東京は高田馬場にあるゲームセンター“ミカド”の店長、池田稔氏が登場! 『ゼビウス』でアーケードシューティングに魅せられた池田店長。シューティングゲーム不遇の時代を経て、いまにつながるゲーセンとシューティングの歴史、そしてゲームセンターの視点から見たシューティングの魅力とその未来を語っていただいた。

聞き手:ででお(本誌編集者)、藤川Q(本誌編集者)、みさいル小野(本誌編集者)、風のイオナ(本誌ライター)

※本インタビューは、週刊ファミ通2018年7月12日号に掲載されたものに増補改訂を行ったものです。

高田馬場ゲーセン・ミカド池田店長が語るシューティングの魅力と未来_01

池田稔氏(いけだみのる)

東京・高田馬場にあるゲームセンター“ミカド”のオーナー兼店長。(文中は池田)

ミカドの店長は『雷電』のクローンゲームの愛好家!?

──まずは、池田さんが経営されている店舗のことからうかがいたいのですが、ミカドはいつごろから運営されているのですか?

池田 最初の店舗は新宿の歌舞伎町にあって、そのお店で雇われ店長をしていました。自分自身は高校卒業してすぐゲーセン店員になったのですが、いずれは自分のお店を持ちたいと思っていました。で、2004年に会社を作ったのですが、最初は資金がなかったため、メーカーオフィシャルでサントラCDや攻略DVDを作っていたんです。もともと音楽をやっていたのでCDを作るノウハウや動画編集もできたので。そういう活動を2年近くやっていた時に、いろいろな巡り合わせがあって2006年ごろに歌舞伎町の店舗を買わないかと持ち掛けられて買ったのが、いまのミカドの始まりです。

──それが新宿時代のミカドですね。

池田 そうですね。でも2009年になり、ミカドが入っていた歌舞伎町のビルが売却されることになって移転の必要が出てきたので、物件を探して現在の高田馬場に移りました。

──新宿時代から懐かしいシューティングゲームをたくさん稼動させていたのですか?

池田 そうですね。僕自身が子どものころからゲームマニアで、『ゼビウス』(※1)にハマってゲーセン通いするようになったのです。のちにゲーム基板も集め始めました。もちろん家庭用ゲームもやっていたのですが、アーケード版との違いに納得がいかないっていうこじらせてたタイプだったので(笑)。

※1……ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)から1983年にリリースされた縦スクロールのシューティングゲーム。対空攻撃(ザッパー)と地上攻撃(ブラスター)を撃ち分けるタイプの、シューティングゲームの元祖。

──納得いかないと言いつつも、遊んじゃうんですよね(笑)。

池田 そうなんですよ(笑)。で、ゲーセンを始めるにあたって、中小企業だと高価な最新基板がなかなか買えないんです。だから持っている基板を活かして、「こういうゲームにこだわりを持って置いているぜ」という匂いを出しているのがミカドです。あと、当時は地方の温泉街をまわると古いゲームが置いてあったんですよ。「どこそこに『アウトラン』があるぞ!」って情報が入ると、現地にいって「おっちゃん! 最新のゲームに差し替えるからコレ持ってっていい?」って交渉して、当時10000円くらいで買えた『レイブレーサー』を置いてきて『アウトラン』を手に入れたりね(笑)。

一同 (爆笑)。

池田 1970年代のピンボールを見つけたときも「これはすげぇ!」となって、2~3万で買えた『リーサル・ウェポン3』を持っていって交換してもらいました。でもいまは買い尽くされちゃって穴場も減ってきていますし、そういうことはできないでしょうね。

──いまミカドさんで稼動している『ダライアス』なんかもそうですけど、動かなくなって捨てられちゃうよりミカドさんみたいなゲーセンで修理しながら稼動し続けていたほうがいいですよね。

池田 そうですね。じつは、あの『ダライアス』の筐体はけっこうな高値で入手しているんですよ。もとは仙台にある“プレイランド エフワンR”っていうゲーセンで稼動していたものなのですが、僕がエフワンのオーナーと知り合いだったのもあり、逆に「うちの『ダライアス』買わない?」って持ち掛けられたんです。実際に筐体を見に行ったら、すごいボロボロだし値段も高いしで悩んだのですが、ミカドをオープンするにあたって『ダライアス』があったほうがいいだろうと、背に腹は変えられずということで買いました。

──そういうところで妥協しないから、ミカドには全国からアーケードゲームファンが集まるんでしょうね。ミカドでは『メタルホーク』も稼動していますが、ほかのゲーセンではまず見ないですからね。

池田 ありがたいことですよね。やはりアーケードゲームが好きなので、ジャンルにも隔たりがないんですよ。ゲーセンに通い出したきっかけが『ゼビウス』なので、当然シューティングゲームは好きだし、『ストリートファイターII』が出たときもすぐハマって格闘ゲームが好きになったし、『テトリス』みたいな落ちモノパズルも好きですしね。

──池田さんがとくにお気に入りのアーケードシューティングは何ですか?

