『アナザーエデン 時空を超える猫』や『ヘブンバーンズレッド』などを手掛けるWFSのゲームブランド“ライトフライヤースタジオ”が、2024年2月に10周年という節目を迎えた。

 このライトフライヤースタジオの立ち上げに参画したメンバーのひとりであり、現在『ヘブンバーンズレッド』の開発統括とゲームデザインを担っているのが、WFSの執行役員 プロデュース本部長である下田翔大氏だ。つねに開発の最前線を走ってきた下田翔大氏。同氏は以前はスクウェア・エニックスに勤め、吉田直樹氏のチームに所属していたという。

 今回、ライトフライヤースタジオ10周年を記念して、下田氏と、同氏にとって“人生を変えてくれた人”であるという吉田氏の対談が実現。ふたりが同じチームにいたころのエピソードや、ゲーム作りに関する考え、組織を運営するうえで大切なこと、今後の抱負など、さまざまな話題について熱く語り合ってもらった。

 両氏のゲームのファンはもちろんのこと、ゲーム業界を志す人や、仕事への取り組みかたに悩んでいる人などの胸に響く、読み応えたっぷりの対談となっているので、ぜひじっくりとお楽しみいただきたい。

※本インタビューでは、『ファイナルファンタジー』を『FF』と記載している場合があります。

下田翔大氏(しもだ しょうた)

WFS 執行役員 プロデュース本部長。ライトフライヤースタジオ立ち上げメンバーのひとり。『ヘブンバーンズレッド』の開発統括とゲームデザインを担当。

吉田直樹氏(よしだ なおき)

スクウェア・エニックス 取締役 第三開発事業本部長。2010年12月より『FF14』のプロデューサー兼ディレクターを務める。『FF16』プロデューサーも兼任。

吉田氏と下田氏が開発していた幻のゲームとは

――まずは、十数年前におふたりがスクウェア・エニックスでいっしょにゲームを作っていたころのお話をお聞かせください。どのような経緯で同じ開発チームに所属していたのでしょうか?

吉田ええっと、まず……下田さんの呼び方は、下田さんが良いのか、いつもの感じで「翔ちゃん」が良いのか、迷うところなのですが……(苦笑)

下田吉田さんとはじめて会ったときは自分もまだ20代の若者だったので“翔ちゃん”と呼ばれていたんですよね(笑)。最近はそう呼ばれることもなくなりましたが、吉田さんに“下田さん”と呼ばれるのもなんだかくすぐったいので……ぜひいつも通り“翔ちゃん”でおねがいします!

――どのような経緯で同じ開発チームに所属していたのでしょうか?

吉田記憶がけっこう曖昧ではありますが……翔ちゃんを「我々のチームに欲しい」という話を会社に持ちかけたのは僕です。翔ちゃんがディレクターをやっていたタイトルの開発が終わった直後くらいだったはず。

――そのくらいに、たしか吉田さんは『ドラゴンクエストX オンライン』からつぎのプロジェクトへ異動されたのでしたよね。

吉田はい。新規タイトルの立ち上げのため、企画とチーム作りを始めていた感じですね。

――そのころ下田さんは、どういうお仕事をされていたのでしょうか?

下田そのころはプレイステーション・ポータブルの『ディシディア ファイナルファンタジー』を作り終えた後で、とあるタイトルでディレクターを担当させていただいた後、『ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジー』のプランニングディレクターのひとりをやらせていただいていました。ちなみに自分がディレクターを担当したプロジェクトの音楽担当が祖堅さん(祖堅正慶氏。『FF14』サウンドディレクター)になります。

吉田そのころの翔ちゃんは、ゲームにおけるレベルデザインの重要性や、「もっとこう作ったほうがいいのでは?」といったことを、社内で口を酸っぱくして言っていたのを覚えています。

下田社内に日記的なものを書けるところがあって、プランナーがレベルデザインにもっと深く関与していったほうがいいんじゃないかとか、いろいろとまとめていましたね(笑)。

吉田当時、レベルデザインという概念は海外では定着しはじめていたのですが、多くのゲームで、プランナーの手書きの資料をもとに、「こういうマップを作りたい」といった感じで止まっているケースもありました。ですがグラフィックがリアルになればなるほど、そのつじつまが合わなくなってくる。プランナーが手書きで示した資料を見てアーティストがそれを作ろうとしても、縮尺がぜんぜん合わなかったり、景観が良くなかったり、ですね。

――それに対してどのような対策を?

吉田基本的には3Dツールを使ってホワイトモックアップ(物体の白色模型)を作りながら……というのが当時の効率的なやり方でした。たぶんディレクターをやっていたタイトルが少人数のチーム編成だったからこそ、レベルデザインをしっかりして効率的に作業を進めなければいけないという意識が働いたんだよね?

下田そうですね。

吉田その社内日記的なものを読んで、「いっしょに仕事をしたい!」と、翔ちゃんに声をかけ、我々のチームに来てもらいました。

――その新しいプロジェクトでは、吉田さんがディレクションを担当されていたのですか?

吉田一応ディレクターだったのですが、そのときは“基本的に現場に任せよう”というスタイルでした。35歳か36歳くらいのときだったでしょうか。あのころはすでにスクエニに入社してから、いろいろなことをやってきた自負もあり、僕の中に中途半端な“おごり”があった時期だったように思います。それもあって「翔ちゃんのような世代の人たちがもっと中心選手として出てこないとダメだ」と思い、ベースのゲームデザインだけを自分が担当して、あとは現場に「任せる」という形でゲームを作っていました。

――具体的にはどのようなゲームを作っていたのでしょうか?

吉田翔ちゃんが合流してくれたのは、海賊の企画を一旦捨てた後だったかしら?

下田その直後くらいですね。

――ひょっとして当初は海賊をテーマにしたゲームだったのですか?

吉田当時は「海外も視野に入れ、しっかりとした新規のIPを作りましょう」と会社から言われていたこともあり、最初の企画では海賊をテーマにしようと思っていました。自分たちの船が自分たちのハウス/アジトでもあり、それを相手の船に激突させ、接舷できたらそのまま船がバトルフィールドに変化。ライバルの船を沈めるか、相手が白旗を挙げたら勝ち。マルチプレイも可能で、その海域の中でいちばんの海賊になるのが目的……そんな構想でした。

下田床面の揺れにもこだわっていました。当時はハードの移り変わりによって物理演算がようやく実用的に使えるようになってきたころで、それを活用して船内の揺れを臨場感たっぷりに表現しつつハウジングまで楽しめる、といった企画だったんです。

――船自体がギルドのようなひとつのコミュニティであると。

吉田はい。乗組員であるプレイヤーには、操舵手や戦闘員といった役割が設定されていて、戦いに負けて船が沈むと一文なしからやり直しです。お金を貯めて、小さな船を買うか、どこかの海賊の乗組員になって、お金を貯めて再集結するか、みたいな。いずれはプレイヤーのあいだで「ついにあの船が沈められたらしいぞ!」みたいな話題が起こることを想定していて、海賊らしい“懸賞金ランキング”的な要素も考えていました。

――かなりおもしろそうですね。

吉田だったのですが……。あのころは映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』が大ヒットしていたので海賊をテーマにしたものの、アメリカの担当者にヒアリングすると「海賊は汚らしいものなので、人々がみずからなりたがるものではない」とのフィードバックが多く寄せられてしまったのです。「ならばなぜ『ワンピース』が人気を集めているのか?」と問い返したのですが、「とにかく海賊ものはダメだ!」と。ならば「ヴァンパイアものはどう?」と提案すると、「世界的にゾンビとヴァンパイアは交互に流行するからオーケー!」という回答でした。歴史を振り返るとたしかにその通りなので、そこから今度はヴァンパイアをモチーフに企画を考えました。

――そちらはどのような作品だったのですか?

