サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年11月17日に新たな育成ウマ娘“星3[Butterfly Sting]ワンダーアキュート”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のワンダーアキュート

公式プロフィール

  • 声:須藤叶希
  • 誕生日:3月14日
  • 身長:159センチ
  • 体重:不安定
  • スリーサイズ:B75、W52、H78

とても穏やかな人柄で面倒見のよいウマ娘。
周囲からは「話すとなんだか、おばあちゃんを思い出してほっこりする」と評判。
しかしレースが近づくとうって変わってストイックに自分を追い込む、いぶし銀の闘志を秘めている。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

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ワンダーアキュートの人となり

 穏やかでおばあちゃんのような喋りかたをする、癒やし系ウマ娘。喋りかただけでなく、ビデオゲームのことを“ピコピコ”と呼んだり、何かとアメちゃん(関西人なので)をあげようとするなど、言動すべてがおばあちゃんっぽい。ただし、レースが近付くといぶし銀の闘志(いぶし銀というにはだいぶ激しめだが)を発揮する。

 栗東寮に所属しており、同じくダートが主戦場であるコパノリッキー、ホッコータルマエとはライバル関係。3人の中でいち早く育成ウマ娘として実装されたコパノリッキーの育成シナリオでも、ライバルとして登場している。

 ちなみに、その3人の中ではモデル馬と同様に唯一スマートファルコンともかつて戦ったことがあるようで、ウマドルファル子の強さを“赤鬼のように”と表現している。ウマドルを赤鬼呼ばわりとは……。

 なお、ファル子を含めた4人のモデル馬の生年は、スマートファルコンが2005年生まれ、ワンダーアキュートが2006年生まれ、ホッコータルマエが2009年生まれ、コパノリッキーが2010年生まれ。アキュートと同じ2006年生まれには、ダートと芝で主戦場は異なるがトーセンジョーダンとナカヤマフェスタがいる。

 個性派揃いのウマ娘にあっても異彩を放つおばあちゃんキャラの由来は、何と言ってもモデル馬が9歳まで走り続けたことからだろう。かしわ記念(JpnI)を平地GI級レース最年長記録となる9歳にして勝利(※)した後、主戦・和田竜二騎手も「こどもの日に、おじいちゃんががんばったね!」と褒めたたえていた。

 『ウマ娘』の公式サイトにある「そうじゃねぇ……いちばん大事なのは『諦めない』ことかねぇ」というセリフも、この件を指しているのだろう。

※編注:障害レースの最年長GI勝利記録は、12歳時に中山グランドジャンプを勝利したオーストラリア馬のカラジ。

 勝負服は少しゆったりとした上品なドレス風の衣装。指ぬき手袋風のグローブもシニア向けファッションっぽい。カラーリングは少し暗めになっているが、モデル馬のデザイン(桃、白菱山形)が取り入れられている。また、右のウマ耳カバーやスカートのプリーツ部分には、特徴的だったメンコのカラーリングが採用されているようだ。

 プロフィールの体重が“不安定”となっているのは、モデル馬も馬体重が安定せず、半分近くのレースで前走から10キロ以上体重が変動した……というエピソードからだろう。もっとも、体重は不安定だったが競走成績はかなり安定していた。

競走馬のワンダーアキュート

ワンダーアキュートの生い立ち

 2006年3月14日、北海道三石町(現・新ひだか町)のフクダファームで生まれる。父はカリズマティック、母はワンダーヘリテージ。4歳上の半兄に重賞を5勝もして種牡馬入りしたワンダースピードがいて、兄弟対決も3回ほど実現している。

 兄スピードは気の強い馬だったが、弟のアキュートはふだんはとてもおとなしかったようで、「牧場時代に手を焼いた記憶はほとんどありません」と語られるほど。しかし、レースでは兄同様に気合が入りすぎるのか、何度も気難しい面を見せていた。

 ただ、それは悪いことばかりではなく、3歳でデビューしてから9歳まで7年間、48戦も走って毎年勝ち星を記録するなど、やる気が衰えなかったことにもつながっている。

 脚質は先行。ただし、スタートでつまづいたために怒濤の追い込みを見せて2着に入った2011年のジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)などのように、キレる脚も持っていた。

