2021年1月23日にSteam版が配信開始となった『グノーシア』について、ライターのヨージロが無駄に長くダラダラとした文章をお届けする。なお、本記事の内容および画像はすべてNintendo Switch版に準拠している。

「この作品はもっと多くの人に遊ばれるべき」という強い意思を感じたSteam版発売

 “人狼ゲーム”をベースにしたSFアドベンチャーの『グノーシア』は、2019年にPS Vitaでダウンロード専用タイトルとして発売され、2021年にNintendo Switch移植版が登場、そして今回のSteam版と……ハードを変えながら3回も発売されたタイトルだ。

 複数ハードで展開されるのはいまどき当たり前の話だが、その場合は同時発売であることがほとんど。復刻やリマスターでもなく、シンプルな移植(PS VitaからSwitchへの移植では微小な要素追加はあった)によって数年単位で対応機種を増やしていくのは、比較的珍しいパターンと言っていいだろう。

 これはつまりどういうことかと言うと、『グノーシア』の品質は保証済みであり、同時に「この作品はもっと多くの人に遊ばれるべき」という、パブリッシャー(※)の強い信頼と願いが込められている、ということだ。もちろん、大前提として「まだまだ売れる」という商業的理由もあると思う。

 だから、まだ『グノーシア』をプレイしたことがなくて、Steam版発売の報で興味を持ったという人には、自信を持って「購入して後悔はしないよ!」と言いたい。

 一方で、海の物とも山の物ともつかぬゲームライターがいきなり「自信を持って」とか言われても、不安しか募らない気持ちもわかる。

 そこでここからは、『グノーシア』が大丈夫な理由についてダラダラと並べていこうと思う。

※『グノーシア』のパブリッシャーはPS Vita版はメビウスで、Nintendo Switch版は国内は開発元のプチデポットがみずから手掛け、海外はPLAYISMが担当。Steam版はPLAYISMという微妙に複雑な感じになっている。

※この記事はPLAYISM提供によりお届けしています。

『グノーシア』Steamサイト
ファミ通.com PLAYISM特設サイト

『グノーシア』は「思っていたゲームと違った」となる心配がないので大丈夫

 前述したとおり、『グノーシア』が発売されるのは今回で3回目。しかも、その内容は傑作と呼ぶにふさわしいものとなっている。つまり、語り尽くされているのだ。

 どれくらい語り尽くされているかというと、ファミ通.comだけでもこれまでに3本のプレイリポート&レビュー記事に、開発者インタビュー(座談会を含む)が3本、“おすすめ○選”系でピックアップされた記事が3本、計9本もの記事が掲載されている(細かいニュース記事も含めれば数十本の記事が配信されている)。

ファミ通.com『グノーシア』関連記事

 しかもレビュー記事の1本を書いているのは、何を隠そうファミ通.com編集長の世界三大三代川である。とりあえず、記事のリンクを貼っておくことにしよう。決して、ゲーム内容を説明するのが面倒くさいから、その役目をこの記事に託しているわけではない。

 もちろん『グノーシア』を評価しているのはファミ通だけではない。

 PS Vita版の発売時には某ゲームメディアのレビューで10点満点を獲得しているし(ちなみにファミ通のクロスレビューでも4名中2名が10点をつけている)、“グノーシア レビュー”とかでWEB検索すれば、絶賛の声が並んだ検索結果を見ることができるだろう。

 これだけ事前の判断材料があれば、「買ってはみたものの、思っていたゲームと違った」なんて悲しいすれ違いが起きることもないはずだ。

『グノーシア』クロスレビューはこちら

『グノーシア』はいまだにTwitterとかで盛り上がっているから大丈夫

【『グノーシア』はいいぞ】Steam版が配信開始となったいま、まさに遊ぶべきこれだけの理由。ゲームが抱える業に落とし前をつけた必プレイの1作

 Twitterで“グノーシア”と検索してみてほしい。PS Vita版発売から約3年、Switch版発売から約1年が経過したにもかかわらず、いまだ多くの人が熱狂的に本作を語り、ファンアートをアップロードし、思いついたように「『グノーシア』はいいぞ」とかつぶやいている様子を見ることができる。