下田ヴァンパイアものということで太陽の光が重要なテーマだったので、グラフィック面では、当時はめずらしかったリアルタイムライティング……一次反射だけでなく二次反射も含めたライティングを活用し、それをコンバットデザインやレベルデザインにも活かしていくというゲームでした。

吉田こちらもマルチプレイのゲームで、プレイヤーはヴァンパイア、もしくはヴァンパイアハンターとなり、前者はひとり、後者は4人でチームを組んで相手に挑むことになります。ヴァンパイアはめちゃくちゃ強く、太陽の光を浴びせられたり心臓に杭を打たれたりしないよう注意しながらハンターたちを倒していくのですが、もし負けたら、その瞬間にキャラクターが消滅してしまうという(笑)。

下田そこはこだわりの仕様でしたね(笑)。

吉田尖った作りにしていて、さきほどの海賊の企画と同様、「あのヴァンパイアロードがついに消滅したようだぞ!」みたいなウワサが飛び交う展開を想定していました。

――こちらも完成したら楽しそうです。その後人気となった非対称型対戦ゲームに近いものですね。

吉田はい。その後の作品を見て、「世の中、同じおもしろさを考える人はいるよなあ」と思っていました(笑)。

――その作品において、下田さんはどの部分を担当していたのですか?

吉田Unreal Engine(アンリアルエンジン)を使って、レベルデザインと画作りをしてもらっていました。

下田アートの熊谷さん(熊谷崇宏氏。『ディオフィールド クロニクル』アートディレクター)といっしょに議論を重ねながら、レベルデザインと画作りを並行して進めていました。先ほどお話しした二次反射についても活用法を検討して、地下墓地の天井が破壊されて光が差し込んだらグラフィックにどういう変化があるかを検証したり、それを遊びのデザインに落とし込むにはどうしたらいいか考えてコードを書いてみたり、といったことをしていました。

――そのゲームを企画していたのが、2009年から2010年くらいにかけてでしょうか。

吉田そうですね。だいたい1年くらい作業を進めていました。

――その後、吉田さんが旧『FF14』の体制を引き継がれたのは、2010年の後半でしたよね。

吉田すでに8月のリリース直後くらいには、弘道さん(田中弘道氏。当時の『FF11』&旧『FF14』プロデューサー)から連絡をいただいて、各所から寄せられる「相談に乗ってほしい」という声に対応していました。そのころはちょうど皆川(皆川裕史氏。『FF16』アートディレクター)が我々のチームに入り、「あの皆川さんがついに合流した!」と喜んでいたのですが、その翌日くらいに、旧『FF14』のチームから「ちょっと高井(高井浩氏。『FF16』ディレクター)と皆川を貸してほしい」と連絡があって……(苦笑)。

※高井氏の“高”の字は、正しくは“はしごだか”です。

――そして吉田さんが『FF14』のプロデューサー兼ディレクターとなり、前代未聞の“新生”が始まるわけですね。下田さんはそれをどう見られていましたか?

下田旧『FF14』の発売直後は、「『ファイナルファンタジー』がこれでいいのか」といった感じで、会社全体が本当にザワついていたのを覚えています。自分としては引き続き吉田さんと仕事がしたかったのですが、ご本人が「(『FF14』へ)行く!」と言うのであれば、会社のためにもそれを尊重すべきだと思いましたし、当時吉田さんにもそう伝えました。

吉田逆に僕は、できるだけ翔ちゃんを巻き込みたくない、と考えていて……。なぜかといえば、それまでの彼の経歴を考えたうえで、タイトル全体を背負うくらいの仕事をしてほしかったからです。巻き込むのはこのくらいのベテランメンバーまででいい、といった線引きは僕のなかでなんとなくありました。

ディレクターとして「すべてを自分でやる」という決意

――スクウェア・エニックス在籍時の下田さんから見て、吉田さんはどんなゲーム開発者でしたか?

下田旧『FF14』に移られる前から、吉田さんはほかとはまったく違う、ものすごい輝きを放つ人物でした。エンジニアリングからアートまで、あらゆる担当者から相談を持ちかけられても、どこまでも深く話ができるんです。たとえ見ず知らずの人であっても、少し会話するだけでマルチな知識の持ち主であることがすぐにわかる。当時から異彩を放っていた……と言うと語弊があるかもしれませんが、“優秀なゲームデザイナーとはこのような人”という、目指したい目標の人でした。

――一方で、吉田さんから見た下田さんはいかがでしたか?

吉田翔ちゃんはスクウェア・エニックスではめずらしいくらい、まっすぐな人でした。ゲームデザイナーとしてやらなければならないこと、あるいはやりたいことを多岐にわたって自分で勉強して、吸収して、それを形にできる人物です。大きな会社ほど、彼のような人はなかなかいません。大きな会社ではマルチスキルを持つことが、ほぼ奇跡みたいな状況になるので……。

――たしかに大規模な体制になればなるほど、スタッフは特定の部分だけを担当しがちです。

吉田マルチスキルを得ようと思ったら、横にいる人の仕事を取りにいかなければなりません。「その仕事もこっちでやります」という姿勢で仕事をしてきたからこそ、バトルだけでなくレベルデザインやシステムにも詳しくなれるわけです。プログラマーにも尻込みせず質問して、やりたいことをまっすぐに伝達。解決への糸口をエンジニアといっしょに考える……このような問題解決の流れは、相手の反応を待っているだけでは絶対に作り出せません。そこが翔ちゃんの最大の魅力ではないのかなと。

――なるほど。

吉田ほかにも“情熱を持って論理的に話せる”のは、ほんとうにすごい才能だと思います。だからこそ、いろいろな業務を任され、会社から信頼されるようになったら、もっと表に出て大きい仕事をメインに担当すべきだと考えていました。その流れを作ることも、僕の役目なのだろうなと、当時は思っていました。その反面、僕自身は「表に出るのはイヤです」と拒んでいたわけですが(苦笑)。ちなみに先ほどの“おごり”につながる部分でもあるのですが、ディレクターが総合的なゲームデザインだけを担当して表に出ず、「あとは現場でよろしく」といったように、「任せる」という意味を履き違えると、なかなか話がまとまらなくなります。

下田そうですね。いろいろなことが起きます。ときにはケンカにもなったり……。

吉田気がついたら、組織が縦割りになってしまっていることもあります。ですから海賊やヴァンパイアの企画の開発を1年ほど経験させてもらったことで、僕にはそんな“おごり”を踏まえた反省がありました。だからこそ旧『FF14』の体制を引き継いだときに、「それではダメだ。自分でぜんぶやろう」と決意できたのです。“まかせる”とか“誰かを引っ張り上げる”ような立場になる年齢では、まだないだろうと。

下田自分としても、吉田さんと仕事をした1年間を通じて、そのあたりの覚悟を学べたという思いがあります。担当タイトルに関わると決めたのなら、最後までやり切るしかない。やるのであれば、100%の力でぶつかるべきだと。あの当時の体験はすごく貴重ですし、ほんとうにいい仲間たちに恵まれていたからこそ、いまそう思えているんだと思います。

吉田仲間に恵まれても、まとまりきらないのが共同制作の難しいところ。けっきょく誰かが「これだ!」と言ってすべてを決めないと、形にはならない。あの1年で、僕もすごく勉強させてもらいました。それがあったからこそ『FF14』のプロデューサー兼ディレクターをどうにかこうにかやってこれたのだと思います。

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下田氏も“新生”の立役者のひとりだった!?

