桜井さんみずからが初代『カービィ』を語ります!!

 1992年4月27日にゲームボーイ用ソフト『星のカービィ』が発売されてから、今年で25年。この記念すべき節目の年をお祝いするべく、さまざまなフェアの開催や記念グッズの販売など、多彩な企画が行われている。

 先日、東京公演が行われた“星のカービィ25周年記念オーケストラコンサート”も、そういった催しのひとつ。東京公演では、『星のカービィ』の生みの親である桜井政博氏が、1作目開発時のエピソードを語った。
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 そして週刊ファミ通2017年5月11・18日合併号(2017年4月27日発売)では、桜井氏の連載コラム“桜井政博のゲームについて思うこと”のスペシャル版を掲載。コンサートで語られた内容をもとに、桜井氏みずからの言葉で、開発秘話が紹介された。

 この“桜井政博のゲームについて思うこと”スペシャル版にさらなる再編集を行った、ファミ通.com特別版をお届け! 当時の開発ツールの画面、桜井氏が書いた企画書など、貴重な資料を交えて語っていただいた。必見です!!

※本記事は、週刊ファミ通2017年5月11・18日合併号(2017年4月27日発売)に掲載された“桜井政博のゲームについて思うこと”スペシャル版に加筆・修正を加え、再構成したものです。


桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_01

 桜井政博です。
 いちばん最初の『星のカービィ』がゲームボーイで発売されてから25年を記念して、2017年4月13日、東京でオーケストラコンサートが開催されました。そのとき、お客さんにもっと楽しんでほしいという気持ちから、初代『星のカービィ』の開発秘話を作り、プレゼンしました。そして、週刊ファミ通でも25周年特集があり、この話をまとめました。

 そしてその後。ファミ通.comでも公開できることになりましたので、形を変えて書かせていただきます。

 それにしても……。カービィが25歳なら、子どもがいてもおかしくない歳。そうなったら、わたしはもうおじいちゃんですね。老後の心配もしなくちゃなあ。

小さくやさしい、『星のカービィ』

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_02

 初代『カービィ』が発売されたのは、1992年4月27日。ゲームボーイの作品でした。吸って、吐いて、空を飛ぶ、不思議な生き物「カービィ」。コピー能力は次作の『夢の泉の物語』で考えたので、まだありません。

 企画を立てたのは、1990年の5月ごろ。わたしが19歳のときでした。すぐに着手できませんでしたが、開発期間はおよそ1年です。
 当時のゲームが難度の高い傾向にある中、『カービィ』はゲーム初心者の導入に絞って制作しました。

 慣れた人なら20分で終わるボリュームですが、なかなかあなどれませんで、結果として世界で500万本以上売れる大ヒットとなりました。これは全『カービィ』シリーズの中でも2位にダブルスコアをつけてダントツの記録です。

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超強力開発ツール ツインファミコン!

 そんな初代カービィを開発したツールは、非常に高性能。
 なんと、ツインファミコンで動いていました!!

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 『メタルスレイダーグローリー』というファミコンソフトの制作過程で、ひとつの開発ツールが生まれました。名前は“ゲームメーカー”。ツインファミコンにハル研究所製のトラックボールを付け、ディスクシステムで専用開発ツールを読み込ませたものです。これで直接絵を描き、動かすことができるのです。

 以下、実機の映像をごらんください!!

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 ドット絵が描ける!!

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 絵を組み合わせてキャラクターを作る!!

 動かすことだって、自由自在!!
 これは、初代カービィではありませんが、『星のカービィ 夢の泉の物語』のメタナイトのテスト映像。

 同じく、『夢の泉』の5面ボス、ヘビーモール。これぐらいは自由に作れたということ。

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 背景だって作れちゃう。

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 もちろんタイトルだって!

 なんでもできる、極めて万能なツールでした。

 初代『カービィ』のすべての絵や動きは、このツールで作られています。新人のときから手にしたこのツールでカービィを描き、動かし、ビデオに撮って企画プレゼンしました。その当時から、カービィのドット絵は製品版相当です。

とても小さいROM容量

 『カービィ』は、紆余曲折あって2メガビットのROMで発売されましたが、開発中は512キロビットに収まるように設計していました。キロビットと言ってもなじみがないでしょうが、これは……

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_10

 0がいっぱいギガバイト。当時としても少ない! このページのどの画像よりも小さいかも。

 そこで、任天堂作品の中でも最大のサイズである某ゲームと比べると、このぐらい?

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_04

 なぜ比べたし。
 そんなことを踏まえて、次からをごらんください。

キャラクターはエコ設計

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 これは、左がワドルディ、右がワドルドゥです。Waddleというのは、アヒルやペンギンがよたよた歩くさまのこと。名前が似ていて覚えにくいという方は……

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_13

 横文字のおしりが丸い目玉になっているほうが目玉、と考えればよいでしょう。

 でもこの2人、どうしてこんなに似ているの? 兄弟? いとこ?

