サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年12月12日に新たな育成ウマ娘“星3[Heroic Author]ゼンノロブロイ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のゼンノロブロイ

公式プロフィール

●声:照井春佳
●誕生日:3月27日
●身長:140センチ
●体重:増減なし
●スリーサイズ:B89、W56、H78

トレセン学園の図書委員を務める愛書家。物静かだが、胸の内には英雄譚の主人公になりたいという熱い想いがある。
何事も器用にこなすものの目立たないタイプだったが、野良レースで勝った際に「ロブ・ロイのような英雄になりたい」という小さな夢が萌芽した。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

予備

ゼンノロブロイの人となり

 マジメでおとなしい、優等生タイプの文学少女ウマ娘。引っ込み思案で何かと弱気なところがあるが、とにかく本を読むのが大好き。本好きな子を見かけたら仲間意識が生まれるようで、急に饒舌になる。

 トレセン学園中等部に通っており、所属は美浦寮でライスシャワー(高等部)と同室。絵本が好きで性格も近しいライスとは仲もいいようだ。また、スイープトウショウには読書から得た魔女の知識を教えてあげる仲(ただし、スイープにはあまり通じていないようす)で、アグネスデジタルとも彼女の育成シナリオで絡みがある。ゼンノロブロイとスイープ、デジタルとは、お互いのモデル馬が対戦経験あり、という関係だ。

 モデル馬のゼンノロブロイは2000年生まれで、現在発表されているウマ娘には同い年のキャラクターはいないが、ひとつ上の世代にファインモーション、シンボリクリスエス、タニノギムレット、ひとつ下にスイープトウショウがいる。とくにシンボリクリスエスは同じ厩舎で何かと比較されてきた経緯があり、またレースでの直接対決もあったライバル。ロブロイのシナリオ関連では、彼女たちとの絡みも期待できそうだ。

 ちなみにロブロイは、今回の育成ウマ娘実装前からも、ゲーム内ではハルウララやテイエムオペラオー、ビワハヤヒデあたりとの交流がすでに描かれている。こちらはウマ娘としてのキャラクター設定から生まれた関係だと推測される。

 レース時の衣装は、リアルにおけるロブロイの勝負服“黄地、袖緑一本輪、緑鋸歯形”のカラーリング、デザインを取り入れつつ、スコットランドの民族衣装である“キルト”を思わせる造形となっている。これは、ロブロイの名の由来がスコットランドの英雄であることが影響しているのだろう(詳しくは後述する)。また、モデル馬の毛色“黒鹿毛”も美しい黒髪として反映されている。

競走馬のゼンノロブロイ

ゼンノロブロイの生い立ち

 2000年3月27日、北海道白老町の白老ファームで生まれる。父は大種牡馬サンデーサイレンス、母はローミンレイチェル。ロブロイほどではないが、3歳上の半姉ダーリンマイダーリンもアメリカで5勝、GIで2度の2着を記録するなど活躍した。

 名前の“ロブロイ”は、17世紀から18世紀にかけてスコットランドで活躍した英雄、ロバート・ロイ・マクレガーに由来する。マクレガーには“ロブ・ロイ”という通称があり、彼をモデルにして人気作家ウォルター・スコットが小説『ロブ・ロイ』を執筆した。

 ウマ娘のロブロイが小説好きなのは、そんなエピソードも影響しているのかもしれない。

 また、史実のロブロイは生まれつき体格に恵まれていて、肉付きがよく、見栄えのする馬体をしていた。ウマ娘のロブロイがナイスバディーなのはそこから来ているのだろう。デビュー前は体質が弱く、仕上げにやや手こずることとなったが、現役生活中は大きな病気もケガもすることなく、引退まで20戦、きっちりと走りきっている。

 ロブロイはすばらしい馬体だけでなく「生まれたときから優等生」と言われるほど賢く、牧場でも1、2を争う期待の1頭だったという。生まれて約3ヵ月後の7月10日、11日に行われたセレクトセールにおいて、9450万円もの高値で落札された。そして、その期待に違わぬ活躍をしていくことになる。

 ちなみにこのセールからはロブロイのほか、エアグルーヴの娘アドマイヤグルーヴ、ダートで活躍したユートピア、タイキシャトル産駒のウインクリューガーと4頭のGI馬が出ているが、ロブロイの生涯獲得賞金は約11億1000万円でもっとも高く、JRA通算でも歴代11位の記録となっている。

