神々と悪魔、そして人間たちが重厚なドラマをくり広げていく、アトラスの大人気RPG『真・女神転生』シリーズ──通称『メガテン』。その最新ナンバリング作品『真・女神転生V』(以下、『真V』)が、Nintendo Switch用ソフトとして2021年11月11日に登場する。

 本作は、神、悪魔、神話といった分野に詳しくなくても物語の荘厳なスケールを堪能することができるが、主人公の前に立ちはだかる彼らの、神話上のバックグラウンドを知っていると、『真V』における彼らとのドラマもいっそう味わい深くなるかもしれない。そこでファミ通では、『メガテン』の識者として知られるフリーライター・塩田信之氏に執筆を依頼し、『真V』で登場する神や悪魔などについて考察していただいた。記事は、各回のテーマを設けたうえで、連載形式でお届けしていく。

 第1回となる当記事では、『真V』の主人公が“禁忌の存在”となった姿──“ナホビノ”と、彼に同行する悪魔“アマノザコ”をテーマに、神話上の逸話を紹介しよう。

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塩田信之(しおだのぶゆき)

ゲームやアニメなどのジャンルで活動の多いフリーライター。編集プロダクション“CB's Project”創立メンバーとして、SFC版『真・女神転生』のころより多数のメガテン関連書籍を制作。『真4Fと神話世界の旅』などアトラス公式サイトのコラムや、『真・女神転生 DEEP STRANGE JOURNEY』限定版付属『メガテンマニアクス』の編集執筆なども担当してきた。

 こんにちは、フリーライターの塩田です。ちょっと長めのコラムですが、読めば『真V』をより楽しめるようになると思いますので、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

日本神話に登場する“ナホビノ”

 今回は“ナホビノ”がどのような存在かを見ていく前に、まずは生みの親とされる“イザナギ”神に触れておきたいと思います。

 ヒノカグツチを産むことにより命を落とした妻イザナミを取り戻すため、黄泉の国を訪れるイザナギのエピソードは、日本の神道に基づく神話の中でもよく知られています。『真・女神転生』シリーズを遊んできた方でしたら、鬼女ヨモツシコメや妖鬼ヨモツイクサを思い浮べたり、『旧約・女神転生』や『ペルソナ4』といった作品でも重要なモチーフとして作品に取り入れられていたことを覚えているかもしれません。

 今回注目したいのは、そんな冥界下り譚直後の部分です。黄泉の穢れを全身に浴びたイザナギは、九州筑紫地方の日向の地にあったとされる“阿波岐原(あはきはら)”で“禊ぎ(みそぎ)”を行います。身に着けていたものを脱ぎ捨てることでさまざまな神々が生まれた後、川に入って身をすすぐと、黄泉の穢れからヤソマガツヒ(八十禍津日)とオオマガツヒ(大禍津日)が生まれます。

 いったんここで“マガツヒ”について触れておきたいのですが、この黄泉の穢れによって発生した二神は、さまざまな災いの源と考えられています。神社で“お祓い”をするのは、マガツヒを元に派生したと考えられる大小さまざまな“穢れ”を落とし、凶事を未然に防ぐということです。

 さて、神話の記述に戻すと、マガツヒ二神の次に生まれるのが“神直毘(カムナホビ)”と、“大直毘(オホナホビ)”です。この二神が、“ナホビノ”という言葉の元になったと考えられます。この出来事のあと、日本神話はアマテラス、ツクヨミ、スサノオのいわゆる“三貴子”の誕生が描かれ、物語もイザナギを主体としたものからスサノオやアマテラスを主体とした段に変わっていきます。

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ナホビノの神話上の役割

 日本神話を後世に伝えるもっとも重要な文書が『古事記』と『日本書紀』で、両者は同じエピソードでも記述内容が違っていたりするのですが、ナホビ二神については、共通して“まがつことを直す”存在と記されています。“まがつ”には“禍”や“枉(曲がり)”といった漢字が当てられますが、要は“(何度も)曲がった”状態で、それを“直す”ことは“まっすぐ”な状態に戻すという意味になります。

 日本語の“なおす”には“直す”と“治す”があってちょっとややこしいのですが、そもそも“元通りに直す”がどうして“直”なのか、不思議に思ったことはありませんか? それは曲がった状態を“真っ直ぐ”に戻すということだと聞けば納得できるのではないでしょうか。

