「『FF』とは何か?」。究極の問いに、ひとつの答えが示される――

 ナンバリングの14タイトルに加え、多数の外伝的作品がリリースされている超大作RPG、『ファイナルファンタジー』(以下、『FF』)。その第1作が世に送り出されたのが、1987年12月18日だった。

 そして2014年12月18日。

 『FF』が生まれたこの記念すべき日を祝し、シリーズの歴史に名を刻むふたり――坂口博信氏と北瀬佳範氏の、初となる対談が実現。ともに開発の修羅場をくぐり抜けた過去の思い出から、それぞれの現在、さらには未来までを語る――。

『FF』を生み育てた男たちが初めて明かすエピソード――坂口博信×北瀬佳範レジェンド対談_01
坂口博信氏(左)
 1962年生まれ。スクウェア(当時)に入社後、『FF』をヒットさせて一躍トップクリエイターとなる。その後、同シリーズや『クロノ・トリガー』などの制作に携わり、2001年に退社。ミストウォーカーを立ち上げ、『ラストストーリー』といった印象的な作品を世に送り出している。最新作は『テラバトル』。

北瀬佳範氏(右)
 1966年生まれ。アニメーションの制作会社に1年ほど務めた後、スクウェアに入社。『聖剣伝説 ~FF外伝~』や『ロマンシング サ・ガ』の開発を経験し、『FF』には『V』から参加。『FFVI』では初のディレクターを務め、以降、多数のシリーズ作で、ディレクターやプロデューサーとして制作を統括する。

※本インタビューは、週刊ファミ通2015年1月1・8・15合併号に掲載したインタビューに加筆して、再編集したものです。(聞き手:週刊ファミ通編集長 林克彦)

競い合った『FFV』のイベント制作と、『クロノ・トリガー』に見る“最後の調味料”

――12月18日は『FF』の誕生日ということで、今回の対談をセッティングさせていただきました。坂口さんと北瀬さんが、今回のような形で対談されるのは初めてではないですか?

坂口 そうですね。プライベートでは何度も会っていますが、対談という形では初めてです。

北瀬 坂口さんがスクウェア(現スクウェア・エニックス)にいたときも、対談したことはありませんでした。

――これは記念すべき対談になりますね。プライベートでは、とのことですが、よくお会いになっているのですか?

坂口 半年に1回くらいのペースで会っていますよ。今年は比較的多くて、ここ2ヵ月で4回ほど会っています。

北瀬 昔は突然、夜の11時に呼ばれたりしていました(笑)。

坂口 ほかのメンツと飲んでいるときに、「北瀬を呼ぼう」という話になりがちだったから(笑)。

北瀬 最近は気を使っていただいてるのか、急に呼ばれることはなくなりましたね。

坂口 単純に、僕が遅くまで飲むほどの体力がなくなっているだけだよ(笑)。

――お会いになる際、どのような話をされているのか気になるところです。

坂口 お酒を飲んでいるときだと、だんだんヒートアップして、仕事の話になることもあるよね。

北瀬 どちらかと言うと、説教されることが多いです。「もっとちゃんとやれよ!」みたいな(笑)。叱咤激励していただいています。

坂口 それ以外はバカな話が多いね。皆葉(皆葉英夫氏。デザイナーとして『FF』シリーズに参加。現在はデザイネイション代表取締役)や成田(成田賢氏。『FF』シリーズではプログラムを担当。現在はガンホー・オンライン・エンターテイメント執行役員)、橋本(橋本和幸氏。『FFVII』の3DCGなどを担当。現在はNVIDIA JAPANに所属)たちとよく飲んでいて。

――そのメンツはすごい!

北瀬 本当にそうですよね(笑)。

――それではまず、スクウェア時代のお話をお聞きしたいのですが、北瀬さんはなぜスクウェアに入社されたのですか?

北瀬 アニメーションの制作会社に1年間ほど務めていたのですが、「自分の作品を作りたい」と思っていて、そんなときにたまたま、スクウェアの求人情報を見たんです。『FF』には、いままでと違う“映像のセンス”みたいなものを感じていたので応募しました。

坂口 北瀬は、学生時代は映画学科(日本大学藝術学部映画学科)に在籍していたんですよ。選考時に卒業作品を見たのですが、豚が何匹も空を飛んでいる独特な作品で、「こいつはおもしろい。採用しよう」と言ったら、当時の社長が「こんなバカみたいなものを作るヤツはやめろ」と。でも、こっそり採用しちゃいました(笑)。

北瀬 学生時代に作ったアニメーションの作品で、コンピューターの知識が当時はまったくなく、あれしか提出できるものがなかったんですよ。

――坂口さんがいなかったら、北瀬さんは採用されていなかったかもしれないんですね。入社されたのは、いつごろだったのでしょう。

北瀬 『FFIII』の開発が終わったところでしたから、1990年ですね。『FFIV』の開発を横目に見ながら、僕はゲームボーイ版の『聖剣伝説 ファイナルファンタジー外伝』を作ることになりました。いまだからお聞きしますけど、なぜ私は『聖剣』チームに配属されたんですか?

