サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年11月29日にクリスマス仕様の育成ウマ娘ふたりが新たに実装された。本記事では、そのうちのひとり“★3 [ノエルージュ・キャロル]ビワハヤヒデ”の能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

※同時に実装されたオグリキャップのエピソードはこちら

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『ウマ娘』のビワハヤヒデ

公式プロフィール

●声:近藤 唯
●誕生日:3月10日
●身長:171センチ
●体重:増減なし
●スリーサイズ:B93、W61、H88

いかなる問題も計画的に打破する理論派。頭でっかちだが、実践実行を重んじるので、机上の空論に終わることはない。全ては実妹ナリタブライアンの圧倒的才能に対抗するため、磨いてきた能力である。
ナリタタイシン、ウイニングチケットは同期の良友。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】競走馬のビワハヤヒデは本当に頭が大きかった!? BNWの激闘、メガネの由来、バナナ好きなど現役時代の逸話やゲームの元ネタを紹介

ビワハヤヒデの人となり

 知的でクールな頭脳派ウマ娘。リアルのビワハヤヒデが「顔が大きい」と言われることがあったからなのか“頭でっかち”な一面があり、ウマ娘のビワハヤヒデもそのことを気にしている。

 とくに“頭”、“大きい”というワードを耳にすると不機嫌に。テレビアニメSeason2のあるシーンでトレーナーが「BNWの中では頭ひとつ抜けてやがる……夏にまたひと回り大きくなりやがったな」と舌を巻いた(ホメた)のだが、それを地獄耳で聞きつけて不機嫌になったほど。

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 じつはアニメSeason1のオープニングでもトウカイテイオーといっしょに走っている(なお負けた)。このシーンは1993年の有馬記念がモチーフ。Season2では8話から出てきたわりに、なんだかんだでボス的存在として描かれている。

 同期でともに“BNW”と呼ばれてきたナリタタイシン、ウイニングチケットとはライバルでありよき友。競走馬のほうでも、この3強はBNWまたはBWNと呼ばれていた。

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 現実世界では、ビワハヤヒデはユキノビジンと生年月日が同じという共通点もある。ともに1990年3月10日生まれだ。

 『ウマ娘』の世界では、ナリタブライアンはビワハヤヒデの妹ということになっているが、血縁関係にあるのは現実世界でも同じで兄弟となっている。もともと競走馬は母馬が同じ場合にのみ“きょうだい”という扱いになるのだが、競走馬のビワハヤヒデとナリタブライアンは、ふたりとも母のパシフィカスから生まれている。

 このふたりは、現在登場しているウマ娘の中では唯一の姉妹キャラクターでもある。そういった関係性があるため、ウイニングチケットやナリタブライアンが主役となるメインストーリー第3章と第4章では、それぞれかなり重要な役どころで登場している。

 栗東寮ではテイエムオペラオーと同室。由来は不明だが、リアルでは同じJRA賞(年度代表馬、最優秀3歳牡馬、最優秀4歳以上牡馬。表記は現行のものに統一)を獲得していたり、ずっと好成績を収めながら最後のレースだけ5着という共通点などがある。

 リアルでもとにかくマジメだったと主戦の岡部幸雄騎手が語っていたように、『ウマ娘』でも優等生タイプ。何かとウイニングチケットらクセだらけの友人たちの世話を焼かされている。そんな彼女は意外にもバナナが大好物。じつはリアルでも大好きだったようだ。

 勝負服はビワのデザイン(当時のもので黒地、桃鋸歯形)をインスパイアしたものになっていて、ベルトやガーターベルトは手綱、ボタンは鐙がモチーフになっていると思われる。芦毛なので銀髪、現役時代は肌もまだ黒かったので全体的に黒っぽい衣装になっているのかもしれない。その美しい銀髪も、癖毛で悩んでいるというシーンが描かれている。これは実際に冬毛がものすごい毛玉になってしまい、ブラッシングがとにかくたいへんだったという逸話がある。