 脚質はレース展開に応じて先行してもよし、後ろから差してもよしの自在性も備えていた。そんなところも優等生だったのである。

 なお、ネットではロブロイについて“美浦トレセンのボス馬だった”といった言説が一部で見られるが、明確なソースを見つけられなかったため本記事では触れない。

02

ゼンノロブロイの血統

ゼンノロブロイ血統表

 父サンデーサイレンス……当コラムでその名前が出るのは何度目だろうか。1994年に初年度産駒がデビューして以降、日本競馬界を席巻した大種牡馬だが、意外なことに年度代表馬はなかなか出なかった。その年度代表馬を初めて獲得したのが、2004年のロブロイである。

 ちなみに、この2004年というのはかの歴史的名馬ディープインパクトのデビューの年でもあり、2005年と2006年はそのディープが2年連続で年度代表馬に輝いた。

 優れた身体能力ととんでもない気性難を兼ね備えた名(迷)馬を多数輩出してきたサンデー産駒において、前述したようにロブロイはおとなしく気性“良”だった。「本当にサンデー産駒?」と人間だったら隠し子疑惑が持たれただろう。しかし、一瞬の斬れ味の鋭さなど、走らせるとじつにサンデー産駒らしい才能を見せる。

 母ローミンレイチェルもサンデーサイレンス同様、現役時代は北米で活躍した。おもに短いところで走り、GI1勝を含む重賞3勝、通算で15戦9勝を記録している。ロブロイを産んだ翌年、11歳の若さでこの世を去ったが、ロブロイとその姉ダーリンマイダーリンという活躍馬のほか、日本で4頭もの重賞馬を産んだストレイキャットなど、産駒はいずれも粒ぞろいである。

 ただし、体質が弱く生まれることも多く、その点はロブロイも苦労することになる。

 ロブロイ自身は芝が主戦場だったが、父母ともにダートで活躍した馬であり、もしかしたらダートでも活躍できたかもしれない。実際、ロブロイの産駒からはダートで好成績を残した馬も多く出ている。

ゼンノロブロイの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

03

3歳(クラシック級:2003年)

 美浦トレセンの名門、藤沢和雄厩舎に所属することになったロブロイ。体質の弱さから仕上げが遅れたうえ、武豊騎手を配して臨むはずだった新馬戦も一度は除外されるなど、なかなかデビューにたどり着けなかった。そしてようやく、2003年2月9日中山競馬場の芝1600メートル新馬戦が初陣となる。鞍上は横山典弘騎手に決定した。

 デビュー前から注目の新馬として知られ、単勝1.8倍という断トツの1番人気に支持されたロブロイ。スタート直後に不利を受けながらも大外から豪快に追い込んで、ド派手なデビュー勝利を飾るのだった。

 あまりの強さに早くも「GI級の強さ」と騒がれたが、2戦目のすみれステークスでは道中で落鉄(蹄鉄が外れること)するアクシデントに遭い、同じく注目馬で武豊騎手騎乗のリンカーンらに敗れて3着。

 それでもすぐ条件戦の山吹賞に勝ってオープン入りすると、ダービートライアル競走の青葉賞に勝って日本ダービーの出走権を得る。

 ダービーの単勝1番人気は皐月賞馬ネオユニヴァース。2番人気も皐月賞2着のサクラプレジデントで、ロブロイはその“2強”に次ぐ3番人気に支持された。さらに、当日は前日までの台風の影響で重馬場となり、波乱の演出にはおあつらえ向きの舞台が整っていた。

 2番手につけたロブロイは、最終コーナーを回るとさっそく先頭に躍り出る。すると荒れた馬場の内側からネオユニヴァースが、そして外側からはザッツザプレンティが競りかけてくる。一度は抜け出しかけたロブロイだったが、同じサンデーサイレンス産駒であるネオユニヴァースの脅威の末脚に半馬身屈することに。