 この“Twitterでいまだ話題に上がり続けている”という現状は、これから遊ぶ人にとってはとても重要なポイントだと思う。『グノーシア』はエンディングを迎えたらまず間違いなく“早口で語りたくなる”作品であり、せっかく語るなら、当然熱心に話を聞いて共感してくれる人がいたほうがいい。幸い、その相手は大量にいる。

 いまから遊び始めてもぜんぜん遅くない、ってのはSteam版が初プレイの人にとってもありがたいことだろう。

『グノーシア』のストーリーは衝撃的だが何回遊んでも楽しいから大丈夫

【『グノーシア』はいいぞ】Steam版が配信開始となったいま、まさに遊ぶべきこれだけの理由。ゲームが抱える業に落とし前をつけた必プレイの1作

 ゲームを褒める際の最上級表現に“記憶を消してもう1回遊びたい”みたいなものがある。僕もつい最近、某ゲームのレビュー記事でこの表現を使ったばかりなのだが、よくよく考えるとこれってコンテンツを褒める表現としては、100%ポジティブなものではない気がしないでもない。

 “記憶を消したい”ってのは裏を返せば、そのタイトルの核となる楽しさは1回性のものであって、リプレイ性に欠けるということでもあるのだから。

 三代川編集長のレビュー記事にも書かれていたが、『グノーシア』はストーリー展開も衝撃的で、まったく関係なさそうなエピソードが終盤で一気に収束していく構成は「記憶を消してもう1回遊びたい!」と叫びたい誘惑に駆られる完成度となっている。

 でも、そんな誘惑に駆られながらも僕は、『グノーシア』を2周目以降も楽しくプレイしたし、なんなら初回プレイよりも楽しんでいる部分もあった。

 『グノーシア』は“ひとりで遊ぶSF人狼ゲーム”というベースとなるゲームプレイが、ストーリーテリングにも密接に絡まって、そのマリアージュによってオンリーワンな物語体験を実現しているのだが……一旦ゲームをクリアーして改めて遊んでみると、じつはベースがめちゃくちゃいいことに気づかされるのだ。

 具だくさんに惹かれて注文したラーメンだけど、じつはスープがめちゃくちゃうまかった、みたいな……我ながらたとえがクソ下手で恐縮だが、“衝撃的なストーリー展開”という(あえて言ってしまうが)ノイズがなくなったことで、“ひとりで遊ぶSF人狼ゲーム”の見事な完成度が露わになる、って感じだろうか。

 なお、どう見事なのかについては、三代川編集長のレビューをチェックしてほしい(2回目)。決して、説明するのが面倒くさいわけではない。

『グノーシア』を遊ぶとゲームが抱える業に気づきそうになるけど、ちゃんと落とし前をつけるから大丈夫

【『グノーシア』はいいぞ】Steam版が配信開始となったいま、まさに遊ぶべきこれだけの理由。ゲームが抱える業に落とし前をつけた必プレイの1作

 最後に、突然真顔で語らせてもらうのだが、ゲームってのはじつに罪深いエンターテインメントだと思う。

 すべてではないものの、かなりの割合で、ゲームの目的は敵キャラクターや対立する相手を倒したり、殺したり、成敗したり、排除したり、消滅させたりすることだ。もちろん映画やアニメ、小説でもそのような目的が置かれることは珍しくない。しかしゲームが決定的に違うのは、インタラクティブメディアであるが故に、殺したり、成敗したり、排除したり、消滅させたりする行為なり選択なり指示なりは、プレイヤー自身が下すところ。