 『ウマ娘』ではイクノディクタス、ゼンノロブロイらと同じメガネキャラ。ビワハヤヒデの赤いメガネは、競走馬が若いころに着けていた赤いメンコ(馬の覆面のこと。一般に耳覆いがついたものを使い、音に驚いたり、砂をかぶるのを嫌がったりする馬に使う)を被っていたため、その事実はあまり知られていなかった。

 体格面では171センチと高身長。リアルでも幼駒のころから身体が弱く細身だったが、馬格が立派だったため「これは走る」と言われていたらしい。

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[ノエルージュ・キャロル]ビワハヤヒデの能力

 クリスマスビワハヤヒデの成長率は、スタミナ+12%、パワー+12%、賢さ+6%。

 固有スキル”Presents from X”は、「スタート後からレース後半まで好位置を維持し続けると、レース中盤に勝利への道筋を見出し速度を上げる」という効果。

 レアスキルは末脚の上位にあたる”全身全霊”と、パス上手の上位にあたる”VIP顔パス”を持つ。

【ウマ娘】競走馬のビワハヤヒデは本当に頭が大きかった!? BNWの激闘、メガネの由来、バナナ好きなど現役時代の逸話やゲームの元ネタを紹介
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競走馬のビワハヤヒデ

ビワハヤヒデの生い立ち

 1990年3月10日、福島県伊達郡桑折町の早田牧場で持込馬として生まれる。母パシフィカスはビワハヤヒデを宿した状態でイギリスから輸入され、北海道新冠町の早田牧場新冠支場(支場ではあるが実質こちらが本場だった)で出産する予定だったのだが、検疫許可が遅れて出産予定日が迫っていたために、急遽福島に運ばれることになったのである。

 そのため、戦後生まれのサラブレッドでは珍しい福島生まれというプロフィールが刻まれた。クラシックを制した馬ではほかに1974年のトウコウエルザがいるのみである。

 なお、母パシフィカスは良血ではあったが、現役時代パッとせず、初期の産駒もいまひとつだったため約500万円という安値で購入されている。無名の種牡馬シャルードの種は値段に含まれているのだろうか……。もともとナリタブライアンの父であるブライアンズタイムをつけるために買ったらしいので、ビワハヤヒデの活躍は予想していたものではなくラッキーだったようだ。

 その後、1歳の秋(1991年)に牧場の柵にぶつかり、右前脚に一歩間違えたら競走馬生命を絶たれていたほどの大ケガを負う。それでなくても身体があまり強くなかったため、牧場ではそこまで期待はされていなかったらしい。この柵に激突したエピソードは、ビワハヤヒデのメインストーリーでも形を変えて取り上げられている。

 競走馬登録の際、冠名のビワに“早秀(速さに秀でる)”という願いを込めてビワハヤヒデと命名された。なお、このころにはすでに「顔が大きい」と言われていたが、レースではメンコを被っていたため、その事実はあまり知られていなかった。

 とにかくマジメでどんなレースでもいっしょうけんめい走るという性格が、デビューから15戦連続連対という記録を作ったと言われている。一方、神経質な面があって輸送競馬に弱く、関東に遠征しての戦いとなった皐月賞や日本ダービーで勝ちきれなかったのはそのせいだという説もある。

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ビワハヤヒデの血統

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 父シャルード(その父カロ)、母パシフィカス(その父ノーザンダンサー)。

 父シャルードはアメリカ生まれでイギリス、アイルランド、アメリカで走って重賞(GII)2勝。おもにマイル戦線で活躍していた。ビワハヤヒデの活躍を受けて1993年に日本に輸入されるが、その2年後に腸捻転で死亡してしまう。また、残念ながらビワハヤヒデ以外に活躍馬は出ていない。

 母パシフィカスはアメリカ生まれでイギリスで競走生活を過ごした。現役時代の実績はとくにないが、父ノーザンダンサーは言わずと知れた大種牡馬であり、母パシフィックプリンセスは自身GIを勝利した素質馬で近親にも活躍馬が多数という良血だった。ビワハヤヒデのほか、三冠馬ナリタブライアン、GIIIラジオたんぱ賞を勝ったビワタケヒデと3頭もの重賞勝利馬を輩出する。

