こんにちは。週刊ファミ通編集部きっての野球好きで、生まれてこのかた東京ヤクルトスワローズファン・堅田ヒカルです! 今回は2018年11月3日に六本木ヒルズアリーナで開催されたイベント“TOKYO MEET UP SPORTS 2018”で、『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』を体験してきたので、そのリポートをお届けします。

伝説のスライダーは、ひと言で言えば“恐怖”だった。『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』体験リポート!_01
伊藤智仁VRが出展される、“TOKYO MEET UP SPORTS 2018”会場の六本木ヒルズアリーナ。このイベントは、東京国際映画祭の一環として行われたもので、ボルダリング体験や元プロ野球選手によるステージイベントなどさまざまな催しが行われた。取材はイベント開始前に行われたため、やや閑散として見えますが、イベント開始後は大盛況でした。

 R.E WORKSから出展された『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』は、元ヤクルトスワローズ投手で、おもに1990年代に活躍した伊藤智仁氏のピッチングをNTTデータの映像技術によってVRとして再現したアトラクション。キャッチャーとして実際に伊藤氏の球を受けた古田敦也氏が監修しており、現役時代のスライダーを体験できるのだという。

 伊藤智仁氏といえば、1992年のバルセロナ五輪で日本代表として目覚ましい活躍をした後、我らがヤクルトスワローズ(当時)に入団した右投げのピッチャー。

 バツグンのキレを誇るストレートと高速スライダーで三振の山を築き新人王を受賞するも、引退まで度重なる怪我に悩まされ続けた、ヤクルトファンにとって非常に記憶に残る選手だ。

 現役当時はストレートとスライダーが持ち味で、とくに鋭く曲がる高速スライダーは“伝説”と称されることもあるほど。僕と同世代の野球ファンで知らないものはいない、球界の伝説的投手なのだ。

 そのレジェンドと勝負ができる……! なんて幸せな時代なんだ。ありがとう、VR。

 これは実際に体験して、取材するしかない。僕の愛読書である伊藤氏の評伝『幸運な男 ―伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(長谷川晶一 著/インプレス刊)を読みながら、六本木へ向かう都営大江戸線に飛び乗った。もちろん、すでにヤクルトのユニフォームを身をまとっている。

 カメラマンとして同行してもらったライター・河合ログに「いっしょにいるのが恥ずかしいので、ユニフォームを脱いでくれませんか」と耳打ちされたが、そういうわけにはいかない。僕は勝負に向かっているのだ。このユニフォームはその想いの表れで、脱ぎたくても脱げない。そう伝えると、ライターは無言で隣りの車両に移っていった。

 目的地の六本木ヒルズまで、あと20分――。

VRで蘇る高速スライダー! レジェンドと相まみえる

 伊藤氏の評伝を夢中で読んでいると、電車はあっという間に六本木に到着。もうシーズンは終了し、試合もないのにユニフォームを着ているせいか、道中で遭遇した部活動に向かっていると思しき野球少年たちに笑われたが気にしない。だって、僕はあの伊藤選手と勝負ができるんだぞ! うらやましいだろ!! 心の中でそう叫んでおいた。

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伝説のスライダーは、ひと言で言えば“恐怖”だった。『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』体験リポート!_03
東京ヤクルトの“燕パワーユニフォーム”は、毛利庭園の緑にもマッチする。

 駅から出て、さっそく『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』が出展されているR.E WORKSブースへと向かう。ブースはバッターボックスのようになっており、雰囲気十分。一刻も早く打席に立ちたい気持ちを抑え、まずはライターに体験してもらう。まずはブーススタッフの配球のクセを読むためだ。やるからには当然、本気で勝ちに行く。

「最初はストレートです」

……予想に反して、球種はあらかじめ教えてもらえた。しかし、VRで再現されたデータとはいえ相手はプロ。ストレートは球速150キロ以上、スライダーは130キロを優に超える速球がつぎつぎと投げ込まれる。

 『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』には“Normal”と“Beginner”の難易度があったのだが、野球未経験だというライターにはどちらの難易度でも伊藤氏の速球は捉えられなかった。

伝説のスライダーは、ひと言で言えば“恐怖”だった。『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』体験リポート!_04
モーションコントローラをバットのようにスイングできるため、ヘッドマウントディスプレイを身に着けると本当にバッターボックスに立っているような感覚に。

 ライターのつぎはいよいよ自分の打順だ。まずは“Normal”から挑戦する。ヘッドセットを装着すると、目の前には観客のいない野球場が広がり、マウンド上には、あの伊藤智仁が立っている。

