2018年5月12日、13日に京都で開催されたインディーゲームの一大祭典BitSummit Volume 6にて取材させてもらった、クリエイターさんへのインタビューをお届けする。

 今回ご紹介するのは、プラチナゲームズの稲葉敦志氏と神谷英樹氏。ステージイベントのリポート記事でも書いたとおり、稲葉敦志氏がBitSummitに登壇するのは今年で4回目。その弁舌は極めて鋭く、記者がBitSummitでそのお話を聞くのをもっとも楽しみにしているクリエイターさんのひとりだったりするのだが、今年は神谷英樹氏とともに登壇し、息のあったトークをくり広げた。ステージイベント後のインタビューも、ふたり仲よく姿を見せ対応してくれることになった。ふたりで15分はあまりに短すぎるよ……と思いつつの取材と相成りました。

稲葉敦志氏と神谷英樹氏に聞いた、「タイトルに魂は自然に込もる」_01

プラチナゲームズにおけるディレクターという立場の自由度の高さと責任感の重さと

――稲葉さんは、インディー業界への提案として、2016年の講演では“形のないIP”の重要性を説かれて、2017年はディレクターの大切さを説明されてきて、今年は何をお話しになるのだろう……と注目していたのですが、神谷さんと登壇ときた。

稲葉 いや、なんかそろそろひとりでやるのも飽きてきたみたいな(笑)。ただ、BitSummitに来ている人たちって、基本ディレクターが多いじゃないですか。昨年は、ディレクターを“キチガイ型”と“天才型”、“悪人型”に分類したわけですが、だったらひとつずつサンプルを提示していこうかなと。そこで、まずは“キチガイ型”の神谷を連れてきました。

神谷 さすがの俺も、力士が波乗りするゲームは提案しないと思う(笑)。

稲葉 『UkiyoWave』?

神谷 そう。

――神谷さんはBitSummitは初めてですか?

神谷 そうです。BitSummitは、やっぱり作り手の熱気がダイレクトに伝わってくるイベントだなと思いました。インディーゲーム自体がそうなのかもしれないのですが、作り手の「こういうゲームを作ろう」がそのまま形になっているみたいな。

――何か気になったタイトルはありましたか?

稲葉 直前のメディアさんとの取材では、『UkiyoWave』の話でちょっと盛り上がっていました。

神谷 よくあんなゲームを作るなと思って。

稲葉 北斎の浮世絵のビジュアルで、力士が波乗りをしているという、ただそれだけのゲームなんですけど……。

神谷 「どんなおもしろいことが起こるんだろうな」と思ってしばらく見ていたのですが、波に乗るだけなんだなって(笑)。

稲葉 そう、何も起こらない。あのひとネタで押し切る度胸たるや……という。そういうところがすごく魅力的だなと。

神谷 そういう意味では、僕は1980年代のアーケードゲームも含めた、ゲーム黎明期をリアルタイムで生きてきたのですが、あのころって、いろいろなゲームデザインが試されていて、奇妙なゲームがいっぱいあったんですよ。たとえば、『リブルラブル』だとか『クレイジー・クライマー』もそうです。そういう、いまにフォロワーがいないようなゲームがいっぱい出てきては消えていって……。でも、一方で、あの時代はいろいろなゲームデザインが試されていてよかったなと思っていて。残るものは残りましたし、フォロワーみたいな形で残らなくても、遊びのエッセンスは残っているという。だから、いまもインディーゲームを筆頭に、そういうクリエイターのクリエイティブが出ている作品というのはたくさん出てきていて、そういうのを経験して「俺もゲームを作りたい!」と刺激を受けるのかなと。

――今日の稲葉さんのお話しで刺激的だったのが、「ここにいるようなインディーのクリエイターたちと直接アイデアで競っていって、僕らも負けないようにがんばりたいと思いますので、いっしょに競い合いましょう」という最後のコメントですね。インディーゲームクリエイターを“ライバル”として捉えているという。神谷さんがおっしゃったことを敷衍すると、アイデアは大手であるとインディーであるとを問わず、フラットということでしょうか。

稲葉 やっぱりアイデアって無限大ですよね。そこには資本量とか会社の規模は関係ないので……。ステージイベントでちょうど『パシフィック・リム: アップライジング』の話をしていましたけど、お金の力でそれっぽいもの作るというのは現代だといくらでもできるのですが、アイデアという人の頭の中で膨らますものは無限の宇宙があるわけですから、「プラチナゲームズだから発想がすごい」だとか、そういうことではないと、純粋に思いますよ。

――この話を突き詰めていっていいかどうかわからないですが、つまり『パシフィック・リム: アップライジング』にアイデアがないということですかね……。

稲葉 アイデアというか、愛がないんじゃないんですか? 僕はよくわからないけど(笑)。

神谷 いや……残念な映画でしたね。魂が込もっていなかったですね。

――魂がないのはやっぱりだめですか?