 また、パシフィカスの半妹キャットクイル(父ストームキャット)は牝馬GI3勝のファレノプシス、ダービー馬キズナなどこちらも3頭の重賞勝利馬を産んでおり、とてつもなく優秀な牝系だったことが後に明らかになっている。

 残念ながらビワハヤヒデやナリタブライアンは後継者を残せなかったが、キズナは3世代目にしてエリザベス女王杯を勝ったアカイイトを輩出するなどリーディング上位に名を連ねており、今後が注目されている。

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ビワハヤヒデの現役生活

「5馬身差の余裕。 ビワハヤヒデ。 真の強さはスリルすら拒む」(2013年JRACM(宝塚記念)より)

2歳(クラシック級:1992年)

 8月に小倉でデビュー予定だったが体調不良のため回避し、9月13日の阪神芝1600メートルの新馬戦でデビュー。鞍上は5年目ながらすでにGIを3勝もしている期待の若手、岸滋彦騎手(この年、さらに4勝目をダイタクヘリオスで挙げる)。2番人気と本命視されていたわけではなかったが、蓋を開けてみると2着に1秒7もの大差(10馬身以上)をつけてのぶっちぎり勝利。この強さに競馬ファンは色めき立った。

 さらに2戦目のもみじステークス、3戦目のデイリー杯3歳ステークス(現デイリー杯2歳ステークス)とレコードタイムで勝利。しかも余裕を残していたようで、岸騎手も「まだ遊びながら走っている」という主旨のコメントをしていた。

 こうなると“○○の再来”、“○○2世”と持ち上げられるのが日本の伝統芸能であるが、ビワハヤヒデもご多分に漏れず“オグリの再来”、“マックイーン2世”と芦毛の先輩たちの後継者に早くも指名されていた。

 しかし初の関東遠征となった朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス。現在は阪神開催だが当時は中山開催だった)では、単勝1.3倍と圧倒的支持を受けるも外国産馬エルウェーウィンとの競り合いにハナ差で敗れて2着。初黒星を喫してしまう。

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3歳(クラシック級:1993年)

 年明けはダービーをにらんで、東京競馬場で開催される共同通信杯4歳ステークス(現共同通信杯)から始動。しかしここでもハナ差届かず2着に敗れてしまい、オーナーサイドの意向から岸騎手は主戦を降ろされ、代わりに関東のトップジョッキーである岡部幸雄騎手が指名される。

 新コンビで若葉ステークスを楽勝したものの、岡部騎手にはほかにもお手馬が複数いたため、皐月賞での騎乗は不透明だった。しかし、なんとこのタイミングで岡部騎手のお手馬たちが相次いで故障してしまい、ビワハヤヒデとのコンビ継続が決まる。

 そして迎えた皐月賞。単勝1番人気に支持されたのは、葉牡丹賞、ホープフルステークス(現在のGIレースとは別のオープン特別レース)、弥生賞と中山芝2000メートルのレースを3連勝中のウイニングチケットだった。レースはウイニングチケットと、差がない2番人気のビワハヤヒデとの一騎討ちと見られていたが、ゴール前ビワハヤヒデがわずかに抜け出したところに、外から3番人気、弥生賞でウイニングチケットに完敗していたナリタタイシンがものすごい脚で急襲。わずかに差しきって1冠目を制した。

 3歳牡馬クラシックはビワハヤヒデとウイニングチケットの2強と見られていた。前年の2歳チャンピオンであるエルウェーウィンは、外国産馬のためクラシックに出られなかったためだ。しかし、ナリタタイシンが皐月賞で勝利したことにより、3強“BNW”という構図が描かれるようになったのである。

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 そしてダービーでは、引き続きウイニングチケットが単勝1番人気となったものの、2番人気のビワハヤヒデ、3番人気のナリタタイシンとは僅差、実力伯仲との見かたはオッズにも表れており、単勝3.6倍、3.9倍、4.0倍とほぼ差がなかった。

 3強の勝負を分けたのは、ダービー制覇に懸けた鞍上の執念だったのかもしれない。最後の直線、馬場が荒れていたインコースを避けた岡部騎手のビワハヤヒデ、追込馬ゆえに落ちてくる他馬を避け大外を回らざるを得なかった武豊騎手のナリタタイシンに対し、勇気を持ってインを突き最短距離を進んだ柴田政人騎手のウイニングチケットがわずかに先着。ビワハヤヒデはまたしても2着の苦杯をなめされられた。

