桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出第3回

 ほぼ日刊イトイ新聞の取材で行われた、ゲームデザイナー・桜井政博氏へうかがう、任天堂の元社長・岩田聡さんのこと。岩田さんの発言をまとめた書籍『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』(ほぼ日刊イトイ新聞・著)をきっかけに、岩田さんと縁が深い桜井さんに、岩田さんのお話をお聞きします。

 これは、ほぼ日が取材した桜井さんのインタビューを、ファミ通.comでも掲載させていただくという特別企画。インタビュアーは、週刊ファミ通の元編集者・風のように永田こと、ほぼ日の永田さんです。

『岩田さん』書籍情報

『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第3回「E3の発表の翌朝に」_01
『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』
著者:ほぼ日刊イトイ新聞、価格:本体1700円+税 (Kindle版1615円+税)、 ページ数:224ページ、イラスト:100%ORANGE、ブックデザイン:名久井直子

 任天堂元代表取締役社長岩田聡さんのことばを抜粋し、再構成して1冊にまとめました。岩田さんの経歴、経験、価値 観、哲学、経営理念、そしてクリエイティブに対する思いなどが、凝縮されています。

ほぼ日刊イトイ新聞『岩田さん』紹介ページ(ほぼ日ストアでの購入もこちらから) 『岩田さん』Amazon販売ページ 『岩田さん』(Kindle版)Amazon販売ページ

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桜井政博氏(さくらい まさひろ)

ゲームクリエイター。1970年8月3日生まれ。有限会社ソラ代表。『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズや『星のカービィ』シリーズなど、数々の名作ゲームを手掛ける。(文中は桜井)

第3回:E3の発表の翌朝に

──岩田さんと桜井さんが一緒に試作をつくったニンテンドウ 64の初代『スマブラ』(1999年発売)、そして岩田さんがブースに入って修正したゲームキューブの『スマブラDX』(2001年発売)と、まさに桜井さんと岩田さんの関係は、『スマブラ』に大きく影響してきたと思うんですが、Wiiの『スマブラX』(2008年発売)のときも、ふたりのあいだにドラマがありましたよね。

桜井そうですね。とくに『スマブラX』は大きな分岐点でした。いま『スマブラ』シリーズが存続してるのは、あのときの岩田さんのウルトラCのおかげだと自分は思っているんです。

──2005年のE3(Electronic Entertainment Expo:ロサンゼルスで毎年開催される世界最大のコンピュータゲームの見本市)で、『スマブラ』の新作の開発がアナウンスされたときのエピソードですね。

桜井はい、間違いないです。

──順を追って確認していきましょう。まず、『スマブラDX』をつくったあと、桜井さんはHAL研究所をやめて、フリーになるんですよね。お辞めになったのは、何年ですか?

桜井2003年ですね。だから、2005年のE3には、ふつうにフリーのゲームデザイナーとしてゲーム市場の動向を知るために行ってたんです。

──そしたら、その場で、Wiiの『スマブラ』、つまり、のちの『スマブラX』が開発されることがアナウンスされた。それは、桜井さんもほんとうに現地ではじめて知ったということですよね。

桜井はい、E3の会場でそれを聞いて、はじめて知りました。

──びっくりしたでしょう。

桜井そりゃあ(笑)。でも自分はHAL研を辞めてフリーになってますから、『スマブラ』をつくる立場にない。実際、つぎの『スマブラ』はどうなるんだろうなと気になってはいたんです。というのも、つぎに『スマブラ』をつくるとしたらそのときのHAL研のスタッフだけでは開発できない規模になるだろうと思ってましたから。まあ、フリーになってからも、周囲の人は、私にやたらと『スマブラ』の続編を期待するし、かといって自分はなにもできないですし、ちょっと困った状態になっていたんですね。