 とは言え、デビューからわずか4ヵ月で世代トップに並びかけたのは大きな収穫だった。夏は涼しい北海道で過ごし、秋にさらなる飛躍を目指すこととなる。

 ちなみに、じつはこの“山吹賞で勝利→青葉賞で勝利→日本ダービーで2着”というローテーションは、厩舎の1年先輩であるシンボリクリスエスとまったく同じだった。

 また、北海道での調整も先輩シンボリクリスエスのノウハウを活かした万全の体制が敷かれていたロブロイは、秋初戦の神戸新聞杯でネオユニヴァースらを蹴散らして完勝する。その後は天皇賞・秋へ向かい、シンボリクリスエスと対決させる予定だったが、神戸新聞杯の勝ちっぷりがよく長距離もこなせると判断し、予定を変更して菊花賞を目指す。

 菊花賞は、3冠を目指すネオユニヴァースとの一騎討ちと見られていた。そんな中、ロブロイの鞍上である世界的名手、オリビエ・ペリエ騎手もネオユニヴァースをマークする作戦を採用する。

 しかし、ほかのライバルたちも考えることは同じだったせいか、うまく進路を確保できずに最後の直線を前に遅れをとってしまう。それが致命傷となり、距離の壁に阻まれて3着に敗れたネオユニヴァースにも追いつけずに4着と馬券圏外の結果に。

 勝利したのは、ダービーで接戦をくり広げたもう一方の強敵、ザッツザプレンティ。長距離に向くダンスインザダークの血を持つタフな馬を、安藤勝己騎手が勝利へと導いた。

 ロブロイの次走はジャパンカップという選択肢もあったが、陣営は無理をさせずに短期放牧を挟んで有馬記念へと向かう。そこには、天皇賞・秋の連覇を果たした先輩、シンボリクリスエスが待っていた。

 単勝人気はシンボリクリスエスとタップダンスシチーが1番人気、2番人気に。タップダンスシチーは、前走のジャパンカップで2着のザッツザプレンティに9馬身もの大差をつけて逃げ切るという衝撃的な勝ちかたをしていた。ロブロイは3番人気で、鞍上は代打騎乗に定評のある柴田善臣騎手だった。

 このレースを支配したのは、偉大な先輩・シンボリクリスエスだった。

 このレースで引退するクリスエスは、第3コーナーからロブロイを引き連れて進出を開始。すると、ロブロイから見えるその背中はみるみるうちに遠ざかっていく。レース前の追い切りではシンボリクリスエスに先着するなど、ロブロイも状態は悪くなかったが、終わってみると約10馬身もの大差をつけられてしまったのである。ゴール直前では同い年のライバルの一角、リンカーンにもかわされ、悔しい3着でクラシックシーズンを終えることとなった。

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4歳(シニア級:2004年)

 シンボリクリスエスに代わって厩舎のエースとなったロブロイは、日経賞から始動。メンバーも手薄で、誰もが楽勝だと思っていた。しかし3番手追走から、最後の直線で先頭のウインジェネラーレに並びかけるも、そこから抜くことができずに、まさかの2着。サンデーサイレンス産駒としては異例とも言える気性のよさを誇るロブロイだったが、競り合いの展開では少し淡泊なところがあったのだろうか?

 そういった勝ちきれないところで評価を下げてしまったのか、続く天皇賞・春では単勝4番人気に。しかし、安定して力を発揮できるのもまたロブロイの持ち味であり、このレースでもいつも通りの展開に持ち込んで、最後の直線で抜け出した……と思いきや、なんとその遥か前方に、あっと驚く大逃げを敢行した伏兵イングランディーレの姿があった。

 ロブロイのかつての相棒・横山典弘騎手が見せた一世一代の騎乗に、ロブロイ、ネオユニヴァース、ザッツザプレンティ、リンカーンら“4歳4強”はなすすべなし。ロブロイは、この4歳4強の中では最上位となったが、またしても勝てなかった。

 勝ちきれない流れは宝塚記念でも続き、前年のジャパンカップを制した遅咲きの7歳馬タップダンスシチーにふたつ目の戴冠を許す。ロブロイは最後リンカーンに競り負けて4着。ロブロイは競馬ファンから、善戦すれど勝てない“地味な脇役”とみなされていた(ちなみに当コラムの編集もそのひとりだった)。

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 そんな中、秋初戦の京都大賞典でもまた、日経賞の再現のように最後の最後で競り負けてしまう。レジェンド岡部幸雄騎手を鞍上に迎え、心機一転を図ったレースだったが、またしても勝ちきれなかった。

