『死印』前日譚小説“花彦くん誕生編” 第5話 制裁(最終回)_01

エクスペリエンスから2017年6日1日発売予定のプレイステーション Vita用ソフト『死印(しいん)』。新機軸のホラーの前日譚を描く小説を、ファミ通ドットコム限定でお届けする(全15回・毎日掲載)。


“花彦くん誕生編” 第1話 鳥籠

 「なぁ、宿題やってきた?」
 少年が廊下を歩いていると、友だちがそんなことを聞いてきた。
 次の授業が別の教室で行われるため、クラスメイトたちはみな我先にと廊下を移動していた。
 「もしかして、また? ……僕、君がやってきたところ見たことないんだけど」
 「気にしない気にしない。てことで、今日も写させてくれよな」
 友だちの調子に呆れながら、少年はため息をもらした。たまには自分でやったらと伝えてみたが、気が向いたらと言うだけだった。どうやら自身でやるつもりは絶対にないらしい。
 そんな他愛のない話をしていると、前方から一人の男が歩いてきた。グレーのスーツを着た壮年の男で、他の教師よりも明らかに威圧的な風格がある。
 校長の坂井だ。
 彼はこちらに気づくと、少年にだけチラチラと意味ありげな視線を向けてきた。少年は、その視線に気づかないフリをして通りすぎるが、なおも背中をジッと見つめられているような感覚があった。思わず拳をギュッと握りしめると、手の平にじっとりと汗がにじんでいるのを感じた。
 「……なんか顔色悪いけど、大丈夫か?」
 緊張があからさまに表情に出ていたのか、友だちがそう声をかけてきた。具合が悪いのなら保健室に行こうと言われるが、少年は首を横に振った。
 「大丈夫、ちょっと立ちくらみしただけだから……」
 友だちは少し怪訝に思ったようだったが、それ以上聞いてくることはなかった。
 少年の手の中でにじんでいた汗は、やがてどうしようもなく冷たくなっていった。

 その日の深夜――少年は、小学校の薄暗い廊下を一人で歩いていた。校舎の中は消灯されているが、廊下の各所にある非常灯の明かりでうっすらとだが床が見える。少年の足取りは重く、表情はこれから起こることを想像してか、暗く厳しかった。
 向かう先は職員室だった。防犯上の問題から職員室は常に施錠する規則になっていたが、この学校では一つだけ例外があった。少年が訪れる日の深夜だけは、鍵が開けられているのだ。おそらく、少年が来るのを見計らって用務員か誰かが鍵を開けているのだろう。もちろん、あの人の命令に決まってる。
 少年は職員室に到着すると、音を立てないようにしてそっと中に入った。室内はもちろん暗闇だったが、少年は電気をつけることを禁止されていた。彼はしばらくその場でじっと立ち止まっていたが、やがて意を決して歩き始めた。そのままいくつかの机の脇を横切ると、職員室の奥にある職員準備室へと向かった。それは学校の教職員らの私物を保管するためのロッカーが並んでいる小さな部屋で、生徒が普段入ることは絶対にない場所である。少年はその職員準備室の奥まで進むと、床にある取っ手に手をかけた。それは床下収納の扉のような設計になっており、少年の力でもすんなりと上に引き上げることができた。
 開けた扉の下には、スチール製の梯子が見えた。少年は、梯子の先に続いている暗闇をのぞき込むと、深くため息をついた。今夜もまた、ここに入っていかなくてはならないのか……。
 やがて少年は一度だけかぶりを振ってから、漆黒の暗闇に向かって伸びている梯子に足をかけ、一歩、また一歩と降りていった。

 手探りで壁のスイッチを見つけた少年は、カチッという音とともに、地下室の明かりを点けた。たちまち、天井から垂れ下がったいくつかの裸電球が点灯し、ぼんやりと室内を照らした。光源が弱いため室内には薄闇が広がっていたが、部屋のあちこちに何があるのかはうっすらと目で確認できた。木製バット、大量の錠剤が詰められた小瓶、ボロボロになっている女の子向けの服……さらに一見して何に使うのかわからないものまでが、その部屋の中に所狭しと置かれていた。中でも群を抜いて異質さを感じさせたのは、壁際の一角にあるプランターに植えられた花だった。
 それは可憐で美しい花――『赤いバラのような花』だった。ただ可憐なのはその外見だけで、遠くから見るだけでも近寄りがたい雰囲気を放っている。それだけでなく、同じプランターに植えられている別の花が全て枯れているのも奇妙だった。少年には、『赤いバラのような花』が他の花々の養分を吸い取っているように思えてならなかった。
 そう考えた途端、少年はいきなり気持ち悪さに襲われた。倒れるように地面に膝をつき、込み上げる嗚咽を必死に抑える。しばらくその場できつく目をつむり、どうにか息を整えることはできたが、まとわりつく気持ち悪さが消えることはなかった。
 どうして僕はこんなことに……。
 少年はゆっくりと立ち上がり、心の中で自分の境遇に愚痴をこぼした。地下室に来なければならない自分が惨めで仕方がなかった。お母さんがいたらこんなことしなくて済むのに……。そう思うだけで、少年の中で泣きたい気持ちが強くなっていった。