 ヤクルトファンとしては、それだけでさまざまな思いが去来するシチュエーションなのだが、そんな感動を味わうヒマもなく、彼は自慢のストレートを投げ込んできた。ストライク。このテンポのよさも、ピッチャー・伊藤の魅力だ。

伝説のスライダーは、ひと言で言えば“恐怖”だった。『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』体験リポート!_05
ちなみに、フレームレートは使用するPCのスペックに依存するが、会場では90fpsは出ているそう。正直に言うと、それでももっと滑らかになってくれればと思うけど、あとはハードの性能向上待ち。

 ストレートの速さにも驚いたのだが、特筆すべきはやはり“伝説”の高速スライダーのキレ。右打者の内角に投げ込んでくるスライダーは、手から離れた瞬間、まず一直線に僕に向かってくる。

 脇腹に直撃する! と思ってカラダをすくませると、ボールはそこから魔法のように曲がってキャッチャーのミットに収まり、ストライクになる(投球後、ボールの軌道が表示されるため、文句のつけようもなくストライクゾーンに入っているのが見えるのだ)。

……は、反則だ。こんなの!

 人間の防衛反応として、ボールが自分に向かって来るところに踏み込むのは、ふつう無理だ。だってぶつかるもの。こりゃあ確かにプロでも無理だよ! ルーキーイヤーに驚異の防御率0.91を叩き出したというのも納得する、まさに“魔球”である。

 もちろんこれはVRだし、仮にデッドボールになっても、痛くない。頭ではそうわかっているはずなのに、内角のスライダーにスイングしようと思っても、思わず踏みとどまって見送ってしまう。

 “Normal”ではあえなく三振。だが、僕にはまだ“Beginner”の打席が残されている。

伝説のスライダーは、ひと言で言えば“恐怖”だった。『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』体験リポート!_06

 “Normal”から続けざまに挑戦しているので、球筋が追える。しかし、スライダーの変化を追うことはやはり難しい。バット(モーションコントローラ)を振るが当たらない。

「つぎはストレートです」

……チャンスだ! 全神経を目に集中させ、ボールが手から離れる瞬間を待つ。ボールの軌道を予想して振り抜くと、画面にはヒットの表示が。やった!! 伊藤智仁からヒットを取った! ……VRだけど。草野球仲間にも自慢しよう……“Beginner”だけど。

 この日も草野球の試合がある。ヒットを打った充足感とともに家路についたのだが、ライターがやたらとそっけない。「家でもVRでプロを相手に練習できたらな~」と話しかけても「そっすね」と、会話をすぐに切り上げようとする。しまいには、電車に乗った途端、隣の車両に移っていった。原因を考えながら呆然と車窓を眺めていると、見覚えのある緑色が視界に入る。僕は興奮のあまりユニフォームを脱ぐのを忘れていたのだった。

伊藤選手VR化の経緯とは? R.E WORKS、NTTデータの関係者に訊く

 帰宅する前に関係者に行ったインタビューをお届けする。遊ぶだけではなく仕事もしていたのだ。

加藤謙次郎氏(かとう・けんじろう)

R.E WORKS 代表取締役社長。東京ヤクルトスワローズの広報を務めたのち、同社を立ち上げ、2018年には、東京から高速バスで富山サンダーバーズの試合を観戦する弾丸応援バスツアー“高速スライダー号”などを企画

荒 智子氏(あら・ともこ)

NTTデータ ITサービス・ペイメント事業本部 ライフデジタル事業部 eライフ統括部 eライフ営業担当 スポーツビジネス推進チーム課長代理

――まず、『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』の開発を始めた経緯をお聞かせください。

加藤 自分はR.E WORKSを立ち上げる前に、ヤクルト球団や、NPBエンタープライズといった会社に在籍していたので、伊藤さんとは以前から面識がありました。そうした縁もあり、昨年伊藤さんがヤクルトを退団されてからは弊社でマネジメントさせていただいているのですが、伊藤さんは監督業などで忙しかったので、伊藤さんの活動とは独立して何かおもしろいことができないかと考え始めたのがきっかけです。

――VRでゲームを作ってみようと考えたのは?

