サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2021年11月19日に新たな育成ウマ娘“メジロドーベル”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のメジロドーベル

公式プロフィール

●声:久保田ひかり
●誕生日:5月6日
●身長:157センチ
●体重:増減なし
●スリーサイズ:B83、W57、H81

卑屈なクールビューティー。人目が苦手で、とくに男性の前では極度に緊張してしまう。メジロ家という社交必須の環境に生まれながら、ずっと奥まったところで暮らしてきた、孤立の令嬢である。打ち解けた相手に対しては、そこまでドライではないという噂もあるが……。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介
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メジロドーベルの人となり

 名門、メジロ家のクールでドライなお嬢様。“ドーベルマン”が由来の名前にコンプレックスがあるようで、自分はかわいくないと思い込んでいて卑屈な態度になりがち。感情もあまり表に出さないため、それがクールビューティー的な振る舞いに見えなくもない。ただ、ドーベルマン的な要素なのか、尻尾の感情表現は豊かなようで……。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介

 ドーベルは、一族のライアンやマックイーンとともに行動することが多い。リアルではライアンは実の父であり、マックイーンは同じ馬主(メジロ商事)。メインストーリーでもそのふたりとともに、メジロ家別荘での合宿に参加していた。

 極度の恥ずかしがり屋であがり症のため、ライアンのような身内など一部を除いてコミュニケーションを取ることが苦手。とくに男性を相手にするとそれが顕著に出て、トレーナーの性別を男性にしてプレイしていると、ツンツンした態度で接してくる。一方、トレーナーが女性の場合は、かなり甘えた態度を見せてくれることも。イベント“花咲く乙女のJunePride”で配布されたSSRサポートカードのイベントでのデレっぷりは必見だ。

 ドーベルが男性を苦手としているのは、リアルでの戦績に由来すると思われる。牝馬限定戦では11戦8勝、2着2回3着1回という圧倒的な強さを見せたものの、牡馬との混合戦になるとこれが一変。10戦2勝、2着1回と苦戦していたのだ。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介
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左は男性トレーナーの場合、右は女性トレーナーの場合。対応がかなり変わる。

 プライベートには謎が多いドーベルだが、じつはこっそり自作の少女マンガを描いているらしい。アグネスデジタルの育成シナリオで、すべてお見通しのデジたんに「合同で同人誌を描きましょう」と誘われるシーンも……。

 美浦寮ではタイキシャトルと同室。リアルでは同い年だが、主戦場が異なっていたこともあり対戦はなかった。リアルではほかに、シーキングザパール、サイレンススズカ、マチカネフクキタルなども同期となっている。また、『ウマ娘』における先輩であり、リアルでは5回もの直接対決をくり広げたエアグルーヴを尊敬している。

 ドーベルの勝負服は、お嬢様らしい清楚なイメージのデザイン。カラーリングはリアルで馬主だったメジロ商事のもの(白地、緑一本輪、袖緑)が反映されている。とくにソックスの柄は、競走馬ドーベルが脚に巻いていたバンテージのデザインそのものだ。

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 ちなみに、現在『ウマ娘』にはメジロ家のウマ娘としてライアン、マックイーン、パーマー、ドーベル、アルダンの5人が登場しているが、リアルでは馬主の名義が分かれていた。ライアン、パーマー、アルダンが“メジロ牧場”、マックイーン、ドーベルが“メジロ商事”所有の競走馬で、それぞれ少しだけ勝負服が異なる(メジロ牧場は白地、緑一本輪、緑袖(白縦縞))。

1992年 宝塚記念(GⅠ) | メジロパーマー | JRA公式

1996年 阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ) | メジロドーベル | JRA公式

メジロドーベルの能力

 メジロドーベルは、おもにマイルから中距離で活躍したので、それらの距離適性がA。また脚質は差しがAとなっている。成長率はスピード+10%、賢さ+20%で育てやすそうだ。

 固有スキル“彼方、その先へ…”は、“落ち着いたまま、中盤の仕掛けどころのまたは終盤の勝負どころのコーナーを中団で進むと奮い立ち加速力が上がる”という効果。加速系スキルなので需要がありそうだ。