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 いまだ無冠に留まるビワハヤヒデには「勝負弱い」、「距離が持たない」、「そもそも芝が苦手」など才能を疑問視する声が飛び交うようになった。“オグリ2世、マックイーン2世”の讃辞から、わずか半年である。

 しかしそんな声になど惑わされず、陣営は敗因を分析。秋に向けて弱点を克服するためにハードトレーニングを行う。さらに、神経質なところがある彼のために、雑音をカットして集中させる目的でメンコを着用させていたのだが、これを外すことも決まった。そしてそれらに応えきったビワハヤヒデは鋼の肉体と精神力を手に入れ、最後の1冠へと歩を進めるのだった。

 メンコを外してその堂々たる顔を白日の下にさらしたビワハヤヒデは、難なく前哨戦の神戸新聞杯を制して菊花賞へ。3冠レースで初めて単勝1番人気に支持されたビワハヤヒデは、先行策から最後の直線入口で先頭に立ち、そのまま後続を突き放すという、かつてシンボリルドルフが見せていたような“王者の競馬”で2着に5馬身もの差をつけて圧勝を飾る。この前年に、ミホノブルボンを破ったライスシャワーが記録した日本レコード更新のおまけつきだ。ライバルたちとの死闘を経て、ビワハヤヒデの才能がようやく開花したのだろう。

 なお、ウイニングチケットは3着。肺出血に苦しんだナリタタイシンは17着に沈んでいる(育成シナリオの“言わないで”イベントの元ネタ)。

1993年 菊花賞(GⅠ) | ビワハヤヒデ | JRA公式

 続く有馬記念では、古馬を相手に堂々の単勝1番人気に支持される。体調も、展開も申し分ないものだった。……が、ここで1年振りに復帰してきたトウカイテイオーが、田原成貴騎手に導かれて奇跡の復活劇を披露する。前述の通り、テレビアニメSeason1のオープニングや、テレビアニメSeason2のクライマックスのモデルとなったのはこのレースである。

 皐月賞、日本ダービーに続きまたしても引き立て役となってしまったビワハヤヒデは、GIではじつに4度目の2着となった。その4回はいずれも、関東への遠征レースである。浜田師も、遠征による内面的なもろさを示唆していた。猛特訓による精神面の強化で周囲の物音や大歓声にも動じなくなったものの、生活環境の変化までは対応するのは難しいということか。

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4歳(シニア級:1994年)

 トウカイテイオーに敗れはしたものの、有馬記念で見せた走りは“つぎの現役最強馬”の最右翼がビワハヤヒデであることを示していた。59キロもの斤量を背負った京都記念を7馬身差で圧勝すると、ウイニングチケットやライスシャワーが故障で回避した天皇賞(春)では、ライバルのナリタタイシン(2着)の猛追を余裕で見切って危なげない勝利。

1994年 天皇賞(春)(GⅠ) | ビワハヤヒデ | JRA公式

 ちょうどそのころ、弟のナリタブライアンが皐月賞と日本ダービーを圧倒的な力で勝利する。負けじとビワハヤヒデも宝塚記念を制覇。天皇賞後にナリタタイシンも離脱していたため、もはや敵はいなかったのだが、どんなレースでも全力で走る彼らしく当時の日本レコードタイムで走破している。このレースは後にJRAのCMで取り上げられ、"5馬身差の余裕”、"真の強さはスリルすら拒む”と表現された。

1994年 宝塚記念(GⅠ) | ビワハヤヒデ | JRA公式

 そして世間は早くも、年末に実現するであろうビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟対決に注目していた。

 しかし、この年の夏は暑かった。とにかく暑かった。もともと身体が弱く、暑さに苦しんでいたビワハヤヒデにとって、そのことが大きくのしかかることになる。

 秋初戦のオールカマーを迎え、馬体重は470キロ。デビュー時の488キロからは18キロも軽い、過去最軽量である。加えるなら1994年に走ったレースでは、いずれも前走よりも馬体重を減らしていた。レースは久々に戦線に復帰したウイニングチケットを退け、GI3勝の貫禄を見せつけて勝利したものの、その後も減った馬体重は戻らなかった。

