サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年10月11日に新たな育成ウマ娘“星3[Flare]アストンマーチャン”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のアストンマーチャン

公式プロフィール

  • 声:井上ほの花
  • 誕生日:3月5日
  • 身長:152センチ
  • 体重:にんじん○本分
  • スリーサイズ:B86、W55、H80

マーちゃん人形を携えて、カメラがあれば寄ってくる。
趣味はボイスメモ録音と何ともヘンテコなウマ娘。
そんな彼女の夢は世界を股にかけるマスコットになること。
雲みたいにふわふわした言葉の裏には、なにか願いがありそうな気も……?

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘・元ネタ解説】アストンマーチャンは志半ばで夭折したスプリンター。ウオッカ&ダスカ世代の女傑について史実のエピソードやゲームの元ネタを紹介

アストンマーチャンの人となり

「明日も明後日も、百年先も。あなたの心の隅っこに、アストンマーチャン。どうぞ、よろしくです」

 カメラのあるところアストンマーチャンあり。超マイペースでふわふわとした言動が特徴の、なかなか変わったウマ娘。一人称は“マーちゃん”である。

 初めてトレーナーたちの前に姿を見せたのは、ゲームリリース1周年記念の短編アニメーション(※)。キタサンブラック&サトノダイヤモンド、チームスピカの面々によるやり取りの後ろで何度も大胆に見切れる印象的な顔見せだった。

 その後1.5th Anniversary限定ストーリー第2話でゲームにも初登場。トウカイテイオーの撮影が行われているさなか、微笑みながらスッと画角内に映り込んでテイオーをビックリさせていた。なお、当のテイオーも、アニメ『うまよん』でアストンマーチャン同様の映り込みを何度も目論んだために会長&副会長に怒られた……という別世界線のエピソードがあったりする。

 そこに居合わせ、撮影のジャマになっていた彼女を連れ出したのがウオッカやダイワスカーレットら。史実でも同い年でそれぞれ対戦経験もある3人は、『ウマ娘』の世界では仲よしのようだ。

 「マーちゃんのこと覚えてくれましたか?」など、自己アピールに余念がないアストンマーチャン。後述するが、彼女のモデル馬は病気により4歳で早逝している。ゆえに、『ウマ娘』を通じてその存在が多くの人の記憶に長く残るように……という制作陣の願いが込められているのかもしれない。

 一方、ウマ娘としての体型は、プロフィールやビジュアルを見ていただくとわかるように、いわゆる“トランジスタグラマー”。小柄ながらグラマラスなボディーやクリッとした目は、モデル馬の特徴がよく表れている。

 王冠を被っているのは、彼女の馬名の由来でもある自動車ブランド“アストンマーティン”が、英王室御用達だからだろう。なお、王冠の模様もアストンマーティンのコーポレートカラーとモデル馬の勝負服(白地+海老色の襷、海老色の袖)の色で塗り分けられている。

 ちなみに馬名登録では“サーキット名”+“人名愛称(オーナーの愛称)”とされているが、じつはアストンマーティンも“アストンヒル”というサーキット名と創業者のファミリーネーム(マーティン)を組み合わせて生まれた名前であり、それにならったのかもしれない。

競走馬のアストンマーチャン

アストンマーチャンの生い立ち、特徴

 2004年3月5日、北海道千歳市の社台ファームにて生まれる。父はアドマイヤコジーン、母はラスリングカプス。近親からは重賞勝ち馬は出ていないが、甥(全妹ジャジャマーチャンの仔)であるトゥラヴェスーラは現在重賞戦線で活躍を続けており、GI高松宮記念では2021年、2022年と2年連続で4着になるなど健闘している。

 アストンマーチャンは早くから動きがよく、素質馬と見られていた。しかし父アドマイヤコジーンの初年度産駒だったため、まだ特徴などの評価が定まっておらず、素質馬が集まるセレクトセールでは買い手がつかなかった。

 ただし、そこはセレクトセールに上場されるほどの馬である。程なくオーナーが決まり、そこからはデビューへ向けて順調に歩を進めることとなった。アストンマーチャンは牧場では優等生で、調教はつねに順調、まったく手がかからなかったという。レースになるとテンションが上がって前に行きたがる気の強さや、大レースで見せた繊細さなど、気性面での問題が表面化していったのはデビュー後の話である。

 整った顔立ちに加え、小柄ながら肉付きのいい馬体をしており、かわいらしいと人気を博したアストンマーチャン。その中身には両親から受け継いだスピードとパワーが詰まっていた。ピッチ走法からくり出す、とてつもない加速力と最高速はまさにスポーツカーと賞されるものだった。

