いまから25年前、1994年4月2日に、『ファイナルファンタジー』(以下、『FF』)シリーズ6作目となる『FFVI』が発売された。

 当時、すでに『FF』シリーズは、日本のゲーム業界をけん引する、超ビッグタイトルとなっていた。しかし『FFVI』からは、その名声に甘えまいとする、スタッフの強い気概が感じられる。主人公たちが入り乱れる群像劇のストーリーや、緻密に描き込まれたグラフィック、ときにパーティーを分割して挑むダンジョンとバトル……本作を構成するさまざまな要素から情熱がほとばしっていた。同作がいまも多くのファンの心に残り続けているのも、その情熱を肌で感じたからなのだろう。

 本記事では、“新しいことにチャレンジする”という強い意志を持って開発に臨んだ、レジェンドクリエイターたちのインタビューをお届け。開発当時の思い出をたっぷりと語ってもらった。

坂口博信氏(さかぐち ひろのぶ)

言わずと知れた『FF』の生みの親。『FFVI』ではプロデューサーを担当。現在はミストウォーカーコーポレーションCEO。

北瀬佳範氏(きたせ よしのり)

スクウェア・エニックス取締役兼執行役員。『FFVI』ではディレクターを務め、イベントチームをまとめた。

渋谷員子氏(しぶや かずこ)

スクウェア・エニックスの“ドットの匠”。『FFVI』ではグラフィックディレクターとして、人物のドットを担当。

赤尾 実氏(あかお みのる)

『FFVI』を始め、数々のスクウェアタイトルでサウンドプログラムを担当した。現在はRedSpark代表取締役。

中村栄治氏(なかむら えいじ)

『FFVI』ではサウンドエンジニアとして、効果音や音色のサンプリングを担当。現在はSound Racer代表取締役。

30人ほどのスタッフが力を合わせて作った『FFVI』

――初めに、当時の開発チームの雰囲気をうかがいたいと思います。坂口さんや渋谷さんのように、『FF』1作目から関わっている方はもちろん、『FF』初参加の方もいらっしゃったとか。

中村当時、僕はスクウェアに入ったばかりで、坂口さんが本当に怖かったんですよ(笑)。

坂口え、そうなの? 俺、なんか怒ったりしたかな?

中村初めてお会いしたとき、開口一番に「クオリティーを落とさないでね」って真顔で言われて……。

坂口覚えてないねぇ(笑)。

――そ、それはプレッシャーを感じますね。

中村僕はコンピューターの触りかたすら知らなくて。当時はマウスとかではなく、コマンドを文字で打ち込んでコンピューターを操作していたんですよ。だからもう、何が何だかわからないところからのスタートで、赤尾さんにいろいろと教えてもらって、学びながら作りました。

赤尾だからね、中村は当時から飲みにいくたびに「坂口さんから“クオリティーを落とせない”って言われてるから……」って、ヘコんでましたよ(笑)。

――坂口さんの言葉が、それだけ中村さんの記憶に強く残ったわけですね(笑)。赤尾さんは、『FFVI』開発当時について、強く覚えていることはありますか?

赤尾『FFVI』のころというか、それ以前のファミコンのころから、KONAMIさんのゲームって、サウンドがメチャクチャすごかったでしょう。だから坂口さんから「KONAMIを倒せ」って言われてましたよ(笑)。

坂口言った(笑)。赤尾はね、植松さん(植松伸夫氏。言わずと知れた、『FF』シリーズの音楽を手掛ける作曲家)の音を再現するために、さまざまな手を尽くしてくれるすごいヤツなんですよ。

中村植松さんから、「フィールドからバトルに入って、フィールド曲が途切れても、バトル後に途切れたところから聞けるようにしてほしい」とか、「曲にビブラートを掛けたい」とか、そういう要望が上がってくるわけです。それを赤尾さんが、全部やっていて。

赤尾植松さんの願いを、どうしたら実現できるのかなと実験しながらやりつつ、かつサウンドにそこまでリソースを割けないので、極力削ぎ落としていくのはたいへんでしたね。

――サウンドプログラマーならではのお仕事ですね。

赤尾サウンドプログラマーって、“音楽に強い”というイメージがあると思うのですが、実際には単なるプログラマーなんです。サウンドの部分を担当しているというだけで、作曲家みたいな立ち回りではないんですよね。『FFVI』はスーパーファミコンでリリースされましたが、スーパーファミコンはCPUがふたつあることが特徴でした。そのCPUをいかに、サウンドとゲーム部分に使い分けるか、というところに注力していましたね。

坂口ふと思ったんだけど、それまでの『FF』って効果音担当がいなかったんだっけ?

