1995年10月6日に発売され、いまなお語り継がれるほどの衝撃をプレイヤーにもたらした『タクティクスオウガ』。

 25周年を迎えた2020年には、週刊ファミ通(2020年11月5日号)にて『タクティクスオウガ』25周年特集を掲載。その特集内で実施された松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏のインタビューでは、企画の発端やあの完成されたシステムについて、そして他に類を見ないストーリーは、どこにモチーフがあったのかなど、細かい要素にいたるまで制作秘話を交えながら濃密に語られた。

 今回、『タクティクスオウガ リボーン』の発売に合わせて、当時のインタビューを再掲載する。

※ファミ通.comでは『タクティクスオウガ リボーン』関連記事を掲載中。

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松野泰己 氏(まつの やすみ)

アルゼブラファクトリー代表取締役。1965年新潟県生まれ。1989年にクエストに入社し、1993年に『伝説のオウガバトル』、1995年には本特集のテーマ『タクティクスオウガ』をリリース(いずれもゲームデザイン、脚本、ディレクター)。同年にスクウェア(当時)に移籍し、『ファイナルファンタジータクティクス』(1997年)、『ベイグラントストーリー』(2000年)、PlayOnline(2001年)、『ファイナルファンタジータクティクスアドバンス』(2003年)を手がけたのち2005年に退社。以後、さまざまな作品にシナリオを中心に関与。2017年からは『ファイナルファンタジー 』内のコンテンツ“リターン・トゥ・イヴァリース”にてシナリオを務める。

皆川裕史 氏(みながわ ひろし)

スクウェア・エニックス所属のゲームデザイナー。1970年生まれ。1989年にクエストに入社し、PCエンジン用シューティング『マジカルチェイス』のディレクションなどののちに、松野氏らとともに『伝説のオウガバトル』や『タクティクスオウガ』を制作。スクウェア(当時)に移籍後は『ファイナルファンタジータクティクス』や『ベイグラントストーリー』のアートディレクション、松野氏離脱後の『FFXII』ディレクションなどを経て、現在は『FFXIV』のアートディレクターとして、アート監修を始め、ゲームのインターフェイス構築を担当。

崎元仁 氏(さきもと ひとし)

ベイシスケイプ代表取締役社長。1969年生まれのサウンドクリエイター。1988年からフリーランスでさまざまな作品に楽曲を提供。1991年の『マジカルチェイス』で皆川氏と知己を得たことなどから『伝説のオウガバトル』、『タクティクスオウガ』に岩田匡治氏とともに共作で参加。スクウェアサウンズ(当時)では『ファイナルファンタジータクティクス』、『ベイグラントストーリー』などを手掛け、退社後の2002年にはベイシスケイプを設立。近年では『戦場のヴァルキュリア』シリーズや『十三機兵防衛圏』などを手掛けている。

『週刊ファミ通』2020年11月5日号 Kindle版(Amazon.co.jp)

開発当初の経緯

――『タクティクスオウガ』の最初の企画書に、すでに物語の舞台となるヴァレリア島が描かれています。松野さんはゲームを作るとき、こうした世界の形からイメージを固めるのでしょうか? あるいは個々のキャラクターなどから?

松野私はキャラクターからゲームを作るのはむしろ苦手です。あくまでその世界の歴史をイメージして、「今回はその歴史のこの部分を描こう」という作りかたです。『オウガバトル』サーガもそういう作りかたをしています。

――すると『タクティクスオウガ』は『伝説のオウガバトル』の世界と地続きですから、最初の最初からあの世界はあったわけですね。

松野そうです。ほかにChapter-1での分岐と聖騎士ランスロットの結末、そして聖騎士ランスロットと暗黒騎士ランスロットの会話は初期プロットの時点ですでに決めてました。

――それがどう形になっていくのでしょう?

松野何度かお話をしているので細かいことは割愛しますが、当時僕らが在籍したクエストという会社で1992年の6月には前作にあたる『伝説のオウガバトル』の開発が一度終わりました。

 ですが発売までしばらく時間があったんです。その当時僕らのあいだで『ソルスティス』というファミコンのアクションゲームが流行っていて、ですから「そうした3Dフィールドでのアクションゲームが作れないか」と、技術的な検証をしていました。そういう時期を経て『伝説のオウガバトル』が翌年の1993年3月に発売が決まると、初期ロットで20万、さらに追加発注で20万、計40万本を売り上げて無名のメーカーにもかかわらずヒットとなりました。

 すると当然、会社側から続編を作ってほしいと要望され、我々はそれに応える形で研究開発していた3Dアクションゲームを止め、3DマップのシミュレーションRPGの開発に舵を切りました。

