2020年8月20日、レイニーフロッグよりNintendo Switch版が発売される『吾妻邸くわいだん』。3Dアクションと、ポイントクリックアドベンチャーを融合させた本作は、そのふたつの要素をつねにシームレスに進めて行く独特のプレイスタイルが最大の特徴となる一作だ。

 プレイヤーは鬼祓い(おにはらい)の務めを担う“方相氏”の見習いとして、突如妖鬼が出現した“吾妻邸”と呼ばれる屋敷を探索し、妖鬼たちと戦いながら、邸内に仕掛けられたさまざまなカラクリを解き明かしていく。

 『吾妻邸くわいだん』の開発を手掛けるのは、求道庵(ぐどうあん)の田口求道(たぐちぐどう)氏。本作は、田口求道氏が9年間をかけて、たったひとりで作り上げたタイトル。2018年にプレイステーション4、2020年にPC版のリリースに続いて、今回満を持してNintendo Switch版がリリースされることとなった。

 ここでは、田口求道氏にNintendo Switch版の発売を記念してのインタビューを実施。本作がどのようにして作られたのかや、開発にあたってこだわったポイント、Nintendo Switch版の発売に至るまでの経緯などを聞いた。

『吾妻邸くわいだん』ニンテンドーeショップサイト

田口求道(たぐちぐどう)

9年間かけて『吾妻邸くわいだん』を開発。2014年に独立して求道庵を立ち上げ、専任でタイトル開発に取り組む。

既存ゲームへの物足りなさが、3Dアクション×ポイントクリックアドベンチャーを誕生させた。

――Switch版で本作に初めて触れるファンの方も多いかと思いますので、改めてになりますが、本作のコンセプトを教えてください。

求道謳い文句に“ヒリヒリしたけりゃ、此処においで。”とあるように、本作のいちばんのコンセプトは“緊張感”になります。本作を作り始めた当時、私は世の中のゲームにはヒリヒリ感が少ないと感じていたんです。昔のゲームのように“死んでしまったらえらいことになる”といった緊張感のあるゲームを遊びたいと不満を感じていました。

――既存のゲームでは物足りないとの思いが、本作を生み出したのですね。

求道私はファミコン世代なのですが、ファミコンのゲームはよくも悪くも突き離しているようなゲームが多いですよね。私は、そういったゲームが好きなんです。本作を開発し始めたころは、ゲームオーバーになることのペナルティーが薄いゲームがとても多くて、プレイしていても、まったく怖くないんです。

 たしかに、物語やキャラクターを楽しみたいという方は物語をさくさく進めたいでしょうから、そういったペナルティーを嫌うのは無理もないことだと思うのですが、私がゲームに求めているものは“チャレンジ”なんです。チャレンジし甲斐のあるゲームを作りたいというのが、本作を開発するに至ったひとつの要因です。緊張感のあるゲームを味わってもらいたかったんです。最近のゲームはオートセーブ機能がデフォルトですが、セーブは自分の意思でやりたいです(笑)。

――たしかに、昨今のゲームはかなり親切設計ではありますね。

求道あと、実際にゲームを作り始めた背景としては、当時の職場環境に飽きたらなかったというのも大きいかもしれません。当時私はとあるゲーム開発会社でグラフィックスを担当していたのですが、その作りかたに納得できない部分がありまして。自分の意思だけですべてを作れる環境に身を置きたいとの思いに突き動かされて、本作の開発をスタートしました。それが2009年ごろですね。

『吾妻邸くわいだん』の開発者田口求道氏に聞く。9年間かけて作ったタイトルの紆余曲折と、Switch版発売に至る経緯まで_02

――もともとはグラフィクデザイナーだったのですか?

