サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年11月9日に新たな育成ウマ娘“星3[死中求活]ナカヤマフェスタ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のナカヤマフェスタ

公式プロフィール

  • 声:下地紫乃
  • 誕生日:4月5日
  • 身長:159センチ
  • 体重:レースに支障なし
  • スリーサイズ:B78、W54、H79

アウトロー気質の勝負師。無気力でブラブラしていたが、恩師の導きで、レースに身を投じるスリルに出会う。
ギリギリで生きることしかできず、ぬるい状況だと手を抜きがち。古き良き人情派で、よく裏路地で、見知らぬ人とホルモン煮込みをつついている。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

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ナカヤマフェスタの人となり

 スリリングな“勝負”の中に己の存在意義を感じる、生粋の勝負師。ふだんはクールだが、対決になるとアツくなる。

 ナカヤマフェスタの所属は美浦寮で、シリウスシンボリと同室という描写がある。また、ゴールドシップとは“行動が読めず愉快”、“おもしれーヤツ”とお互いを認め合う仲で、さまざまな対決をくり広げている。ちなみに、競走馬のナカヤマフェスタはゴールドシップよりも3歳上で対戦経験はないが、同じステイゴールド産駒の“問題児”という共通点を持つ。

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 近しい関係にあるウマ娘にはほかにも、同期のトーセンジョーダン(モデル馬も同い年で1度だけ対戦経験がある)、エルコンドルパサーなどがいる。エルコンドルパサーからは“気になる後輩世代”と思われているらしい。なお、競走馬のナカヤマフェスタとエルコンドルパサーは、ともに凱旋門賞で惜しい2着に入っているという共通点がある(詳細は後述)。

 交友関係は意外に広く、サトノダイヤモンドとはゴールドシップとともに“ジンクス破り”の手助けをする(3人のモデル馬はいずれも凱旋門賞に挑戦している)というイベントで絡んでおり、さらにマチカネフクキタルやエイシンフラッシュ、サクラバクシンオーといったウマ娘のイベントに登場したりしている。

 なお、ナカヤマフェスタのSSRサポートカードの[43、8、1]というネーミングは、モデル馬が人気薄の状況から勝利して世間をあっと言わせた2010年の宝塚記念が元ネタだと言われている。ファン投票43位、単勝8番人気、レース1着……という、フェスタを象徴する大番狂わせがあったレースである。

 モデル馬は東京スポーツ杯2歳ステークスを9番人気1着、宝塚記念を8番人気1着、凱旋門賞を10番人気2着と、不利と見られている状況のときこそ好走を見せていたことから、ウマ娘としてのフェスタも勝負師的な性格になったとも言われている。

 勝負服は、モデル馬の勝負服のカラーリング(赤地に白二本輪、青袖)が反映されている。細かいところでは、瞳が“スミレ色”になっていて、これはモデル馬が凱旋門賞に挑んだ際にチームに名付けられた“チームすみれの花”が由来になっているものと思われる。ウマ娘のフェスタ自身もスミレの花が好きなようだ。

競走馬のナカヤマフェスタ

ナカヤマフェスタの生い立ち

 2006年4月5日、北海道むかわ町の新井牧場にて生まれる。父はステイゴールド、母はディアウィンク。現在から見ると良血と言っていい血統だが、当時はステイゴールド産駒の評判はまだそれほど高くなく、実績はドリームジャーニーが朝日杯フューチュリティステークスに勝ったくらいだった(それでもGI馬を出しているのだからすごいのだが)。

 ナカヤマフェスタは2007年のセレクトセールで1000万円で落札。冠名の“ナカヤマ”に、イタリア語で“お祭り”を意味する“フェスタ”を合わせて名付けられた。

 ドリームジャーニーとオルフェーヴルの兄弟やゴールドシップなど、問題児揃いのステイゴールド産駒だが、フェスタも気分屋でかなりの難物だったようだ。とくに調教になると言うことを聞かなくなり、3歳秋になるとまともな稽古ができないというありさまだった。

 それでも能力は非常に高く、調教ができない中で重賞のセントライト記念を勝利するほど。そしてその後気性が安定したフェスタは本来の実力を発揮し、宝塚記念で勝利、凱旋門賞で2着という成績を残すにいたる。とくに凱旋門賞は敗れたとは言え、勝利馬との着差だけ見ればエルコンドルパサーの半馬身差を上回るアタマ差で、現在のところ日本でもっとも戴冠に近付いた馬なのである。