――大転換ですね。ですが基礎となる3Dのフィールドは、すでに研究されていたと。

皆川先ほどの『ソルスティス』や、『ランドストーカー』という3Dアクションゲームが好きだったんです。そうしたものをイメージしながら、立体感のある、ジャンプアクションのような何かを作っていましたね(笑)。その時点で、パネルの種類と高さを決めるとすぐに立体マップに反映されるツールっぽいものをスーパーファミコンで動作させていました。キャラクターがそのマップの上をBボタンでジャンプして移動する、といったものです。

ドット絵の機微

――マップは吉田明彦さんがご担当されたとうかがっています。また、皆川さんもキャラクターのドットを打っていたとか。

皆川ユニットは、すでに『伝説のオウガバトル』のキャラクターがありましたので、さらにデフォルメしたサイズのドットキャラとアニメーションを作りました。また、エフェクトとUI(ユーザーインターフェイス)も作りました。

 マップツールの設計は私が担当しましたが、ゲームに表示される背景ドットの作成とシーン構成はすべて吉田さんです。ほかに吉田さんが担当したのは『タクティクスオウガ』から登場するデニムやカチュア、ヴァイスを始めとした新たなキャラクターのデザインと、『タクティクスオウガ』用にすべて新規作成した膨大なキャラクターとクラスのイラスト。それからキャラクターの顔のドット絵です。

 とくに顔のドットは16色32ドット幅のもので、究極すぎて真似ができないんです!

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――確かにほかで類を見ない絵ですね。当時、皆川さんも「『FF』に対抗意識を持ってドットを作り込んでいた」という真偽不明の話がネットなどで語られていますが、実際はどうでしたか?

皆川当時のスクウェア作品はもちろん意識していましたが、それだけではなくカプコンさんの、とくにアーケードなども参考にしていましたね。自分は昔からゲームセンターからパソコンゲームまで、さまざまな形でゲームに触れていたので、いろいろなものを参考にして取り入れています。

 ただ、情報公開のタイミングが近かった『ファイナルファンタジーVI』や『聖剣伝説』はすごく意識していましたし、負けないようにとがんばりました。

――単純に絵だけでなく、動きも魅力的です。アニメーションも皆川さんがご担当を?

皆川制作半ばまでキャラクターを担当していたのがずっと自分ひとりだったので、テンプレートはすべて作りました。自分が作りやすい環境をプログラマーと相談しながらアニメーション専用のツールも作っています。「ヴァルキリーが槍を回して突き出す」といった動作は、すべてツールで設定できるように環境を整えてからドットの作業に入っていました。

――それもまずツールからなんですね。

皆川たくさんのクラスがいていろいろな武器種類を作らなければいけない。でも小さな容量に収める必要がある。ですから試行錯誤をなるべく早くできるようにキャラドットとアニメ専用のツールを作ってもらいました。

 V-RAMと呼ばれるグラフィック用のメモリが少なかったので、バトルに参加する全ユニットのアニメパターンをすべて読み込めないんです。そのため、つねにメモリに置いておくアニメは、歩きやダメージなどの基本パターンのみにして、バトル時は攻撃側と受け手側のキャラクター2種類だけのアニメーションパターンを入れ換えるといった、メモリ管理とアニメーション管理もツールで設定できるようにしていました。

 『タクティクスオウガ』にはユニットやクラスの種類がいろいろありますが、ポーズだけ見るとほとんど中身が同じなんです。ですから少ないポーズをうまく組み合わせ、それらしい動きになるか、多数の武器を切り換えたりキャラクターのクラスを切り換えたりしながらすぐに結果を確認できる環境でないと、制約を活かして特徴を出したアニメーションは作りきれなかったと思います。ゲーム内容に合わせた開発ツールは当時の制作でも非常に重要でした。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――制約の多さが、逆に演出上の効果につながっているわけですね。アニメーションやポージングに関して、松野さんから皆川さんへリクエストはなかったのでしょうか?

皆川各ユニットに得意武器がありますが、「こうするとちょっと特殊なポーズが付けられるんですけど」と、ヴァルキリーの槍を回すパターンを松野さんに見てもらったときに、「全クラスでやれる?」と聞かれましたね。好きにやらせてもらって後で苦しんだ感じです(笑)。

 ただ、「弓だけは思い浮かばないので勘弁してください」という話をして、結局、残念ながら弓などでの実装はあきらめてもらいました。

UIの秘密

――ユーザーインターフェイスの情報の収まりかたも尋常ではない整頓され具合です。

皆川あれは、まず松野さんから画面に収めたい情報の要望があり、それに対して「ここまでなら入るけどここからは無理」と返します。たとえば編成画面なら、「横に何人くらい並べたらだいたいこういう形になる」というのを実際に作って渡す。

 すると松野さんがそれを切り貼りしながら、「じゃあこういう感じにまとめれば1画面になるんじゃない?」と、仕様書にまとめるてくれるんですよ。

――その時点で仕様書に。

松野UIフローや構造は私が決めていましたが、グラフィックが絡むところはつねに皆川さんに相談しながら決めていました。

――整頓ぶりに加え、表現センスにもしびれます。

皆川プロトタイプでは、もっと『伝説のオウガバトル』っぽい、暗めのウインドーに白文字で作り始めていたのですが、途中で自分が飽きてしまい、“白地に黒文字”をどうしてもやりたくなって……。きれいに表示される方法を研究して、勝手に全部作り直したんです(笑)。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――数字のフォントも独特かつ見やすいです。あれもオリジナルなんでしょうか?