 また、レアスキルでは京都レース場○の上位である“淀の申し子”を持つ。京都が舞台のチャンピオンズミーティングで力を発揮するだろう。

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競走馬のメジロドーベル

メジロドーベルの血統

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 メジロドーベルの父はメジロライアン(父アンバーシャダイ)、母はメジロビューティー(父パーソロン)。

 ライアンの祖母は、メジロ牧場の基礎繁殖牝馬の1頭でもあったシエリル。シエリルは何頭かの仔を産んだが、その1頭がライアンの母のメジロチェイサーだった。

 また、同じシエリルの仔に、芝3200メートル時代の天皇賞(秋)を制したメジロティターンがいる。ティターンはマックイーンの父なので、ライアンとマックイーンは人間で言うと従兄弟の関係になる。

 ドーベルの父ライアンはメジロを凝縮したような血統となっているが、母のメジロビューティーは、第七デヴオーニアから続く日本が誇る名牝系の流れを汲む血統。メジロ牧場は1967年に設立され、社台ファーム、シンボリ牧場などとともに20世紀後半の日本競馬界を牽引してきたが、そんなメジロ牧場が作り上げてきた血統の集大成こそがメジロドーベルなのだ。

 そしてもうひとつ。先日、“???”というウマ娘のプロフィールが公式サイトに追加されたが、これは大方の予想通りメジロブライトだった。
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 ドーベルのストーリーでは、ライアンとブライト、ドーベルという一族の絡みが見られる。

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メジロドーベルの生い立ち

 1994年5月6日、北海道伊達市のメジロ牧場で生まれる。

 メジロドーベルが生まれる前年、母メジロビューティーは必死の思いで産んだサンデーサイレンス産駒を病気のために亡くしていた。ショックがあったのだろうか、その後発情がなくなってしまい、排卵誘発剤を使って何とかメジロライアンを種付けしている。

 じつはメジロビューティーは特殊な血液型の持ち主で、種付けをしてもその多くは血液が適合せず、新生児黄疸症として生まれてくる。しかも、その仔が彼女の初乳を飲むと最悪死に至ってしまうという難題を抱えていた。兄の死因はまさにそれだったのだ。

 当時、彼女と血液が適合する種牡馬は全体の約22%しかおらず、メジロライアンはその22%に入っていなかったことが種付け後に判明する。とは言え、馬は免疫力をつけるために初乳を飲まねばならない。そこで、牧場スタッフは当時出産を控えていた別の牝馬から初乳を分けてもらうという策に出た。そこで免疫力をつけたメジロドーベルは、何とか危機を乗り越える。

 ようやく離乳を果たしたドーベルだったが、今度は右後脚を骨折してしまう。手術は成功するものの、仔馬の遊びたい盛りに、ドーベルは約2ヵ月のあいだ馬房に繋がれたままだったという。このことが“奥まったところで暮らしてきた孤立の令嬢”というプロフィールに繋がっているのだろうか。

 体格面では、デビュー時は450キロと軽量だったものの、徐々に身が入ってきて470~480キロほどの標準サイズに。作戦は、瞬発力を活かした差しを採ることが多いが、スピード能力にも優れていたため、相手によっては先行、逃げをして勝ったことも(1997年のオールカマーや1998年の府中牝馬ステークスなど)。

 繊細な性格で競馬場ではいつもカリカリしていたらしい。そのせいで折り合いを欠き、実力が発揮できなかった部分もあったようだ。なお、中距離戦線をメインに活躍していた彼女だが、管理していた大久保洋吉調教師は本質的にはマイラーだと考えていたらしい。

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メジロドーベルの現役生活(表記は現在のものに統一)

 いくたびかの危機を乗り越えたメジロドーベルは、牧場の期待を受け美浦の大久保洋吉厩舎に所属、競走馬としての生活をスタートさせた。

2歳(ジュニア級:1996年)

 7月13日、新潟競馬場芝1000メートルの新馬戦でデビュー。鞍上は3年目の吉田豊騎手で、その後21戦すべてで手綱を取ることになる。このときは体ができあがっていなかったこともあって4番人気と案外だったが、きっちり差しきって1着。