――そこから吉田さんと下田さんは、それぞれの道を歩み始めるわけですね。

吉田ところが、じつは『FF14』の新生には、翔ちゃんが大きく関わっていた部分があるんです。

――といいますと?

吉田:じつは旧『FF14』が大騒ぎになっていたあのころ、祖堅は完全に会社を辞めるつもりでした。それを説得してくれたと言いますか、僕とのあいだをつないでくれたのが翔ちゃんだったんです。

下田祖堅さんは「弘道さんがプロデューサーだったからこそ、ともに歩んできたんだ」という思いがすごく強かったようです。そんななか、吉田さんが『FF14』を立て直すという話が浮上してきて……。

――その話を聞いて、下田さんはどう思われましたか?

下田吉田さんなら絶対に立て直せると思っていましたし、『FF14』がいずれ必ず大きなタイトルになることも確信していました。だからこそ、祖堅さんがそれに加わらずに辞めてしまうのはほんとうに惜しいと考え、「一度話すだけでも!」という話をさせてもらいました。

――祖堅さんが『FF14』に残らない可能性があったとは……。

吉田彼はゲームへの愛情が強いですし、もともとエンジニアなので、旧『FF14』の当時の作りかたを続けたとして「ほんとうにゲームらしくなるの?」といった想いがあったはずです。だから、体制が変わるタイミングで会社を辞めようとしていました。

下田祖堅さんは当時のスクウェア・エニックスにしてはめずらしく、曲とSE(サウンドエフェクト)の両方を作れるのはもちろん、そこに関わるエンジニアリングについてもしっかりディレクションできる方でした。コンポーザーとしてだけでなく、いわゆるサウンドディレクターとしてサウンドに関わるすべてをこなせるスタッフは、当時の社内ではものすごく少なかったのです。ですから吉田さんとしても、祖堅さんに会えば必ず意気投合するだろうと思っていました。

吉田そして翔ちゃんが話してくれた翌日に、「ちょっと聞いてみたいことがあるので、一度話がしたい。すぐにでもメシに行けないですか?」と祖堅から直でメールが来たので、「その日のうちに行こう」と。そんなやり取りをして、当日夜に話し合いました。

――その場で吉田さんは何と?

吉田これから先のことも踏まえて、僕の思っていた意見をそのまま伝えました。祖堅からも「どうなのよ?」と上から目線で語られました(笑)。その結果いまにいたるわけですが、それは祖堅が、翔ちゃんを誰よりもすごいゲームデザイナーであると思っていたからこそ、その説得に応じてくれたのだと思います。チーム編成はものすごく大切なので、翔ちゃんはある意味『FF14』の立て直しを担ったメンバーでもあると言っていいです。

下田そこまで言っていただけるとは……。とはいえ、実際に新生を成し遂げたスタッフの方たちこそがすごいと思っているので、自分としては手伝いをしたとさえも思っていません。ただ、メテオ計劃(※)を思いついた吉田さんがはじめて社内でそれを語ったとき、その現場にいたことはひとつの自慢です(笑)。

※月の衛星“ダラガブ”を落下させて第七霊災を引き起こすことで、いったん旧『FF14』の世界を終了させ、その模様自体をゲーム内のイベントとして実装するというプロジェクト。

――草案の段階から聞いていたのですね。

下田あのときは「旧『FF14』をなんとかせねば」という空気感が社内全体にありました。それとあわせて、当時から吉田さんは周囲に慕われていたので、自分も含めた外部の人員からも情報を集めることが自然と行われていたんです。

吉田「メテオを落として作り直すぞ!」という話を本気で話したら、「おもしろいからやろう!」と、みんなのテンションがものすごい上がったのを覚えています。作り手からすれば、“おもしろいものを作れる”という期待がいちばんのモチベーションになりますから。でも、あまりにもハードワークだったために、そこから先のことをぜんぜん覚えていなくて……。ほんとうに記憶が真っ白です。何しろ1日に400通ものメールに返信して、3つの飲み会をローテーションで掛け持ちしていて(苦笑)。

下田1日にひと組だと間に合わないので、飲み会を段積みにしていましたね。そんな生活を続けるさなか、体調を整えるため1日だけ会社を休んだという話を聞いたとき「吉田さんもやはり人間なんだな」とみんなで話したことをよく覚えています(笑)。

吉田氏はいろいろなゲーム開発者の方に勇気を与える存在

――そんな日々から10年以上が経ち、今日にいたるわけですが、吉田さんは今回の対談のお話を聞いてどう思われましたか?

吉田単純にうれしかったです。自分自身、堀井雄二さんや広井王子さんといった方々の影響を受け、名前が表に出ていないたくさんの先輩たちからも貴重な知識をたくさん詰め込んでいただいたので……。そういう意味でも、今度は逆の立場で、さらに『FF14』の新生から10周年という記念すべきタイミングで翔ちゃんから対談を……とご依頼いただいたのは、ゲーム開発者としてメチャクチャうれしいです。

下田ありがとうございます。自分にとって吉田さんは、人生を変えてくれた方ですから。たとえば当時、「海外ではこうなっているらしいですが、実際はどうなっているんですか」と吉田さんに相談を持ち掛けたとき、「現地にいっしょに行くかい?」と言ってGDC(ゲームデベロッパーズカンファレンス。世界各国のゲーム開発者が集まる、業界最大規模のカンファレンス)だったり、当時のアイドス(Eidos)に連れて行っていただいたりしました。それはもう、ほんとうにうれしくて……。海外の情報はネットをつぶさに調べて独力で学んでいくものだと思っていたので、直接現地に行って知識を深めていくという方法があるなんて想像すらしていませんでした。吉田さんは、自分の世界をものすごく広げてくれた方です。本当に感謝しかありません。

吉田そういった相談を始めとして、いまやれるところをしっかりやろうとする姿勢が重要で、翔ちゃんはそれができるめずらしい人物でした。その人から感謝の言葉をいただけるのは、ほんとうにありがたくて……。僕としては、何か特別なことをした感覚はまったくありません。

――『FF14』の新生10周年に続いて、ライトフライヤースタジオも設立から10周年を迎えました。それまでのあいだ、吉田さんは下田さんの動きをどのように見ていましたか?

