画面に表示される文章をキーボードで入力する。対戦相手よりも速く、正確に。
たったそれだけのことなのに観る者の心を揺さぶる競技、それがタイピングだ。世の中にはタイピングのスピードや正確性を競う大会がある。
僕は昨年のタイピング日本チャンピオン決定戦を観戦し、競技性の高さや息を飲む展開、何より選手たちの真剣な眼差しに胸を打たれた。
ひとつの文章を打ち終わるまでの所要時間は3秒そこそこ。たった2~3秒で1セットが決着し、流れるように10セット、20セットと続く。選手も観客も運営スタッフさえも、呼吸を忘れて超高速の戦いに没入する。
その光景は衝撃的だった。これこそが世界最速のesportsだ。
2017年大会の決勝トーナメントは東京ゲームショウ内で実施されたが、今年は単独の大会として独立。
2018年11月18日、決戦の舞台をRed Bull Gaming Sphere Tokyo(東京・中野)に移し、“REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIP 2018”オフライン決勝が開幕した。
シンプルだからこそ熱さが際立つ競技“タイピング”
オフライン決戦は対戦型タイピングソフト『Weather Typing』を使ったトーナメント。オンライン予選や当日予選を勝ち抜いた16人のゴッドフィンガーが舞い踊る。
ランダムで表示される同じ文章(ワード)をふたり同時に打ち始め、先に打ち切ったほうがセットを取得。10セット先取でラウンド勝利となり、2本先取(決勝戦は3本先取)したほうが勝ち抜ける。
基本ルールはとてもシンプルだ。だからこそ白熱する。陸上競技や相撲にも通じるものがあると思う。
何がタイピングをesportsたらしめているのか。要素はいろいろあるが、やはり注目はシンプルなルールから生まれる駆け引きとドラマだ。
試合の模様をボーっと眺めているだけでも十分に手に汗握るのだが、ルールを知っていればなおよし。観戦時に頭に入れておきたいポイントはふたつ。
・カナ入力は速度、ローマ字入力は正確性が高い(傾向がある)
本大会はカナ入力とローマ字入力の選手が同じ土俵で戦う異種格闘技戦だ。打鍵するキーの違いがスピードや得意ワードに影響する。
出されるお題は大半が日本語。「かきくけこ」と打つ場合、ローマ字入力だと10打必要だが、カナ入力なら半分で済む。スピードでカナ入力が有利なものの、使うキーの範囲が広くて記号の入力も苦手なため、正確性はローマ字入力に一歩譲る。
野球で言うと“1番バッターは足が速い”や“4番バッターはパワーがある”みたいなものだ。こういう共通言語を知っていると、試合の印象が変わり、より深い部分が頭に入ってくる。
・正確性を維持するための駆け引きが重要
REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIPで勝ち抜くには、スピードだけでなく“正確な打鍵”も大切だ。世界的には正確性を重視する大会は珍しいらしい。
10セットぶん先んじて打ち切ればその時点で勝ちなのだが、正確性が95%を割っていると負けになってしまうのだ(両者ともに95%未満のときはポイントで判定)。
ときどき、ずばーっと先行しているのに最後の1文字を打つのをやめることがある。このときは「少しでも多く入力して正確性を上げたいんだな」と受け取ればオーケーだ。
また、今回はお題が“元気ワード”、“esportsワード”、“タイピングワード”、“ALLワード”に分かれていた。最初はALLワードで出題され、2ラウンド目以降は前ラウンドを落とした選手が選択権を持つ。
“元気ワード”には日本語が多く含まれるため、カナ入力が有利などの特徴がある。盤外にも駆け引きの要素が生まれ、なるほどと唸った。esports大会として確かな進化を遂げている。
と、こんなことを書いておいて何だが、前年チャンピオンのmiri選手はローマ字入力にも関わらず圧倒的なスピードでカナ入力の選手をねじ伏せている。
駆け引きをものともしない力技。記事ではつい“ローマ字入力の高速女王”なんて異名をつけてしまった。
一見すると、miri選手はおしゃれなお姉さんだ。そんな彼女が屈指の強キャラ。マンガの登場人物のようである。主人公のピンチで登場し、笑顔で敵を一蹴する場面が目に浮かぶ。
クジで決めた順に自分が入る枠を決める形でトーナメントの組み合わせが決定した。強豪とは反対のブロックを選ぶか、それともいきなりぶつかるか。こんなところにも駆け引きが。
優勝候補筆頭のmiri選手は16番を選んだ。出場選手は16人なので、彼女が登場するのは1回戦の最終試合。タイピング物語のヒロインだと思ったらラスボスだった。意外な展開に興奮せざるをえない。
壁を乗り越えて突き進む。高速女王の成長物語
僕にはドラマを想像してスポーツの試合を観戦する癖がある。ここで点が入ったらマンガみたいとか、因縁がある選手には決勝戦でぶつかってほしいとか。想像と現実がリンクすると「うわー!」と声が出る。