 次走の天皇賞・秋は1年以上勝利から遠ざかっていたために除外される恐れもあったが、何とか出走できることに。じつは天皇賞馬イングランディーレや宝塚記念を勝ったタップダンスシチー、ロブロイの同期のネオユニヴァース、ザッツザプレンティなど、古馬戦線の有力どころと見られていた馬がことごとく戦線離脱していたのである。

 そこで本命視されたのは、この年NHKマイルカップと日本ダービーの“変則2冠”を達成していた3歳馬キングカメハメハ。圧倒的大器である彼は、初めての古馬との対戦でも問題なく勝てるだろうと言われていた。

 しかし、その大本命キンカメもなんと直前に屈腱炎を発症してしまい、引退することとなる。つぎからつぎへと本命がいなくなった結果、ロブロイが単勝1番人気となった。

 さすがに勝てるだろう、いやしかし、日経賞でも京都大賞典でも負けているし……と、さまざまな声が囁かれる中、ロブロイが挑む天皇賞・秋のスターティングゲートが開く。ローエングリンが平均ペースで引っ張るよどみのない展開で、ロブロイは馬群の中団につける。馬場状態は稍重で、コースの中央あたりから外側にかけてはとくに伸びないとされていた。

 騎手の手腕が問われるきびしい状況でのレースにおいて、その力をいかんなく発揮したのは、前年の菊花賞でみずからの騎乗ミスからロブロイの勝利を逃してしまっていたペリエ騎手だった。比較的荒れていないインコースを狙う馬が殺到する中、絶妙なコース取りで進路を確保。さらに、末脚の斬れ味を最大限に活かすためにスパートを遅らせ、最後の直線に入ってから猛然と追い込ませたのだ。

 荒れた馬場に脚をとられて何度もヨレそうになるが、ペリエ騎手が巧みなステッキさばきでエスコート。一度は先頭に立った3歳牝馬ダンスインザムードも内で粘ろうとするが、全馬中最速の末脚であっさりとかわし、そのままゴールへ。GI挑戦6戦目にして、ついに初めてのタイトルを手にすることとなったのである。ペリエ騎手は前年(2003年)のシンボリクリスエスに続く連覇。藤沢和雄調教師は前々年、前年のシンボリクリスエスに続く3連覇を達成した。

 劇的な勝利だったが、ライバル不在に悪い馬場状態など、ロブロイにとって好条件が揃っていたのも確か。続くジャパンカップでも、外国馬は超大物が来日しなかったこともあって単勝1番人気にはなったものの、予想家たちの印は思ったほど集まらなかった。

 そしてレースは、スローなスタートから1頭、マグナーテンが抜け出して逃げるも、ロブロイは平均ペースの2番手集団の後ろにつける余裕の展開。そして天皇賞・秋をなぞるかのように最後の直線でコース中央に進路を取り、坂を上りきったところで一気に加速して抜け出す。あとは後続に影を踏むことさえ許さず、ホッカイドウ競馬所属で話題となった2着のコスモバルクに3馬身差の圧勝。なかなか勝ちきれなかった1年もの日々は何だったのかと思わせるほどの覚醒ぶりであった。

 こうなると有馬記念も勝って、テイエムオペラオー以来史上2頭目の“秋古馬3冠”達成が現実味を帯びてくる。その有馬記念では、タップダンスシチーが戦線復帰して3番人気に。話題性もあってコスモバルクが2番人気となってはいたが、予想家の印はタップと、1番人気のロブロイの2頭に集まっていた。

 果たして、レースは実質2頭のマッチレースとなった。後続を引き離しながら逃げるタップダンスシチーを、残り100メートルでロブロイが捉え、半馬身かわしてゴール。本稿での描写が少なくなっているのは、それほど波乱の要素がない、強い勝ちかただったからである。しかも勝ちタイムは、前年にシンボリクリスエスが記録した2分30秒5を1秒も上回るレースレコード。なお、ペリエ騎手、藤沢師はそれぞれシンボリクリスエスの連覇に続く3連覇を達成した。

 そしてこの年のJRA賞で、ロブロイはサンデーサイレンス産駒では初となる年度代表馬に選出される。前年の神戸新聞杯以来1年以上も勝利から見放されていたロブロイがこの栄光に浴すると思っていた人間は、関係者以外でいかほどいただろうか。秋古馬3冠は、シンボリクリスエスでもなし得なかった偉業である。