求道そうです。グラフィックの中でもモーション作成がメインでした。ただ、私は中小規模のゲーム開発会社を転々としていて、モーションだけではなく、状況に応じてモデリングや2Dデザイン、効果音、動画なども作ったりしていました。まあ、言ってみれば便利屋ですね。

 ですので、“ゲームを作りたい”という思いがあれば、それなりのことはできたんです。ただ、唯一経験がなかったのがプログラミングで、これができないことにはお話にならない。

――たしかに、プログラマーがいないとゲームは作れませんね。

求道それで一念発起して、プログラミングの勉強を始めることにしたんです。昼は会社でゲームを作りながら、夜はプログラミングの勉強をするといった感じでした。まあ、二足のわらじですね。

――ゲームを作りたいがために、プログラミングの勉強を始めたのですか。そこまでして自分で作りたかったのですね。

求道そうですね。いきなり会社を辞めたのではなく、まずはプログラミングの勉強から始めました。独立したのは2014年秋で、ゲームの発売までにはおよそ9年ほどかかっています。

――なぜ、2014年の段階で独立したのですか?

求道その段階で開発に着手して5年経っていたのですが、いよいよ完成まで先が見えてきたこともあり、一気呵成に完成させたいとの思いからでした。結果、そこからさらに4年もかかることになるとは、思いもしなかったです(苦笑)。

――プログラムを独力で覚えたことといい、まさに“求道”ですね。

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『スペランカー』で味わった“緊張感”に衝撃を受けて

――お話を先に進めるまえに、そんなにもゲームが好きになった求道さんのゲーム遍歴を教えてくれませんか? そもそもゲームを遊び始めたのは、いつころからなのですか?

求道ゲームに初めて触れたのは、小学校2年生ぐらいですね。初めて遊んだのはゲームウォッチです。もちろん、ファミコンもたくさん遊びました。

――ゲームウォッチとは懐かしい。当時、ファミコンではどのような作品に衝撃を受けたのですか?

求道いちばん衝撃が大きかったのは『悪魔城ドラキュラ』ですね。ディスクシステム版だったのですが、とても素晴らしかったです。

――『悪魔城ドラキュラ』に衝撃を受けて、ゲーム開発者になろうと思ったのですか?

求道当時小学生だったので、その時点ではまだ、そのような考えはなかったです。絵を描くのが昔から好きだったので、絵に携わる仕事をしたいなとは、漠然と思っていましたけれど。明確にゲーム業界に入ろうと決意したのは、高校生のときですね。

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――なにかきっかけとなったゲームがあったのですか?

求道私はアクションゲームが好きなのですが、とくにファミコンの『スペランカー』ですね。当時『スーパーマリオ』と同じようなタイミングで出たのですが、『スーパーマリオ』はパッと触って簡単にプレイできたり、駆け抜ける爽快感があったりして、かなり人気でした。

 それに対して『スペランカー』は主人公が史上最弱と謳われるほどで、すぐにゲームオーバーになってしまうので、投げ出す人が多かったんですよ。私はどちらかというと『スペランカー』のほうが好きで、ちょっとした操作ミスでやられてしまう緊張感がたまらなかったんです。もちろん『スーパーマリオ』もハラハラドキドキしてあっておもしろいのですが、『スペランカー』でしか体験できない緊張感に心惹かれました。

――“緊張感”というのは、求道さんがゲームを評価するときの大きな評価軸のようですね。

求道そうですね。それは、『スペランカー』をクリアーできたときにあまりにも気持ちよかったからかもしれません。最初『スペランカー』をプレイしたとき、「なんだこれは?」と面食ったんですよ。

 ですが、プレイしていくうちにそれまで超えられなかったところが越えられるようになったときの達成感が気持ちよくて、それがものがすごく肌に合っていましたね。

――ということは、『吾妻邸くわいだん』は、『悪魔城ドラキュラ』や『スペランカー』の影響を大いに受けながら誕生したと言えそうですね。

求道あと、私は『オホーツクに消ゆ』や『ファミコン探偵倶楽部』などのアドベンチャーゲームも大好きでして、とくに演出面で心踊らされました。

 これらのゲームには、カーソルが出てきていろいろなものを調べられる機能がありましたが、私はあれが好きで、自分の作るゲームでアドベンチャー要素を含むなら、この機能はぜひとも入れたいなと思っていたんです。