皆川はい、オリジナルです。あのちょっと横に長くて、水平線が1ピクセルの書体は、僕の趣味なのでいまもよく使います(笑)。

――UIは皆川さんの趣味の集大成なんですね。セレクトボタンで出るオンラインヘルプは、企画の段階からあったものなのでしょうか。

松野『伝説のオウガバトル』ですでに存在していた機能ですが、『タクティクスオウガ』では徹底的にやろうと。ただ単に操作説明やアイテムの内容を紹介するだけでなく、世界観を説明するフレーバー的なテキスト、さらには各ユニットがプレイヤーをどう思っているかを表現したりと、とにかく徹底して作り込みました。

 テキスト量という意味では、システムテキストやヘルプ、シナリオなど合わせて約30万字あります。企画当初から、それが入るだけのメモリを割いてもらいました。ちなみにプレイステーション・ポータブル(PSP)版の『タクティクスオウガ 運命の輪』は約70万字ほどあり、『ファイナルファンタジーXII』よりも多いテキスト量になっています(笑)。

――70万。想像もつきません……。

崎元さんの仕事

――崎元さんが合流するのはそうした作業の後ですよね。どういう発注が届くのでしょう?

崎元曲数やその尺と、曲を使う状況を記載したリストをいただいて、それらを見ながら曲を作ります。『伝説のオウガバトル』のときは、登場人物たちがサバサバしていた印象だったので、全体的に深刻にならないようにしましたが、『タクティクスオウガ』は話に合わせてウエットになりました。

 出来上がったものを聴いた松野さんは「どれも暗いね、暗い」とずっと言っていましたね(笑)。

――確かに終始シリアスですからね。

崎元いまなら暗い場面でもそうでない音楽を当てることができると思いますが、当時は僕の技量的にも暗いまま表現することしかできず、そういう形になったのだと思います。

――効果音なども同様に? 岩田匡治さんはどう関わられているのでしょう?

崎元効果音は今井利明さんという方が作っています。曲の打ち込みは『伝説のオウガバトル』では今井さんが担当されて、『タクティクスオウガ』では私と岩田さんのふたりで担当しました。

 岩田さんはファミコン開発時代にクエストに所属しており、その後フリーランスに戻った後に『マジカルチェイス』やそれ以降のプロジェクトに携わっていたと記憶しています。ですのでクエストからの仕事はそもそも岩田さんの筋からきたものだったんですよね。とくに『伝説のオウガバトル』は最初岩田さんがひとりで作曲をしていて、音楽の方向性がオーケストラ主体になった時点で私がヘルパーとして参加した流れでしたし。

 岩田さんとはそれ以前にもかなりの数の仕事で共同制作をしていたので、分担のしかたはかなり適当だったと思います。曲や効果音のリストが来たら、好きなものから1曲ずつ選んでいって、とりあえず担当をすべて決めてから制作を進めました。

――長年いっしょにやっていたからこその技ですね(笑)。

バトルのヒミツ

――バトルについておうかがいします。ウエイトターンに、装備の重さも入るというのは、当初から決まっていたのでしょうか。

松野企画の段階から決まっていました。

 もともと、コンセプトとして、「当時のRPGに飽きたけど、戦略・戦術シミュレーションゲームは難しすぎてクリアーできない」というプレイヤーをターゲットにする、という大前提があったので。すでに『ファイアーエムブレム』という優れたシミュレーションRPGが存在しましたが、あれでもまだ難しい。

 そもそもRPGがウケたのは、難敵であってもとりあえずレベルさえ上げれば誰でも勝てるようになっているからで、たとえ大味な戦闘と言われてもそのほうが市場は大きいんですね。

 ですので『タクティクスオウガ』も、とりあえずレベルさえ上げればなんとかなるゲームにしようと決めていました。

 さらに、味方と敵が交互に動くフェーズ制も、RPGしか知らないプレイヤーにはハードルが高かったんです。ですので、「フェーズ性ではなく、一手ずつ動かせるゲームにしよう。ただし、交互にプレイするのではひねりがないので時間の概念を組み込もう。時間に差が出るようにするために重量も反映しよう」。そう考えたのです。

――なるほど。ウエイト時間に差をつけるために重量というパラメーターを設けたと。

松野そうです。ユニットの特性や重量ですね。

――MPが初めから溜まっているのでなく、チャージされるシステムは……。

松野これも前提がありまして、まず私の中で魔法は剣よりも強いものだろうという設定がありました。ですが最初からMPが溜まっていると、スタート時点で強い魔法が使えてしまう。ですので、強い魔法を使いたかったらMPを溜める必要がある設計、としたのです。

 ゲームデザインとしては、そういう思想でした。その延長で、「弓も強いままにするのであれば魔法と同じようにしよう」と思って改良したのが、『ファイナルファンタジータクティクス』(『FFT』)のシステムです。

マップの作りかた

――ひとつひとつのバトルとマップはどうやって構成されていったのでしょう?