 そのまま新潟に滞在し、9月のGIII、新潟3歳ステークス(現新潟2歳ステークス)に出走。道中の不利もあって5着に敗れる。なお、このレースでは同期のライバルであるシーキングザパールも出走し、3着に入っていた。

 その後、牝馬限定の条件戦サフラン賞、オープン戦のいちょうステークス(現サウジアラビアロイヤルカップ)と連勝し、年末のGI、阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)へ。

 このレースの1番人気はシーキングザパール。前走のデイリー杯3歳ステークス(現デイリー杯2歳ステークス)では、メジロブライトに5馬身差の圧勝をしていた。しかし、本番では2番人気のドーベルが力強い末脚で抜け出して勝利。吉田豊騎手に初のGIタイトルをプレゼントした。勝ち時計の1分34秒6は当時のコースレコード。また関東馬の優勝は10年前のメジロラモーヌ以来ということで、メジロ牧場にとってもうれしい記録となった。

 この勝利を受けて、ドーベルはこの年のJRA賞最優秀3歳牝馬(現最優秀2歳牝馬)に輝く。

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3歳(クラシック級:1997年)

 一躍、牝馬クラシック戦線の最右翼に躍り出たドーベルは、桜花賞の前哨戦でもある3月のチューリップ賞から始動。しかし、ここでは少し緩めの仕上げに加えてレースがスローペースになったことで気性難が出てしまい、3着に敗れてしまう。

 そして迎えた桜花賞で1番人気となったのはキョウエイマーチ。GIIの4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)まで3連勝を飾っていたことが評価された。

 レースは降りしきる雨の中、不良馬場での開催となる。2番手でレースを進めるキョウエイマーチに対して、ドーベルは中団後方から。しかし、ライバルの影すら踏むことができずに2着ながら4馬身差をつけられる完敗となる。大外を回った吉田騎手のコース取りも批判を浴びることに……。

 チューリップ賞と桜花賞を連敗したことにより、ファンからきびしい評価を受けていた吉田騎手。しかし、オークスでも変わらずドーベルの背にはその姿があった。そして吉田騎手は大久保師の信頼に満点回答をする。逃げるキョウエイマーチに対して後方からレースを進めると、力強く最後の坂を上りきり、2着のナナヨーウイングに2馬身半の差をつけてなお余裕が見えるほどの完勝。一方のキョウエイマーチは、2400メートルという距離の壁に失速を余儀なくされ11着となった。

 オークスは、メジロ牧場のレジェンドであるドーベルの曾祖母、メジロボサツが1966年に2着に敗れた無念のレースであり、当時メジロボサツを管理していたのは大久保洋吉師の父、大久保末吉調教師。31年の時を経ての雪辱に、陣営は大いに盛り上がっていた。

1997年 オークス(GⅠ) | メジロドーベル | JRA公式

 秋はキョウエイマーチらも参戦するローズステークスではなく、相手が手薄と見られていた古馬混合戦のオールカマーから始動。かつてナリタブライアンと死闘をくり広げたヤシマソブリンや地方の雄アブクマポーロらも出走していたが、格の差を見せ付けて悠々逃げ切り勝利。なお、この後アブクマポーロはダートに専念し、交流GIで4勝を挙げている。

 そして秋華賞。このレースには、外国産馬のため当時の規定で桜花賞とオークスに出られなかった“3強”の一角シーキングザパールが出走する予定だった。しかし、俗に“ノド鳴り”と呼ばれる病気のため無念の回避。ファンが期待した3強決戦にはならなかったが、ドーベルとキョウエイマーチの3度目の対決に誰もが心を躍らせていた。

 レースはキョウエイマーチが2番手から進み、メジロドーベルが中団後方に控えるという桜花賞を彷彿とさせるような構図に。そして最後の直線、キョウエイマーチが力強く抜け出す。しかし今度は、春と違ってしっかりと折り合ったドーベルが、2馬身半の差をきっちりと追い上げて勝利。ライバル対決に勝ち越すことに成功した。なお、キョウエイマーチはこのレースを最後に短距離・マイル路線に転向したため、これが2頭の最後の対決となっている。