 違います。
 答えは身もふたもないが、1.5匹分の容量で、2匹分のキャラクターを作りたかったから。

 つまり、

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_14

 こういうことです。

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_15

 これはゴルドー。これも、半分だけで終わりです。もう半分は上下反転してくっつけて、左右反転して動いているように見せかけます。

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_16

 敵としてはかなり枚数が多いポピーブロスシニアも、よーく見ると足が3通りしかありません。頭は2通り。
 とにかく、低燃費にして魅力的に動かす工夫があります。

 でも、容量はないけどボスは大きくしたいわけです。

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_17

 そこで描いたのが、コレ。

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 上下反転して、

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 3つ並べて、

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 背景にぺたんとくっつければ、ウィスピーウッズ。

 このデザインは、ゲーム作りにおける必然性があったということですね。

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 これも出演回数が多い、クラッコ。からだは上下左右反転でできていたり、目玉も1パターンでクラッコJr.にも転用されたりして。
 
 低容量故にキャラクターを詰めることが大事でした。
 このへん、少し掘り下げます。

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 これは、先ほどのツールにあったセットの一部です。
 バラバラになったドット絵を組み合わせてキャラクターを作ります。

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_22

 ファミコンなどでよく使われる8×8ドットの単位なら、この四角のスキマを使うことができました。

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 しかし、初代カービィは8×16ドットという中途半端な単位なんですね。

 つまり、このスキマは空けておかなければならない。低容量なのに、キャラクター的に、大きなハンデを背負った仕様なのです。

 それを踏まえて、グリーングリーンズの構成を見てみましょう。

キャラクターはこう収まっている

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 上にキャラクターのセットがあるのですが、この256×256ドット四方が、1ステージで使えるキャラクターすべてです。これを超えた表示は、もちろん機能上できません。

 赤がカービィ部分。アイキャッチを除く、ゲーム中におけるカービィはここだけで全てのアクションをまかないます。少ない。

 緑は常駐部分。ゲーム内でまったく変わらない要素。マキシムトマトは、左右反転して使えるから「M」なんですね。

 それ以外の青がステージ敵部分。初代カービィで唯一サイズが大きいザコ敵、グリゾーがいますので、やや隙間が目立ちます。ステージが進むと、この部分だけを書き換えることになります。

桜井政博氏が語る、初代『星のカービィ』開発秘話。当時の企画書に、あのゲームの原点があった?_25

 こちらの画像の右側が、ステージのドット絵です。これをどうにかすると、左のような絵になります。

 使えるエリアはファミコンゲームのおよそ半分である上、左右反転して使うことができません。それでも頑張ってキレイな絵が描けたと思うのですが、いかがでしょうか。

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 ついでに、これはデデデ大王。デデデが出ている間は、ほかの敵を出すことを考えなくていいので、もっともぜいたくです。

 ゲームボーイは、ファミコンゲームが携帯できる印象のハードですが、画面は白黒で、ドットの多さも面積比で言って0.38倍しかありません。処理のスピードもファミコンより遅く、背景に使える容量はなんと半分!
 それでも、お客さんには関係ないし、うまいこと見せなければ。

 わたしはこの後ファミコンゲームを作ることになるのですが、ここでの経験はとても活きました。

 なお、いままで紹介した箇所の絵は、おおむね全て私が描いています。カービィ、デデデやボス、敵や背景、アイテムやエフェクトなどなど。

 昔のゲーム作りだと、方眼用紙に絵を描いている方も多かったようですが、私は直接描きでした。

敵の移動のひみつ

 コナーというヤドカリの敵がいます。地面を這い、ガケから落ちる。水では減速する。当たり前ですね。
 また、ワドルディが階段を降りるように動く。これも当たり前。

 しかし初代『カービィ』では、これが当たり前ではありませんでした。
 じつは、なんと地形判定を見ていないんですね。

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 つまり、あらかじめこういう動きを作っておき、背景に合うように配置するということです。
 なんてムダなんでしょう!

 これは1ヵ所にしか使えない動きを量産するもので、手間も使用容量も多いですね(※)。いまなら「なんて非効率なことをさせるんだ!」とプログラマーに突っ込むところですが、当時は気にせず楽しくサカサカと作っていました。

※単行本『桜井政博のゲームを作って思うこと』収録、“チームはお互いさま”に詳しく書かれています。

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 さきほどのツールでは、ポーズや動きもファミコンで入力します。
 四角く囲ってあるところが動きの制御をするところなのですが、ツインファミコンにはトラックボール以外にはキーボードもついていないので、カーソルでぷちぷちと16進数を打ち込んでいました。

 この方式はデメリットも多いですが、処理負荷が軽いというメリットがあります。

 キャピィというレギュラーキャラがいますね。帽子をかぶっているからキャピィ。これも地形を見ていません。
 もちろんアニメの良さも大事ですが、処理が軽くなければここまでキレイに動きません。

 当時ゲームボーイ作品は、秒間30フレームとか20フレームのものも少なくありませんでした。『カービィ』の魅力は操作感のよさにもありますから、なめらかに動くことはとても大事でした。