池田 かなりマニアックな話になってしまうのですが、『雷電』(※2)が出たときに、ほかのメーカーから『サンダードラゴン』(※3)や『マッドシャーク』(※4)といった“『 雷電』クローン”的なゲームがたくさん出たんですよ。ゲーセンからはすぐに消えてしまい、移植もされない。さらに残存している基板も少ないという、そんなシューティングが本当に好きですね。

※2…… 1990年にセイブ開発が制作し、テクモ(現コーエーテクモゲームス)から発売された縦スクロールのシューティングゲーム。ショットとボンバーを駆使して進むオーソドックスなシューティングながら、そのシンプルなシステムが好評を博した。

※3……1991年にNMKが開発し、テクモ(現コーエーテクモゲームス)から発売された縦スクロールのシューティングゲーム。ヘリコプターのような自機を操り、アイテムでショットを切り換えながら進む。ヘビメタ調のBGMや演出の派手さが受け、ヒット作となった。

※4……アルュメから1993年にリリースされた縦スクロールのシューティングゲーム。戦闘機を操作し、戦車や空中物の群れを破壊する。ショット強化系アイテムが3種類あるほか、ボーナスコインがルーレットになっているなどの特徴がある。

──そんなゲームが、いまもミカドで遊べるのは貴重ですね。

池田 そうですね。ちなみに最近『グラディウス』のROM版がオークションで170万くらいで落札されたんですが、僕がミカドを始めた頃は20万くらいで買えたんです。当時は基板の値段も底値だったから運もよかったと思います。ミカドを始めたときに、もともと個人で持っていた基板もお店で稼動させましたが、当時は10万円持って基板屋に行けば12~3枚は買えましたから。いまだと10万で2~3枚しか買えなかったりしますからね。アーケード基板も段々骨董品みたいになってきていますね。

──過去にもプレイステーション2などの家庭用ハードでたくさんのアーケードゲームの移植がされてきていますけど、それらのゲームも段々と遊べなくなってきていますよね。たとえばWiiのバーチャルコンソールも2019年1月で終了予定ですし。

池田 確かにそうですね。現在ミカドで稼動させている『バーチャファイター3』が人気なんですけど、あれもドリームキャストにしか移植されてないし、ネット対戦もないから簡単には遊べないんです。『バーチャ3』やるためだけにドリームキャスト本体とアーケードスティックを引っ張り出すくらいなら、ゲーセンに行ったほうが早いんですよね。

──ミカドに来れば対戦相手もいますしね。

池田 そうですね。そういった家庭用での取りこぼしみたいな部分をミカドが拾っていくのも魅力になっているのかなと思います。

──先ほどのお話に出たゲーセンからすぐに消えた不遇のシューティングをミカドで稼動させるというのも、そのひとつですよね。

池田 当時はやっぱり『ストII』がメインだったんで、『サンダードラゴン』が新製品で入荷しても1回プレイして「こんな感じか、じゃあ『ストII』に戻ろう!」みたいな人が多かったと思うんですよ。そういった人たちが改めて当時のシューティングを遊ぶとおもしろさがわかってくる。それで「あのとき冷たくしてごめんね」っていう感情になっちゃうお客さんが多いんですよね。

──語り部みたいな側面もありますよね。誰かがその話をしないと残っていかないっていう。

池田 確かにそうですね。『サンダードラゴン』や『マッドシャーク』を語ることについて需要があるのかわかりませんが、そこを伝えていきたいですね。

格闘ゲームブームに押され、シューティングは難度を上げてインカムを上げようとしていた

──シューティングって対戦格闘ゲームブームのころは不遇な扱いを受けたのでは?