 下の動画では、吉田騎手のメジロドーベルへの信頼感溢れるインタビューが収録されている。

「オークスの女王が桜の女王を下しました!やっぱりこの2頭だった」メジロドーベル【秋華賞1997】

 ドーベルの次走は有馬記念。ここでドーベルは、”先輩”エアグルーヴとの邂逅を果たす。エアグルーヴはこの年の天皇賞(秋)に勝利し、ジャパンカップでも2着と充実のシーズンを送っていた。

 有馬記念でドーベル自身はいいところなく失速して8着。対してエアグルーヴは、マーベラスサンデーと壮絶な叩き合いをし、シルクジャスティスの強襲に敗れるも差のない3着となった。牡馬をも圧倒する強さを見せてきたエアグルーヴとドーベルとでは、この時点では大きすぎる差があったのだろう。ただ、ドーベルの翌年以降の成績や産駒を見るに、もしかすると距離適性が合わなかっただけなのかもしれないが。

 ともあれ、2冠を達成したドーベルは2年連続となるJRA賞を獲得。最優秀4歳牝馬(現最優秀3歳牝馬)および最優秀父内国産馬に選出された。

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4歳(シニア級:1998年)

 年明けは長期放牧は挟まずに、1月の日経新春杯から始動。それまでの実績から1番人気に支持されるも、後方から直線伸びずに8着に敗れる。

 次戦は4月の大阪杯(当時はGII)。エアグルーヴと2度目の新旧女王対決となった今回は、道中進路が塞がるアクシデントがありつつも最後まで先輩に追いすがる強さを見せる。2着と敗れたが、むしろドーベルの評価が高まったレースだった。

 しかし、続く6月の目黒記念、7月の宝塚記念はともに5着。サイレンススズカに圧倒された宝塚記念はともかく、目黒記念は距離の壁があったのだろうか。唯一のGI馬にも関わらず2番人気の評価だったのは、ファンもそう見ていたのかもしれない。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介

 休養を挟んで、秋は10月の府中牝馬ステークスから始動。重馬場で58キロもの斤量を背負わされたが、牝馬相手では実力が違った。最後に詰め寄られるも余裕を残してきっちりと勝ち、約1年振りの美酒を味わう。

 そして迎えた11月のエリザベス女王杯。1997年の有馬記念、1998年の大阪杯、宝塚記念と、過去3戦すべてで完敗を喫したエアグルーヴがまたしても待ちかまえていた。エアグルーヴは1996年10月の秋華賞で敗れて以来、2年1ヵ月ものあいだ牝馬相手に先着を許していない。そんな“絶対女王”を迎え、京都競馬場のスターティングゲートが開く。

 レースはスローペース。気性難を抱えるメジロドーベルにとって、過去何度も失敗をくり返してきた最悪とも言える展開である。そしてこのレースでも折り合いがつかない。エアグルーヴをマークするように進めるつもりが、かかって前に行ってしまう。万事休すか……と思われたが、すぐに落ち着いて再び機をうかがうことに。

 そして最終コーナーではいつもの大外からのまくりではなく、最内からスパートをくり出す。なんと上がり3ハロン(600メートル)33秒5という鬼脚でまとめ上げ、3着に終わったエアグルーヴには2馬身もの差をつけて勝つのだった。

 吉田騎手の歓喜のガッツポーズはエリザベス女王杯の歴史に残る名シーンである。けっきょく、エアグルーヴとは5戦して先着したのはこの一度きりだったが、彼女に劣らぬ才能の持ち主であったことはこの1戦で証明された。

【エリザベス女王杯 1998】メジロドーベル「4回目の挑戦でエアグルーヴを破りました」《連覇した女王たち#1》

 この年も有馬記念に出走するが、このころになると“ドーベルは牡馬混合戦に弱いのではないか”という説が競馬ファンのあいだでささやかれるようになっていた。そのせいか、7番人気と低調。レースでも折り合いを欠いて最後に失速し、前年を下回る9着に終わった。