吉田スクウェア・エニックスに在籍していたときと同じように突っ走っているので、「やっぱり翔ちゃんはすごいな」と。真っ直ぐ突き進むことは、簡単そうでいて誰もができることではありません。すべての責任を背負いながら作品を世に送り続けて、今回さらなるヒットにつなげています。僕は大きな組織の看板のもとで仕事をさせてもらっているので楽な面もあるんです。だから、すごいなあ、と。

下田いやぁ……(苦笑)。Keyの麻枝さん(麻枝准氏。『ヘブンバーンズレッド』では原案・メインシナリオ・音楽プロデュースを担当)だったり、すばらしい方々との幸せな出会いがあったおかげです。

吉田でもきっと翔ちゃんは「まだまだやれる!」と思っているはずなので、だからこそ、これまで僕から声をかけることはあまりしませんでした。以前、たまたま何かのイベントで会ったときにも「まだまだこれからっス」とくり返し言っていたので(笑)。そのとき「ひさしぶりにメシでも行きませんか?」みたいな反応が打ち返されて来るだろうと思っていたのですが、そうなりませんでした。ということは、「いまはまだそのときじゃない!」と考えているのだろうなと。

下田そうなんですよ。吉田さんは“恥ずかしい自分をいちばん見せたくない相手”でもあります。

吉田とはいえ業界はそこまで広いわけでもないので、またいつか結びつく日も来るだろうと思っていました。この言葉は、スクウェア・エニックスから飛び立つ人に必ず伝えています。そんなことを思い返していたときに、今回こういう形でお声をかけていただいたので……本当にうれしかったです。

――逆に下田さんから見て、吉田さんが手がけた『FF14』や『FF16』はどのように映っていたのでしょうか。

下田自分がスクウェア・エニックスを旅立った後も、吉田さんご自身の生き様といいますか、やってきたことをずっとウォッチしてきました。たとえば、自分が事業面で新しいチャレンジをしようと思ったタイミングで吉田さんをふと見ると、『FF14』のプロデューサー兼ディレクターを務めながら、『FF16』をプロデュースするという重い決断をしているわけです。『FF14』を誰かに引き継ぐ選択もあったはずなのに、それをしない。

――それはすごい決断だったと思います。

下田そういう生き様を見ていると、「吉田さんがここまでやっているのに、いまの仕事を誰かに引き継いで新しいチャレンジをするという選択を自分がしていいものなのか」と。“片方を選ぶ”ではなく“両方やる”が正解なのではないのかと、自分の中の迷いや葛藤に答えが出るんです。ゲームクリエイターとしての生き様、あるいはお客様との向き合いかたとして、本気であるということがどういうことなのかをいつも教えてくれる、吉田さんは自分にとって、そんな羅針盤のような存在です。参考にしている……というよりは、単純にカッコいいから自分もそうありたいなと思っているんですよね。

吉田そう言ってもらえて、本当にありがたいと思います。僕は相手の年齢に関係なく負けず嫌いなので、昔は「業界内のゲームデザイナーに順位を付けるなら、どれくらいの位置にいるのだろう……」といったことを考えながらずっとやってきました。そんな中、自分もそう言ってもらえるようになったのかなと。自分もその想いに負けないよう、これからも突っ走らないとダメだな、という気持ちになります。

下田ぜひそうあってほしいです。吉田さんはいろいろなゲーム開発者の方に勇気を与える存在です。そして、自分はかつていっしょに仕事をした経験があるぶん、吉田さんの生き様をほかの方よりも解像度高く見ることができる、それが自分にとって、本当に大切な宝物なんです。

巨大な組織を動かすための秘訣とは

下田そういえば自分、ついに40歳になりました。

吉田そうか……でもまだ40歳だよね。僕は50歳になったから(笑)。

下田いっしょに仕事をしていたときの吉田さんの年齢を超えているとふと気づいて……どうしようもなくヘコみました(苦笑)。

吉田いやいや。ちゃんといいゲームを作り続けて、30歳代の後半にはヒット作まで世に送り出している。その年齢でプレイヤーから愛されるゲームを作れる人はなかなかいませんし、しかも完全新規のタイトルですからね。ほんとうにすごいと思います。

下田ありがたいです。自分のタイトルを運営するにあたっても、『FF14』が歩んできた10年の歴史にとても勇気をもらっています。たとえば『ヘブンバーンズレッド』が2周年を迎えるにあたって、「『FF14』では新生から2年目に何があったかな?」といった感じでチェックしたりしながら、自分たちはちゃんと失速せずに走っていられているだろうか、と比較することで確認しています。コミュニティの育ちかたやその変わりかたは経過してきた年数によっても違うので、「現在のウチのコミュニティの状況はどうだろう」と思ったときに、これまでの『FF14』の歩みをある意味ベンチマークのような形で参考にさせていただいたりもしています。

――タイトルが大きく成長したいま、下田さんが抱えている悩みはありますか?

下田抱える人員がだいぶ増えてきたせいか、個々のスタッフの仕事が見えづらくなってきました。少し前までは、ひとりひとりが何をやっているのかがだいたい把握できたのですが、それがもうわからなくなってきていて……。それをどう乗り越えるべきかを、いま考えているところです。

吉田それは、信頼している人たちどうしのつながり……ハブをより強くしていくしかないのかなと思います。“自分が全幅の信頼を置いているスタッフが、この人を信頼する、というのならその人は大丈夫”と腹をくくることで、より巨大な組織が動かしやすくなるという考えかたを僕はしています。見えかたが変わる、というか。

下田なるほど。

吉田答えが合っているのか間違っているのかは、じつは問題ではなく、「この人の判断であれば問題ない」と思える人が「このスタッフは大丈夫だから」と推薦してきたなら、それを信頼する。そういったことをクモの巣のようにハブとしてつなげていけば、いままで通り意思疎通も図れるし、根本部分もブレない。そんな感じかしら。

下田逆に言えば、どれほど信頼できる人でも疑おうと思えば疑える。でも疑ったままだと、信頼できる人は増えていかない。だから「この人はとことん信頼する」と、自分の中で決める。それをやらないとダメなんですね。

吉田そうしないと、いずれ将来的に自分自身がボトルネックになって破綻してしまいます。ただ、その信頼できる人たちでさえも迷う問題は、もちろん存在するので……。

下田そうですよね……そういうとき吉田さんはどうするんですか?

吉田たとえば選択肢Aにも選択肢Bにも長所と短所があるとします。その最終的なジャッジは、必要な判断材料をすべて吸い上げて自分で行うしかない。それにあたっては、プレイヤーの皆さんへの説明も必要になってくるはずです。とはいえ、自分自身がその重要な判断を間違える可能性だってあります。でも決断を任せてもらえるからこそ、「あのときの判断はこういう理由で間違えたから、つぎはこうします」といった形で教訓を蓄積できるので、そういう意味でのメリットはあると思います。

下田なんだか、ふつうに吉田さんに悩みを相談してしまいました。「昔もこんな感じで吉田さんに相談したよな」って、いま思い出しました(笑)。当時と同じやり取りです(笑)。

吉田人から「昔から何も変わってないよね」と言われるように生きてます(笑)。

下田自分が当時担当セクションでリーダーをしていたとき、いっしょに飲みに行って相談に乗ってもらったことがありましたよね。当時は自分も若かったので「どうしてアイツはこれができないんだ!」と、周囲に対してものすごくイライラしていた時期でした。相談するというよりも、愚痴を聞いてほしかったんだと思います。

――その席で吉田さんは何と?