 そんなとき、ふと少年の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
 ここには自分しかいない。このタイミングなら、あの人がいない今なら逃げられるんじゃないか――。ここにいたって意味なんかない。またあの人の好き勝手にされるだけだ。そんなのは絶対に嫌だ。
 そう思った少年は思い切って踵を返し、梯子に向かって走った。だが梯子の途中まで登ったところで何かにぶつかり、背中から地面に落下した。背負ったランドセルがクッションとなってくれたが、衝撃で中身が全部飛び出してしまった。
 少年は、痛みをこらえながら起き上がった。するとそのとき――。
 「――何をしているのかな?」
 目の前から、問い詰めるような声が聞こえてきた。少年は動きを止めて、恐る恐る顔を上げて正面を見た。そこにはグレーのスーツを着た男――校長の坂井が立っていた。昼間に廊下ですれ違ったときと同じ瞳で、少年をジッと見つめている。
 「あ、あの、僕……」
 坂井は無言で睨んでいるだけだが、少年にはそれが恐ろしかった。自分が責められているような感覚になり、何かを言おうとしても、しどろもどろな受け答えしかできなくなる。
 失敗した……失敗した……失敗した……!
 少年はパニック状態になり、逃げ場などないのに坂井から必死に後ずさった。やがて少年が壁際まで後退したとき、坂井が諭すような声色で語りかけてきた。
 「何を考えようと勝手だけど、自分の立場だけはわきまえたほうがいいね」
 「ご、ごめんなさい……!」
 少年はビクッと体を震わせて、反射的に謝罪を口にした。
 少し前、少年は両親を事故で失っている。あまりに唐突でショックな出来事で、少年の心は今でも塞ぎこんでいる。そんなとき、自分を養子として引き取ってくれた人――それが遠縁の親戚にあたる坂井だった。そんな事情があるため、少年は坂井に逆らうことができなかった。たとえ地下室で何をされようとも……。
 「そうだ。わかればいい」
 少年の言葉にそう返した坂井は、ゆっくりと地下室の中を歩き回った。何をされるかわからない不安から、少年は坂井の行動を目で追った。わかればいいと口にしてはいるものの、逃げようとしたことは筒抜けだ。坂井が何もしないとはとても思えない。
 坂井はしばらく地下室の中を物色していた。やがて床に転がっていた木製バットを手に取り、強度を試すように何度も床に叩きつけていく。そのたびに響く衝撃の音が、少年の頭の中に重く反響する。
 「これにするかな」
 何度か試してみて満足したのか、木製バットの先端を床に擦りつけながら、坂井がゆっくりと近づいてくる。その間、彼はうっすらとした笑顔を浮かべていた。その表情を見た少年、は全身に怖気が走るのを覚えた。
 坂井の不気味な笑顔、木製バットを持って迫りくる威圧感……少年は無意識のうちに体の震えが止まらなくなり、立ち上がることさえできなくなっていた。
 やがて坂井が目の前で立ち止まり、木製バットを肩に掲げる。そして愉悦に満ちた笑顔を浮かべながら言った。
 「さて、今日の指導を始めようか」

“花彦くん誕生編” 第2話に続く(3月9日更新)

★バックナンバー★

“花彦くん遭遇編”【1】
第1話 底なしの最悪
第2話 ナニカの気配
第3話 ニアミス
第4話 赤いのちょうだい?
第5話 赤い真実

“花彦くん遭遇編”【2】
第1話 わすれもの
第2話 暗闇に浮かぶ瞳
第3話 明滅
第4話 なくしもの
第5話 赤い幕引き

“花彦くん誕生編”
第2話 オワリ、そして……
第3話 赤いハジマリ
第4話 這い寄る気配
第5話 制裁