 体質面でも幼駒時代からずっとケガとは無縁で、その点でも優等生。見た目よし、走力よし、性格よし、体質よし。ホメる言葉しか出てこない。

アストンマーチャンの血統

【ウマ娘・元ネタ解説】アストンマーチャンは志半ばで夭折したスプリンター。ウオッカ&ダスカ世代の女傑について史実のエピソードやゲームの元ネタを紹介

 父アドマイヤコジーンは短距離~マイル戦線を中心に23戦6勝、GI2勝の戦績を残した快速馬だが、その戦績の中身がすごい。2歳時に朝日杯3歳ステークス(名称は当時のもの)を制して2歳チャンピオンになるも、年明けに大ケガを負い、1年7ヵ月もの戦線離脱を余儀なくされたのである。復帰後も長いスランプに陥り、5歳時にはとうとうオープン特別でも着外に沈んでしまうように。

 しかし6歳にして再び覚醒、GIII2連勝後に高松宮記念2着、安田記念1着、スプリンターズステークスでも2着に入り、JRA賞最優秀短距離馬を獲得する。

 あまりに劇的な競走馬生活を送ったアドマイヤコジーン。ただ、能力に関しては文句はなかったものの、体質面や馬場適性、さらに低迷時の体たらくをどう評価するかなど、種牡馬としては未知数な要素が多すぎた。そのため、アストンマーチャンも最初のセリでは買い手がつかないという事態に陥ってしまったのである。

 アドマイヤコジーンの代表産駒にはアストンマーチャンのほか、2014年のスプリンターズステークスを制したスノードラゴンがいる。その他、活躍馬は短距離戦が得意な馬が多かった。仔のアストンマーチャンには父の特徴が多く継がれており、豊かなスピードと先行力(そしてスタミナ面の不安も)は、いずれも父と同じかそれ以上だったかもしれない。

 一方、母のラスリングカプスはアメリカで3勝を記録。勝利したレースは芝1200メートル、ダート1000メートルという条件下で、そのことから彼女自身はスピードとパワーを兼ね備えた繁殖牝馬になると言われていた。

 また、若いころは気性的にキツいところもあったようで、アストンマーチャンはそういった気質も受け継いだのだろう。

 父と母によるスピードとパワーの才能が凝縮されて生まれたのがアストンマーチャンだったのである。

アストンマーチャンの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

【ウマ娘・元ネタ解説】アストンマーチャンは志半ばで夭折したスプリンター。ウオッカ&ダスカ世代の女傑について史実のエピソードやゲームの元ネタを紹介

2歳(ジュニア級:2006年)

 栗東の石坂正厩舎に所属することが決まったアストンマーチャンは、引き続き順調に調教が進んで7月22日、デビュー戦を迎えた。小倉競馬場の芝1200メートルコースで行われる2歳新馬。鞍上には武豊騎手を配し、単勝では1番人気となったシャルマンレーヌと差のない2番人気に支持された。

 やや出遅れたものの前目でレースを進め、最後の直線ではシャルマンレーヌとの一騎討ちに。しかしここで外にヨレてしまい、そのロスが響いてクビ差2着に終わってしまう。どうやら、場内のターフビジョンが目に入ってビックリしてしまった模様。敵は思わぬところに潜んでいたのだ。

 続く未勝利戦では、和田竜二騎手を背にゴール前で逃げ馬を捉えて半馬身差で初勝利をマークする。3戦目の重賞、小倉2歳ステークスでは、早めに先頭に立つ作戦を採用したのがズバリと的中。2馬身半ものセーフティーリードを保ったまま余裕の逃げ切り勝ちを収め、鞍上の鮫島良太騎手ともども重賞初勝利を飾った。

 快進撃は終わらない。2ヵ月の放牧を経てパワーアップし、武騎手も戻ってきた4戦目のファンタジーステークスでは、小倉2歳ステークスをさらにバージョンアップさせたような強い内容に。終わってみれば2着イクスキューズに5馬身もの大差をつけての楽勝だった。

 その圧倒的な内容から阪神ジュベナイルフィリーズでは単勝1.6倍という断トツのオッズで1番人気に支持される。しかし、そこにまだ1勝馬だったウオッカが立ちはだかる。前走同様、早め先頭から逃げ込みを図ろうとするアストンマーチャンの外から、ものすごい脚で追い込んでくるウオッカ。結果はクビ差でウオッカに敗れることとなったが、後続は彼女たちの影すら踏むことを許されないほどの強い内容だった。

3歳(クラシック級:2007年)

 放牧を経ての3歳初戦は、桜花賞の前哨戦となる報知杯フィリーズレビュー。ウオッカやダイワスカーレットはチューリップ賞を選択し、ほかに有力馬もいなかったため、アストンマーチャンは単勝1.1倍、2番人気以下は10倍以上のオッズがつくという圧倒的な支持を得る。そして人気に応えて2馬身半差の勝利。桜花賞を控えてウオッカ、ダイワスカーレットとともに“3強”に数えられることとなった。

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 そして本番。阪神競馬場で本馬場入場を果たした18頭の中には、それまでにないほどに力んでしまっているアストンマーチャンの姿があった。ウオッカに次いで2番人気に支持されていた彼女だったが、レースでは最後の直線で失速し、ダイワスカーレット、ウオッカからは大きく遅れた7着に敗れてしまう。