下田「それは違うよ」と。「周りの人に同じことができるのならば、翔ちゃんがリードの役目を任されていないはずだ」と諭してくれました。そのうえで「不満を言うんじゃなく、むしろ周囲の人たちに対して、自分についてきてくれてありがとうという気持ちを持たなきゃいけない」と言っていただいて……この言葉はずっと心に残っています。

吉田心に留めていただいてありがたいです。リードをまかされるということは、必ずほかの人よりも能力が高いわけですから、周囲の人が同じことをできないのは当たり前なわけです。コラム本である『吉田の日々赤裸々。』にも書きましたが、僕自身も27歳くらいのときに先輩のお姉様からまったく同じことを言われて、それ以降、周囲の人への不満を口にするのをやめるようにしました。そのエピソードが単純に受け継がれたというだけです(苦笑)。

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下田あのとき相談したときも、そのエピソードを教えてくれましたね。

吉田「吉田くん、それやめな。カッコわるいよ。あなたは自分がどれくらいできるのかをわかっているのでしょう。そのくせ周りができないと思うのはやめて」と言われました。「あなたはそういう人たちを導いて物事をまとめるためにいるのだから、そこに向けて真っ直ぐに行けばいいのよ」と諭されて……それがものすごく心に響きました。

――さまざまな職種のリーダーに響く言葉ですね。

吉田スタッフが提出してきてくれたものをチェックするにあたり、それがどのような品質であったとしても、まず「確認に出してくれてありがとう」の気持ちから入るべきだと。そして「ここはすごくいい」とホメたうえで、「でもここはもっとこうしたほうが、よりよくなるから」と話すべきだと。そういう考えかたをしなければリードは務まらないと思います。もちろんスタッフの皆さんも給料をもらう側なので、仕事として対等な立場と言えばその通り。ですから厳密には「ありがとう」と感謝の言葉を述べる必要はないのかもしれません。

でも、自分が考えたものや、あるいは作りたいと思っているものは、その人たちが目指しているものとは違うかもしれない。それなのに、一生懸命作ってチェックに出してくれる。このことに対しては、素直に“ありがとう”だと思うのです。しかし切羽詰まってくると、その気持ちが後退を始めます。とくに組織が大きくなって、自身がチェックすべき部分が増えてくるほど、「ありがとう」が言えなくなってきます。リードに就いたスタッフたちを見ているとそう感じることが多いので、面談の際に「そこでイライラしてはダメだよ」と真っ先に伝えるようにしています。フィードバックにあたって“ありがとう”と書くと、心が落ち着くから、と(笑)。

一同 (笑)。

吉田“ありがとう”と書けば、何に対して感謝しているのかを探そうという意識が働きます。これにより、よりポジティブなフィードバックを戻せるようになる。まずは、いい部分を探す。当たり前のことかもしれませんが、ひと言でもいいので「“すごいクオリティーだ”と書きなさい」と。チェックされる側からしても、ホメられるとうれしいはずなので。

下田“ありがとう”と書くと心が落ち着く……すごく実用的なアンガーマネジメントですね。使わせていただきます(笑)。すごくいいなと思いました。

吉田そういったフィードバックは必ず手動で打ち込みましょう。最近は変換の入力予測が発達しているので、“あ”と書くと“ありがとう”の文字が出てきますよね。あれを絶対に使わない。

 個別のメッセージであっても、同報として関係している人がたくさん入っているので、プロジェクトマネージャーはいつもそのフィードバックを見ています。もし、同じ書き出しを頻繁に使ってしまうと、「この人の文面は毎回“ありがとう”で始まるな」といったことを思うわけです。ひとりがそう思うということは、一事が万事、より多くの人がそう感じてしまう。だから僕は絶対に、人に合わせて文面をすべて変えて伝えるようにしています。些細なことですが、これはすごく重要なことだと思っています。

下田吉田さんのスタッフひとりひとりに対する解像度がすごく高いから、それができるのだと思います。自分もスタッフに返答するときは、できるだけ人間味を感じられる言葉を選ぶようにしているので、いまの話もすごく心に響きました。

吉田チームとはそういうものなのかな、と。

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プレイヤーからの信頼を得るために

――『FF14』と『ヘブンバーンズレッド』は、どちらも運営タイトルとしてプレイヤーとのコミュニケーションを大切している作品ですが、その点についてはいかがですか?

下田自分も過去に運営タイトルを手掛けてきた中で『FF14』の“プロデューサーレターLIVE”や“14時間生放送”を参考に視聴したりしていたのですが、じつは初期のころは、自分の中であまりピンと来るものがありませんでした。でも、その後いくつかの運営タイトルを手掛けていく中で、「このやりかたが正解なのだな」と重要性にジワジワ気づいていった感じです。

――プレイヤーと向き合う重要性、ということでしょうか。

下田そうですね。自分がタイトルに責任を持つ立場として、顔を出しながらプレイヤーの皆さんと向き合い続けていると、信頼構築にキッチリと力を尽くすべきということが経験的に理解できるようになります。納得していただけるように説明したり、その上で未来に期待していただくというのは、プレイヤーの皆さんと共に歩む運営タイトルにとって非常に重要です。なので業界内の過去の出来事やコミュニティマネジメントの実例をたくさん調べて参考にさせていただくのですが……そこには『FF14』の好例がいつもドーンとあるわけです。

――先日東京ドームで開催された『FF14』のファンフェスティバルは、そうやって10年間積み上げてきたコミュニティの集大成のようにも思えます。

吉田旧『FF14』が混乱しているさなかに「いつの日か東京ドームでファンフェスティバルを開くから」と宣言していたら、きっと「この人は何を言っているのかな?」という反応しかなかったでしょう。ですから“我々が開催した”ではなく、“プレイヤーの皆さんに開催させてもらった”という表現が正解なのかもしれません。旧『FF14』ではあの状況下でも応援してくださった方たちがいたからこそ、僕たちの「新生を果たすんだ」という想いはギリギリのところで持ちこたえられました。その恩返しの気持ちでがんばってきた結果、逆にコミュニティの皆さんから背中を押し続けてもらっていたことを思い知った次第です。だからこそ、単独のゲームで東京ドームを2日間借り切ってイベントを開催する……そんな体験を皆さんに提供することで恩返しの一部としたかった。そのあたりを感じてもらえたのであれば、これほどうれしいことはありません。

――あの東京ドームの風景は本当にすごかったです。

吉田そして今後も、プレイヤーの皆さんの想像を超える驚きを提供し続けねばと改めて思いました。そういった意味では、じつは反省している点もあって……。『FF14』では運営を続けていく中で、プレイヤーの皆さんがより快適に、ストレスなく楽しめるようにしてきたのですが、この10年を思い返すとちょっとそこを“やりすぎた”のではないかと考えています。

――と言いますと?