加藤 東北楽天ゴールデンイーグルスさんが使っているプロ野球選手向けのVRトレーニングシステムを体験して「すごいな」と感動して、同じように伊藤さんの高速スライダーを体験できたらおもしろいだろうと思ったんです。それから、トレーニングシステムを開発しているNTTデータさんに相談させていただいたら、開発していただけることになったんです。

――開発は順調に進んだのでしょうか。

加藤 それが、現在活躍されている選手は、トラックマン(※)などを使い精密なデータが取れるのですが、伊藤さんのような、過去に活躍された選手の場合はどうしてもそれができません。ですから、過去のテレビの映像や、実際に伊藤さんの球を受けた人のお話を聞いて再現度を高めていくしかないんです。今回監修をお願いした古田さんは伊藤さんの球をいちばん受けたキャッチャーなので、いろいろとご意見もいただきました。

※トラックマン……軍事用レーダー式の追尾システムを応用して作られた高性能弾道測定装置。ピッチャーが投げたボールやバッターが打った打球の角度、スピード、回転数などが測定できるすごい機械。

――「ボールを受けた中でもっともいいピッチャーは伊藤智仁」と評したという古田さんも、VRデータの出来栄えに太鼓判を押されていると……! ちなみに、古田さんからはどんな意見があったのでしょうか?

加藤 「内角と外角のふたつのスライダーがあったほうがいい」というアドバイスをいただきました。実際にVR機器を装着していただき、キャッチャーの位置に座って体験してもらったんです。そして、内角のスライダーは「右バッターの肘がすくむような感じ」、外角は「ストライクに入って来たはずなのに、完全にボール球のような感じを表現してほしい」と言われたので、その再現に力を入れています。

――確かに、スライダーの急激な変化には驚きました。

加藤 そうですね。内角のスライダーはとくに「当たるんじゃないか」という恐怖感を味わってもらえるようにこだわっています。

――今後、イベントなどで『VR 伊藤智仁 伝説の高速スライダー』を体験できる機会はあるのでしょうか?

加藤 いま決まっている予定があるわけではありませんが、これからはどんどん一般のお客様に体験してもらう機会を設けていこうと考えています。ぜひいろいろな方に、“伝説の投手”との対戦を楽しんでいただきたいですね。

――続いて、荒さんにお伺いします。NTTデータでは東北楽天ゴールデンイーグルスで使われているプロ野球選手向けのVRトレーニングシステムの開発も行われていますが、どういった流れでそうしたVRコンテンツの開発に着手されるようになったのでしょうか。

 プロの野球選手がバッティング練習の際、相手投手の投球を動画で確認するのは当然になってきています。ただ、動画は二次元ですから、実際の感覚がつかみづらいと思うんです。そこで、実際に“体験できる”VRコンテンツの開発を始めました。

――実際にはどのような感じで活用されているのですか?

 相手投手の直近の投球データを試合前に確認したり、出場回数の少ない若手選手の育成、怪我をした選手がリハビリ中に実戦感覚を忘れないためのトレーニングなどにも使われていますね。いまでは東北楽天ゴールデンイーグルスさん以外に、国内外の球団にも提供しています。それと並行して、プロの球を受けられるコンテンツをファン向けに展開するというアイデアが生まれて、楽天生命パーク宮城ではすでに現役選手の投球を体験できるアトラクションも設置されています。

――なるほど。僕みたいな一般の野球ファンも楽しめるのはいいですよね。ちなみに今回のイベントではHTC VIVEを使われていますが、家庭用ゲーム機などへの展開などは考えていたりするのでしょうか?

 いずれは、Oculus Goのような、PCと接続する必要のない独立型の機器で、ご家庭でも体験できるようにしたいという思いは持っています。ただ、現在のバージョンではどうしても機種のスペックに依存してしまうので、改良を続けていくつもりです。それから、ゲームセンターや、バッティングセンターなどの施設への提供もできるようになるといいですね。

――システム的に、バッターとして打席立つだけでなく、審判の立場で球を判定するなんてのもできそうですよね。

 そうですね。実際にすでにそういった声も届いています。我々としても、アマチュアの審判育成などに活用できるのではないかと考えていますし、今後広く提供できるようになれば、いろいろな形で体験するコンテンツも実現していくはずです。

取材を終えて

 「スライダーは、もっと恐怖を感じるようにしたらええね」と、古田が言ったそうだ。そうして再現された伝説クラスの投球は、VRでも確かにその怖さがあり、スイングすることができなかった。投球フォームもまさに伊藤智仁その人で、ヤクルトファンを長年続けている僕としては、うれしいやら、驚くやら。

 ゲームとして楽しめるだけでなく、口伝で語られることが多いアスリートのすごさを、データ化してデジタルアーカイブとして残すことができるというのは、じつはとても意義深いことではないだろうか。

 さらに開発が進めば、あの投手の(自称)170キロのストレートとか、海を渡ったあの投手のフォークとか、はたまた“魔球”ジャイロボールとか、現実世界でバッターとして体感することができないボールを、打つことができるようになるかもしれない。伝説的投手たちと対峙して、ヒットを打ったり、キリキリ舞いさせられる。そんな日が来るのが楽しみだ。