 “直す”という言葉がそんな古い時代に生まれていたのも驚きですが、元々中国の漢字に含まれる意味をそのまま使っていたものです。そして、この言葉は宗教的な思想にも重要な語でした。

 神道系の神事を行った後などに行われる“直会(なおらい)”という、関係者で行う食事あるいは宴会がありますが、これも“ナホビ”由来で、“物忌(ものいみ)”から“元の日常に戻る”ために必要なことと考えられています。例えば、“大祓(おおはらえ)”の神事には先に挙げたイザナギの禊ぎをもとにした祝詞が奏上されますが、穢れを落とすことで、“直会”によって平常に復ります。現代でも行われる重要な宮中儀式に“大嘗祭(だいじょうさい)”や“新嘗祭(にいなめさい)”がありますが、これも基本的には“直会”と同様の意味が含まれています。ただ、当事者である天皇が神に含まれるなど、扱いは違ってくるのですが、“神の食した神饌をともに食べる”ことが現状復帰の重要なカギとなるわけです。

 上記の“直毘(ナホビ)”は『古事記』の記述で、『日本書紀』では“直日”と表記されます。“直日(ナホビ/ナオビ/ナオミ)”は、“直会”を行う日も指し、現代にも(使われる場面は限定されるものの)生き続けている言葉なのです。

 ちなみに記紀の違いでもうひとつあるのは、『古事記』では神直毘と大直毘とともに伊豆能売(イヅノメ)という女神が生まれて並び立つ三神としていますが、『日本書紀』ではまずマガツヒが“八十枉津日”のみで、神直日と大直日が次に生まれており、捉えようによってはこの三神でひと組とも受け取れるように書かれています。“イヅノメ”については役割などが不明ですが、“巌の女(イヅノメ)”として禍を直す存在と考えられています。“ナホビ”だけで三神構造を作るために、付け加えられた存在ともいわれています。

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『真V』主人公が“ナホビノ”となった姿

『真・女神転生V』でのナホビノ

 神話上のナホビノの役割としては、マガツヒを直す、引いては討伐する存在と解釈できますが、『真V』ではどのような立場となるのでしょう。

 主人公が、“アオガミ”と呼ばれる謎の存在と合一することで顕現するのが“ナホビノ”です。アオガミの詳細は現時点では明らかになっていませんが、天使のようでもあり、名前からは“青鬼”のような印象も受けます。

 ダアトと呼ばれる世界の名称は、『真・女神転生II』では魔界の名称に取り入れられたユダヤ教由来の神秘思想“カバラ”における“生命の木(セフィロト)”の、通常は数えられない“神の知識”を意味します。『真・女神転生IV FINAL』では描かれたテーマが“唯一神VS多神教”だったことを考えれば、『真V』において唯一神に属する世界観の中、天使のごときアオガミと主人公が合一することで、多神教的“ナホビノ”が誕生することは、意味深と言えるでしょう。

05_アオガミ
『真V』で登場する“アオガミ”

ナホビノとともに行動するアマノザコ

 アマノザコについては、すでに土居政之さん(アトラスのキャラクターデザイナー)がデザインや由来についてのコメントを公式サイドで言及されていますので、ここでは少し捕捉する程度に留めておくことにします。

02_アマノザコ
『真V』で登場する“アマノザコ”

 “天逆毎(あまのざこ)”は、江戸時代中期に編纂された『和漢三才図会』(1712年)という、言ってみれば百科事典的な本に記された内容を元に、“百鬼夜行”の絵図などで名高い鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(1779年)に描いたものが元になっていると思われます。

 『和漢三才図会』は、中国の明代に成立した『三才図会』(1609年)を直接的な手本として作られていますが、内容的には紀元前4世紀ごろから編纂が重ねられたとされる“世界怪物図鑑”とでも呼びたくなる古代中国の『山海経』(紀元前5~3世紀)という書物からの影響も強く受けています。『山海経』には、メガテンに登場する悪魔の元になったものもいくつも掲載されており、悪魔好きには必携の書(邦訳は平凡社から出版)なのですが、各地の伝説に取材していたとしても、かなりの創作が入り混じったものです。

 鳥山石燕もまた『山海経』を参考にしていたことは画風や引用された妖怪からも窺え、そもそも妖怪の姿は自身で想像を膨らませたものも多く、4冊にわたり制作された妖怪画集の3分の1ほどは創作ではないかとされています。時代が下って『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるの描いた妖怪にも石燕の妖怪たちが多数採用されており、妖怪というもの自体が多くの人の想像によってイメージが定着していったものなのです。

【参考】日めくり悪魔動画:アマノザコ

アマノザコは“アマノジャク”のルーツ?