神谷 だめです! 1作目の『パシフィック・リム』って、デル・トロがいままで体験してきたロボットアニメだとか怪獣映画だとかに対する愛に対して、彼がずっとクリエイターとしてずっと凝縮してきたエッセンスがあって、それがぶりっと出ているんですよ。たとえば、出撃するときの頭がガシャンとなるところは『マジンガーZ』のパイルダーオンじゃないですか。で、エルボーロケットはロケットパンチですよね。胸のタービンを回して敵を吹き飛ばすのは、ブレストファイヤーだったり。そういう、「あ、これこれ!」というわかっているモノがたくさん入っているんですよ。単に巨大なロボットと巨大な怪獣が美しいCGで暴れるだけの映画じゃないんですよね。ロボット関連の作品をたくさん見てきて、“俺流ロボット論”みたいなモノがある人が作ったから、『パシフィック・リム』になったんですよ。『2』はそのベースだけはもらって、「じゃあ作ります」って、なんとなく作ったっていう印象なんですよね。

――なんかゲーム作りに通じるものがありますね。

稲葉 うちの会社でもそういうシチュエーションになることがあって、“ミュージシャンの指癖”じゃないですけど、うちでも、誰かがやっていることをサラッとシステムだけ持ってきたり、真似したり……ということが多々起きるんですよ。そこに魂がない場合が多い。

――そうすると、神谷さんはどのようにしてご自身の作品に魂を込めるのですか?

神谷 もう自然に込もるんですよ、魂なんてものは。込めようと思って込めるものじゃないので、出ちゃうんですよね。

――ということは、込められる人間と込められない人間がいるという話かしら。

神谷 たとえばですけど、『メタルギア』の続編を作るように僕が言われたとしても、絶対に無理です! だって、あれはまず小島汁が出ていますし、小島さんは小島さんで確固としたご自身の嗜好と趣味によって鍛えられ、彼が幼少のころから蓄えてきた知識。そういったものが『メタルギア』には反映されているわけです。単に、“隠れて潜入して、武器を使って敵を倒す”というゲームデザインだけ受け取って作っても無理ですよ。なぜなら、僕はそこに対する愛情がそもそもないんですから。

――なるほど……。難しい話ですね。『パシフィック・リム: アップライジング』にはデル・トロも製作として参加しているハズなので、それでもIPをハンドリングできないという。

神谷 製作がディレクターのところに口を出す領分ではないというか、少なくともそのコントロールでは魂は込もらないですよ。

――そうなると、そもそも人選が間違っていたという話になるのですね……。

神谷 そうなんです。1作目のデル・トロ監督の『パシフィック・リム』を見た感じ、『マジンガーZ』が好きなんだろうな……とか思うんですけどね。あれはスーパーロボットに分類されるのですが、それとは違うリアルロボット、たとえば『機動戦士ガンダム』がすごく好きな監督がもしいて、彼が作ったら『ガンダム』テイストの『パシフィック・リム』になっていたのかもしれなくて、それはそれでひとつの楽しみではありますね。

稲葉 たしかに、それはちょっと観てみたいね。

――それにしても、ロボットもお好きなんですね。

神谷 好きです。だから『パシフィック・リム: アップライジング』は許せないんです。「こいつ、ロボット知っているのか?」と思いました。

稲葉 まあ、僕らの世代でこの業界にいて、ロボットが嫌いというほうが珍しいんじゃないですかね。

――ちなみに、お時間もあまりないなか、こんなことを聞くのもいかがかとは思うのですが、『ガンダム』はどのへんを好みますか?

神谷 ああ、僕はファースト原理主義者なので。ファーストガンダム以外観たことがないんですよ。

――マジですか!?

神谷 最近『機動戦士Zガンダム』を観たいなという気持ちが沸き上がってきて……。

稲葉 劇場版?

神谷 観るんだったら、テレビ版をいちから観たいなあ。

神谷 僕、ファースト以外で唯一観ているのが『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』で、あれはファーストの裏側だから、時代もファーストなんですよね。

稲葉 ガイナックスの山賀博之さんが脚本を担当していましたね。

神谷 あれはよかった。

――と、こんな話をずっと続けていたいのですが、そういうわけにもいかず……。

稲葉 記事にならないですもんね(笑)。

――まあ、おふたりの話なら十分記事になります(笑)。ステージイベントの話に戻りますが、あと印象的だったのが、“トリプルAタイトルが必ずしもいいわけではない”という趣旨の発言です。いまのゲーム業界って、個人的には“トリプルAが最高”という風潮があると思っていたのですが、そうではないということに気付かされたというか。たしかに、売れても倒産したら意味ないですものね。

稲葉 4、500万本売れて「失敗だ!」って言われたら、正直なところ狂気の沙汰だと思いますよ。

神谷 まあ、向こう(海外)もユーザーがトリプルAタイトルに疲れているところがない?