 脚質は、宝塚記念で見せたような強烈な末脚を活かした“差し”がメインだが、スピードも兼ね備えており先行策を採ったこともある。距離はデビュー2戦と菊花賞を除き2000~2400メートルのレースでしか走っていないが、産駒の傾向からすると距離の融通が利く素質はあったのではと思われる。また、不良馬場の日本ダービーで出走馬中最速の末脚を見せたり、ただでさえパワーが必要と言われる凱旋門賞を不良馬場で2着するなど、重馬場への適性は高かったようだ。

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ナカヤマフェスタの血統

ナカヤマフェスタ血統表

 父ステイゴールドはサイレンススズカ、マチカネフクキタル、メジロブライトらと同じ1994年生まれ。国内外で6年にわたって活躍しシルバーコレクターとして愛され、最後に遠征先の香港でGIを勝つというドラマティックな競争生活を送った。ただし、草食動物の馬であるにも関わらず「肉をやったら食うんじゃないかと思ったほど凶暴だった」と言われるほどの激しすぎる気性のせいで、実力をフルに発揮できなかったと言われていた。

 種牡馬としてはメジロマックイーンを父に持つ繁殖牝馬と相性がよく、その組み合わせで生まれたドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップの3頭が大活躍。それ以外にもナカヤマフェスタ、フェノーメノ、ウインブライト、歴代最強の障害競走馬と言われるオジュウチョウサンなど合計12頭ものGI馬を輩出した。

 無尽蔵のスタミナ、溢れる闘争心と勝負根性、切れ味鋭い末脚など、競走馬として必要な素養を産駒によく伝えたが、一方で気性の悪さも絶望的で、牧場や厩舎のスタッフを始め関係者を大いに悩ませる問題児もたくさん誕生している。

 母ディアウィンクは現役時代はデビュー戦を除いてダートで走り20戦1勝。血統的には曽祖父のリボー、母の父デインヒルなど、パワーや底力にすぐれた先祖の名前が見受けられる。近親には重賞級の勝利馬はいないが、地方競馬では多くの馬が複数勝利を挙げている。

 ステイゴールドは優秀だがかなり小柄だったため、種付けする牝馬も小さいと産駒が小さくなり過ぎて競走馬としてはきびしくなる懸念があった。そのため、牝馬としてはやや大柄なディアウィンクは体格的にはちょうどよかったのかもしれない。フェスタは能力や気性面こそ父をよく受け継いでいたが、体格は標準よりやや小さいくらいで生まれてきた。

ナカヤマフェスタの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

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2歳(ジュニア級:2008年)

 順調に成長したフェスタは、かつてエルコンドルパサーも在籍していた美浦の二ノ宮敬宇厩舎へと入厩する。じつはフェスタをオーナーに推薦したのも二ノ宮師で、フェスタの前にはナカヤマトップガンというマヤノトップガンの仔も管理していた。

 ナカヤマフェスタのデビュー戦は11月2日の東京競馬場、芝1600メートルの新馬戦。単勝3番人気で内田博幸騎手を背に出走し、好位から差し切って見事勝利を飾った。しかしその内容は、多数の出遅れや、多くの馬を巻き込んだ他馬のトラブルなどに助けられたところもあって、あまり評価されなかった。

 そのせいか、2戦目の東京スポーツ杯2歳ステークスは9番人気、単勝支持率は約3%という低評価だった。それもそのはず、出世レースと言われるほど多くの活躍馬を輩出しているこのレースには、のちに重賞4勝の活躍をするサンカルロなどこの世代の注目馬が集結していたのだ。

 しかし、その後主戦となる蛯名正義騎手とコンビを組んだフェスタはそんな低評価をはねのけ、直線の叩き合いをクビ差制して2連勝。『ウマ娘』の1コママンガで降水確率90%の中「降らねェ方(10%)に賭ける」と言っていたフェスタだが、このレースではそれを上回る単勝27.5倍、約3%の支持率で勝ち抜いたのである。

3歳(クラシック級:2009年)