――なるほど。求道さんが好きなものを組み合わせたのが『吾妻邸くわいだん』でもあるのですね。

求道単純に好きなものどうしを組み合わせるというのはインディーゲームではよくあることだと思うのですが、それだと単にくっつけただけになってしまいます。

 私は、ホラーアドベンチャーなども好きでよくプレイするのですが、その手のタイトルのオブジェクトなどの前に行って、ボタンを押して調べるというシステムに、昔から疑問を感じていました。あっけなくモノが探せてしまうことに物足りなさを感じていたんですね。

 そこで、探すというシチュエーションで、昔から親しんでいたポイントクリックを組み合わせるとどうなるのか、ということを考えたときにひとつネタが思い浮かんだんです。それを具現化したいというのが本作を発想したキッカケのひとつでもあります。

 『吾妻邸くわいだん』では中盤である動作が解放されるのですが、そこでポイントクリックを導入した理由や、あのカメラワークにした理由を納得していただけるのではないかと思います。

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開発初期である2011年当時のプロトタイプ版のスクリーンショットを田口氏よりご提供いただいた。完成版との違いとしては、“プレイヤーキャラクターが仮のモデル”、“エネミーが簡易的な人魂(ひとだま)」状のモノ(製品版ではボツとなったエネミー”、“建物の屋根が瓦葺き(※製品版では銅板スレート葺き)”などがある。

『吾妻邸くわいだん』の主役はキャラクターや敵ではなく“屋敷”!?

――なるほど……。ひとつのアイデアが『吾妻邸くわいだん』につながったのですね。となると、本作の世界感を和風にしたのは、どのような理由からなのですか?

求道私は昔から古い建築物が大好きで、お城や旧住宅を巡るのが趣味なんですよ。何かカラクリが施された怪しいお屋敷というのはネタを仕込みやすいということもあり、自分の好きな世界観でもある和風テイストにしました。

 本作を作り始めるころには、ポイントクリックアドベンチャーであることと、この和風な世界観のお屋敷を舞台にするということは決めていました。

――まずは世界観ありきだったのですね。

求道その通りです。最初に世界観設定に着手し、そして世界観に見合った敵を作り始めました。日本の昔の建物を使っているので、敵は妖怪だろうと即決でした。

 で、妖怪を出すからにはそれを退治する人が必要だろうということで、いろいろ調べた結果“方相氏”という実在した役職を見つけたんです。それがおもしろいネタだったので、主人公の設定として使うことにしました。

――キャラクター作りに関してはそこまで苦労することはなかったのですか?

求道そうですね。私はゲームに関してキャラクターにそこまで重きは置いていなくて、世界観に力を入れたいタイプなんです。「本作の主役は?」と聞かれたら、“屋敷”と答えるようにしているくらいです。

 こういう言いかたは何ですが、キャラクターというのはあくまでゲームを進行させるためのコマにすぎないと思っています。作りたいシチュエーションで語りをしてもらうためのコマとして、キャラクターは置いています。本作の主役はあくまでも世界観とあの屋敷です。

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――であるからこそ、タイトル名も『吾妻邸くわいだん』にしたということですよね。ところで、難易度の高い“謎解き”は本作の特徴のひとつでもありますが、謎解きの“謎”はどのように考えられたのですか?

求道インスピレーションを受けたのはやはり古いお屋敷ですね。先ほどお話したとおり、私は日本中の古い建造物を訪れるのが好きなのですが、お金持ちが作ったお屋敷は、盗賊などから金品を守るために実際にさまざまなカラクリが施されているものが多いんです。

 そういったものを行った先でメモして参考にしつつ、ゲームに落とし込んでいます。もちろん、そのままでは使わずに自分の妄想力を膨らませて作り込んでいます。

――“妄想力”(笑)。キャラクターはコマとのことでしたが、ストーリー面はいかがですか?