稲葉 それは、あるんじゃないかな。

神谷 トリプルAは確かにすごいのですが、フォトリアルを突き詰めていったところの先にある絵って、だいたい全部いっしょじゃないですか。よほどの“カラー”を持ってこないと。その点で、これは僕が関わってないから自慢ではないと思うので言いますが、『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』が海外で受けたのは、そういうところなのかなと思います。あれはトリプルAというカテゴリーではないと思いますが、日本のヨコオタロウさんが作ったカラーというか、ケレン味みたいなものが色濃く出ていて、そういう尖った部分に評価が集まったのかなと思いました。

稲葉 開発スタッフのリーダークラスの面々と話しているときに「そもそもトリプルAとは何だろう?」みたいな話になったことがあって、それに対して僕は、「数の暴力」って答えたんですよ。トリプルAは数の暴力なので、ビジュアルに関しても数の暴力、ゲームボリュームに関しても数の暴力と、とにかく暴力満載なんです。それは、そればかりで押し寄せられたらユーザーも疲れます。ただ、数の暴力なのでエスカレートするのがやめられないし、借金してでもタイトルを作ってスタジオが潰れるという。誰が得するのかな……というのは、ずっと前からありますけどね。

――大作を1年に1本ずつリリースして、それでよしとする時代は、そろそろ終わりかけているという話ですかね。

神谷 もちろん、トリプルAタイトルを安定的に求めているユーザーは確実に存在すると思うので、世に出ることには意味があると思うんですけど、それだけだとユーザーは疲れるだろうなと。

稲葉 ときに、確信犯的に採算が取れなくてもいいということで暴力的に展開しているタイトルがあって、正直それは業界のためにはならないと思います。

――ところで、プラチナゲームズさんというと、“日本が世界に誇る、高い開発力を持つスタジオ”と捉えられることが多いのですが、一方で、“日本のクリエイターの復権”が最近言われているようです。それに対してはどう思いますか?

神谷 さっき言ったのもそういうニュアンスがあるのですが、『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』が受けているというのは、その流れを示すものなのかなと。これはずっと昔からそうなのですが、海外ではクリエイターが立っているところってあまりないですよね。

稲葉 タイトルは立っていますけどね。

――そう言われると、たしかにそうですね。

稲葉 海外では、「このトリプルAタイトルのディレクター誰?」と言われても、僕らは知らないですから。わからない。

神谷 だから「あのディレクターの別のタイトルを遊びたい」っていうふうには、あまりいかないですよね。

――たしかに……。

神谷 まさにそういうところが、いまの日本が独自性を発揮できるところなのかなと思うんですよね。

――つまり先程の話につなげると、トリプルA疲れがあって、日本のしっかりとしたゲームが評価されてきているという流れがあると?

神谷 そうなんですよ。『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』というタイトルにしても、ヨコオタロウという人物があの世界を際立たせたから、人の心にフックしたのかなと。『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』をきっかけにして、「ヨコオタロウの別の作品に入ってみようかな」というふうにも行けると思うんです。だけど、欧米の有名タイトルというのは、なかなか人の心に引っかからないんじゃないかなって。そこが違いだと思います。

稲葉 復権の話とは少し違いますが、僕もトリプルAタイトルを否定しているわけではないんです。僕らもトリプルAタイトルにはガッツリ食らいついていくつもりではあります。ただ、バランスが崩れたゲーム開発をしたいわけではない。そこが大きな違いという。

――望むべきは、バランスが取れたトリプルAタイトルということですね。

稲葉 はい。

――まあ、さきほどの話ではありませんが、魂の入ったトリプルAタイトルも、けっしてなくはないと思いますし、たとえば、ミリタリーのディテールにこだわってタイトル作りをしている人もいるでしょうしね。

稲葉 とはいえ、隅々まで魂を込めるというのは、タイトルの規模が大きくなればなるほどたいへんだとは思います。細部にいたるまでディレクターの色に染めようとすると、込めなければいけない力が半端ない。

――“トリプルA”に食らいついていくとのことですが、そのためのプラチナゲームズさんの武器というか、強みはどこにあると自己判断しています?

稲葉 海外だと、ディレクターにしても任せるところは任せるじゃないですか。「ここはアートの領域だから」とか「ここはオーディオの領域だから」ということで、けっこう任せていると思うんですけど、神谷なんか足の指のつま先の爪の角度まで気にすると思うので……。

神谷 (笑)。プラチナゲームズは文化的に、“ディレクターを立てる”というか、“立ってもらう”という形で各プロジェクトが成り立っているのかなとは思いますね。

――それで、ディレクターが自由にできるっていうところが大きい?

稲葉 自由と責任の両方がメチャクチャかかります。しっかりしていなかったら突き上げがものすごくきますし。納得させられる説得力とかも、すごく必要だし、そういう意味ではたいへんだと思います。

――突き上げって、スタッフからの突き上げっていうことですか?

神谷 そうです。爪の角度の話が出てきましたけど、“この角度が美しいからこの角度にする”という意味があるから、その角度にすると思うんです。ということは、「なぜこの角度じゃなきゃ、ダメなんですか?」ってスタッフから聞かれたときに、「この角度のほうが映えるだろう?」みたいなことが、ちゃんと説明できないとダメなんですよ。説明できるから、そこまで指定しているんです。指定しないと許せないから指定するという人間がディレクターになるべきだし、ディレクターというのは、まさにそういうありかたなのかなと思います。

――まさに、“キチガイ型”たるゆえんなのかもしれないですね……。

(ここで、「インタビュー時間終了です」との案内が入り、後ろ髪を引かれる思いでインタビューを終了)