松野ゲーム全体を通して、「こういう地域だからこういう特性を持ったマップを用意してほしい」というオーダーはかなり初期の段階でしています。そのうえで、個々のマップは「このフィールドで戦いたくなるかどうか」という見た目を最重要視していました。とりあえずモックアップを作成したあと、吉田さんにそれを見てもらいます。

 すると吉田さんがさらに、「ここだったら地形チップはこう使ったほうが見た目がよくなりますよ」と手を加えていく。地形効果や戦術よりもまずは見た目です。それから、ユニットを配置して、難度を調節していくというやりかたで帳尻を合わせました。

――最初に舞台の雰囲気ありきなんですね。

皆川ユニット配置も、最初はマップの攻め手側が高いほう、受け手側が低いほうくらいの概要からスタートして、基本は絵を優先しています。でも不思議なんですよね。マップにユニットを置いて実際にテストプレイをすると、狙って配置したかのような感じを受けるものが意外と出来上がってくるんですよ(笑)。

――それでお話を追ってもらえればいい、と。高低差の話が出ましたが、弓の強さと射程の無視を当初から考えていたという過去のインタビューを読みました。

松野射程内でターゲットを射るのは当たり前、射程外のターゲットを狙えるかどうかはプレイヤー自身の経験値に委ねようというアイデアですね。これは我ながらおもしろいアイデアだったと思います。ですが、反面「わかりにくい」という点もあり、『FFT』では削ぎ落としました。

――なるほど。盾で相手を押し落としたりなど、ノックバック系も同様に考えたものですか?

松野そうです。そういうゲームがなかったので、やったらおもしろいよねと。穴があったら押して墜落させる。空中庭園などはそれをやりたいからあのようなマップになっています。

――もうひとつ、投石はトレーニング用に設けられたものですか?

松野いえ、プレイした方が、投石がトレーニングに便利だと思ってくださっただけで、仕様としては最初から入れていました。

――最初からあったものだと。でもああいうゲームで武器に投石があるのはスゴいなと思いました。

松野投石を入れたのはむしろ歴史的事実によっていて。

 楠木正成など、城に籠もって上ってくる敵に石を上からガンガン落として倒すなどしています。石が強いというのをやりたいなというところから始まっていったものです。

 ただ、「石で倒しきってしまうのはどうなのか? ファンタジーゲームとして投石が強いというのはいかがなものか」ということで弱くなっていった気がします(笑)。その意味ではあくまでもオマケですね。

皆川石のパワーはけっこういじった気がしますね。最初は敵が遠くから近づくまでのあいだ投げていると、石だけで倒せたりして(笑)。確か平面マップのタインマウスの丘で、両軍が接触する前に投石で互いにほとんど倒れてしまうという時期があって。これはさすがに調整したほうがいいという話をしていました(笑)。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――それはもう違うゲームですね(笑)。個人的に難しいなと思ったところが、ハボリムなど、固有ユニットの救出イベントの戦闘です。あえて難しくしたのでしょうか。

松野この手のゲームは中盤以降にやれることが増えてくると難度が下がります。要は救出しなくてもクリアーはできるわけで。ですので、救出しなければラクにクリアーできるけど、助けたかったら辛くなる、という調整にしています。

――救出しようとしている相手が、なかなかこちらの意図を汲んでくれず、困惑します。

松野最善で動かれたら難度が下がるわけで、あえてそのようにしているところがあります。いまだったらもう少し調整するとは思いますが、当時は「もういいよこれで」と(笑)。

皆川装備やレベルなどがどんな状態でそこにたどり着くかでも難度は変わるので、そこも含めて攻略だと当時は割り切りっていましたね(笑)。なかなか辛いマップは、開発の内部でみんなで抜けかたを探して、うまく切り抜けられる方法があったら、それでオーケーにしていたところがけっこうあります(笑)。

松野たとえばカノープスの装備を軽くして、早めに移動させてハボリムにヒールをかけるとか、想定レベルでプレイして誰かひとりがクリアーできればオーケーといった調整でした。あれだけのステージ数もあるので、バランス調整にあまり時間を掛けていられないという側面もありました。いや、でもそれは言い訳ですね。ただ、シナリオも書いてバトルも作ってレベルデザインもやって、という作りかたの限界でもあります。

ルートの話

――それではようやくストーリーについてお尋ねします。物語は3ルートに分岐しますが、これはどういう考えかたで作られたのですか?