 フィクションの世界とは言え、自分が生殺与奪を司るっていうのは、冷静に考えるとなんともヘヴィな話じゃないだろうか。キャラクターとの会話主体で物語が進行するアドベンチャーゲームならなおさらだ。

 もちろん、倒されて退場することが敵キャラクターの役目だし、ゲームを楽しくさせるために必要不可欠なものであることはわかる。でも、役目を理解することと、彼らを愛すること、憎むことはまた別の話だ。

 敵を倒す程度のことで「ゲームってのはじつに罪深い……」とか言っちゃう感性はナイーブすぎる、と笑う人もいるかもしれない。でも、「大好きなキャラクターだけど、敵だから倒さなければいけない」といった葛藤はそれほどユニークなものではないはず。

 だから認めよう。僕らゲーマーは、他者を倒す快楽を貪る罪深い存在だ。

 ただ、同時にこうも思う。我々いちプレイヤーが罪深いのだとしたら、開発するクリエイターたちはどうなのだろうか。プレイヤーたちを楽しませるために、魂を込めてキャラクターをつくり、同時にそれらを楽しく倒す方法も必死に考えるっていうのは、なんて業が深い仕事なのだろうか、と。

【『グノーシア』はいいぞ】Steam版が配信開始となったいま、まさに遊ぶべきこれだけの理由。ゲームが抱える業に落とし前をつけた必プレイの1作

 『グノーシア』にはプレイヤー以外に14体のキャラクターが登場するが、完全な仲間はひとりもいないし、完全な敵もひとりもいない。人狼ゲームとループ物を組み合わせたシステムにおいて、キャラクターの役割は主人公も含めて毎回ランダムに変わってしまうから。

 直前のプレイで、共にグノシーアの嘘を追求したキャラクターが、今回のプレイではグノーシアになっているかもしれないし、あるいは自分がグノーシアになって騙す側になるかもしれない。つまり、エンディングまでの20~30時間 、100ループ以上あるプレイのなかで、プレイヤーは登場するキャラクターすべてを愛し、憎み、追放し、消滅させることを延々とくり返すのだ。

 ……まったく、なんて悪趣味なゲームだろうか。ゲームの内容も相まって「開発のプチデポットは、我々人類の連帯を引き裂こうとしている存在に違いない」と、グノーシアの実在を疑いたくなるほどだ。

【『グノーシア』はいいぞ】Steam版が配信開始となったいま、まさに遊ぶべきこれだけの理由。ゲームが抱える業に落とし前をつけた必プレイの1作

 ちなみに、僕は『グノーシア』に登場するキャラクターの中だとラキオが大好きだ。周囲の目など気にしないズケズケとした物言いをくり返した挙げ句、周囲の反感を買ってあっさり追放されてしまう姿がなんとも愛らしい。かと思えば卓越したロジックでグノーシアの嘘を見破る姿が非常に頼もしかったりもする。

 でも、このラキオのロジックに対する信頼は、自分がグノーシアになると一転驚異になるし、グノーシア仲間になった場合の“開幕早々にサヨナラ”はコントローラーをぶん投げたくなるほどに許しがたかった。

 そのため、ゲームの終盤を迎えるころには「ワシの手をこんなに汚させおって、どう落とし前つけてくれんじゃコラ」と人相も悪くなっていた気がする。

 しかし、僕はいま笑顔でこの記事を書いている。プチデポットはゲームの最後で、ちゃんと落とし前をつけてくれたのだ。一時は「ゲームってのはじつに罪深い……」とまで落ち込んだ気持ちをすべてひっくり返し、笑顔にしてくる力が『グノーシア』のエンディングにはある。ぜひ、見届けてほしい。

執筆者紹介:ヨージロ
元ファミ通編集部ニュース班で現在はサラリーマンの兼業ライター。『グノーシア』のエンディングというか、エンディングを終えたあとのあの画面、スクリーンショットにして何度も見ちゃうくらいいいですよね。