池田 じつは、そのことを知り合いの開発の方に聞いたことがあるんです。新作の格闘ゲームがロケテスト(※5)で1日に30000円以上入る時代に、たとえば『雷電II』なんかも、「1日30000円入らないと基板を買ってもらえないのでは?」と疑心暗鬼になり、どんどん難度を高くしてしまったそうなんですよ。だから、当時シューティングを作っていた方々は、相当苦労していたと思います。

※5……ロケーションテスト。おもにアーケードゲームにおいて実施されるベータテストの
ようなもの。開発途上のゲームを一般公開し、ユーザーの意見の取り入れ、ゲーム
バランスの調整やデバッグ、市場調査などのために行う。

──いまは、シューティングも一定の固定ファンがいると理解されている側面がありますよね。

池田 そうですね。でも、当時は同列で考えられていたから、シューティングはすごく不利だったと思います。そんな不遇の時代に、あえてシューティングの新作を入れていたお店は、店長がシューティング好きとか、スコアラー(※6)の常連客がいるといった理由がないと難しかったと思います。

※6……ハイスコアラー。コンピューターゲームやアーケードゲームで高得点(ハイスコア)をマークすることを目的とした人物を指す俗語。

──当時だと雑誌のハイスコア集計店などでは、ハイスコアラーが序盤でミスって捨てゲーしていくことでインカムが上がったりってこともあったと思うんですが、ふつうのプレイヤーは1ゲーム1回しか遊ばなかったりしますもんね。

池田 あと1990年代はいまほど娯楽も多くなかったですよね。スマホいじったりネカフェ行くって選択肢も無かったし、サボリーマンって言われていた人たちがゲーセンに来てルールのわかりやすいシューティングを遊ぶっていう文化があったと思います。蛇足ですが、『雷電II』のリーマンレーザー(※7)は、男性がトレイで用を足す際に、芳香剤を狙いたくなる心理をゲームで再現したそうなんですよ。

※7……正式名称は“プラズマレーザー”。当時は、帰宅途中のサラリーマンが遊ぶときにこのショットを使うことが多く、通称“リーマンレーザー”とも呼ばれている。

──それはおもしろいエピソードですね(笑)。

池田 人間の生理現象とゲームの破壊衝動って密接な関係にあると思うんです。昔はハードのスペックが低いから凝った演出ができないですよね。だからたとえば『パックマン』は食べている感に注力して表現していたと思いますし。プレイヤーの手応えと生理現象が近いんですよね。

スコアラーとサラリーマンが支えたシューティング不遇の時代

──リーマンレーザーの話も出ましたが、シューティングの売上で悩んでいた時代はどういう層が支えていたのでしょうか。

池田 スコアラー文化が支えていたんです。当時は何重にもダビングされたアーケードゲームの攻略ビデオがマニアのコミュニティのあいだで回ったり、「どこそこのゲーセンで『雷電II』をクリアーした奴が出たぞ!」と、ゲーセンノート上で情報交換したり、『ゲーメスト』のハイスコア集計ページを見て「え、もう『グラディウスIII』2周目いってるのかよ」って情報を知ったりとか。そういう細かい情熱の積み重ねがシューティングを支えていたんだと思います。その反面、先程の話にも出たサラリーマンが地道にコインを入れてくれたおかげでしょうね。そういう時代を経て、『東方Project』(※8)が動き出したのが大きかったと言えます。いまの若い世代のシューティング好きは、『東方』から入ってきて、ケイブのシューティングなどもやるパターンが多いと思います。さらに、『バトルガレッガ』(※9)や『グラディウス』(※10)にも、さかのぼって遊んでいる方も多いんですよ。

※8……同人サークルの上海アリス幻樂団によって制作されている著作物。弾幕系シューテ
ィングを中心としたゲームのほか、書籍、音楽CDなどから成る。

※9……1996年にライジングが開発し、エイブルコーポレーションから発売された縦スクロ
ールのシューティングゲーム。ゲーム中のさまざまな要素によって難度が上下する特徴があり、難度を意図的に調節するプレイスタイルが広まった。

※10……1985年にKONAMIよりリリースされた、横スクロールのシューティングゲーム。自機を追従して支援攻撃を行う武装オプション、ゲージとボタン操作による独自のパワーアップ、ステージごとにまったく異なるグラフィックとギミックが特徴。数多くのシリーズ作品がリリースされている。

──『東方Project』はファンの世代も中学生くらいからいますしね。

池田 そうなんですよ。僕の息子もいま中学生なんですが、『東方Project』のシューティングを遊んでいますからね。小学生くらいの頃は『ポケモン』とか『仮面ライダー』を楽しんでいたのですが、ある時期にそれらから卒業するタイミングがあるみたいなんですよ。それで、その後に遊ぶゲームの系統が分かれるみたいです。息子は、キャラクターから入っ、『東方Project』を遊ぶようになったようですね。もちろん、いっしょに遊んでいる友人の影響もあると思いますけど。