松野もともとはロウ(L)ルートも分岐して、Chapter-3では4ルートになるはずでしたが、それは容量と作業工数の問題でやめました。

――なるほど! もっとロウとカオス(C)が構造として対称的だったんですね。

松野いまではニュートラル(N)だとかCだとかファンのあいだでは呼ばれていますが、開発の当時はAルート、Bルートなどと呼んでいました。

 そもそも制作当時は、95パーセントのプレイヤーがCルートを選ぶだろうと思っていましたね。というのもプラットフォームを考えると、ターゲットに小学生、中学生も想定されていたので、まず虐殺は選ばないだろうと。『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』でフローラはまず選ばないだろう、みたいなものです(笑)。

――「その手は汚さない」と。虐殺の選択肢などは、スタッフの皆さんはいつ知ったのでしょう?

皆川自分はイベントの細かな内容は後々知るのですが、最初にマップがいくつ必要かなど、そうしたものを作るうえで知らざるを得ないので、そういう全体の流れは最初の段階で知っていましたね。

――なるほど、当然ですね。それと分岐の象徴として、ヴァイスとともにアロセールが印象的です。最初にCでプレイすると、LでもNでも、アロセールの離脱やアロセールとの戦いが辛いものになるんです。それはあえて狙ったところですか?

松野確かアロセールは最初から忠誠度が低い状態で仲間に入ってくるはずです。プレイヤーの行動次第によっては離反しやすくなっている。

 そうそう、各ユニットにはプレイヤーに対する忠誠度があって、それが下がると離脱するんですが、最初から離脱しやすいキャラクターが、Cのアロセールだったりするんですよ。

――忠誠度は隠しパラメータですよね。

松野正確な値を知ることはできませんが、ユニット自身の名前のヘルプを表示することで現在の忠誠度をテキストとして知ることができるようにはしています。そもそも、そういう要素は値で知るものではないでしょう。恋人の愛情を数値で知ることはリアルではできませんからね。そういった「もどかしさ」を表現するためにあえて数値を表示していないのです。

チャプタータイトルやユニット名はどこから?

――“思い通りにいかないのが世の中なんて割り切りたくないから”などの強烈なチャプタータイトルはどこからきたのかとても知りたいんです。

松野サブタイトルは、当時の1980年代末の日本の音楽シーンに、いわゆる英単語を並べた題名から変わって、ちょっとひねった日本語の長いタイトルなどが人気を博した時代でした。ですのでそれを見習ったというところでしょうか。ただ、そうしようと決めたとき、Chapter-1と4のタイトルはすぐに決まりました。

――“僕にその手を汚せというのか”。

松野手を汚すか汚さないかの選択があるというのは初期プロットで決まっていたので、だったら第一章のタイトルはこれだろうと。

――“駆り立てるのは野心と欲望 横たわるのは犬と豚”なんてタイトルは、当時、見た瞬間におおおおおおおとなったのですが(笑)。

松野自分にとっては黒歴史以外何ものでもないのですが(笑)。

――いえいえいえいえ。それにシビれたんです。

松野以前に『ファイナルファンタジーXIV』の吉田直樹さんと話したときにも互いに言っていたのですが、必ずしも企画者が狙ったものがウケるわけでもないし、狙っていないものがウケることもあります。サブタイトルはまさにそれで、まったく狙っていなかったので、そこまでウケるとは思いませんでしたね。

――ええー。では孤高のマーキュリーなど、敵キャラクターのふたつ名などは?

松野オリジナル版開発当初のころは1体ずつきちんと考えていましたが、物量があまりにも多かったので、途中から辞書を引いて適当な単語を乗せたりもしました(苦笑)。その反省もあるのと、あまりにふたつ名が多すぎるので、PSP版では削除しましたね。ただし、ウォーレンレポートの“人物”欄は、オリジナル版のふたつ名を思い起こさせるような内容にしてあります。

ヒロインは誰か?