吉田ゲームというものには必ずストレスが付きまとうのですが、その扱いが、ものすごく難しくて……。

下田それはすごく感じます。

吉田たとえば横スクロール型のアクションゲームで、落下するとミスになる穴がひとつも設置されていなければ、当然ながらストレスはありません。でもその代わりに、おもしろさも失われます。『FF14』で言えば、この部分を今後ちょっとだけもとに戻したいなと。そうすれば、これまで以上にいい意味でのチャレンジを皆さんに提供できるのではないかと考えています。ここは、つぎの10年に向けての課題でもあり、現在いろいろとゲームデザインしているところですが、なかなか楽しいです(笑)。ただ人によっては、「なんでそうするんだよ!」と感じる方もいるわけで……。

下田そうなんです。何かを緩和する場合はプレイヤーの方への説明も簡単なのですが、手応えのあるバランスを提供する際にはほんとうに説明を尽くさなければなりません。ストレスとリターンのバランスをどこに置くかはゲームデザインにとってとても重要で、ただ緩和だけをくり返していると味のないものになってしまう。そして、ゲームをよりよくしていくためになぜそれが必要なのかを説明してわかっていただけるところまで含めて、プレイヤーの方々との関係性を構築していくことが大事ですよね。

吉田何も言わずにゲームが変わると、プレイヤーの皆さんはそのこと自体にガッカリしてしまいます。しかも、別に「難易度を上げる」というお話ではないのです。ですので、しっかり説明をして、「だからやってみてください。そのうえでフィードバックをお願いします!」とコミュニケーションを取らせていただくことになります。ずっとそのくり返し、答えも、ゴールも無いんだな、とあらためて思っています。

『ヘブンバーンズレッド』も、2周年を迎えるにあたり、ファンが参加できるリアルイベントを開催。また、キャスト陣と開発スタッフが出演する生放送も行われた。

物語の重要性とゲームデザイン

――おふたりのゲーム作りについては、“ゲーム体験としてすばらしい物語を届ける”という姿勢も共通しているのではないかと思います。そのあたりの考えもお聞かせください。

下田自分が物語にこだわる根本の理由は、ひとりの人間として物語というものがシンプルに好きだからだと思います。運営型のタイトルに関して言えば、本質的には長い物語は必要ではなくて、ゲームのメカニズムだけで純粋に遊べるようにしたほうが、たぶんプレイヤー層の間口自体は広がると思うんですよ。

――いつでも始められて、間口も広がると。

下田でも、ビジネス的な視点からゲームデザインをしようとしても……自分はそもそも何のためにゲームを作っているのかと、ふと思ってしまうんです。自分の好きなゲームってどんなものだったのだろう。あるいは、自分個人として、ゲームというものからどのような感動を得られたら喜びを感じるのだろう。そして何より、自分はどんな感動をプレイヤーの方に提供したくて、この仕事に就いたのだろう。そう考えた結果、自分にとってゲーム体験と物語体験の融合というテーマが、非常に重要であることに気づいたんです。

――ご自身の作りたいゲームにおいて、物語体験ははずせないと。

下田はい。幼いころ『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』をプレイして、システムと物語と世界設定のすべてが合わさった、あのゲーム体験から得られた感動がいまでも忘れられません。その部分が根っこにあるからこそ、自分は「ゲームを作りたい!」と思っているわけです。そこを踏みはずすと、それがたとえビジネス上では最善の選択であったとしても、「本当に自分の作りたいゲームなのだろうか」という悩みが浮かんできて……その結果、どうしても物語にこだわりたくなってくるのです。もはやエゴみたいなものですね。

――吉田さんはいかがですか?

吉田僕も基本的に、ずっと物語がベースのゲームを作ってきました。『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』それぞれの1~3作目をリアルタイムでプレイして受けた衝撃を、なんとかして自分も作り出せるようになりたいと思ったのがそもそものきっかけです。そして最後に『タクティクスオウガ』でトドメを刺されたわけですが、これらの作品で受けた衝撃と体験、あるいは価値観をちゃんと物語として驚きとともに伝えたい……。だから翔ちゃんと根幹は同じですね。ただ僕は、ゲームデザインを考えたときに少し違った部分もあります。まず、僕がいま物語にこだわっているのは、扱っている作品が『ファイナルファンタジー』だからです。

下田当時から仰っていましたね。

吉田『ファイナルファンタジー』なのだから、絶対的にストーリーがおもしろくあるべきだし、どんなタイプの物語でもいいから心に響く内容であってほしい。もちろん、プレイヤーの皆さんの想像を超えるものでなければならない。一方で、もしもつぎに作るゲームがまったくのオリジナルで、コンセプトが仮に“冒険”なのだとすれば、たぶん「本格的なシナリオはなくしてもいい」とも思うのです。とにかくその世界で“冒険”と名の付くゲーム体験をひたすら追求するのならば、「そこまで長いシナリオはいらないよね」となるだろうと。

もちろん世界の中にプレイヤーの動機が置かれているのならば、そこに向けての物語と設定は必要になります。一方で自分の自由な行動がゲーム体験のすべてになるのであれば、ドラマはニュアンスだけ存在していればいいのかなと。実際、海賊がテーマの企画を進めていた当時は、設定を作り込みはしたものの、物語自体はそこまで重視していませんでした。そこはゲームデザインしだいでしょうか。

――もし吉田さんが『ファイナルファンタジー』の看板から離れて、たとえばモバイル系の新しい作品を作ることになったら、ゲームデザインもガラリと違うものになりそうですね。

吉田そうですね……。ただ、スクウェア・エニックスの看板のもとでゲームを作っている以上、キャラクター性や物語性など、“我々が開発する作品に期待される不可欠の要素”が必ず存在します。ですから、そこを裏切ってはダメかなとも同時に考えます。

――逆に下田さんがいま、コンシューマー系のタイトルを新しく作るとしたら、どのようなものになりそうですか?

下田最近は“場”を作るという部分に興味が向いています。料理で言えば、ストーリーやキャラクター、エネミー、ボスなどを“盛り付ける具材”とするなら、その“器”の部分をどうするのかということですね。ですので、「どんな器を用意すればワクワクしてもらえるかな」といったことを考えています。

――それはMMORPGなのか、それとももうちょっと別の形がいいのか……といったジャンルの問題でしょうか?

下田いえ、もう少し根源的なところです。たとえば、“これまでとは違った手触りの操作方法”とか、“新しいインターフェースのありかた”といったことですね。たとえば、現代的な街があったとして、その街を移動する手段は『グランド・セフト・オートV』のころから大きくあまり進化が見られなかった。だからこそ『マーベル スパイダーマン』の新しい手触りにみんなが熱狂した。たとえばこれが、ほうきに乗った魔法使いだったらどうだろう、などと考えていくことで、新しい指先の感覚を生み出せるかもしれない。その感覚と世界観がうまく繋がったら、新しい“器”が出来て、みんながそこに魅力的な物語やキャラクターという“具材”を楽しく盛り付けられるかもしれない。最近はそんな考えかたをするようにしています。

ゲーム開発と組織運営を結ぶ“共通点”

――ちなみにおふたりとも、ゲーム開発者でありつつ、組織の運営側の立場でもあります。たとえば下田さんは、マネジメントとゲーム制作の折り合いはどう付けていますか?

下田いまはどちらも楽しいですね。

――そこに境目はないのでしょうか。

下田「どうやったらプレイヤーに喜んでもらえるかな」ということや、「ここで強い敵を登場させるとプレイヤーは付いてこられないかな」といったことを考えて突き詰めていくと、結局ゲーム制作って“人の感情について考える仕事”なんですよね。一方でマネジメントもまったく同じで、基本的には“人=スタッフの感情について考える仕事”になります。もちろん組織論は存在しますが、それは本を読んだりして勉強すればいいだけの話で、根本部分ではやはり人の感情が重要になりますね。そこに違いはないかな、と思っています。

――吉田さんは第三開発事業本部のトップでもあるので、やはりいろいろなプロジェクトを見ていると思います。大きな組織を統括する立場としては、いかがですか?