今回で言うと、miri選手とmuller選手(2017年は準優勝。カナ入力選手)の再戦に期待していた。
前回大会の優勝者に注目するのはメジャーな観戦スタイルだと思う。加えて、muller選手もすごく魅力的だったことを覚えている。目つきがすごくよかったのだ。
トーナメントの組み合わせではちょうど左右のブロックに分かれた。大一番でぶつかる可能性がある。神様も粋なことをなさる。
決勝トーナメントは初戦から熱い試合の連続だった。
正確性が落ちても打ち切るパワーファイターがいる。追い詰められてもペースを崩さないタイピングマシーンがいる。ローマ字入力とカナ入力を使い分けるスイッチタイパーもいる。
しれっと書いたが、“タイパー”とはタイピング技術の向上を目指す人のことだ。対して、職業的にタイピングを行う人は“タイピスト”と呼ばれる。
タイパーたちの指の運びは速く、美しい。実況のabara氏は「○○選手」と呼ぶのを諦め、途中から仕方なく呼び捨てに切り替えた。しゃべる文字数を減らさないと口が追い付かないのだ。
『Weather Typing』はタイピングスピードを計測できる。単位はkpm(1分間の打鍵数)。1回戦の第5試合で登場したのん選手のトップスピードは1100kpmを超えた。1秒間の打鍵数はおよそ19。ちょっと意味がわからない。
今回、僕は前年優勝のmiri選手と準優勝のmuller選手に注目して観戦した。
気になる選手に注目すると、より応援に熱が入る。この辺はリアルのスポーツ観戦といっしょだ。
7試合を終え、miri選手の出番がやってきた。対戦相手は昨年ベスト4のテル選手。
テル選手も優勝候補のひとりだ。タイピングソフト『タイプウェル』を使ったランキングのローマ字入力部門、英単語部門で1位、カナ入力部門で2位(どちらも2018年11月29日現在)という両刀使い。弱点のないパーフェクトタイパーである。
優勝候補が初戦で別の優勝候補とぶつかる。解説の隅野氏が「これが決勝戦でもおかしくない」と感嘆するほどの好カードに、会場が震えた。
強豪どうしのバトルは、第1ラウンドからフルスロットルだった。テル選手はカナ入力でも高い正確性を、miri選手は1000kpm越えをキープ。正確性を落としたテル選手が、パワーで押し切る場面もあった。
両者が1ラウンドずつ取り合って迎えた第3ラウンド。最後は純粋なスピード勝負を制したmiri選手に軍配が上がった。
上の動画はテル選手と戦うmiri選手の様子。1ラウンドあたりにかかる時間は数十秒ほどなのに、呼吸は浅く、息も絶え絶えになるほど精神がすり減っていく。
濃密な試合の後も大会は続く。観戦を続けるうちに、珠選手のプロフィールにあった言葉で、選手たちの熱意に気付かされた。
赤線を引いた部分に要注目。
温かい指で殴り合いしましょう。
純粋なタイピングスピードを競うスコア型の大会もあるが、REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIPはあくまでも“対戦競技”。指先が躍動する繊細な殴り合いである。
負けたくない。勝ちたい。闘争心こそが最高のスパイスだ。
大会が大きく動いたのは3回戦の第2試合。1100kpm越えのスピードを誇るのん選手を倒して勝ち上がった選手が、miri選手を撃破したのだ。
彼の名は、やだ。円周率200ケタのタイピング世界記録保持者(11.15秒)だ。劣勢でも涼しい表情を崩さず、正確無比なタイピングを続ける鋼のメンタルの持ち主である。
ここに来て新たな強豪が優勝候補に躍り出た。バトルマンガの大会入場シーンパロディーができそうなほど、個性豊かなタイパーが揃っている。
本大会は2度負けると敗退となるダブル・イリミネーション方式を採用。miri選手が完全にトーナメントから姿を消したわけではない。
敗者サイドに転落しても、グランドファイナルに進出するチャンスはある。だが、ここからは連戦に次ぐ連戦。精神的に厳しい戦いが待っている。
しかも、敗者サイドでの最初の対戦相手は初戦で苦戦したテル選手だった。
やだ選手に敗北を喫した後から、目に見えてmiri選手の雰囲気が変わっていた。その強さに代わりはないが、1ラウンドを終えるごとに胸に手を当てて呼吸を整えている。極度の緊張と不安に見舞われているようだ。
タイピングの試合は展開が非常に早い。プレッシャー、解放、プレッシャー、解放と、およそ1分ごとに切り替わるのだ。精神的な負担はどれほどのものか。
テル選手を再び撃破し、少しずつ優勝への階段を上っていく。そしてたどり着いた敗者サイドの最終戦。miri選手の前に立ちはだかったのは、彼女に敗北の味を教えたやだ選手だった。
やだ選手は試合前のインタビューでひと言「勝ちます」。嫌味な感じはなく、にこやかに宣言した。これは女子人気の高いライバルキャラだな。