赤尾いませんよ。開発初期は僕がまとめていて、グラフィッカーがひと通り仕事終わったら、「じゃあ、効果音作ってね」って。

坂口あぁ~そうだった! 手の空いたスタッフにツールを渡して説明して、みんな勝手がわからないなか“ピー”とか“ギャー”とか鳴らしてたね。

――えっ! ということは、『FFV』まではグラフィックスタッフも効果音を担当したと?

渋谷私はやりませんでしたが、何人かのグラフィックスタッフはやっていたと思います。

赤尾たとえば飛竜の声とかを作らせましたね。『FFVI』で、初めて専属の効果音スタッフが付きました。

――なるほど。『FFVI』当時の開発メンバーは、どのくらいの規模だったのでしょうか?

渋谷30人くらいでしたね。

北瀬いまの目線で言うと、30人ってすっごい小規模な開発チームじゃないですか。でも、当時は30人でもかなり大規模でした。

坂口そうだね。ほかのジャンルのゲームなら、4~5人とかのチームも多かったし。

北瀬『FFV』では、坂口さんと僕のふたりですべてのイベントを作ったのですが、『FFVI』は、坂口さん含めて5人でイベントを制作しました。人数的には、とても増えたと感じていましたね。

当時若手だったスタッフたちはいまやレジェンド級クリエイターに

――『FFVI』のスタッフクレジットを見ると、中村さん以外にも、当時若手だった方が多数参加されています。若手の皆さんを抜擢されたのはなぜですか?

坂口あのころは、若手とかそういう文化がないというか、ゲーム業界全体が全然若かったんですよ。いちばん年上は植松さんだったかな。

――現在も業界の最前線で活躍していらっしゃる方々が数多くいらっしゃいます。本当にレジェンドチームですよね。

坂口いやいや、みんな『FFVI』を利用して出世しただけですよ?

渋谷たしかに、それはあるかも(笑)。

坂口というのは半分冗談ですが、とくにグラフィックは、本当にいいスタッフばかりでした。哲(スクウェア・エニックス 野村哲也氏)やタカちゃん(高橋哲哉氏。現在はモノリスソフト取締役)がいたし、直良(有祐氏。現在はIZM designworks代表)や皆葉(英夫氏。現在はCyDesignation代表)も入ったしね。『FFIV』~『FFV』でゲームがどーんと売れるようになって、すごいメジャータイトル感が出てきたんですよ。『FFIII』までは、まだ第一線級のタイトルではなかったと思います。以前、生放送などでも言いましたが、『FFIII』のラストダンジョンは本当に自分でもひどいと思うし(苦笑)。でも、その『FFIII』でミリオンを達成したので、それを見て新たなスタッフたちが続々と入って来たんですよ。“『FF』を知る第2世代”が入ったっていうのが大きいんじゃないでしょうか。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_07
当時は若手だった名だたるクリエイターたちが集まり、スーパーファミコン最高峰のグラフィックを作り上げた。

――北瀬さんは、『FFVI』から入って来た若手スタッフたちとの思い出はありますか?

北瀬いえ、僕も当時は若手だったんですよ(笑)。やっぱり、基本的にチームは坂口さんがまとめていましたね。イベントチームは、僕が一応まとめ役ではありましたが、全員同世代なので上下関係のようなものはなく、ワイワイ作っていた記憶があります。

坂口北瀬は根がプログラマーだから、プログラマーたちと近い距離でやり取りしてたんですよ。だから、メモリを節約してそこを新しいマップにしたり、イベントの進行ルートを作ったりと、いろいろなイベントの下地を担当していたんです。そういうことができる人間だから、自然とチームのリーダーになっていったんですよね。だから、俺の知らないイベント演出とかが勝手に入ってたりして(笑)。

北瀬プログラマーたちも、基本同学年ばっかりでしたから、話しやすくて。

坂口たとえば、ダリルの墓で階段を降りていくシーンとか、マディンとマドリーヌのシーンとか……。知らないんだけどコレ!? みたいな(笑)。

北瀬スーパーファミコンの時代は、リアルじゃないからこそいろいろな表現ができましたね。たとえばマディンとマドリーヌのシーンは、シナリオプロット上は本当に短いものでした。ただ、坂口さんが描きたい情緒は伝わったので、全力でイベントを作りましたよ。

坂口プロットでは4行くらいでしたけどね。「それが誠の事かどうか……俺達が示してみればいいではないか?」って、北瀬はこういう口説きかたをするのかなあ、って考えたりしましたよ(笑)。で、キラキラしながら空中でふたりダンスをするんだよね、あのシーン。キャラクターにキラキラを付けるのは、北瀬がやった後、「これ、いいじゃん」って、みんなが使い出したんだよ。

北瀬そのキラキラには、まあ深い意味があって……。

坂口いやあ、それは言わないほうがいいと思うよ(笑)。ユーザーががっかりするよ(笑)。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_05
人間と幻獣は相いれない、というマドリーヌに対し、マディンは「それが誠の事かどうか……俺達が示してみればいいではないか」と言い、ふたりでダンスをする。そしてティナが誕生する……という、情緒溢れるシーンは北瀬氏が担当。

もともと、世界は崩壊せずにエンディングを迎える予定だった!