5歳(シニア級:2005年)

 この年、ロブロイ陣営は海外遠征を目指すこととなる。

 そのため、前年では大目標のひとつだった宝塚記念をステップレース(叩き台)とした。勝って旅立ちたいところではあったが、このレースではスイープトウショウがとてつもなく強い競馬を見せ、ハーツクライを制して優勝。ロブロイは長年のライバル・リンカーンに先着する3着だった。

 8月16日、イギリスはヨーク競馬場で行われるGIインターナショナルステークスにロブロイの姿があった。その鞍上には武豊騎手。新馬戦で除外されたために幻となっていたタッグが、2年半の時を経てついに実現したのである。

 レースはペリエ流、というわけではないだろうが、彼と同様に中団から追走する形で進められた。そして最後の直線では大外を回ってロブロイとエレクトロキューショニストによる末脚勝負が展開される。一度は抜け出しかけたロブロイだったが、ゴール直前でエレクトロキューショニストに差し替えされ、無念の2着。

 ロブロイの仕上がりはすばらしく、担当の川越厩務員が表彰されたほど。しかし、翌年にドバイワールドカップを制するほどの実力者だったエレクトロキューショニストにはわずかにおよばなかった。

 海外遠征はこの1戦のみで帰国すると、前年に続いて秋古馬三冠に挑戦。

 天皇賞・秋では久々のタッグとなる横山騎手を背に、最後の直線でダンスインザムードと競り合い、ゴール直前まであと少しというところでトップをキープするも、伏兵の5歳牝馬ヘヴンリーロマンスの強襲に遭いアタマ差かわされて2着だった。

 ジャパンカップではかつて神戸新聞杯、宝塚記念でロブロイに騎乗したケント・デザーモ騎手とのタッグが復活。馬群中団のやや後方から直線勝負を仕掛けると、残り200メートルで先頭に立つ。しかしそこから伸びずにインコースから外国馬アルカセットとハーツクライに差し切られてしまい、3着。

 このジャパンカップのタイムは2分22秒1で、かつてホーリックスとオグリキャップが記録した2分22秒2を更新するレコード決着となった(※)。

※現在のレコードはアーモンドアイの2分20秒6。

 そしてこの年の有馬記念がロブロイにとって引退レースとなったが、そこには最後を飾るにふさわしい強敵が待ちかまえていた。無敗の3冠馬、3歳のディープインパクトである。日本の強豪が勢揃いするこのレースで、単勝1.3倍の断トツ1番人気。それに対抗する古馬の筆頭格としてロブロイにも期待が集まっていた。

 結果は、クリストフ・ルメール騎手による先行策という奇襲を成功させた追込馬のハーツクライがディープインパクトに初黒星をつけるという波乱の展開に。そしてロブロイは、レース中に捻挫を発症するというトラブルもあって、20戦目にして初めて掲示板外となる8着に終わった。

 ゼンノロブロイの通算成績は20戦7勝、重賞5勝(うちGI3勝)、通算獲得賞金は約11億1千万円(国内のみ)と、当時で歴代2位、現在でも歴代11位に入っている。大負けはしないものの、なかなか勝ちきれずにファンをやきもきさせていたが、4歳秋に突如覚醒し、秋古馬3冠を達成。その後はまた勝ちきれない善戦マンに戻ってしまったが、海外遠征でも持ち味をいい面でも悪い面でも存分に発揮していた。

 ふだんは超優等生だが、内に秘めたものが覚醒したとき、とてつもない偉業を達成する。そんなロブロイの物語は、『ウマ娘』ではどのように描かれるのだろうか。

引退後のゼンノロブロイ

 2006年より社台スタリオンステーションで種牡馬になったロブロイ。初年度から2頭のGI級ホース(オークスのサンテミリオン、ジャパンダートダービーのマグフィニカ)が誕生し、その後も重賞戦線で活躍する馬をつぎつぎと輩出した。国内だけではなく、シャトル種牡馬としてニュージーランドに派遣されることもあったが、2016年からはブリーダーズスタリオンステーションに、2021年からは村上欽哉牧場に移動している。

 そして2022年9月2日、老衰からくる心不全のために22歳で死亡。去り際も静かだった。

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