 1600~2100メートルまでまんべんなく勝ち星を積み重ねており、マイル~中距離は得意と言っていいだろう。一方、それ以外の距離は2400メートルのレースに2度出走(2009年青葉賞10着、2011年ダイオライト記念4着)しただけで、得手不得手はハッキリしていない。重馬場も苦にしておらず、競走馬としては超優等生であった。

 ちなみにワンダーアキュートのトレードマークと言えば顔を覆うメンコだが、ダート馬ならではの工夫が凝らされたものとなっている。じつは目穴部分に“ホライゾネット(“パシュファイヤー”とも呼ばれる)”という網が被せてあるのだ。

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ワンダーアキュートの血統

ワンダーアキュート血統表

 父カリズマティックは1996年アメリカ生まれ。デビューからしばらくは勝ち負けをくり返すふつうの馬だったが、3歳春に突如として覚醒し、強豪たちを退けアメリカのクラシック2冠を達成した“奇跡の馬”だ。

 奇跡はその戦績だけではない。3冠最後の1戦となるベルモントステークスでは3着に敗れたが、じつはレース中に左前脚を複数箇所骨折していた。一歩間違えれば予後不良となる重傷である。

 しかしゴール直後に鞍上のクリス・アントレー騎手が異変を察知していち早く下馬し、折れた左前脚をみずから支えるという行為に出た。それが功を奏したのか、ボルト4本を埋め込む手術が行われたものの、命に別状はなかったのである。このシーンは、『ウマ娘』のテレビアニメでもモチーフにされたと言われる。

 種牡馬入りしたカリズマティックは2003年から日本に輸入された。アキュート以外に目覚ましい活躍をする産駒は出なかったが、2016年まで種牡馬として活動し、同年にアメリカへ帰国、余生を送った(2017年没)。

 ワンダーアキュートの母はワンダーヘリテージ。この馬もアメリカ生まれで、日本に輸入されて2戦だけだが中央競馬で走っている。ワンダーアキュートやワンダースピード以外のきょうだいたちもデビューした馬はすべて勝利を挙げているという、非常に優秀な母であった。

 ワンダーアキュートに大きな影響を与えたと思われるのが、母ワンダーヘリテージの父にあたるプレザントタップである。この馬、2歳からそこそこ活躍するも長らく善戦マン止まりであったのだが、5歳になって突然覚醒。その1年で10戦してGI2勝を含む重賞4勝、2着5回という好成績を残したのだ。

 プレザントタップの産駒は幅広い距離適性を持ち、さらに長く活躍する馬が多かった。シンボリクリスエスやゼンノロブロイのライバルだったタップダンスシチーもその1頭で、6歳秋に初GIタイトルのジャパンカップを、7歳でGI・2勝目となる宝塚記念をそれぞれ制した。

 そのタップダンスシチーを超える9歳にしてGI級レースに勝った孫のアキュートは、一族を代表するワンダーホースと言っていいだろう。

ワンダーアキュートの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

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3歳(クラシック級:2009年)

 アキュートは栗東の佐藤正雄厩舎に所属。ちなみに佐藤師は騎手時代、ニシノフラワーで阪神3歳牝馬ステークスを制しており、当コラムに名前が出てくるのは2回目である。

 デビューは1月24日、京都競馬場のダート1800メートル新馬戦。中堅の小林徹弥騎手を背に出走し、単勝7番人気という低評価をひっくり返して鮮やかな逃げ切り勝利を決める。その後2戦は7着、6着と低迷するが、4戦目の3歳500万下(現1勝クラス)で差しにかまえて2勝目を飾り、早くもオープン入りを果たすことに。

 そこで陣営が選んだのは初めての重賞、初めての芝、初めての2400メートルとなる青葉賞。しかし距離はともかく芝が合わなかったのか、最後の直線で沈んで10着に敗れてしまう。

 再びダート戦線へと戻ったアキュートは、翌月のあおぎりステークス(1000万下=現2勝クラス)で3勝目を挙げる。ここで生涯の半数以上のレースで相棒として戦った和田竜二騎手と初めてコンビを組んでいる。

 次戦は大井の交流GI・ジャパンダートダービーとなったが(鞍上は小牧太騎手)、力負けして人気通りの5着。さらに新潟で新設された重賞のレパードステークスでも同期のトランセンドらについていけずに5着と、重賞戦線ではまだ実力不足のようであった。