──周囲の環境で好みも変わってきますもんね。

池田 そうですね。友達のあいだで「まだ『ポケモン』やってんのかよ!」みたいになるみたいなんですよね(笑)。

──あるある。こういうのって自分がやめたときだけは言うんですよね(笑)。

池田 そうそう。自分も息子が小さいころから毎回いっしょに『仮面ライダー』の映画を観に行ってたんですよ。それがあるとき「行かない」と言い出して。「寂しいこと言うなよ……」みたいな。「俺は『仮面ライダー』観たいんだよ……」って、親が『仮面ライダー』を卒業できないという(笑)。

一同 (爆笑)。

──でも、そういった若い世代が『東方Project』にハマって「シューティングが好き」だと言うようになって、80年代から90年代にかけてアーケードシューティングをプレイしてきた世代が、改めて「俺たちもシューティングが好きだ!」とアピールするようになってきたところはありましたよね。

池田 それはありましたよね。というか昔はゲームが好きだとしても特別シューティングが好きっていう層自体いなかったんですよ。ゲームが好きな人はアクションゲームだってやるし、レースゲームもやる。ゲーム全般が好きで遊んでいたわけだから。でも格闘ゲームが出てきてジャンルが細分化されるようになったのも影響のひとつにあると思います。

──格闘ゲームが出てきたあとはゲーセンもジャンルでコーナー分けとかをするようになってきましたしね。ちなみにミカドさんにはスコアラーの方もよく来られるんですか?

池田 はい。ガチで全一(全国1位)スコアを目指している方もいるし、「若いころにやり残したゲームをクリアーしたい」という理由の方もいます。それと、いまはシューティングの新作がアーケードでなかなか出ないですよ。だから、リリース当時に何回かやって肌に合わずに離れたゲームを、いま改めてミカドで遊ぶプレイヤーが多いんです。プレイしてみたら「意外とおもしろいじゃん」って気づいたりするみたいで。ミカドでは、おもしろさを伝えるためにゲームプレイの配信もしているのですが、配信を観たら遊びたくなるような泥くさいプレイを、あえて見せているんです。スーパープレイを見せると「すげえ!」だけで終わってしまうので。そういう意味では、シューティングはプレイヤーごとに楽しみかたを見出せるせるジャンルなんだと思いますね。

物理的に自分の好きなゲームを遊べなくなってしまうのが基板を買うようになった理由

──ここで個人的なことをお聞きしたいのですが、池田さんが基板を集めるようになったキッカケって何だったんですか?

池田 ゲームセンター全盛期のころって毎月新作ゲームがたくさんリリースされていたんですが、入れ替わりも激しいから物理的に自分好きなゲームが遊べなくなっちゃうんです。僕の場合だと『グラディウスIII』がすごく好きで遊んでいたんですが、無敵技が発覚してゲーセンからどんどん消えていってしまったんですね。そこで基板を買わなきゃ、となったのが最初なんです。あとはアーケードゲーム至上主義なので夢見ちゃうんですよね。本物を手に入れたいっていう。でも実際に基板を買って家で遊ぶんですけど、部屋の蛍光灯が画面に映り込んだりして、なんか気分的に違うぞ、みたいになって結局またゲーセンに行ってしまうという(笑)。

──基板を買っても、けっきょくまたゲーセンに戻ってきてしまうと(笑)。

池田 ただ、ディップスイッチをいじったり設定を変えたりっていう中身を知れたのは基板を買ってよかった部分です。でも100円入れないと、プレイに気合いが入らないんですよ。だから僕は基板コレクターとはちょっと違うんですよね。いちばんはみんなに遊んでもらいたいと思っていますから。いまゲームの保存とかで盛り上がっていますが、ミカドは商売でやっているので、基板は壊れるまで使うものだと思って扱っています。やっぱりゲームは遊んでナンボですからね。

──本当にそうですよね。

池田池田 ゲームセンターのゲームって、家を出た瞬間から冒険が始まっているんです。電車に乗って目的地に着いて、ゲームで遊んで腹が減ったら近くのラーメン屋で飯食って、最後は仲間と居酒屋行って飲みながらゲームについて語るっていう。「『グラディウスIII』の3面の岩がさ~」とか何年同じ話をしてるんだよ、と。そういうのがセットになった楽しさがゲームセンターにはあるんですよね。