吉田やらなくていいのであれば、あまりやりたくないのが正直なところです(苦笑)。マネジメントひとつ取ってみても部門、プロジェクト、社内すべての組織の統括に加え、開発担当として全方位への目配せもあります。それぞれのレイヤーが、あまりにも違いすぎるので……。

下田そうですよね。マネジメントの中には、手間のかかる仕事がたしかにあります。

吉田ちょっと多すぎる……どれかをはずしてくれないかな、と(苦笑)。とはいえ、僕自身は気になりだしたら目をふさいでいられない性分なので、ほかの部署の人から相談を持ち掛けられると「もっとここをこうしたらいいのでは」とか、「これを解決するには根本的な対策が必要だから、とりあえず上の人と話してくる」といった対応をしています。翔ちゃんの言う通り、人が会社を作っている以上、やはり最後は人ですね。対話をくり返して、判明した問題をひとつひとつ精査して、みんなが気持ちよく働ける解決策を提示する仕事になります。そうしたこともあり、じつはゲームデザインとさほど違いはありません。

下田吉田さんは昔から、困っている人を放っておけないタイプですよね(笑)。

吉田ただ、あらゆる方向に注力すると「そっちばかりやってないで、こちらの返事を優先してください」と怒られて……。反論する余地がないので、「その通りです、ごめんなさい」と(笑)。ほかの人と同様、僕にも1日に24時間しか与えられていないので、すべてのマネジメントに気を配るのはもう物理的に不可能になってきました。

――現在はどのように解決しているのでしょうか。

吉田先にお話ししたように、信頼できるスタッフに任せています。たとえば『蒼天のイシュガルド』くらいまでは、何から何まで自分でやっていました。広告宣伝に用いる一文ですら、すべてのテキストを自分で書き、素材を確認し、全文校正していたほどです。なぜそうしたのかといえば、商品をいちばん理解しているのは、作り手である自分たちだからです。MMORPGは特に難しいジャンルのゲームであるため、もっともお客様の心に刺さる言葉や見せかたを演出できるのは、当初は我々しかいなかったのです。プロデューサーとディレクターを兼任する意味は、その点にもあります。ですがありがたいことに、これまでの僕のやりかたを宣伝とコミュニティのスタッフたちが徹底的に見てきてくれたので、『紅蓮のリベレーター』のあたりから、そうしたところをお任せするようになりました。いまでは僕がこれまでやってきた文法の意図をしっかり理解してくれているので、いまや微調整くらいでほとんど問題ありません。

下田それと比べると、自分はいまでも広告宣伝まで含めて、スタッフの作ってくれた成果物を細かくチェックしているなと思いました。そうか……任せていくことが大事ですよね。

吉田ポイントは、テンプレートに当てはめるのではなく、考えかたや“文法”を理解してもらうことです。そうすれば、ある程度のところまではもう大丈夫。困ったときは本人が聞きに来てくれるので、責任を果たすという意味での最終確認だけで済みます。あらゆる分野にこのスタイルを適用すれば、いままで自力でやるしかなかったマネジメントについて、ほかのスタッフに任せられる領域が増していくと思うのです。

下田吉田さんと対談させていただくことが決まったときから予感はしていましたが、今日は勉強になることばかりです(笑)。

吉田組織を大きくするのであれば、いままでよりもさらに自分自身が上の領域を見なければならないのですが、会社や組織はトップに座っている人の能力以上には絶対になりません。だから、自己の能力をより高めていく必要も出てきます。

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吉田氏と下田氏が新たなゲーム開発者に求めること

――人という意味では、おふたりが新たなゲーム開発者を採用するならば、どのような人に来てもらいたいですか?

下田“プログラムを書ける人”です。プランナーやアートの分野に関しても、プログラミングができる人が理想ですね。それができなかったとしても、ゲーム作りに関わるのであれば、自宅でソースコードを一度書いてみるくらいのことはしてほしいなというのが本音のところです。

――それはゲーム作りの本質を知るためでしょうか。

下田というよりも、具体的にソースコードが書けることが重要です。たとえばプランナーがプログラマーと相談した結果、思っていたことができないことがわかったとして、そこで立ち止まるのではなく「どうして実現不能なのだろう」と考えて自分で調べてソースコードを書いてみる。そんな姿勢が重要かなと思います。

――吉田さんはいかがですか?

吉田その質問をいただいたときは、僕も毎回「とにかくソースコードを書いてほしい」と答えています。我々はコンピューターとの対話なしにはゲームが作れないうえ、その方法はプログラムしかありません。いまでは論理的にコードを書かなくても動いてはくれますが、命令がぼんやりとしていると、なかなかキビキビとは動きません。そこをより論理的にキレイに書いて、さらに改善が進むほど、コンピューターの動きがシャキっとして手触り感がよくなってきます。もちろん、それを書いた本人にも論理的思考が備わっていきます。

下田よくわかります。

吉田デバッグというたいへんな作業も、自分の書いたソースコードで行うことになるので、プログラムの腕前が上がるほどその作業が楽になります。とはいえ、「エラーを返せるのならその原因がわかっているのだろう。だったらそっちで直してくれよ!」と、コンパイラ(ソースコードをコンピューターが理解できる状態にするプログラム)に対していつも思うのですが……(苦笑)。そういう意味では、世界中のプログラムを集積させて勝手に書き直してくれるようなコンパイラができたら、そこに次世代のブレイクスルーがあるのでは、と僕は思っています。たぶん、世界のどこかでは、すでにやっている気もしますが。

――実現すればゲーム開発もかなり変わりそうですね。

吉田話を戻しますが、諸先輩の努力のおかげでゲームが文化としても認められてきた結果、就職先としてゲームメーカーに興味を持たれる方も多いと思います。ただ、翔ちゃんもそうですが、本当に自分が作りたいものを世の中に出して、そこから世界に羽ばたこうと思ったら、ものすごい競争を勝ち抜くしかありません。なぜなら監督・ディレクターは、それぞれの作品にひとりしかいないからです。さらに、監督を希望してもそれを養成する学校というものは存在しません。

下田ないですよね(笑)。

吉田映画監督になりたいのであれば映画研究会がありますし、演出を学べる場も一応存在します。一方でゲームのディレクターには、まだそれが何もない状態です。そうなってくると、もう競争して突っ切るしか道はなく、その際にプログラムの知識を素養として持っていなければ、いまの時代を乗り切るのはきびしいだろうなと思います。

下田それは本当に思います。スタッフと対話をする上で技術面の解像度が高くないと、どこにプログラム的なリスクがあるかとか、あるいはどの方法だったら実現したいことを最速で実現できるのかを、適切に判断していくのが難しい。大きなプロジェクトをコントロールしていくために、技術を知ることは不可欠だと感じます。

吉田逆にミドルウェアが当たり前のこの時代、学生の皆さんもゲームエンジンをPCにインストールして、ちょっとした作品を作ってくることが増えてきました。ですが僕としては、“その手前のレイヤー”をやってほしいなと。ソースコードの中身がわかっていることが重要なので、それこそBASIC(初心者向けの手続き型プログラミング言語)でもいいから学ぶことをオススメしたいです。

下田ミドルウェアの機能だけでマウスでゲームを作るのではなく、ちゃんとタイピングしてソースコードを書くという形でゲームを作ってみてほしいですね。

吉田“はじめてのプログラム入門”の本を買ってきて、最初はそこに書いてあるソースコードを丸写しするだけでもいいです。そのあとで、ちょっとだけ変数を書き換えてみたり、サブルーチンを別途作ったりすると、そこから楽しさがわかってきます。僕からすれば、これがゲーム作りの基本。ゲームエンジンが手軽に手に入るいまだからこそ、この部分に注目してほしいです。

下田氏と吉田氏がお互いに直球質問!