 そして栗東へ戻ってきたアキュートは、再び和田騎手と組んで快進撃を始める。まずは京都のオークランドレーシングクラブトロフィー(1600万下=3勝クラス)で2着に5馬身、0秒9もの大差をつける圧勝を飾ると、続くシリウスステークスも1番人気だった4歳上の兄スピードらを下して危なげなく勝ち、初の重賞制覇。

 さらに東京へ遠征して安藤勝己騎手と組んだ武蔵野ステークスでは、馬体重が14キロも減って不安視されたものの、余裕の逃げ切り勝ちで本格化の兆しを見せた。

 翌12月にはダート日本一決定戦であるジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)に出走。兄スピードとは2度目の兄弟対決となった。兄弟はともに強豪たちに混じって戦うが、アキュートは6着と久々に掲示板を逃してしまう(兄スピードは15着)。悪いことは続くもので、その後骨折が判明し、1年近くの離脱を余儀なくされるのだった。

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4歳(シニア級:2010年)

 ケガが癒えたアキュートは、11月のみやこステークスで復帰。しかし1年近いブランクがたたってか最後の伸びを欠き、この1年で大きく成長したトランセンドらの後塵を拝して6着に終わる。このレースには引退間際の兄スピードも出走しており、10着だった(なお、次走の名古屋グランプリで重賞5勝目を挙げて引退している。カッコいい!)。

 調整と賞金加算を目指し、次走はオープン特別のベテルギウスステークスへ。ここでは生涯初の1番人気を獲得すると、先行策からの抜け出しという勝ちパターンに持ち込み、危なげなく逃げ切り。1年ぶりの勝利となった。

 そのまま年末の東京大賞典に向かうが、待ち受けていたのはスマートファルコンだった。逃げを敢行しながら、末脚も出走馬中最速というとんでもないレースをされては勝ち目はない。最後の直線で失速したアキュートは、中央勢では最下位となる10着に沈んだ。

5歳(シニア級:2011年)

 ふつうの馬なら引退も視野に入る年齢だが、アキュートにとってはこの1年が飛躍の年となる。まずは2月のオープン特別アルデバランステークスで2着に入ると、あいだを置かずに3月はオープン特別の仁川ステークス、名古屋の交流重賞・名古屋大賞典と中1週で転戦し、1着、2着と好走。

 4月のアンタレスステークスでも2着となったアキュートは、5月の東海ステークスで待望の優勝を果たし、1年半ぶりの重賞勝利となる9勝目をマーク。賞金を加算し、秋のGI戦線に参加できるメドも立ったところで、調整も兼ねて長めの放牧へ向かった。

 秋になりパワーアップして帰ってきたアキュートは、前年に続いてみやこステークスから始動。スマートファルコン、トランセンドとともにこの時期の“ダート3強”と呼ばれていたエスポワールシチーらに敗れるも、内容は悪くなく4着にまとめる。

 そしていよいよ“3強”との本格的な対決が始まる。

 ジャパンカップダートにはトランセンド、エスポワールシチーが出走。その2頭がハナを主張し合い、それを制したトランセンドが逃げ込みを図るところに、スタートでつまづいて出遅れたアキュートが猛然と追い込んでくる。トランセンドには及ばなかったが、エスポワールシチーはハナ差かわして2着に入る。3強の1角を実力でこじ開けることに成功したのである。

 その勢いを駆って迎えた東京大賞典には、ドバイワールドカップへの挑戦を目標に掲げていたスマートファルコンが待っていた。圧倒的1番人気を背に好スタートから悠々と逃げるスマートファルコンだったが、3番人気のアキュートも4番人気テスタマッタと馬体を合わせながら追走し、ピッタリとマークする。そして最後の直線に入ると競り合う相手をスマートファルコンに切り替え、少しずつ追い詰めていく。

 一完歩進むごとに少しずつ縮まっていく差。前年のJBCクラシックから重賞7連勝、GI級に限っても4連勝中の“砂の王者”スマートファルコンが、ついに失冠するかもしれない……と、観客も沸き立つ。そしてとうとう並んだところでゴールとなった。