 ナカヤマフェスタの3戦目は年明けの京成杯。ここで生涯唯一となる1番人気に支持されるのだが、他馬の落馬のあおりを受けたこともあって最後伸びきれずに2着と惜敗する。

 その後はダービーを見据えて、あえてステップレースは使わずに皐月賞へと直行。ロジユニヴァース、リーチザクラウン、アンライバルドの“3強”の後塵を拝し、6番人気に支持された皐月賞は、道中一度もペースが緩まないきびしいレースに。フェスタはいつものように中団の前目につけていたのだが、それがたたってスタミナを消耗し、最後の直線では勝負ができずに8着と敗れた。

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 そして迎えたダービーは勝ち時計が2分33秒7という、とんでもない不良馬場に。出遅れてしまったフェスタは後方からレースを進め、勝ち馬ロジユニヴァースを上回る最速の末脚をくり出すも追いつかず、4着に終わった。

 不完全燃焼に終わった春シーズンだったが、秋初戦のセントライト記念は有力馬がこぞって神戸新聞杯に参戦してメンバーが手薄だったこともあり2番人気に。ここを危なげなく勝利し、いい感触を得て3冠のラストである菊花賞へと向かう。

 ところが、この時期は前述の通り、ステイゴールド産駒の持病とも言える“気性難”がひどくなっていた。じつはセントライト記念でもゲート入りの際に嫌がったり、道中蛯名騎手の支持に逆らうようなそぶりを見せていたのだが、その後は調教も満足に積めなくなっていたのである。

 本番の菊花賞でもそういった状況は続き、気性をコントロールできずに12着と惨敗。さらに次戦、トーセンジョーダンとの唯一の直接対決となった12月の中日新聞杯でも13着とボロ負け。ナカヤマフェスタにとってこの1年は、デビュー2連勝でクラシックのタイトルが期待されたものの、どれも手が届かないというきびしい年となった。

4歳(シニア級:2010年)

 立て直しのため、フェスタには4ヵ月もの休養が与えられた。復帰戦は、4月のオープン特別(当時)であるメトロポリタンステークス。単勝人気は3番人気で、上位2頭は重賞を勝ったことがない馬だった。フェスタは馬ざかりの4歳で、重賞2勝馬であるにも関わらず、それほどファンの支持が得られなかったのである。気性難の報道が影響したのだろうか。

 ただ、ハンデも56キロと思わぬ軽量になった。実績を考えればもう2キロくらい重くても何ら不思議はないが、そこまでの好条件で負けるわけにはいかない。新コンビの柴田善臣騎手とともに先行策から早々に抜け出して快勝し、幸先よく4勝目を挙げた。

 しかし、この勝利がラッキーと思われたのか、周囲の評価はやはり上がらない。迎えた宝塚記念も8番人気で、オッズは37.8倍と振るわなかった。単勝支持率を試算すると約2パーセント。低評価を覆した東京スポーツ杯2歳ステークスのときよりもさらに下である。

 相手も強豪揃いだった。1番人気は同期でGI4勝、春にはドバイシーマクラシックで2着に入った女傑ブエナビスタ(スペシャルウィーク産駒)。2番人気は天皇賞(春)を勝ったジャガーメイル、さらに中日新聞杯でフェスタに2秒1もの差をつけて勝っているアーネストリー(グラスワンダー産駒)、前年の覇者ドリームジャーニー、同期のダービー馬ロジユニヴァースなどなど多士済々だ。

 フェスタは休養がいい方向に作用したのか気性難はマシになってきていたものの、それでもこのレースではゲート入りを嫌がっていた。ただ、スタートはうまく決まって中団に控えて進み、第4コーナーで好位に取りつくという理想の展開を迎える。じつは手綱で促してもフェスタが動いてくれないので、柴田騎手が早めにムチを入れて何とか動かしていたのだ。

 とは言え、勝負どころで絶好のポジションを取ったフェスタ。内で競り合うブエナビスタとアーネストリーを尻目に、フェスタは外から猛然と追い込んでいく。少し緩めの馬場も味方して、あっさりと全馬を差し切り、まさかのGI初勝利を飾ったのだった。この激走には、ひとつ外のドリームジャーニー(18番枠、フェスタは17番だった)と間違えて馬券を買ってしまっていた筆者も含め、日本中が驚いた。

 