求道ストーリーにもそこまで重きは置いていないのですが、本作はアドベンチャーゲームなので最低限のストーリーは整えたつもりです。

 方相氏を主人公に起用するという段階で、じつはストーリーはほぼ決まっていました。実際の方相氏の設定をストーリーに落とし込んでいるところも本作のポイントです。

――実際にプレイしたユーザーも、そこまではストーリーやキャラクターを重視はしていなかったのですか?

求道それが、イベントなどに出展してみると、意外なことに女性の方が興味を持ってくれることが多かったです。おそらく、世界観やキャラクターの見た目に惹かれて手に取ってくださったんだと思います。

 ですが、実際にゲームをプレイしてみるとあまりにマゾヒスティックな難易度で投げ出した方もいらっしゃいました(笑)。

――あら(笑)。

求道それと実際ゲームがリリースされてからユーザーさんの反応を見て分かったことは、アジア圏と西洋圏での受け取りかたがかなり違うなということです。

 アジア圏ではキャラクターやストーリーに興味を持って手に取っていただいた方が多くて、ゲームの難易度的には「難しすぎる」というご意見の方が多いイメージでした。逆に西洋圏ではアクションゲームが好きな方が多いようで、“歯応えのあるアクションゲーム”として評価していただきました。

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――開発期間は9年間とのことですが、長い期間にわたってゲームを開発されていて、途中で詰まるといったことはなかったのですか?

求道途中で手が付かなくなるといったことは一切なかったですね。ときどき詰まりながらも作業はずっと続けていました。詰まることが多かったのは、やはりプログラミングですね。

 独学で勉強していた素人だったので、バグが出ると最初のころはなぜその問題が出ているのかまったく分からず、バグを直すだけでかなり時間を使ったりはしていました。まあ、そういったときは、一回休憩を挟んで頭をクールダウンすることで、解決できることが多かったです。

 プログラミングに関しては、いまでもしっかりできているとは、お世辞にも言えないというのが正直なところです。私個人でゲームを作る分にはやりたいことができるぐらいの、最低限のスキルはつけてはきましたが、ほかのプログラマーの方とやりとりをする前提の書きかたなどはしていないといった感じで。私はプログラムの書きかたがおそらく独特すぎるんですよ。本職の方が私のプログラムをご覧になったら、「なんだ、これは!」と、きっとびっくりされると思います(笑)。

――ああ、すっきりしたプログラムとそうでないプログラムはあるようですね。

求道私のは、相当すっきりしていなくて無駄が多いと思います。あと、プログラムということで言うと、『吾妻邸くわいだん』は開発の途中で全部作り直しているんですよ。最初の7年間は“Adobe Director”というオーサリングツールを使用していたんです。

 とても古いツールで、「そのうち変えたほうがいいんだろうなあ」と思いながらも、騙し騙し使っていました。それがゲームがほぼ完成したと同時に、“Adobe Director”のサポートが終了してしまいまして……。さすがにこのままではきびしいということで、ゲームエンジンをUnityに変えました。そこから1年半かけて、Unityで作り直したんですよ。あのときは精神的にとても苦しかったですね。

――いちから作り直しというのはキツイですね。

求道いずれ“Adobe Director”は終わるということはわかっていて、「変えなければいけない」とは思いつつもそれができていなかったので、完全に自分の責任です。まあ、それも私がプログラムのプロではないがゆえのためらいであったかもしれません。

 とはいえ、ゲームを作っているときはおしなべてとても楽しかったです(笑)。とくに、開発の後半になって刺激を与えてもらったのがイベントへの参加でした。

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――ああ、求道さんはインディーゲームのイベントにも積極的に出展していましたね。

