兄弟が世界的ヒットアドベンチャーゲームをいかに生み出したか

アドベンチャーゲーム『ミスト』がPCゲーム最大級のヒットとなるまで【GDC2013】_08

 米時間の3月25日から29日にかけてサンフランシスコで行われたGDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2013から、往年のアドベンチャーゲームの名作『ミスト』の講演をお届けする。

 講演を行ったのは、開発元Cyan(現Cyan Worlds)の創設者であるロビン・ミラー氏。オリジナル版『ミスト』は全フォーマットで合計約600万本を販売し、『ザ シムズ』に地位を奪われるまでは、PCゲーム史上最大の売上本数記録を保持していた。

 ミラー氏が冒頭で「Mystを作ったのは自分と兄弟のランド・ミラーと言うべきだ」と発言すると、聴衆からは拍手が起こった(どうもCyan Worldsがそうではないと主張しているらしい)。ともあれ、ミラー氏が明かしたのは、いかにしてミラー兄弟がこの世界をほとんどふたりで作り上げたかということ。

 『ミスト』は1991年から1993年にかけて開発された。ミラー兄弟は子供向けゲームを開発していたがいずれも成功には至らず。MacのHyperCardを使って一般向けのパズル・アドベンチャー・ゲームを作ろうとしたのが本作の始まりだ。初期のコンセプトは、「ビリーバブルな(真実味のある)キャラクターがモラルにのっとった感情的な選択をする、大人向けアドベンチャー」。

 『The Gray Summons』とタイトルの付いたこのゲームは1990年初めにActivisionに売り込まれたが、先方はまったく興味を示さず「これで自分たちのゲーミングのキャリアは終わったと思った」とミラー氏は述べる。
 だが、もちろん話はここで終わらない。ミラー氏はそれでも両親の家の地下室で同じようなインタラクティブなストーリーブックを作り続け、プロジェクトはさまざまな広がりを持ったものにどんどん成長していく。いわく「まるでメディアがそうしてくれと叫んでいるようだった」そうだ。

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 『ミスト』の背景には兄弟のさまざまな経験が反映されており、ランドが友達と遊んでいたテーブルトークRPGのダンジョンズ&ドラゴンズに、Infocomのテキストアドベンチャー『Zork』、そして本からも影響を受けている。「ナルニア国物語」からいろいろアイデアを拝借しているほか、ジュール・ヴェルヌの「神秘の島」からも島のアイデアをもらうなど、「色々盗んだ」と当時を振り返った。

 広がりのある世界描写とストーリーに、真実味のあるキャラクター。ミラー氏はそれまでに手掛けてきたものより高度なグラフィックが必要になることはわかっていたが、当初は手描きで実現するしかないと思っていたとか。しかしフォトショップを弄ってみて、「こんなものは自分には描けない。とても見られないに決まっている!」と思ったのを今でも覚えているそうだ。

 となれば、3Dだ。StrataVision 3Dという3DCGプログラムを使って丘が盛り上がっている様子を描き始めたが、その後ゲームの複雑な背景にはMacromediaのMacroModelを使った。各ショットのレンダリングには2時間から14時間かかり、それが全部で2500枚。その後Photoshop 1.0で解像度を上げて、あの想像をかきたてる島ができあがったのだ。

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 また当時のハードウェアの限界(1倍速CD-ROM)に対応したゲームデザインにするために、ゲームを小分けにしてローディングをまとめることに。これがゲームの中身が4つの時代別になった理由だ。これはゲームデザイン上でもいい決定にもなったと考えているそう。
 そして、開発半ばでQuick Timeがリリースされたことも非常にラッキーだった。ビデオと静止画圧縮のお蔭でゲームのクオリティが一気に向上した。

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▲「ほとんどの人はパズルを好まない。そしていいパズルとはパズルと感じさせないものである」そのとおり!!

 本作のパズル要素は島の謎を解決する鍵でもあるが、ほかのゲームのようにプレイヤーに対する“罰”として使われることはほとんどなかった。これはミラー氏らが、「いいパズルはパズルと感じさせるようなことがなく、世界の拡張部分のようなものだ」と考えながら作っていたからだ。

 『ミスト』の最初の予算は26万5千ドルだったが、二倍にしてさらに追加した。Sunsoftがコンソール版を、Broderbundがコンピューター版をそれぞれリリースし、その後の広がりはご存知の通り。
 ちなみに名前の決定はシンプルで、「ゲームの名前は何にしようか?」、「Myst」、「オッケー」ぐらいの感じだったという。一方、続編である『Riven: The Sequel to Myst』では多くの人間と会社が関わるようになっていたため、名前が決まるまでに数か月を要したそう。

 最後にミラー氏は、自分たちはゲーマーのためにMystを作ろうとしたのではなく、特にパズルも好きではないノン・ゲーマーのためにゲームを作ったのだと語り、それこそが成功の理由ではないかとの考えを示した。
 そして、想定すべきファン層も売上予想もなく、誰からも何も言われず自分たちの選択をつき進めていった当時の開発作業はとにかく楽しかったと振り返り、講演をしめくくった。

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▲ファン層も売上予測も何もなく、とにかく作った世界。しかしそれは圧倒的に新しかった。

(取材・写真:ジェイソン・ブルックス、翻訳・編集:編集部)