――せっかくの機会ですので、これまでのお話以外にも、お互いに聞いてみたいことはありますか?

下田今後『FF14』のほかに、ディレクターを担当する予定の作品はありますか?

吉田まったくの未定ですが、何かつぎに大きなタイトルを作る機会があるならば、自分でディレクションをやるつもりです。

下田それは楽しみです! タイミング的にはあと1本くらいでしょうか?

吉田つぎの世代へのバトンタッチを考えると、「やれるのはあと1本くらいかな」と思っていたのですが……でもその場合、天井を自分自身で決めることになってしまう。そうすると周囲もそこから出発する形になるので、最近はむしろ天井を設定しないほうがいいのではないかなと考えています。なぜなら先ほどもお話しした通り、会社は組織である以上、トップの判断とそのロジック以上のものにはならないからです。それなのに「やれてあと1本」みたいな思考に陥ると、“吉田渾身の一作”みたいな変な枠にはまったものになってしまうので、それはよくないなと。

たとえば、僕は50歳を過ぎてもなおスノーボードをやっているのですが、やればやるほど上達しています。冗談抜きで、いまがいちばん上手だなと(笑)。まだぜんぜんやれるという感じなので、そういう意味でもまだ自分自身にはキャップを設定していません。

下田自分自身にキャップを設定しない。またひとつ、いいことを聞きました(笑)。

吉田限界を設定すると、つまらなくなる気がして……。もちろん、目標を決めるからこそ勢いがつくという考えかたもあるのですが、これだけ組織の規模が大きくなってくると、「先のことはわからないけれど思い切って毎回チャレンジするか!」というスタイルのほうがいい感じになりそうだなと。自分さえも想像しなかった“跳ねかた”をするのではないかという期待があります。

――つぎに吉田さんから下田さんに聞いてみたいことはありますか?

吉田会社の経営はたいへんですか?

下田たいへんかと聞かれれば、たいへんですね(笑)。ただ、初期は継続的に黒字を出していくのが難しい時期もありましたが、いまは経営状況もかなり安定しているので、精神的にだいぶ楽になりました。ちゃんと毎月利益が出ていることで、現場の人たちにも集中して作業できる環境を提供できているので、肩の荷が下りたというか……よかったなと。とはいえ経営方針はつねにブラッシュアップしつづけなければなりません。いまは、“現在の市場環境を考えたときに、いつまでもモバイルで勝負していて大丈夫なのか”を考える時期に来ているなと思っています。PC版も同時にリリースすべきではないのか、あるいはPC発のタイトルがあったほうがいいのか……そうした“するのか、しないのか”を考えるタイミングです。いずれにしても、まだまだがんばらなければなと思います。

吉田お話を聞いていると、翔ちゃんにとっては会社経営もゲームデザインに紐づいている感覚だよね。

下田はい。基本的にはそんな感覚です。

吉田ほんとうにすごいと思います。僕もプロデューサーなのでおカネの計算をしなければならないのですが、じつはそれがいちばんやりたくない仕事です(笑)。

下田自分も得意ではないですが、おカネの計算ができる人は、もちろん周りにいてくれていますよ(笑)。

吉田日野さん(日野晃博氏。レベルファイブ社長)からも、「自分もやったことがないから大丈夫」という答えが返ってきます。「会社のトップなんだから“それができる人”を連れてきてやってもらえばいいんだよ」と。社長に就任したことのある人はみんなそう言いますね(笑)。

下田とはいえ、期初に予算を決めることと、おカネの使途に関してムダがないかのチェックは、自分で逐一しています。一方で数字を細かく計算して、その結果で毎日右往左往するようなことはありません。結果に細かく踊らされていると「木を見て森を見ず」になってしまうので、気にするとしても、おカネが大きく動く重要なタイミングでくらいですね。

吉田それができるのも、たいへんな時期をくぐり抜けて、会社を維持してこられたらこそだと思います。

下田……黒字って、いいですよね(笑)。

吉田それはそうですよ。黒字を喜ばない経営者がどこにいるのかと(笑)。黒字を計上すれば、それよってつぎにまた新しいことができるという喜びも得られます。経営に関わらない開発スタッフであったとしても、その根幹部分は忘れてほしくない。おカネを稼ぐことは悪ではなく、儲けが出なければつぎの作品を世に送り出せなくなります。むしろ、マストなことだと思っていてほしいです。なぜなら、それはお客様に喜んでもらえることにつながっているわけですから。

――最後に、ライトフライヤースタジオ設立10周年、『FF14』新生10周年にあたり、これから先のゲーム制作についてどのような気持ちで取り組んでいきたいかを、おひとりずつお聞かせください。

下田これからさらに10年が経過したのち……いまの吉田さんと同じ年齢になったときに、「停滞した10年だった」とは思いたくありません。「前に進んできたな」と実感したい。これは対談の場だからの発言ではなく、ふだんから思っていることなのですが、10年後の自分を想像するときには、吉田さんの存在がいつも頭に浮かびます。そのたびに「停滞したくない」、「ここで終わりたくない」と強く思うんです。だからこそ、自分たちの会社に期待し、自分が手掛けたタイトルを楽しんでくれているお客様に向け、いっしょに働いてくれているスタッフたちと力を合わせて、前進し続けます。また10年後に吉田さんにお会いして「停滞していたね」と言われたらものすごくツラいので、そうならないようがんばらねばと(苦笑)。吉田さんの40歳から50歳までの歩みを知っているだけに、これから先の10年が本当に大事だと思っています……。とにかく立ち止まらずに進み続けます!

吉田自分たちが言うのは変かもしれませんが、いまから10年前、旧『FF14』という困難な状態を、翔ちゃんも含めたみんなの力を借りて立て直しました。もちろん、それはプレイヤーの皆さんの支えがあったからこそですが、我々もがんばったと思います。努力したりがんばったりチャレンジしたりすると、その様子を絶対に誰かが見てくれていますし、誰かの心に届くものです。なので、努力やチャレンジをやめないことが重要だなと。

ときには冷静に振り返ることも必要なので、ひと休みをするのはいいと思います。でも「ずいぶん高いところまで来たから、このあたりで満足していいのでは?」という気持ちになると、その瞬間、物事は“その下のあたり”で止まってしまいます。「やってやろう!」という意識を持ち続けている限りは、ひたすら前進あるのみです。トップの座を誰かに引き継がないからこそ、「ここまで来たのにまだそんなことをするの?」的なおもしろさが味わえるわけですから。その過程で「またやりすぎました、ごめんなさい!」みたいなことがあるかもしれませんが……(苦笑)。いずれにしても、引き続き久しぶりに会った人に、「なーんにも変わってないよね」と言って貰えるように、これからも突っ走っていきます!

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