求道最初に出展したのは2016年のBitSummitですね。それまでは自分ひとりでコツコツと作っていたのですが、あそこで初めてほかの人に自分のゲームを触ってもらったんですよ。

 ユーザーさんの反応は暖かくもなかなかにシビアな部分もあって、その反応を見て、「ここを直さないといけない」とか「ここがダメなのかな」など、気付かされることが多かったです。いろいろ勉強になりました。最初はひたすら作ることが楽しかったのですが、イベントに出てユーザーさんの反応を見ることで、商品としてもんでもらうことになりましたね。しんどくもあり、楽しくもありで、いい経験をさせていただきました。

 あと、皆さん意外とテキストは読まないんだなあ、という発見もありましたし(笑)。

――ああ(笑)。まあ、インディーゲームのイベントはユーザーさんの意見を聞く、いい機会ではありますね。

求道最初にBitSummitに出展したときは、本当に出ただけで終わってしまい、宣伝とかもあまりできなかったんです。あそこで、“イベントに出るだけではなくて、ちゃんとアピールをしないといけないんだ”と学びました。ちなみに、あのときファミ通さんに取材してもらったときはうれしかったです(笑)。そのあと参加したイベントでは、見よう見真似で告知などをしてみると、取材に来てくれる方が多くなったりしました。

――ところで、なぜ最初にプレイステーション4とPCでリリースされたのですか?

求道本作はポイントクリックアドベンチャーなので、最初はキーボードとマウスでプレイするスタイルで開発していました。その時点では、私のプログラミングの力量が追い付いていなかったため、ゲームパッドの対応はしていなかったんです。

 ただ、イベントなどでユーザーさんのプレイを見ていると、キーボードとマウスのプレイに慣れていない方が多いと感じました。そのため、ゲームパッド対応にしないといけないかもしれないなと悩んでいたときに、プレイステーション4のコントローラーにタッチパッドが付いていることに気付いたんです。

 「これは使えそう」ということで、実際に接続してみると動かすことができたので、このまま出してもいけるのでは……ということで、即座にプレイステーション4版をリリースすることにしました。

――コントローラーありきだったのですね。もともと開発中は、コンシューマーゲーム機で出そうとは考えていなかったのですか?

求道ぜんぜん。まずは完成させることしか頭になくて、その時点ではどのプラットフォームでリリースするかまでは考えていませんでした。単純にタッチパッドが付いているのがプレイステーション4のコントローラーだったので、最初の選択肢としてプレイステーション4になったという感じです。

――これも改めてのご質問になってしまいますが、せっかくの機会なのでお聞かせください。9年にわたって開発していたゲームが完成したときの率直なご感想をお願いします。

求道悲喜こもごもでした。本作は賛否両論がばっさり分かれるゲームで、すごく気に入ってくれる方もいれば、きびしいお言葉を投げられる方もいましたので、凹むこともありました。

 一方では、お褒めの言葉をいただいてうれしかったというのもありました。リリースしたときは、とにかく私のなかでも気分の浮き沈みが激しかったです。

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Switch版では適したボタン配置に変更。気になる新作ゲームの情報も!

――さて、今回Switch版がリリースされますが、なぜ出したいと思ったのですか?

求道ゲームプラットフォームとして大きなプレイステーション4、Steam、Nintendo Switchの3つでは出したいと思っていました。任天堂のプラットフォームというものは、ファミコンで育った人間としては憧れでもあります。

 さまざまな方の協力もあって、自分の作ったものがSwitchで出せるというのは素直にうれしいですし、ありがたいです。

――Switch版での変更点や追加要素などをお教えください。

求道ゲーム的にはありませんが、操作に割り振っているボタンが違ったりします。Switchのボタン配置が独特なので、そこはSwitchに合うように変更しています。プレイし慣れていた私もSwitch版を触ったときは初心者みたいになっていましたね(笑)。