 とはいえ、馬体重以外はいつものビワハヤヒデである。また、この年は危なげなく4戦4勝。天皇賞(秋)では引き続き大本命に推されていた。そしていつものように先行策から徐々に加速して先頭に躍り出る……はずだった。しかし、最後の直線に入ってもまったく伸びない。それどころか、後続に抜かれていくではないか。誰もが予想し得なかった5着という着順。デビュー以来続いていた連続連対記録は15でストップした。

 さらに、競馬ファンは追い討ちをかけるようなショッキングな光景を目にすることになる。岡部騎手が引き上げる最中に下馬したのである。競馬で騎手が下馬するというのは、ほとんどが故障発生の疑いによるもの。2012年天皇賞(秋)のエイシンフラッシュとミルコ・デムーロ騎手のような例外はまれにあるが……。

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 馬運車に乗せられて運ばれるビワハヤヒデの姿を見て、多くの競馬ファンが言葉を失っていた。じつは、競走中に左前脚に“競走馬の不治の病”と恐れられている屈腱炎を発症していたのだ。重症ではあったが、命に別状はなく3日後に引退が発表された。奇しくも、同じレースでライバルのウイニングチケットも屈腱炎を発症し、引退を余儀なくされている。BNWのもう1頭、ナリタタイシンは翌年の宝塚記念後に2度目の屈腱炎で引退。BNWのすべてが屈腱炎で引退に追い込まれることになった。

 多くの人が望んでいたナリタブライアンとの兄弟対決も幻に。そのナリタブライアンは、ビワハヤヒデの引退から数日後に菊花賞を勝ち3冠を達成している。菊花賞の中継では関西テレビの杉本清アナウンサーが「弟は大丈夫だ!」と連呼しており、そのことがビワハヤヒデやウイニングチケットらの引退の衝撃の大きさを物語っている。

 16戦10勝2着5回、GI3勝、獲得賞金約8億円。かつてのシンボリルドルフ同様、いつも同じ展開で危なげなく勝つ優等生的なレース運びはファンからはなかなか評価されづらいものがあった。いつも豪快なまくり戦法で人気を博していた弟、ナリタブライアンとは好対照である。しかし、取りこぼしもあった弟とは異なる抜群の安定感も相まって、数字以上に強さを感じさせる名馬だった。

 かつては「芦毛の馬は走らない」というジンクスがあった。ヨーロッパで、日本でも長らく伝えられてきたものだ。名脇役は輩出されど、主役にはなり得ない。それを覆したのがタマモクロス(1984年生まれ)、そしてオグリキャップ(1985年生まれ)だった。さらに、ウィナーズサークル(1986年生まれ)が初めて芦毛のダービー馬となり、メジロマックイーン(1987年生まれ)、ビワハヤヒデと芦毛のスーパーホースが次々と登場し、いつしか「芦毛の馬は……」などとは言われなくなった。その後もクロフネやゴールドシップ、カレンチャンなど短距離から長距離、ダートまであらゆる舞台で芦毛馬が活躍するようになった。その“芦毛の系譜”の中で、ビワハヤヒデの名は燦然と輝いている。

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ビワハヤヒデの引退後

 1995年1月16日に京都競馬場で引退式が行われ、菊花賞のゼッケン7をつけて登場。その年より日高の日西牧場で種牡馬となったが、残念ながら重賞を勝つような産駒は現れず、2005年に種牡馬を引退。その後は功労馬として余生を過ごした。

 その後、2020年7月に老衰のため30歳で死亡。ライバルのナリタタイシンは同年4月に亡くなっているが、ウイニングチケットは31歳のいまも最高齢GI馬として健在。馬の30歳はかなりの高齢なのだが、ここでもライバルたちはいい勝負をくり広げていたのだった。

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減(見た目は変化なし)。

 累計課金額7840円。真の微課金ユーザーとは俺のこと。でもチーム競技場でCLASS5に降格し、その後昇格に失敗してしまったのはナイショだ。

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