――カチュアですが、ヒロインだと思っていたら、じつは編集部で取材の打ち合わせをしたときに、オリビアもヒロインなのでは? というような話が出まして。それは幼なじみで、最後もいっしょに行動するからという理由でして。

松野ヒロインの定義にもよると思いますが、物語を動かしていくという意味では、誰が何と言ったって圧倒的にカチュアがヒロインです。いまはヤンデレもツンデレもたくさんいるのでめずらしくありませんが、当時のゲームでは、いかにも真面目で清楚でプレイヤーのことをわかってくれる理想的な、だけど典型的なステレオタイプの女性がヒロインとして設定されていたと思います。

 もちろん私もそういうヒロインは大好きですが、『ドラゴンクエスト』が生まれてから約10年。そうした正統派のヒロインばかりが大量生産される動きに私は飽きており、正統のヒロインではないアンチテーゼとしてカチュアを作りました。

 嫌われるだろうということもわかっていましたが、『タクティクスオウガ』はカチュアがいてこその物語なんです。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――25年前もPSP版の10年前も、鮮烈に覚えているのはやっぱりカチュアなんですよね。

松野強烈ですからね(笑)。

――カチュアがデニムに固執しているのは、母が子に対して固執しているのにかなり近いイメージですね。

松野そうですね。ゲーム上では、デニムだけが自分の唯一の家族だったから、という設定を用意しています。彼女は早い段階で父親が本当の父ではないことを知りました。

 それを自分に告げない父に不信を抱いたのです。だから余計に弟であるデニムを溺愛する。溺愛することでしか自分の存在を証明できないと考えてしまう。だから、命を失いかねない戦争には反対します。戦争なんてしょせん玉座を狙う者たちの戦いであり、庶民の我々には関係ないとも考えている。

――なるほど。カチュア理解に一歩近づいた気がします。そのカチュアをChapter-4で仲間にするときの過程は複雑ですよね。複雑にした理由は?

松野「ここでこれを選んだら、カチュアが助かるよね」という単純なものにしたくなかったのです。その前提としての分岐を用意して、その二択ふたつを絡めることで複雑にしたわけです。

 その程度であれば、友だちどうしの会話でも「え、俺のカチュア助かったよ?」という人も4分の1は出てくるわけで。その会話をしてもらいたいからこそのギミックともいえます。

――なるほど。

松野当時は、いまのようにインターネットですぐに解説される時代ではなかったので、プレイヤーの皆さんが解き明かす楽しみとしてそうしました。ですからファミ通さんで攻略本を作っていただいたときも、Chapter-4のネタバレは絶対にイヤだと断固拒否しました。

――それで2冊に分かれた?

松野そうですね。出版社さんからは「全部明かすのが攻略本なので」と言われたのですが、発売日から半年ぐらい経過していればいいのですが、「直後であったらそれは駄目、だったら出さなくていい」という話もしたくらいです(笑)。けっきょくは「発売後何ヵ月後までは情報を解禁しない」という約束で攻略本が2冊に分かれました。

 いまでもそう考えていますが、“考える”という楽しみを奪ってほしくないと思っています。もちろん、いまの時代はすぐにインターネット経由で攻略情報が出回る時代となりました。ですので、これからは情報が出回ったとしても、それでも“考える”という行為が必要なゲームでないと長くプレイヤーさんからの支持を得られないと思っています。

エンディングの妙

――Chapter-4では、エンディングで王になった〇〇〇が衝撃的な結末を迎えることがあります。と言いますか、王になるとほぼそうなる。その一方で、○○○○が助かると○○○も助かりますが、これはどういう発想から来ているのでしょう?

松野最初に言っておきますと、ゲームで結末は見せていません。そうなったかも? ……で終わっているはずです。

――ああー、そうですね。

松野物語の中でも解説をしていますが、長く続く戦争に辟易していた民は、救世主を欲しがっているんです。それがかつてのカリスマの王の子孫である○○○○だったら非常にわかりやすいわけで。現代社会においても二世が好まれる傾向はやはり強いですよね。政界も芸能界もスポーツ界も。それと同じで、民はそこに望みを抱いていたわけですが、そのカリスマが失われたとしたら? 必然的に恨みが残り、その対象は……。

――その前提が生きたまま、○○○が王位に就いているからと。

松野そういうことです。ですので最終的に暗雲立ちこめるかのような未来を暗示して終わるわけですね。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

好きなキャラクターは?

――松野さんがいちばん思い入れのあるキャラクターはカチュアと考えていいのでしょうか。

松野僕は昔からその質問をされると傭兵のザパンと言っているのでザパンですね(笑)。とくに彼のエピローグ、デニムとのやり取りが好きでして。ただ、あらためて考えてみると、やはり思い入れのあるキャラクターはレオナールかもしれません。実際、台詞で悩んだのはレオナールですので。

――いちばん苦悩のあるポジションですね。

松野彼はそれでよく揶揄されますが、デニムを直接導いていくのは、じつはずっとレオナールなので、やっぱり彼がいちばんかっこいいキャラクターなのではないでしょうか。とくに時間が経って話を見直したときに、いちばん自分の気持ちに寄り添う感じなのはレオナールなのかなと思いました。

――なるほど。ランスロットなどでもなく。

松野もちろん聖騎士ランスロットはある意味憧れの、そうなりたい理想像のようなキャラクターですが、やっぱりレオナールなのかなと思いますね。いまだにランスロットのようにはなれていませんから(笑)。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――皆川さんが思い入れの深いキャラクターは?