――ところで、Nintendo Switch版は、パブリッシャーがプレイステーション4版やとSteam版から変更されていますが、その理由をお教えください。

求道大きな理由は私の作業負荷の問題です。プレイステーション4版とSteam版をお願いしていたのはメディアスケープさんが運営する“Play,Doujin!”なのですが、ゲームを作ることに関しては全部自分たちでこなして、“Play,Doujin!”側では、プラットフォームで出す手続きをすべて賄ってくれるという役割分担でした。それは、私たち個人でやっている開発者にはとてもありがたい仕組みで、それでプレイステーション4版とSteam版は“Play,Doujin!”で出すことにしたんです。

 それが、Switch版を出すとなったときにひとつ問題が持ち上がりまして。Switch版では、『吾妻邸くわいだん』の開発で使っている“Unity”をバージョンアップする必要があったのですが、プレイステーション4版がリリースされてから(ミドルウェアとの兼合いがあって)2年間一切バージョンアップをしていなかったんですよ。Switch版はUnityのバージョンアップに伴う諸々の修正作業を行う必要があったのですが、それを私ひとりでそれをやるとすると、とんでもなく時間がかかってしまう。そのとき自分としては新作を作りたいと思っていたので、移植はお任せしたほうがいいかな……ということで、移植をお願いできるパブリッシャーさんを探すことにしたんです。

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――レイニーフロッグとはどういう縁で?

求道2017年に行われた東京インディーフェス(いまのTOKYO SANDBOX)で知り合いまして。求道庵のブースにご挨拶に来てくださったんですよ。

――ああ! そういえば求道庵もレイニーフロッグも出展していましたね! ここでもイベントの縁が。

求道そうですね(笑)。その後、Switch版への移植を考えていたときに、昨年のイベントでレイニーフロッグのトニーさんと再会しまして、パブリッシャーのお願いをしました。

 さきほどお話した通り、コードはほかのプログラマーの方とやりとりをする前提の書きかたなどはしていない感じだったので、「移植作業はたいへんだろうなあ」とは思っていたのですが、プロの方はすばらしいですね! 完璧な移植をしてくれました。

――それはすばらしい。ところで、長らく関わっている本作ですが、求道庵さんにとってはどのような存在でしょうか。

求道子ども……かなあ。子どもがいたらこんな感じなんだろうなとは思いましたし、かなり勉強にもなりました。ゲームを作るスキルも広がりましたし、イベントに出てさまざまな方と繋がりをもっていくなど、ゲームはこのようにして作られて世に出ていくということを知ることができたのがいちばん大きいです。私自身も成長しました。

――Switch版リリースをもって、『吾妻邸くわいだん』はひと区切りついた感じでしょうか?

求道目的としていたプラットフォームにはたどり着いたので、私の中でもひとつの区切りにしようとは思っています。

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――さきほど、新作を作りたいとかなんとか……。

求道はい。今年の3月から新作ゲームに着手し始めました。まだプロトタイプの状態なので、自分が望んでいるゲームに着地できるかは分かりません。

 具体的にどのような内容になるのか断言はできないのですが、ただ、“ある乗り物を使った変わったシステムのアクションゲームになる“ということだけは間違いないと思います。

――なるほど……。よくわかりませんが(笑)、おもしろそうですね。『吾妻邸くわいだん』とはまったく違った方向性のタイトルになりそうですね。期待しています。最後に本作を楽しみにしているユーザーに向けてのメッセージをお願いします。

求道本作は、最初の5分だけ触ってパッとおもしろさが分かるゲームではありません。操作に慣れるまでにそれなりの努力が必要になります。パッと触ってパッと楽しいという気持ちよさを求めている方には向かないゲームかもしれません。

 ただ、操作に慣れていただいて、少しずつうまくなっていくことに喜びを感じてもらえる人であれば、絶対に楽しんでいただけるゲームに仕上がっているとは思いますので、ぜひプレイしてみてください。あと、テキストはしっかりと読んでみてください(笑)。