 陣営は直前に食欲不振に陥って状態が落ちてしまっていたこと、距離適性が合わなかったことを原因と見て、ここで路線を大きく転換する。オークスどころかNHKマイルカップもスキップし、秋のスプリンターズステークスを目標にローテーションを組み直したのである。

 放牧で状態を立て直し、つぎなる戦いは8月の重賞、北九州記念。デビューから3戦走った小倉競馬場芝1200メートルという、勝手知ったるコースで復活を期した。しかし、豪腕で知られる岩田康誠騎手をもってしても、最後にまたしても失速して6着に敗れる。ファンのあいだからは「ただの早熟馬だったのでは……」という声も上がるようになっていた。

 さらに悪い報せは続き、主戦の武騎手は先約があってスプリンターズステークスではアストンマーチャンに騎乗できないことがわかった。そんな中でも、陣営は最善を尽くすべく、つぎつぎと新たな手を打っていく。

 まずは坂路調教の本数を増やして身体面の強化を図った。まだ若さゆえの緩さも残っていたアストンマーチャンだったが、この特訓が効いたのか筋肉が急激につき、馬体重は1ヵ月のあいだに10キロも増えていた。

 そして鞍上には関東所属のベテラン、中舘英二騎手を起用したのである。ヒシアマゾンの主戦を務めた実力者である一方、“逃げ”の名手としても知られていた中舘騎手。そんな彼を起用する理由は明白である。ツインターボとのタッグを始め、数々の大逃げを決めてきた彼は、アストンマーチャンに新たな道を指し示すこととなった。

 大雨に見舞われた中山競馬場。馬場は“不良”が伝えられていた。しかし、大量の水を含んで重くなった芝をかき分けて進む“馬力”が必要とされるこのコンディションこそ、アストンマーチャンが両親譲りのパワーを発揮する最高の舞台だった。

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 前走、セントウルステークスの圧勝ぶりから1番人気に支持された5歳牝馬サンアディユやGII4勝の8歳馬ローエングリンが逃げようとするのを制し、アストンマーチャンがハナを奪う。自身初の逃げを敢行した彼女は、その勢いのまま前半600メートルを33秒1という不良馬場としては信じられないような超ハイペースで逃げる。「そんなハイペースで最後までもつのか?」と場内からは悲鳴も上がっていた。

 しかし鞍上の中舘騎手が不安視していたのは、折り合いだけだった。行きたがる意欲さえ無理なくコントロールできれば。その結果が33秒1という超速ペースだった。馬との意思疎通は悪くない、あとはミッションを遂行するのみ。

 数多くの逃げ馬を勝利に導いてきた中舘騎手にとって、逃げの極意というのは“ゴール地点でスタミナを使い切る”というもの。ガス欠にならない、ギリギリのラインで相棒を粘らせる。

 最後は、最悪の馬場状態も味方した。ぬかるんだ地面に脚がとられる不良馬場では急加速が難しく、差し、追込馬にとっては実力を発揮することが難しい。さすがの1番人気の実力でサンアディユが最後迫ってきたものの、時すでに遅し。まんまと逃げ切りに成功した。3歳牝馬によるスプリンターズステークスの制覇は、ニシノフラワーに続く史上2頭目の快挙だった。

 逃げの名手に導かれ、あまりにも鮮やかな逃走劇を演じきったアストンマーチャン。だが、その反動は大きかった。続くスワンステークスではまたしても最後に失速し14着に沈む。

 年末は香港スプリントを予定していたが、当時国内で“馬インフルエンザ”の発症が確認されていたことから、国外への遠征は検疫に長い時間が取られてしまうために断念。2007年シーズンはそこで終了となった。

4歳(シニア級:2008年)

 高松宮記念を目標に定めた陣営は、2月のシルクロードステークスから始動。桜花賞以来となる武騎手とのコンビで挑んだ。中館騎手同様に逃げを打った武騎手だったが、ここでも最後に失速して10着に敗れてしまう。

 そして本番まであと1ヵ月となった3月頭、突然体調を崩してしまう。さらに、原因不明の高熱と下痢による脱水症状に陥る。なんと“X大腸炎”と呼ばれる難病にかかってしまっていたのだ。栗東トレーニングセンター競走馬診療所に入院し、懸命の治療が続けられたが実らず、4月21日に急性心不全で死亡。現役のままの早すぎる死であった。

 生涯成績は11戦5勝(うち重賞4勝、GI1勝)、獲得賞金約2億4800万円。かわいらしいルックスでアイドル的な人気を誇った一方、スプリンターズステークスで見せた強さは本物で、スプリント路線の中心になり得た大器だった。輝いた時期は短かったが、鮮烈な印象を残したアストンマーチャン。彼女の名前とその走りを、いつまでも忘れずにいたい。

【ウマ娘・元ネタ解説】アストンマーチャンは志半ばで夭折したスプリンター。ウオッカ&ダスカ世代の女傑について史実のエピソードやゲームの元ネタを紹介