂”となり、アダムを生ある存在に変えたと考えられます。これらの概念は、古代ギリシアで“プネウマ(呼吸や霊)”や“プシュケー(魂や生命)”と訳され、ラテン語では“スピリトゥス(魂や心)”に対応すると考えられました。

神の息から派生して

 この、ルーアッハとネフェシュの概念から、古代エジプトの魂を表す“バー(魂)”と“カー(精神や生命力)”を連想した方もいるかもしれません。バーは王に宿る神の魂ともされ、息のように死後も含めて肉体から出たり入ったりできます。カーは生命そのものとも考えられたため、身体から離れることは死を意味します。共通する要素は多いのですが、エジプトの魂にはほかにもいくつかの要素があると考えられており、必ずしもバーとカーだけで魂をすべて説明できるわけではないようです。

 また、やはり似たような概念のひとつとして、中国の“陰と陽”を挙げることも可能です。日本では“陰陽道”や“陰陽師”を連想しやすいのですが、もともとの概念は広く応用可能なもので、世界のあらゆるものを“陰の気を持つもの”と“陽の気を持つもの”に分類することができます。たとえば“女が陰で男が陽”という考えかたが、日本神話におけるイザナギの“成り成りて成り合わざるところ”と、イザナミの“成り合わざるところ”という表現に活かされています。

 そして中国の道教思想には、“魂と魄(魂魄)”で魂あるいは霊を定義する概念もあって、これがまたエジプトの“バーとカー”に似ていたりもします。朱子学においては“理と気”で宇宙そのものを定義しようとする思想があるので、それぞれの思想から導き出される“真理”を比べてみると、おもしろい発見があるかもしれません。

人間をめぐる悪魔と神の関係

 さて、話をもとに戻すと、人間の誕生には“魂と生命”、あるいは“知恵と生命”に置き換えられるふたつの概念が深く関係しているようです。このふたつから思い出されるのは、アダムとイヴが暮らしたとされる“エデンの園”の中心に生えている2本の樹木です。

 ともに“智恵の実”と“命の実”を実らせる果樹ですが、エデンに生育するほかのさまざまな果実とは異なり、神から「智恵の実だけは食べてはならない」、「食べたら必ず死ぬ」と禁じられ、触れることすら憚られていました。しかし、その時点ではまだ“女(あるいは妻)”とだけ呼ばれていたイヴが、蛇に唆されて“智恵の実”を食べてしまいます。それまで無垢な魂で平和に暮らしていたアダムとイヴは、それによって物事の善悪や恐怖心を覚え、禁忌を犯したとしてエデンの園から追放されてしまいます。それが、『失楽園』といわれる所以です。なお、イヴがその名で呼ばれるようになるのはエデンを追放されてからのことで、すべての人間の母となる存在として“命”を意味すると記されています。

『真・女神転生V』汝(ヒト)よ、神と為れ──この言葉が意味するものとは。本作の重要なテーマを考察する!【『真V』深掘りコラム最終回】
『真V』作中の重要なシーンや、できることなら見ることなく進めたいゲームオーバー画面でも登場する大きな樹木。これが意味するのは……

『旧約聖書』の記述では、蛇は神の創造した生き物たちの中でもっとも賢い存在とされますが、ミルトンは神学あるいは神秘思想に基づいて蛇を悪魔の化身としました。人間が造られる前に神に反逆し、堕天した元高位の天使……サタンです。人間を誘惑し、堕落させる“魔”として後付けされた設定のようにも思えますが、人間あるいは女性が背負った“原罪”を説明するエピソードとして広く浸透しています。

 アダムとイヴをエデンから追放した神は、人間がさらに“生命の樹”にも手を出し、“永遠の命”を得ることを恐れたと『旧約聖書』にはあります。解釈のしかたにも依るかもしれませんが、神は、“知恵と生命”を手に入れて神にも等しい力を持った人間によって、神の座を奪われることを恐れていたようにも思われます。

 それが、もしかしたら「神と為る」ということなのかもしれません。“智恵の実を食べた”人間と、かつては天使であり“永遠の命を持つ”悪魔が合体するということは、“知恵と生命”両方の力を獲得するに等しいようにも思えます。“成る”ではなく、より能動的な印象を放つ“為る”とされたことも、人間が“為す”ことであることを意味しているように思えます。もちろん、これはひとつの推論でしかありませんが、実際のゲームでどのように描かれるのか、確かめながら遊んでみるのもおもしろいのではないでしょうか。

 今回をもって、当連載──塩田信之の『真V』と神話世界への旅──は終了となります。『真・女神転生V』と同日に発売される週刊ファミ通にて、2回目の出張版が掲載される予定となっておりますが、2015年の真4Fと神話世界への旅から6年、ゲームの関連企画としてはじつに珍しい長文コラム記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。またの機会がありましたら、お目にかかれればと思います。

 コンゴトモ、ヨロシク。
 

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