 もうすこし突っ込んだ話をすると、じつはそのとき私は、ある大手の会社のソフトをつくろうとしているところでした。そんなとき、E3の現場で、新しい『スマブラ』が開発されると知った。で、岩田さんに呼ばれて、発表のつぎの日の朝に、ホテルで会って話すことになるんです。まあ、そこで岩田さんがおっしゃったのは、Wiiの『スマブラ』をつくってほしい、と。

──しびれる話ですねぇ……。当事者の桜井さんはそれどころではなかったでしょうけど(笑)。

桜井ええ(笑)。そのとき、自分もつぎの企画がありましたから、『スマブラ』をやるとなったら、いったん仕事をリセットしなければならない。だから、もしも自分がWiiの『スマブラ』の開発を引き受けなかったらどうするつもりなんですかと、そのとき岩田さんに聞きました。すると岩田さんは、「桜井くんが受けてくれない場合は、ゲームキューブの『スマブラDX』をそのまま移植するだけにする」という話をしてくださいました。

──つまり、桜井政博抜きで、新しい『スマブラ』はつくらないよ、と。

桜井そういうことになります。でも、それってかなり特別なことなんです。いまは、実際に『スマブラ』の新作を私が手掛けていますから、岩田さんの提案がふつうに思えるかもしれませんが、会社を辞めてフリーになったディレクターがフリーの立場で続編をつくることって、かなりめずらしいことです。たとえば、『バイオハザード』をつくった三上真司さんが会社を辞めたあと、『バイオハザード』の続編を三上さんがつくるかっていうと、そうじゃなくて、カプコンがつくるんですよね。

 だから、自分が辞めたあとも、ふつうは『スマブラ』はHAL研究所がつくる。でも、まあ、あのゲームはなかなかそれも難しいだろうと言われていた。それがなぜかということについては、想像していただくしかないんですけど、私の仕事を知っている人ほど、自分抜きでは『スマブラ』はつくれないって言うし、自分を知らない、遠くにいる人ほど、いやそれはなんとかできるだろう、っていう話をするんです。

──まあ、これまでの話を総合しても、『スマブラ』は桜井政博のゲームなんですよね。いちから企画して、ぜんぶ調整して、攻略サイトの原稿まで自分で書いて、遊び方まできちんとフォローして。

桜井だから、そういったことを客観的に理解すればするほど、自分がやらなきゃいけない、というのはあると。だけれども、自分は会社を辞めちゃってひとりなんですよね。たったひとりでゲームがつくれるわけはないし、かといって、たとえば、HAL研に招致して、HAL研でつくるというのも……。

──辞めた意味がなくなっちゃうもんね。

桜井そうですね。そういう難しい状況を岩田さんはわかっていて、けっきょく、『スマブラX』をつくるために、東京の高田馬場にオフィスをつくってしまって、しかもそこに人材をババっと入れてしまった。ゲームアーツさんとか、そのほか、いろいろな会社と提携して、100人規模のスタッフを集めて、専用のオフィスをつくってしまった。それによって、なんとか『スマブラ』シリーズは存続できるようになったんです。

『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第3回「E3の発表の翌朝に」_02
『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。第3回「E3の発表の翌朝に」_03
『大乱闘スマッシュブラザーズX』

──岩田さんはE3の発表の翌朝にそこまでの提案をなさったんですか?

桜井話をふくらませたのは、もうちょっとあとだと思うんです。そのときは、とにかくディレクターの私をまず押さえたんですね。

──でも、その……なんていうか、これはもう雑談みたいに言いますけど、E3で発表する前に、まず桜井さんを誘っておけばよさそうなもんじゃない?