──『MOTHER』を作った糸井重里さんが、ゲームはプレイヤーが遊んで完成するって言っていました。まさにその通りだなって思いました。

池田 先程も言ったように当時のゲームは入れ替えも早かったから、プレイヤーがひとつのゲームを遊び尽くしてないんですよね。だから、いまはゲームセンターでアーケードゲームを遊ぶにはいちばんいい時代かもしれない。たとえば『ダライアス』にしても当時はリリースから1年後に『ニンジャウォーリアーズ』と入れ替わっているから、実質1年程度しか稼働していなかったんです。でもミカドは今年で12年目なので、『ダライアス』が12年稼動し続けていて、いまのほうが長いんですよ。

「まだまだシューティングは需要も元気もあるな」と感じている

──『東方』シリーズの登場以降、インディーゲームではシューティングが盛り上がりを見せていますが、それについて池田さんが期待していることはありますか?

池田 いろいろなクリエイターがシューティングを作るのは、シーンの活性化につながるのでいいと思います。作り手がどれだけシューティングに愛を持っているかが大切ですが、活性化していけば淘汰されるものもあるでしょうね。けれど、そこには質の高いゲームが生まれる可能性もあると思いますし、そうしたゲームがアーケードに逆輸入されたり、Steamやプレイステーション4といったコンシューマーでも展開されていったらいいなと。

──最近は、『アカとブルー』(※11)がスマートフォンからアーケードに逆移植されるという発表があり、話題になっていますね。

※11……タノシマスが開発したスマートフォン用のゲームアプリ。日本語版は2017年にiOS版、Android版が配信された。アーケード版では『アカとブルー Type-R』というタイトル
でリリースされた。

池田 そうですね。じつは僕も『アカとブルー』が動くexA-Arcadia(※12)の立ち上げに協力しているのですが、良質なゲームが登場すれば、ゲーセンへの還元などでつながってくる部分があると感じています。あと、作り手が好きなものと売れるものって絶対に乖離するので、そのバランス感覚が制作者側にあるかどうかに懸かっていると思います。

※12……ShowMeHoldingsが開発する、4本のROMを挿すことが可能な、PCベースのアーケード向け汎用基板。アーケード用の新システム基板として注目されている。

──いまはゲーセンが減少していますが、池田さんとしては今後、1990年代のようにまたゲーセンが増えて欲しいという気持ちはありますか?

池田 もちろんあります。ビデオゲームはリスクが低くて利益率が高い商売なんです。たとえば『上海』(※13)の基板を2000円くらいで買ってきて、1日3000円入ったとしたら、1週間で20000円になりますから。少し前まで、ミカドで『アカとブルー Type-R』のロケーションテストをしていたのですが、1日で約12000円入ったんですよ。基板価格は20万くらいだと思うんですけど、1日でそれだけ入ったら1週間で約半分回収できるし、十分商売として成り立つ。それに、いまどき1日で12000円入るゲームはなかなかないので、シューティングはまだまだ需要があるし、元気もあるということを改めて感じましたね。

※13……米国・アクティビジョン社が開発し、1986年にMacintoshでリリースされたパズルゲーム。積み上げられた麻雀牌の山から、ルールに従って牌を取り除いていく。アーケード版は1988年にサンソフトからリリースされた。

──スマホの『アカとブルー』で初めてシューティングに触れた層が、アーケード版をプレイしにゲーセンに来る、という流れもありそうですよね。

池田 そういう導線が作れたらうれしいです。ゲーセンって、来るだけでお金を入れれば遊べるし、気軽なんですよね。だから、最後にはみんなゲーセンに戻ってくると思っているんです。そうじゃないと、ゲーセンもやっていられないですからね。

──今後もexA-Arcadiaでは、新作のリリースを予定しているんですよね。

池田 現在4タイトル発表されていて、準備段階のものが20タイトルあります。いまは中小企業が運営しているゲーセンがきびしい状況ではあるのですが、少しでもゲーセンを救済できたり、儲かっていただけたらうれしいですね。それに、これからはゲーセンがみずからコンテンツ作りに関わっていくべきだと思っています。そうじゃないと、ゲーセンにもシューティングにも未来がないですから。

 インタビューはここまで……ではなく、ミカドの池田店長には最近話題のシューティングゲーム『斑鳩』についてもたっぷり語っていただいた。こちらのインタビューも近日公開予定なので、お楽しみに!