――『FFV』がジョブチェンジシステムで大好評を得た後に、そのシステムを踏襲せず、複数の主人公たちの群像劇という方向性に舵を切ったのには、どういうねらいがあったのでしょうか。

坂口『FF』は奇数のナンバリングタイトルがシステム寄り、偶数のナンバリングタイトルはストーリー寄り、なんて話がありますが、毎回そういうテーマを決めているわけではないんですよ。それは単純に、作る側が飽きていて、前作と同じことをやりたくないから、魅せかたの手法を変えているだけなんです。

――テーマといえば、『FFVI』から機械とファンタジーが入り混じる世界観になって、その後の『FF』シリーズにも色濃く影響を与えたと思うのですが、そういった世界観を採用した理由は?

坂口単に北瀬とかが『スター・ウォーズ』ファンだからだよね?

北瀬違います(笑)。

坂口まあそれは冗談で(笑)。僕たちって、もともと剣や魔法の王道ファンタジーに浸かってた人間ではないんですよ。だから、「別にファンタジー世界に機械があってもいいだろう」と思って。ハードや技術の進化によって、いろいろな表現ができるようになりましたし、ゲーム制作にも慣れてきた影響があったんでしょうね。あと、タカちゃんがメカ好きだったのもデカい気がします(笑)。

北瀬『FFV』までは、クリスタルをテーマにお話が展開していましたよね。でも、「『FFVI』はクリスタルからちょっと離れてみよう」という雰囲気が、チームにあったんです。

――世界が崩壊し、その後の世界をさらに旅するという展開も衝撃的でした。

坂口崩壊後の世界は、じつは最初、作る予定はなかったんですよ。

北瀬本来は“世界が崩壊しそうだから、崩壊する前にケフカを止めて世界を救う”予定だったんですよ。ただ、そこからもうひと捻り入れようというお話になりまして。

坂口思ったよりも制作が順調に進んで、発売日までのスケジュールの余裕ができたので実現しました。その崩壊後の世界でのイベントも、作っているうちに、当初の予定より相当スケールアップしましたね。

――崩壊後と言えば、孤島でのセリスとシドのイベントは、生放送(ファミ通TUBE/ファミ通チャンネルにて配信した番組『『FF』の生みの親・坂口博信氏が『FFVI』をクリアーする放送 第8夜』)でも、皆さんワイワイと盛り上がっていましたよね。

坂口そうそう、シドに魚を食わせまくってね(笑)。あのイベントを作ったのは、北瀬だよね?

北瀬そうですね。どの魚をあげればいいのかノーヒントなのは、わざと難しくしているからです。僕の中では、シドが死ぬルートが本編だと思って作りました。ですが、やはり救いがあったほうがいいと思い、あくまでオマケ的な要素として、がんばって魚をあげるとシドが死なない道を作ったんです。

中村北瀬さんに聞きたいんですが、なぜあの砂浜に鳥を置いたんですか!? 邪魔すぎて魚が獲れないんですよ!(笑)

北瀬よく見てもらえばわかるのですが、セリスが身投げするシーンにも、あの鳥はいるんですよ。そこにつながる前振りとして、砂浜に鳥がいるんです。あの鳥が、セリスが気持ちを切り替えるきっかけになるわけです。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_06
【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_04
セリスの心境が変わるとき、必ずヤツ(鳥)がいる。

坂口なるほどなぁ。でも、邪魔なんだよ(笑)。

北瀬それは、すみません(笑)。

『『FF』の生みの親・坂口博信氏が『FFVI』をクリアーする放送 第8夜』。見どころは、44:30ごろから始まるシド救出劇。急げども急げども、天に召されてしまうシド……そして中村氏は魚捕りを極める!?