皆川そうですね……作るときに苦労した記憶も混ざっていますが、ホークマン系。そしてやっぱりカノープスが、いまだにいちばん思い起こされます。彼には羽がありますが、これを横16ドットに収めてテンプレートに挟み込むのがめちゃくちゃ辛かったんですよ(笑)。

 その苦労した印象と、あとは僕と誕生日が同じ(闇竜の月5日/8月11日)とかそういうところが(笑)。あとはカノープスは、どんなルートで進んでも、デニムくんのことを認めてくれますし(笑)。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

――(笑)。崎元さんはゲーム部分に関してはかなりプレイヤー視点だと思いますが、印象に残っているキャラクターは?

崎元そうですね、曲をつけているときより、プレイしたときの印象ですが、やっぱりカチュアですよ。

松野(笑)。

崎元当時松野さんが開発しながら「なんかこういうゲームじゃなくてギャルゲーが作りたいなあ」と言っていて、カチュアだけでこうなんだから、松野さんがギャルゲーを作ったら、全員すごいキャラクターになるんだろうなと思いながら聞いていました(笑)。

一同 (爆笑)。

崎元そのカチュアさんですが、当時の僕の対人的スキルや経験値が高ければ、こういう人も受け入れられるようになるのかもと思っていたのですが、それから15年以上経ってPSP版をプレイしたときも、「やっぱりこれはちょっと無理だ」となって(笑)。

一同 (爆笑)。

崎元 歳をとって視点が変わっても、「なかなかすごい人だな」という印象は変わりません。まああと100年くらい修行を積めば、もしかすると受け入れられるようになるのかもしれませんが。そういった意味で、カチュアさんのことを考えていた時間は長いですね。

――(笑)。

死者の宮殿

――崎元さんがけっこう本格的にプレイされているのが意外です。ご自身が手掛けられたゲームはよくプレイされるのですか?

崎元ゲーム制作に携わると制作の過程でイベントなどをくり返し見てしまっているので、発売後にゲームを最初から最後までやることは多くはないんです。ところがこのゲームは当時の私の心をえぐったので気になってプレイしているんですね。オリジナルはもちろん、PSP版では死者の宮殿も含めて(笑)。

――しっかりやっていますね。

崎元PSP版ではオートプレイ中心でプレイしていたんですけど(笑)、どうしても倒せないところだけ手動にしたり。

――ふつうにゲーマーですね。

崎元思ったのは、死者の宮殿って「最後までいくと何かがあるんだろう?」という好奇心がモチベーションにあって、それがない僕らにはきっとツラいものなんじゃないかなと。

――その理由はありそうですね。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

いまの時代は作りづらい?

――先ほど、いまの時代はゲームの攻略情報がすぐに開示されてしまうというお話がありましたが、松野さんのように物語に主軸を置かれる方は、いまの時代、ものすごくゲームを作りづらかったりするのでしょうか?

松野先ほども申し上げたように、ネタバレ前提で執筆するだけなので、作りにくいとは考えていません。でも確かに映画『シックスセンス』などシャマラン作品のように、「オチは言わないでください」と言い続けなければならないゲームもあるかもしれません。だけどそういう手法よりは、もうバレる前提で、解析される前提で執筆するほうがいいのかなという気はします。

――すると、ひとりひとりで違う発見のある物語を体験するのはもう難しい時代なんでしょうか。それを大切にしたくて、いろいろな要素を詰め込まれていたわけですよね。

松野そうですね。ですが当時でもインターネット以前のパソコン通信─Niftyサーブなどで情報の交換はされていたと思うんですよ。だから体験が難しいかどうかとは別だと思います。

 と申し上げるのは、けっきょくのところ、ゲームシナリオはゲームとの一体感がすべてだと思うのです。たとえばバトルでこういうことがあったからこそ物語が盛り上がる、当然その逆もしかり。いま『ファイナルファンタジーXIV』でゲストとしてシナリオを執筆していますが、あれもそうしたゲームと物語の一体感を目指した作品だと思います。

 YouTubeなどでご覧いただくのもいいでしょうが、できればご自分でゲームをプレイして物語を味わっていただきたいなと思います。

現実のシミュレートとして

――『タクティクスオウガ』で描こうとしたものには、民族の紛争だったり、群像劇のおもしろさだったり、いろいろあったと思いますが、いま振り返ってみて言えることは何でしょう?