度重なる連戦で、miri選手の指は十分に温まっていた。とはいえ、完全に落ち着きを取り戻したわけではない。それでもわずかにライバルより先行して、1ラウンド目を取得した。
2ラウンド目の終盤、やだ選手に珍しくミスが続く。彼が正確性を上げるためにスピードを落としたところでmiri選手がスパートをかけた。ついにやだ選手を撃破する。
その瞬間、彼女は自分を追い込んだ壁を乗り越えることに成功した。
いよいよグランドファイナル開戦のときを迎えた。
最後まで勝者サイドを戦い抜き、miri選手と対峙するのはカナ入力の名手・muller選手。前年の決勝戦と同じ組み合わせだ。
ちなみに、この時点ではまだふたりは対等ではない。1回までは負けられるのがダブル・イリミネーション方式の特徴だ。miri選手が優勝するにはmuller選手を2回倒さないといけない。
しかも、グランドファイナルはこれまでよりも長丁場の20ワード・3ラウンド先取制だ。miri選手からしたら、倒しても倒しても強敵が出てくるボスラッシュみたいなものである。息をつく暇がない。
ローマ字入力とカナ入力、両タイプの頂上決戦は、最速を競うモータースポーツのようだった。ワードを取りつ取られつ、抜きつ抜かれつのデッドヒートが展開する。
勢いの面では敗者サイドを勝ち抜いたmiri選手に分があった。3ラウンド連取で1戦目の勝利を収め、イーブンの状況に持ち込んだ。不死鳥のような復活劇である。
とはいえ、miri選手の圧勝だったわけでない。取得ポイントは20対19、20対15、20対17。それぞれのラウンドはかなりの接戦だ。実力は拮抗していると言っていいだろう。
お互いののど元に切っ先が突き付けられている。独特の緊張感に包まれる中、この日の最終戦がスタートした。勝ったほうが日本チャンピオンだ。
一歩リードしたのはmuller選手だった。カナ入力の爆発力で押し切ることに成功し、前年の雪辱を果たすまで、あとたったの2ラウンド。
だが、ここからmiri選手が驚異の集中力を発揮した。正確性が多少落ちてもスピードを殺さずに1000kpmをキープ。攻めの姿勢を崩すことなく2ラウンドを連取する。
取得ラウンド数は2対1。試合の流れはmiri選手に傾いている。後がない状況でmuller選手が起死回生を託したお題は“esportsワード”だった。
果たして、miri選手の加速は止まらなかった。つぎつぎとワードを打ち込んでポイントを稼いでいく。muller選手もさすがの高速タイピングを見せるが、1~2文字ほどの差で打ち負ける場面が目立った。
最終的に、勝利の女神の微笑みは調子を取り戻したmiri選手に向けられた。ローマ字入力の高速女王が2連覇を達成したのである。
REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIPはタイピング大会としては異質だ。1対1の対戦に特化するなど、esports的な演出を強く意識している。そんな大会がesportsに関するワードで決着する。何か運命的なものを感じる。
個人的に、ひとつ気になったことがある。グランドファイナルでは、muller選手にワード選択の機会が4回与えられた。内訳は全ワード2回、esportsワード2回。日本語が多く含まれていて、カナ入力に有利な“元気ワード”は一度も選ばなかったのだ。
esportsワードを十分に練習してきたのか、何の気なしに選んだだけなのか。それとも、自分に有利な環境ではなく対等に戦いたかったのか。
muller選手本人に理由を聞けなかったのが心残りだが、いま思えばそれをつまびらかにするのも野暮な気がする。
彼は正々堂々の勝負にこだわった。僕のなかではそういうことにしておく。
REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIP 2018は伸び代を感じるesports大会だった。競い合う要素がシンプルだからこそ、演出にこだわるのもおもしろそうだ。
東プレとしては今後も開催を続ける意思があるらしい。次回もさらなるドラマで僕らを興奮の渦に巻き込んでほしい。
REALFORCE TYPING CHAMPIONSHIP 2018
さて。当日予選に気になる参加者がいた。小学生のUSKくんだ。
タイピングに興味を持つ小学生を見てピンと来た。たしか2017年大会の観戦者に小学生がいたことを覚えている。話を聞いたら本人みたいだ。
USKくんのタイピング歴は約4年。プログラミングの体験会でPCなどに触れ、タイピングに興味を持ったとのこと。お父さんは自身はタイパーではないが、子どもが興味をもっているなら応援したいそうだ。
何より、愛用キーボードが“Happy Hacking Keyboard(※)”だというから素晴らしい。期待の新鋭である。タイピング界の未来は明るい。
(※Happy Hacking Keyboard:必要最低限のキーのみで構成された高品質キーボード。エンジニアやプログラマーなど、いわゆる“本気の人”からとくに人気が高い)