渋谷そのセリスの身投げシーンもそうなのですが、私がビックリしたのは、キャラクターグラフィックが意外が使われかたをしていた点です。たとえば、手を振るアニメーションや、気絶のアニメーションなど、キャラクターのさまざまな動きを描きました。『FFVI』はフィールドもバトルシーンも、すべてキャラクターが同じ等身のグラフィックだから、アニメーションをどのシーンでも使えるんですよ。だから、イベントの完成シーンを見て、思わぬところに意図していないグラフィックが使われていることに驚きました。

――セリスが身投げをするときは、バトルでダメージを食らうときのグラフィックが使われていますね。

北瀬たしかに、渋谷さんが描いたものを、イベントチームはいろいろなシーンで使って、キャラクターに演技させていました。

渋谷だから、実際にイベントを見てみたら、瀕死のグラフィックが、しゃがんで何かを拾うシーンに使われていたりして。こういう使いかたもあるんだと、素直に驚いていました。

――ちなみに、天野喜孝さんの描くキャラクターと、『FFVI』のゲーム内のグラフィックは細部が異なっていますが、それはなぜですか?

坂口それは、天野さんの作業と我々の制作が、同時進行していたからです。すでにオープニングシーンなどは完成している中で天野さんのイラストが届いて、僕たちも「えっ、魔導アーマーってこんな形なの!?」って驚いてましたよ(笑)。まあ、これはこれでカッコイイよねって話になり、パッケージイラストなどもそのままになるわけです。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_02
天野氏が描いたティナと魔導アーマーの姿が印象的だった、当時のパッケージ。

渋谷いまもよく「ティナは金髪なの? それとも緑髪なの?」って言われます。本当に天野さんのデザイン通りにすると、ゲーム内の登場キャラクターたちのほとんどが金髪になってしまい、見分けが付かなくなりますし、金髪ばかりでは個性も薄れてしまいますよね。ですので、天野さんには自由に描いてもらいつつ、画面の色彩は、私がコントロールしていました。

――ちなみに、天野さんのイラストと、渋谷さんがドットを打つのはどちらが先だったんでしょうか?

坂口ほとんどが、渋谷が先に描いてますね。

渋谷メインキャラクターはだいたいそうですね。シャドウやストラゴスなどは、天野さんのイラストが先に上がって、それをもとに作りましたけど。

――デザインの際は、まずは下絵などを描いてから、ドットに起こすのですか?

渋谷いえ、私はもう直でドットを打っていましたよ。

――えっ!

渋谷だって、紙に描く時間がもったいないでしょう。それに、当時はどんどんグラフィックを作っていかないと制作が進まないから、作ったもん勝ちだったんですよ(笑)。たとえばティナは、最初はショートヘアの女の子として制作して、早めにプログラマーにデータを渡していました。実際に動かしてもらって、徐々に現在のティナに近づけていったんです。

坂口モンスターは基本的に、イラストをもとにドット絵にしていましたけどね。天野さんが描いたモンスターも多いです。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_03
世界が崩壊し、仲間がバラバラに……という苦難の先にある、感動のエンディング。このエンディングでセッツァーが口にする、ダリルの口癖の真意は……? 長年の疑問をぶつけてみた。このシーンを担当した北瀬氏によると、「そんなに大した意味はないです(笑)。どちらでもいい、ということです」とのこと!

『ドラゴンクエスト』へのライバル心が『FF』を大作へと成長させた

――『FFVI』が発売されたのは1994年4月2日ですが、逆算すると、開発は1~2月くらいには完了していたことになりますね。

赤尾そうそう、思い出した。サウンドチームって、ほかのスタッフとは別の部屋だから、『FFVI』のマスターアップが終わって、ほかのスタッフは全員帰ったのに、サウンドチームだけ知らされていなくて、全員残ってた(笑)。

中村そうそう! なんかすごい静かで、開発チームの部屋に行ってみたら誰もいなくて「あれっ……これってもしかしてマスターアップしたの……?」みたいな(笑)。

――それは驚きますね(笑)。開発開始からマスターアップまでは、どれくらいの期間だったのでしょうか?

坂口約1年くらいですね。

渋谷『FFV』の作業が終わった後に開発がスタートしたので、実際は1年もかかっていないくらいです。

――その約1年はやはり、激動の年だったのでしょうか?

中村僕はもう新人でしたし、忙しすぎて、詳細はほとんど覚えていないくらい、必死でした。効果音を作るには、たとえば“キャラクターはどんな武器で攻撃しているのか”など、ゲームを見る必要があるので、デバッグしながらプレイしては、効果音を作る……という感じでした。だから、会社に泊まるのは当たり前でしたね。

坂口俺は、折り畳みのイスがベッドになるタイプで寝ていたね(笑)。

北瀬僕は寝袋を持ち込んでいました。

赤尾僕は羽毛布団!

