新しいシステムを理解してもらう難しさ
世界中のゲーム開発者が集い、最新技術やゲーム制作の過程などを解説、紹介する国際会議“GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス) 2013”が、現地時間の3月25日~3月29日の期間、アメリカ・サンフランシスコのモスコーニセンターで開催された。この記事では、カプコンの伊津野英昭氏による講演をリポートする。
伊津野氏は、1994年にカプコンに入社。入社1年目から『ストリートファイターZERO』の開発に参加し、その後は『スターグラディエイター』、『ジャスティス学園』シリーズ、『パワーストーン』シリーズ、『カプコン VS. SNK』シリーズ、『デビル メイ クライ』シリーズなどを担当。2008年5月、今回の講演のテーマとなっている『ドラゴンズ ドグマ』のディレクターに就任した。
『デビル メイ クライ 4』の開発が終わった2008年、伊津野氏自身12年ぶりとなる完全新作を手掛けるチャンスが訪れる。会社から出されたお題は、「世界で100万本売れるゲーム」。これを受け、伊津野氏は7つの企画を提案した。
最終的に、オープンワールドのアクションRPGである『ドラゴンズドグマ』を作ることになるわけだが、じつはここからさかのぼること8年前の2000年にも、伊津野氏は新規のゲームを立ち上げるチャンスがあったのだという。そのときの企画はRPGだったそうだが、なんと『ドラゴンズドグマ』の“ポーン”のアイデアは、この時点で形ができていたと伊津野氏は語る。ポーンは、自分の育てたAIのキャラクターをネットを介してやり取りする仕組みで、BBS(掲示板)ようなお手軽さが着想の源泉となっている。プレイする時間にとらわれることなく、誰にも気を遣わずにマルチプレイを楽しんでもらうというのが基本コンセプトだ。この、2000年に進められていたRPGの企画は、伊津野氏が急遽『デビル メイ クライ 2』のディレクターを務めることになり、お蔵入りとなってしまったが、『ドラゴンズドグマ』の肝ともいえるポーンシステムは、じつに13年前に完成していたことになる。
2008年の時点でも、アクションを主体としたRPGや、オープンワールドというスタイル、そして友だちとキャラクターをやり取りするというアイデアは、他人に理解してもらうのはとても困難だったと伊津野氏は振り返る。2008年と言えば、『DARK SOULS(ダークソウル)』が生まれる3年前で、iPhoneが日本で初めて発売された年でもある。いまとなってはこうしたシステムに目新しさはないかもしれないが、2008年当時では相当新しい概念だったことは間違いない。
ここで、貴重な当時の企画書が紹介される。ちなみに、制作前に作った企画書というものは、基本的に社外秘になることが多いらしい。その理由は、企画書と実際に完成したゲームがあまりに違い、見せるのが恥ずかしいというのが、少なからずあるのだとか。しかし、『ドラゴンズドグマ』はほぼ構想通りにゲームが完成したため、今回公開することにしたのだそうだ。では、その企画書のスライドの掲載とともに解説をつけていこう。
『ドラゴンズドグマ』は、新しいものを生み出すための努力だけでなく、それを理解してもらうための努力も必要という、たいへんな苦労を伴ったタイトルだったようだ。それを根気強くプレゼンし続けた伊津野氏と、未知数なタイトルにゴーサインを出したカプコン。その結果、国内でいち早くオープンワールドタイプのアクションRPGを生み出せた意味は大きい。2000年に完成させたアイデアを最後まで曲げなかったことや、オープンワールドというカプコンにはなかった技術にあえて挑戦し、実現させたことは、伊津野氏の手腕によるところも大きいだろう。今後の伊津野氏とカプコンの新たな挑戦に期待したい。