 しかし、写真判定の末、勝ったのはスマートファルコンだった。惜しくもハナ差敗れる形となったアキュートだが、このレースを生涯最高の戦いに挙げるファンも多い。それほどの激闘だった。

6歳(シニア級:2012年)

 賞金加算に奔走した前年とは異なり、十分な賞金を手にしたアキュートはフェブラリーステークスに出走を決める。ここには何度も煮え湯を飲まされてきた同期のライバル・トランセンドも、エスポワールシチーとともに出走していた。しかし、いつもなら積極的にレースを引っ張るはずの“3強”の2頭を制して、伏兵のセイクリムズンやトウショウカズン、グランプリボスといった伏兵たちが逃げを敢行する。

 5、6番手からレースを進めざるを得なくなったトランセンドたちと、彼らをマークするアキュート。ともに理想の展開とは言えなかった。そんな彼らの隙を、後ろから虎視眈々と狙っていた追込勢が最後の直線で相次いで抜け出す。トランセンドはついていけず、アキュートとエスポワールシチーは食い下がるも、切れ味の差は明らかだった。

 東京大賞典では下したテスタマッタやシルクフォーチュンなどの同期勢にかわされ、アキュートは3着。エスポワールシチーは5着、ドバイワールドカップを控えたトランセンドは7着だった。アキュートにとっては、絶好調だっただけに悔しいレースとなった。

 その後も春は冴えないレースが続き、船橋のダート2400メートル戦・ダイオライト記念は4着、前年に勝利した東海ステークスにいたっては10着と惨敗してしまう。じつはみやこステークス以降、馬体重がプラス14キロ、マイナス10キロ、プラス12キロ、マイナス10キロ、プラス12キロと1レースごとに乱高下しており、ウマ娘としてのプロフィールにあるように非常に“不安定”な状態が続いていた。ここで陣営は放牧して立て直すことを決断する。

 秋はJBCクラシック(この年は川崎で開催)から始動。馬体重は前走比マイナス21キロとまた大幅に変化していたが、体は十分に引き締まって絶好調だった。

 春の不振から5番人気に留まったアキュートだったが、好スタートから先頭のすぐ後ろにつけると、主導権を奪おうと競い合う他馬を尻目に、そのまま最終コーナーまでポジションをキープしながら機会を待つ。そして直線に入ると満を持してゴーサイン。トランセンドらをグングン引き離し、2着シビルウォーに5馬身、1秒の大差、3着トランセンドには8馬身、1秒6差をつける圧勝を飾った。

 鞍上の相棒、和田騎手はテイエムオペラオーで勝った2001年の天皇賞(春)以来、11年ぶりのGI級勝利となった。

 しかしそれからはつねに馬券圏内(3着)を確保するも、勝ちきれないレースが続く。3年連続の出走となった東京大賞典ではトランセンドやエスポワールシチーを抑えて1番人気に支持されるも、レースでは競り負けて3着に終わった。

7歳(シニア級:2013年)

 年明けの川崎記念では1番人気に支持されたが、惜しくも2着。フェブラリーステークスではエスポワールシチーとともにラスト猛烈な競り合いを演じるが、その2頭をかわして5歳馬グレープブランデーが優勝した。

 前年限りでスマートファルコンとトランセンドが引退、エスポワールシチーも8歳となり衰えを隠せなくなっていた。そんな中でアキュートは、抜きん出ることができなかったのである。 

 新たにダート界の主役となったのは、4歳のホッコータルマエだった。5月のかしわ記念で初のGI級勝利を飾ると、アキュートも参戦した帝王賞も勝利。ダート中距離路線を引っ張る存在となった。

  秋は日本テレビ盃から始動。帝王賞から鞍上が武豊騎手に変わっていたアキュートは、このレースで前年のJBCクラシック以来、久々となる勝利を挙げる。

 しかし、連覇を狙ったJBCクラシックではホッコータルマエに敗れて2着。そして4回目の挑戦となったジャパンカップダートでは、ついにホッコータルマエを差し切るも、ダート転向後に連勝を続けていた上がり馬ベルシャザールをクビ差捉えきれずにまたしても2着。

 年末の東京大賞典ではまたまたホッコータルマエにやられて2着と、GI級競走で3連続の2着を記録。“砂のシルバーコレクター”というありがたくない称号を頂戴するハメとなった。