一同 羽毛布団!?

赤尾そう、小さいやつを床に敷いてね(笑)。

――当時ならではの思い出ですね(笑)。そうして泊まり込んででも、クオリティーの高いものを生み出したいという気概があったのですね。

坂口それはすべて、『ドラゴンクエスト』の影響が大きいんです。『ドラゴンクエスト』は独特の雰囲気を持っていますし、堀井雄二さんのすばらしいシナリオもあります。「これを超えなくては」と、ライバル意識をメラメラと燃やしていただけで、「一流のものを作る!」という感覚ではなかったですね。

北瀬坂口さん、『FFV』のときに「ナンバリングの数だけは(『ドラゴンクエスト』を)超えてやる!」と言ってましたよね。

坂口あのとき、ゲームじゃ勝てないと思ってたから(笑)。ただ、初代『FF』のときから、グラフィックだけは負けないという気持ちはありました。もちろんシステムやシナリオにも力を入れていますが、そこだけは『ドラゴンクエスト』に勝てる自信を持って、昔から作っていましたね。あ、『ドラゴンクエスト』と言えばさ、北瀬がボツにしたイベントがあったよね。

北瀬えっ、何でしたっけ?

坂口『FF』って、パーティーメンバーが何人かいても、マップ上を動かすときは、先頭のひとりだけが表示されるじゃない。メンバーが集ったら、代表してそのひとりに合体するというか。で、そのボツになったイベントでは、4人のメンバーが合体しようとしたら「あれっ!? 合体できないぞ!?」って、4人が並んで表示されちゃうという、『ドラゴンクエスト』を意識した内容になっていて(笑)。

北瀬ああ、それはさすがに「フザけすぎてるだろ!」ってボツにしましたね(笑)。

――(笑)。では最後の質問です。生放送を機に『FFVI』をオープニングからプレイしてみて、改めて気づいたことはありますか?

坂口自画自賛のようになってしまいますが、昔のゲームとはいえ、『FFVI』はいまプレイしても素直におもしろいですね。ゲームはここから、3Dの世界に突入し、ゲームの規模もどんどん大きくなっていきましたけど、これはこれで、いまでも楽しめるゲームだと思いました。あと、砂浜の鳥は、やっぱり邪魔(笑)。

北瀬ごめんなさい(笑)。

【『FFVI』25周年】『FF』が成長できたのは、『ドラゴンクエスト』へのライバル心があったから。坂口博信氏、北瀬佳範氏ら開発スタッフに当時の思い出を聞く_01

アンケート:好きなキャラクター&好きなシーンは?

坂口博信氏

キャラクター:全員
シーン:魔列車など
キャラクターは、ひとりを選べませんね。イベントはオペラ座はもちろん好きですが、絵的には魔列車。あれは、皆葉ががんばったと思います。もちろんオープニングとかも……全部です(笑)。

北瀬佳範氏

キャラクター:セリス
シーン:オペラ座
もともとは予定になかった世界崩壊後を作ることになって、第2部はセリスをメインにしようとイベントを組み立てたことから、思い入れが強いです。心に残っているのはやはりオペラ座ですね。

渋谷員子氏

キャラクター:ケフカ
シーン:ダリルの墓
ケフカは『FF』でも異色のキャラクターですよね。ケフカの持つ狂気みたいなものを、アニメーションでうまく表現できました。好きなシーンは、ダリルの墓。素直に感動しちゃいました。

赤尾実氏

キャラクター:マッシュ
シーン:オペラ座
好きなキャラクターはマッシュでしょうか。イベントはやはりオペラのシーンです。音の表現をどうするか、植松さんと「いつもと違うものにしたいね」と、試行錯誤しながらやりましたので。

中村栄治氏

キャラクター:シャドウ
シーン:エンディング
好きなのはシャドウです。エンディングでの、シャドウとインターセプターとのやり取りがすごく好きですね。少し哀しいシーンでもありますが、とても印象に残っています。

ゴールデンウィークに一気に見るのもオススメ! 『FF』の生みの親・坂口博信氏が『FFVI』をクリアーする放送

坂口博信氏とゲストが、ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン版『FFVI』をイチからプレイする特別番組『『FF』の生みの親・坂口博信氏が『FFVI』をクリアーする放送』。2018年3月より、月1回放送されてきた同番組は、この2019年4月にめでたくフィナーレを迎えた。当時の開発エピソードを交えながら展開される、笑いあり涙ありのゲームプレイは必見です!

 また、2019年4月27日19時には、この番組の全夜ダイジェストをプレミア公開。名場面の数々を、ぜひチャットを楽しみながらご覧ください!