桜井そう思いますよね(笑)。1時間でも前にその話すればいいのに、という気もしますけどね。

──そうそうそう(笑)。

桜井なんだろうね、それは(笑)。

──なんでしょうね。そこも含めて、そうしたかったんですかね? やむを得ない理由があったのかな。

桜井わかんないです、わかんないです(笑)。

──ああ、岩田さんに訊いてみたいなぁ。いまなら「それはですね……」って、きれいに説明してくれそうな気がする。

桜井(笑)。

──そのとき岩田さんは、桜井さんなら断らないだろうという確信というか、決して上から目線ではなく、桜井さんを信じていた部分があったのかもしれないですね。

桜井なんとも言えないですね、そこは。だって、仮に自分がすでに大型タイトルの開発をもっと具体的に進めていたら、どんなに『スマブラ』をやりたくても受けられないですからね。

──そうか、桜井さんがそのときどんな仕事をどのくらい抱えているかというのは、岩田さんにはわからないですものね。

桜井そうですね。それで思い出しましたけど、私がHAL研を辞めてしばらくしたころ、岩田さんが私を食事に誘ってくださったことがあったんですね。そこでいろいろ話をするなかで、自分はフリーだから、任天堂のハード以外のゲームをつくる可能性もありますって言ったら、ちょっと悲しそうな顔をしてらっしゃいました。

──ああ……。でも、まあ、それはそうですね。シビアな話ですけど。

桜井はい、そこはシビアなところで、ほんとうにそういう可能性もありました。でも、だからといって岩田さんが私に、なにかを強制するようなことはまったくありませんでした。

──だから、やっぱり、岩田さんの誠実さを考えると、E3の発表の翌朝に桜井さんを呼んだとき、桜井さんに引き受けてもらうか、だめだったら『DX』をそのまま移植するか、そこでほんとうに決めようとしていた。

桜井はい。そうだと思います。

──岩田さんなら、そうですよねぇ。そこで半端な駆け引きとかするわけがない。

桜井ええ。

──返事は、その場ではしてない?

桜井したと思います。「やります」と。

──ああ。なんだかちょっと感動的です。

桜井まあ、E3会場での発表から一晩明けているわけですから、当然、そういう可能性もあると考えながら、その場に臨んでいましたからね。

──そうですね、そのタイミングで呼ばれてるわけだから。

桜井やっぱり、『スマブラ』以上にたくさんの人をたのしませることが、そのときの自分には残念ながらできない。だから、引き受けました。

──世界中でたくさんの人が待ってるというのは、はっきりとわかりますものね。これはちょっと脱線する質問になりますが、HAL研を桜井さんが辞めたとき、それは『スマブラ』をつくれなくなるということとほとんどイコールだと知りつつ辞めるわけですよね。

桜井もちろんです。

──そこに、つらさはなかったんですか?

桜井ないですね。

──人がつくってもいい。

桜井そういうことだと思っていました、会社を辞めるというのは。むしろそれがふつうだと思っていたので。現に『カービィ』とか、私は手放してるわけで。あくまで会社のものですからね。

──ああ、そうですね。しかし、もしそうなってたら、どうなってたんでしょうね? いまとは違う『スマブラ』があって、桜井さんは違う何かをつくってるんだよね、きっとね。

桜井そこまではわかりませんね(笑)。

(つづきます)

“『スマブラ』とスポーツカーと誠実の怪人。桜井政博さんに聞く岩田さんの思い出。”連載一覧

第1回「そのときから笑顔だった」
岩田さんと桜井さんがはじめて会ったときの思い出。そして、意外にも、ふだん岩田さんと桜井さんはいっしょに仕事をしてなかった?

第2回「ふたつのプロトタイプ」
桜井さんが企画した『スマブラ』を岩田さんがプログラムしたことは知られていますが、じつはそのとき、もう1本のプロトタイプがつくられていたそうです。

第3回「E3の発表の翌朝に」
その後の『スマブラ』シリーズの流れを決定づけたのが『スマブラX』でした。2005年のE3で岩田さんがくりだしたウルトラCとは。

第4回「誠実の怪人」
岩田さんはどういう人だったのか。任天堂の社長になるまえの岩田さんのこと。桜井さんは「怒った岩田さん」を二度見たことがあるそうです。

第5回「最後のミッション」
岩田さんが亡くなったとき、桜井さんはなにをどう感じたのでしょうか。そして、これからの『スマブラ』シリーズは。