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8歳(シニア級:2014年)

 この年はホッコータルマエに加えて、新たな若きライバルが台頭した。

 アキュートの初戦は2月のフェブラリーステークス。昨秋アキュートの前に立ちはだかったベルシャザールとホッコータルマエがそれぞれ1番人気と2番人気で、アキュートはそこから離れた5番人気となった。

 しかし、このレースを制したのは16頭中16番人気のコパノリッキー。単勝272.1倍という評価をあざ笑うかのように見事な逃げ切り勝利を決めた。アキュートはほぼ人気通りの6着だった。

 この勝利はフロックではなく、続くかしわ記念でもコパノリッキーは連勝。ダート界のニュースター、コパノリッキーの誕生であった。

 かしわ記念でのアキュートは3着。フレッシュな人材がつぎつぎと現れて優勝をかっさらっていく様子を見たファンたちは、「アキュートはもはやシルバーコレクターにもなれなくなったのでは……」ときびしい目を向けた。

 しかし、祖父プレザントタップの不屈の血が、ここで燃え上がる。続く帝王賞では好スタートから3番手を追走。そして最後の直線に入るとじわじわとコパノリッキーを引き離していき、2馬身差の完勝を決めた。コパノリッキーがスローペースに我慢できず、道中スタミナを浪費してしまったことも要因として挙げられ、まさに8歳の経験値で勝ったGI級2冠目であった。

 とは言え、世代交代は確実に進んでいた。秋はコパノリッキー、ホッコータルマエの“2強”がダート戦線を席巻する。JBCクラシックはコパノリッキーが優勝(アキュート3着)、ジャパンカップダートがリニューアルする形となったチャンピオンズカップはホッコータルマエが優勝(アキュート5着)、東京大賞典もホッコータルマエが優勝(アキュート7着)と、2頭でGI級タイトルを分け合う結果となった。

9歳(シニア級:2015年)

 この年も2強の活躍は続く。

 川崎記念はホッコータルマエが優勝(アキュートは未出走)、フェブラリーステークスはコパノリッキーが優勝(アキュート9着)し、2頭の強さには陰りが見えない。一方、アキュートはとうとう掲示板(5着以内)の確保も難しくなってきていた。

 だが、アキュートは不屈の馬である。通算44戦目、13戦ぶりに和田騎手とコンビを復活させて挑んだかしわ記念で奇跡は起きた。

 歳を重ねて精神面がだいぶ落ち着いてきたアキュートは、元気よく飛び出していく若者たち(同じ9歳のセイクリムズンもいたが)を先に行かせて、道中は中団6番手から追走する。

 そして3コーナーからじわじわと差を詰めていき、最終コーナーの立ち上がりでは、最内を突いたベストウォーリアと外に膨らんだハッピースプリントのあいだを割る形で伸びてきた。そしてあっという間に先頭に立つと、余裕のクルージングである。

 アキュートはダート路線の主役になることはできなかった。しかし、2強がいないこの場では役者が違う。平地でのGI級競走最年長勝利は、こうして生まれたのである。

 その後は帝王賞8着、マイルチャンピオンシップ南部杯を3着、チャンピオンズカップ6着、東京大賞典は最後にコパノリッキーをかわして3着。2度も馬券圏内に入るなどいぶし銀の活躍を見せたが、この年限りで引退。ラスト2戦ではまたしても馬体重増減がふたケタに乗るなど、最後までそのスタイルが変わることはなかった。

 ワンダーアキュートの通算成績は48戦13勝、重賞7勝(うちGI級3勝)、通算獲得賞金は中央地方合わせて約8億7000万円と、太く長く活躍した。勝ちきれないが、とはいえ大負けもしないという不思議な馬で、全盛期は6歳だった2012年秋から7歳になった2013年末あたり。たまに主役を食うほどの好演をする名脇役として、ダート界を長く支えた。

ワンダーアキュートの引退後

 2016年よりアロースタッドで種牡馬となったアキュート。血統的な難しさからあまりお嫁さんは集まらないようだが、現在も元気に活動中である。現役時代のように、忘れたころに一発カマしてくれるのかもしれない。気長に吉報を待ちたいものである。

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