 レース後にはさらに驚きの発表が。なんと、フェスタが凱旋門賞に挑戦するというのだ。長らく低迷し、GI初勝利を挙げたばかりのフェスタが世界に打って出るとは……。じつはこの話は1年前のダービーのころから出ていたという。二ノ宮師のフェスタに対する思い入れやレースに対する情熱はとても強く、GIさえ勝っていないころからオーナーを動かして最初の登録は済ませていた。それが宝塚記念を勝ったために、本格的に動き出すことになったのだ。

 かくして、凱旋門賞遠征チームである“チームすみれの花”が結成。二ノ宮師と蛯名騎手は、エルコンドルパサーでモンジューに敗れた際のリベンジを果たすべく、再びフランスの地へと降り立ったのである。

 前哨戦のフォワ賞はスローペースに悩まされ、直線での追い比べには敗れたものの2着と上々の結果に。そしてついに本番を迎える。最大の強敵は、イギリスダービーを7馬身差という記録的な大差で勝利した3歳馬ワークフォース。それ以外にも世界の強豪たちが名を連ねていた。のちにドバイワールドカップを制することになる日本馬のヴィクトワールピサも、有力馬の1頭に数えられていた。

 レースが始まり、いつものように中団につけたフェスタは、最終コーナーで進路を塞がれて鞍上の蛯名騎手が立ち上がるほどの不利を受ける。だが、直線に入ると猛然と追い込み、なんと先頭へ。実況アナウンサーは「ついに夢が叶うか!」と叫び、ファンの誰もがフェスタの大仕事を期待した。

 しかし、そこに大本命のワークフォースが立ちはだかる。外からも3歳牝馬サラフィナが飛んでくるが、ほぼフェスタとワークフォースのマッチレースの様相を呈していた。

 200メートル以上にも及ぶ、2頭の壮絶な叩きあい。フェスタは一度はワークフォースに抜かれ、離されかけるも根性を見せて追撃し、再びワークフォースを捉えにかかる。しかし、アタマ差まで迫ったところがゴールとなった。日本調教馬による凱旋門賞制覇という夢は、また叶わなかった。

 とはいえ、わずか半年前にオープン特別で走っていた馬が、世界の頂点にあと一歩のところまで迫ったのである。まさにフェスタは世界を驚かせた馬だった。

 帰国後はジャパンカップに出走。しかし、フェスタは最後の直線で失速して14着に終わる。じつはこのとき、左肩ハ行などのケガをしていたのだ。激走の反動だったのだろうが、これによりフェスタは翌年の春シーズンまで休養することとなる。

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5歳(シニア級:2011年)

 上半期を全休したフェスタは前年同様、凱旋門賞への挑戦を表明する。

 しかし、すでにピークは過ぎていた。2年連続となる前哨戦のフォワ賞は最下位となる4着。凱旋門賞では後方からの競馬となり、直線でも伸びずに11着と敗れたのである。そしてここで引退し、種牡馬入りすることに。奇しくも前年の凱旋門賞馬ワークフォースも12着と敗れ、日本での種牡馬入りが発表される。2頭の戦いはターフから牧場へと持ち越されることとなった(その後、ワークフォースは2016年にアイルランドへ移っている)。

 ナカヤマフェスタの通算成績は15戦5勝、重賞3勝(うちGI1勝)、通算獲得賞金は約2億9千万円(凱旋門賞を除く)。1番人気で走ったことが1回しかなく、つねにアウトサイダーとして戦っていたが、いくたびもの乾坤一擲の大駆けで競馬ファンを仰天させた馬だった。

引退後のナカヤマフェスタ

 2012年よりブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬となったフェスタには多数の繁殖牝馬が集まった。しかし思うように活躍馬を輩出することができず、2017年にはシンジケートも解散することになる。すると翌2018年、ガンコが日経賞を勝って産駒が初の重賞制覇を果たす。人気が落ちたころに一発かますという、あまのじゃくなところは、現役時代と変わらないようだ。

 さらに2020年にはバビットがラジオNIKKEI賞、セントライト記念と重賞を2勝し、その後に続いている。フェスタは2019年からアロースタッドに移り、現在も種牡馬生活を続けている。ステイゴールド産駒の中でも、ゴールドシップらに劣らずの個性派であったフェスタ。そんな彼の血を受け継ぐ、第2、第3のフェスタの登場に期待したい。

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