松野ひとつだけ申し上げておきたいのが、“ユーゴスラビア紛争がベースになっている”と書かれていることがありますが、それには多分に誤解があります。

――どういう誤解でしょう。

松野モチーフとしては取り込んでいますが、そうした特定の紛争をそのままベースにしているわけではありません。当時ああいった紛争が世界中にたくさんありました。いま現在もシリアでは争いがありますし、つい先日もアゼルバイジャンとアルメニアで地域の帰属をめぐる紛争が起きたりしています。ユーゴスラビアという特定の紛争をベースにしてい
るわけではないのです。

――モチーフは多民族国家で起きた普遍的な紛争だと。

松野ほかには1994年に起きたルワンダでのフツ族によるツチ族の虐殺もありましたね。私は絶えずそういった情報に目を向けていますし、影響も受けています。

――すると『タクティクスオウガ』のテーマを言葉にするなら、多民族国家が持つ問題点が、歴史の大きなうねりの中で、どういう結末をたどるかを描くということでしょうか。

松野多民族国家からもっと広げて、いまのアメリカのBLM運動もそうですが、価値観の異なる人たちがふたり以上いれば必ず争いは起きるわけであって、その争いをどう収めていくかとか、歴史として、争いはどうなったらこういう経緯をたどるのか、というところをテーマにしています。あと、故小松左京先生の『日本沈没』という有名なSF小説がありますよね。

――映画は観ました。

松野あれは、日本がなくなったとき、我々日本人はどうなるのかというシミュレーションを小説形式でやっているんです。いわゆるシミュレーションノベルなのですが、たとえば『首都喪失』などもそう。東京という首都がなくなったとき、日本はどうなるのかという。

――すると『タクティクスオウガ』も。

松野シミュレーションノベルを念頭に執筆していますが、その長大な物語もすべてプレイヤーの選択によって変化していくという、“ゲーム”だからこそ実現でき、さらにプレイと物語の一体感を醸し出すことができたのではないかと考えています。

――価値観の相違がどう歴史になっていくかのゲーム的シミュレーションということですね。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

新作の可能性

――新しい“オウガバトルサーガ”のエピソードがもし可能性があるとしたら、どういう……。

松野それはスクウェア・エニックスさんに聞いたほうがよろしいんじゃないでしょうか?(笑)

――ではもし続編があるとしたらの仮定で続けますが、『タクティクスオウガ』は『運命の輪』を含め、どのルートが正史になるんでしょうか。

松野そこを明言するつもりはありません。仮に続編を作ったとしても、スーパーファミコンを作った当時といまでは市場も違うし、私自身も歳を取っているので、考えかたも変わっているでしょう。

 どのルートを正史にするかというのは、そのときになってみないとわからないという感じですね。ただやっぱりプレイヤーの皆さんが、CルートだLルートだと楽しまれているので、いまは明言できませんね(笑)。

――どのルートでも受け入れられるような、玉虫色のお話になる可能性も?

松野ひょっとしたらゲームで描いていない幻のルートかもしれない(笑)。

――(笑)。それにしても25年前のゲームでいまも盛り上がって話せるのは幸せなことです。当時作ったゲームや、たとえば楽曲がいまも愛されていることに対して、崎元さんはどういう感慨がありますか?

崎元開発に関わっていた当時は、すごく衝撃的なゲームでしたから、僕らも変に興奮していたんですよね。売れるかどうかはわかりませんでしたが、少なくとも話題には上るゲームになるんだろうなと思っていました。

――結果的にはけっこう売れたと。

崎元そうですね。それで当時はもしかするとそういうものがめずらしかったのかななんて思っていたのですが、PSP版が出て久しぶりにやり直してみたとき、当時よりも人生経験を積んで、ストーリーに対する感じかたも違うはずなんですが、それでもやっぱり楽しめましたし、示唆に富む部分がたくさんある印象があるんですよね。

 それはつまりこのゲームに普遍的なよさのようなものがあるのではないかな思えるようになりました。

――だから25年ずっと愛されているのだと思います。

崎元だからまた10年後に遊んでも、きっと楽しいゲームなんじゃないかなと思います。そういうものに関われてすごく光栄に思いますし、あのとき一生懸命にやったのが無駄ではなかったなと思いますね。

――ありがとうございます。35周年も取材させていただきます(笑)。

『タクティクスオウガ』25周年記念インタビュー。松野泰己氏、皆川裕史氏、崎元仁氏から25年の時を経て語られた制作秘話とは

松野それにしても四半世紀経ってまだ愛していただけるファンの皆さんがいるのは本当にありがたい限りです。いまこの場にいないスタッフも大勢関わっています。適当に作ったわけでは決してない、いろいろな思いを込めて作ったタイトルだったので、それが愛され続けるのは本当に開発者冥利に尽きるなとつねに思います。

――松野さんにとっても特別な1本なんですね。

松野いまだに「好きです」と言ってくれる方もいますし、中には1周回って「お父さんがプレイしてました」という学生さんや20代の新しい開発者の方もいたりして、本当にありがたい限りです。まああの、続編などの期待に応えられればいいんですけど、そこはやっぱりビジネスの意味合いがとても強くなるので、そこだけはスクウェア・エニックスさんに聞いたほうが早いかなと(笑)。

――(笑)。ありがとうございます。

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