 しかしエリザベス女王杯での勝利が評価され、3年連続でJRA賞を受賞。最優秀5歳以上牝馬(現最優秀4歳以上牝馬)に選ばれる。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介

5歳(シニア級:1999年)

 この年は2月末、牝馬限定戦の中山牝馬ステークスから始動。しかし58.5キロという重いハンデを背負ったせいか、53キロの軽ハンデだったナリタルナパークに先着を許してしまう。さらにレース後、外傷性腱鞘炎を発症し、一時は回復が遅れ引退を覚悟するほどの長期休養を余儀なくされる。

 何とか立て直し、10月の毎日王冠で7ヵ月ぶりに復帰。ここは6着に敗れるものの、エリザベス女王杯連覇に向けて状態は上がってきていた。

 そして迎えた本番。引退レースとなったこの戦いで1番人気はファレノプシスに譲ったが、女王の座は渡さない。陣営の覚悟が彼女にも伝わったのか、吉田騎手の指示に逆らうことなく中団のポジションに収まる。その素直さは、大久保師が「折り合いがつきすぎて逆に心配した」というほどだった。

 メジロドーベルの武器は、類いまれな精神力。最後の直線、吉田騎手のゴーサインが出ると弾けるように飛び出していく。そしてフサイチエアデールの強襲をも退けて見事に連覇を達成。関西テレビ馬場鉄志アナウンサーの「女王の座は譲らないぞ!」という名フレーズも飛び出した。

【エリザベス女王杯 1999】メジロドーベル「女王の座は譲らないぞ」《連覇した女王たち#1》

 そしてこの勝利で、2年連続の最優秀5歳以上牝馬に選出され、なんと4年連続でJRA賞を受賞するという快挙を成し遂げた。11月21日には東京競馬場で引退式が行われ、オークス優勝時の16番のゼッケンをつけてターフで最後の勇姿を見せた。

 21戦10勝、総収得賞金約7億3千万円、当時牝馬での最多記録となるGI5勝、4年連続GI勝利と記録ずくめの競走馬生活だった。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介

引退後のメジロドーベル

 引退後はメジロ牧場で繁殖入り。しかし、7冠馬ディープインパクトとの仔で“12冠ベビー”と話題になるも16戦1勝に終わったメジロダイボサツなど目立つ活躍をする馬はおらず、2016年に繁殖生活からも引退する。

 そのあいだ、2011年にはメジロ牧場が解散され、メジロドーベルたちはその跡を受けたレイクヴィラファームで繋養されることに。現在は離乳した幼駒たちを誘導する“リードホース”として、牧場の“姐さん”になっている。

 なお、現役時代はいつもカリカリしていたメジロドーベルだが、引退後はすっかり穏やかになっているらしい。たまに、幼駒たちよりもはしゃいでいることもあるんだとか。

 そしてメジロドーベルの血は、孫の代になって活躍が目立ってきている。2014年にはショウナンラグーンがGII青葉賞を、そして2021年にはホウオウイクセルがGIIIフラワーカップを勝利している。

 そしてこのホウオウイクセルの血統表を見ると、マルゼンスキー、メジロライアン、エアグルーヴ、スペシャルウィーク、メジロドーベルと、『ウマ娘』にも登場する競走馬の名前が5つも登場する。『ウマ娘』ファンは自然と応援したくなってしまうのではないだろうか。昔から競馬は“血統のロマン”と呼ばれているが、皆さんにもその醍醐味を堪能していただきたい。

【ウマ娘】メジロドーベルはリアルでも男が苦手だった。同期のメジロブライトもストーリーに登場。ゲームの元ネタと現役時代の活躍を紹介

著者近況:ギャルソン屋城

 リアル競馬&競馬ゲームファンでもある、週刊ファミ通『ウマ娘』担当ライター。誕生日:9月5日、身長:168センチ、体重:微減(見た目は変化なし)。

 累計課金額7840円。真の微課金ユーザーとは俺のこと。でもチーム競技場でCLASS5に降格してしまったのはナイショだ。

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