 アマノザコがスサノオの体内の気から生まれた、といった記述も『和漢三才図会』に求められます。ただ、“天邪鬼(アマノジャク、あるいはメガテンではアマノサクガミ)”の元になったというよりは、先にアマノジャクの概念があったのではないかと考えられます。

 アマノジャクは、日本神話の天孫降臨に先駆けて高天原から地上に降りたとされる、“天稚彦(アメノワカヒコ)”の従者、“天探女(アメノサグメ)”がルーツとされます。これは、高天原の命令に従わなかったアメノワカヒコに裏切りを唆したととれる記述が記紀に認められることから、“悪心を持つ存在”と解釈され、民話の形で広く知られていった背景があったためでしょう。

 アマノジャクの登場する民話としてよく知られているのが『瓜姫』(あるいは『瓜子姫』、『瓜姫物語』など)の昔ばなしです。『桃太郎』さながら、川の上流から流れてきた瓜から女の子が生まれ、親代わりの老夫婦に機織りで富をもたらすお話です。アマノジャクはそんな瓜姫を騙して家に侵入し、ひどい目に遭わせる悪役として登場します。

 民話の常として、物語の内容は日本各地にさまざまなバリエーションがあるのですが、瓜姫はアマノジャクに殺害され、瓜姫が嫁ぐはずだった婚姻相手の元には、姫に成りすましたアマノジャクが行こうとします。しかし殺されて鳥に生まれかわった瓜姫がアマノジャクが化けていることを知らせ、アマノジャクが殺害されます。そのときに流れた血によって、植物の根などが赤く染まったという由来譚でオチをつける形が昔ばなしで語られる際のスタンダードなエンディングです。場合によっては瓜姫が殺されてはいなかったり、生き返ったりして幸せに暮らすエンディングもありますが、アマノジャクは生皮を剥いで姫に化けていたりするので、なかなかに猟奇的なお話しだったりします。

『瓜姫』の物語は、アイヌ等に伝わる“姉と妹”系と分類される、嫌がる姉に変わって妹が魔物などの嫁入りをするが、富を得た妹に姉が成り替わる物語や、インドネシアなどに伝わる殺された女神が植物などに変化する“ハイヌウェレ神話”に由来するとされますが、どちらも古くから伝承され、日本にも古くから伝わっていたようです。“姉と妹”の類型には、日本の三輪山信仰に連なる蛇の嫁入り型があったり、死して食べ物などに変化するオホゲツヒメやウケモチの伝説も神話に取り入れられています。

 室町時代以降、江戸期にわたって発展した『御伽草子』と呼ばれる物語群には『瓜姫』の物語も含まれ、姫を殺害する悪者が“あまのさぐめ”と書かれていたり、各地に伝わる民話においては“山姥”になっている場合も少なくありません。“ヤマンバ”と聞くと、かつて話題となった“ヤマンバメイク”ではありませんが、旅人に宿を貸したものの夜中に包丁を研いで食おうとしていたという鬼女伝説の怖ろしいイメージが付きまといます。しかし山姥には、山岳信仰において山の神の妻として信仰された背景があったり、ヨーロッパの魔女のように人里離れて暮らしてはいても、薬草などの知識で里にも幸せをもたらす存在という認識がありました。昔ばなしの類にも、怖ろしいだけでなく山に迷った旅人に同情して不思議な力を持つ道具を授けるなどの善良な存在として描かれるお話がいくつもあります。アマノジャクの姿は一定せず、子どもの男女から年老いた女性までさまざまなイメージがありますが、アマノザコにはそんな聖邪両方のイメージが仮託されたのではないかと思われます。

 ナホビノ、アマノザコともに、日本の神話や伝承の豊かなイメージを元に創作を交えて成立したと思しきキャラクターであることがわかります。そうしたキャラクターが、ダアトを舞台にどのような活躍を見せるのか、楽しみですね。

 
(以上、第1回。第2回は週刊ファミ通2021年8月26日発売号にて出張掲載予定です)

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