『スペランカー』誕生の背景とは?

 2015年2月5日発売の週刊ファミ通では、スクウェア・エニックスのプレイステーション4ダウンロードタイトル『みんなでスペランカーZ』の情報を公開した。同記事内では、『スペランカー』歴代クリエイター陣によるインタビューを実施。初代『スペランカー』から、最新作『みんなでスペランカーZ』の誕生秘話などをうかがった。

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左:坂野拓也氏(Tozai Games)
中:ティム・マーティン氏
右:スコット津村氏(Tozai, Inc.)
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――まず、『スペランカー』が生まれた経緯を教えていただけますか?

ティム・マーティン氏(以下、ティム) 1980年代初頭にビデオゲームに興味を持ち始め、さまざまなアーケードゲームをプレイしていました。当時アメリカでは、初期のPCが一般にも使われ始めている時期でして、この新しいマシンを使ってゲームのプログラミングをやりたいと思い、“Atari VCS”を使って実際にプログラミングを始めました。“Atari 8ビット・コンピュータ”が発売されるころ、私はゲームズ・バイ・アポロ社のプログラマーだったのですが倒産してしまい、ゲームズ・バイ・アポロ社の仲間たちとマイクロ・グラフィック・イメージ社を立ち上げて、プログラミングを続けていました。そこで私のゲームが最初に完成したので、“Atari 400”と“Atari 800”用のソフトとして『スペランカー』を発売しました。

――なるほど。『スペランカー』の洞窟を探険するという設定は、昔から考えられていたのですか?

ティム マイクロ・グラフィック・イメージ社を立ち上げた当時、ニューメキシコで鉱石採掘場といった洞窟やトンネルに冒険しに行くということをよくやっていて、そのときに感じた体験をゲームで再現できないか? と考えていました。

――日本ではなかなか体験できないことですね。『スペランカー』を発売されて、反響はいかがでしたか?

ティム ゲームビジネスに関して言えば、当時は不安定な状態だったので、初期バージョンの寿命は長くありませんでしたが、フィールドの広さ、動き、操作性など、当時は『スペランカー』のようなゲームがなかったこともあり、ゲーマーのあいだで高い評価を得られました。その後さまざまな会社と組んでソフトウェアの開発を行いましたが、それらのプロジェクトが終わった後にブローダーバンド社に『スペランカー』のライセンスを引き渡しまして、“コモドール64”に移植したという流れです。しかし、コモドール64版も長く続かず、これで『スペランカー』は終わってしまうんだろうなと思っていたところ、1984年に津村さんから『ロードランナー』の件でブローダーバンド社にコンタクトがあり、そこから日本での『スペランカー』が始まったというわけです。

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1980年代当時のティム氏
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――いよいよ日本でのプロジェクトがスタートするわけですね。それでは、津村さんにお聞きします。なぜ日本で(当時のアイレム社で)移植(ファミコン)版を制作することを決められたのでしょうか?

スコット津村氏(以下、津村) 1984年にブローダーバンド社から『ロードランナー』のライセンスを取り、1984年7月にアーケード版『ロードランナー』を発売しました。それ以降、ブローダーバンド社との関係が深くなり、『スペランカー』のことを知りました。実際にプレイしたところ、ふだんの生活で体験できない洞窟探険のワクワク感が楽しかったので、1985年6月に『スペランカー』のライセンスを取得しました。

――オリジナル版は発売まで山あり谷ありでしたが、日本での発売はスムーズに進んだのでしょうか?

津村 ライセンス契約を行った直後、1985年6月にアメリカで『グーニーズ』の映画が公開され、大ヒットしたんです。『グーニーズ』ゲーム化のライセンスは別のメーカーさんがすでに取得していましたが、海賊の財宝を見つけるために子どもたちが大洞窟を冒険するという『グーニーズ』の物語と、『スペランカー』の世界観が合致します。ファミコン版『グーニーズ』よりも早く『スペランカー』を発売しなければ二番煎じになってしまう……ということで、日本での劇場公開に合わせて1985年12月に発売しました。ファミコン版『グーニーズ』は1986年2月に発売されましたから、映画公開後2ヵ月間は『スペランカー』の独壇場で売り上げも好調でした。

――ちなみに、ファミコンソフトの中で『スペランカー』の難しさは突出していましたが、難度設定にはどのような意図があったのでしょうか?

津村 アーケードゲームを開発していた当時、家庭用ゲームは難度調整のツメが甘いなと感じていました。我々は “数分間でおもしろさがわかって長く遊ばせない”という方針でアーケードゲームを開発していましたから、ファミコン版『スペランカー』も、おもいきり難度を高く設定しました。ですが、ただ難度を高くするのではなく、学ぶことで達成感を得られるようにしようと。試行錯誤すれば達成できるけど、達成するには根気が必要。それを我慢できない人からはつまらないゲームと言われるでしょうが、我慢強い人は“やり甲斐のあるゲーム”として評価してくれる、そういう意図を持って調整していましたね。

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1985年12月発売
『スペランカー』(ファミコン)