坂口 当時の『聖剣』チームには、石井(石井浩一氏。『FF』シリーズにはデザイナーとして参加し、『聖剣伝説』シリーズを手掛けた。現在はグレッゾ代表取締役)のような絵や物語が書けるプランナーはいたんだけど、プログラムができるプランナーがいなかった。そこでプログラムもデザインもできる北瀬を投入しようということになったんだよ。

北瀬 そうだったんですか。確かに石井さんは、企画書もキャラクターも紙と鉛筆で起こしていて、マップも方眼紙に手書きで書かれていましたね。それらをPCでデータ化する役目を、私が担当していました。

――最初に『聖剣伝説』を手掛けられたということは、坂口さんと仕事されたのは……?

北瀬 その後ですね。そういえば、『聖剣伝説』のときは新人だったので、なかなかプロジェクトを終わらせることができず、けっこうグチを言っていたんですよ。そうしたら坂口さんから呼び出されて、「グチってんじゃねぇ!」と怒られました。「おまえが終わらせなくてどうすんだ。人のせいにするんじゃない」と。

坂口 いい説教だね! 文句を言わずに自分で手を動かせと。それが、君の原点なんじゃないのか?(笑) 

北瀬 確かに、それで反省しました(苦笑)。

坂口 当時は素直だったね。それがいまやさぁ……。

――茶々を入れないでくださいよ(笑)。

北瀬 (笑)。おかげさまで『聖剣伝説』を終わらせられて、つぎは『ロマンシング サ・ガ』のチームに配属されて、マップなどを作りました。坂口さんと仕事をすることになったのはその後、『FFV』からになりますね。

『FF』を生み育てた男たちが初めて明かすエピソード――坂口博信×北瀬佳範レジェンド対談_03

坂口 北瀬はずるいんですよ。『FFV』ではイベントをふたりで作り合っていたのですが、ある日、いつの間にか崖崩れのイベントが作られていて。それは当時のスクリプトでは実現できないイベントで、北瀬はメインプログラマーの成田に直談判して、特殊なプログラムを書いてもらっていたんです。僕はそれを知らないので「どうやったの? 天才だな」と驚いていたら、「成田さんに頼みました」と。「こいつ汚ない!」と思いましたね~(笑)。

北瀬 当時は、坂口さんと私がリレー方式でイベントを作っていたので、つながりを確認するために、出社したらまず一方がアップしたデータをチェックしていました。それを見て、「もっとすごいものを作る!」と、なぜか競い合うという。

坂口 北瀬は、崖崩れのようなスペクタクルな展開のイベントを作ることが得意だった。この点では勝てないなと思ったので、それから僕は“お涙ちょうだい”の方向に走りました。もう、泣きで勝負するしかないな、と。

――北瀬さんは坂口さんの作ったイベントを見て、どう思われていたのですか?

北瀬 僕はテクニックに走りがちで、崖どころか地球をどう崩すのか、そういったスペクタクルな演出ばかりに目がいってしまっていて。でも、坂口さんはシナリオも書かれていたし、キャラクターにどう芝居をさせるか、そういった人間ドラマに対する視点をお持ちでした。『FFV』だけでなく『FFVI』も坂口さんにドラマをお任せするほかなかったと思います。

――坂口さんは『FFV』のディレクターという立場で、新人の北瀬さんとはキャリアが違いましたよね。それでも同じ土俵で競い合っていたのは、坂口さんが北瀬さんの実力を認めていたことの表れですね。

坂口 それはあります。あと、『FFIV』まではキャラクターにあまり動きをつけられなかったのですが、『FFV』ではちょっとした“芝居”ができるようになった。そんなゲーム開発は僕もみんなも初めての体験で、その意味ではディレクターも新人もなく、横一線だったんです。北瀬は、与えられた仕事をできる範囲でこなすんじゃなく、実現したいものがあれば奔走して、別の人に頼んでも実行する。何もない状態から作品を作ることができるんです。それはすごいと思いましたね。

北瀬 初めて褒められました(笑)。

――当時はきびしい上司でしたか?

北瀬 先ほどお話した説教くらいで、そんなに怒られたことはないと思います。

坂口 『クロノ・トリガー』のときは、たいへんだったけどね。毎朝、みんなで集まって、報告会議をやるほど。『FF』ではしたこともなかったことで。

北瀬 坂口さんが本格的に『クロノ・トリガー』の開発チームに加わって、最初に突っ込んだのはシナリオでしたね。マールというキャラクターがいて、タイムパラドックスの結果、違う時間軸のマールと過ごすことになるというシナリオがあったんです。

坂口 タイムトラベルをテーマにしていて、同じ人間とはいえ、違う時間軸にいるかぎりは“別の人間”である、という設定だったのですが、それはイヤだと。歴史を改変したとはいえ、もとの時間に戻ったら、プレイヤーが知っているマールに戻っているべきだと言いました。

北瀬 私はそこまで気にしていなかったんですが、坂口さんはキャラクターにはとことんこだわるべきだと主張されて、それはすごく印象に残っています。マスターアップ直前で、キャラクターに厚みを持たせるための追加エピソードを作るように言われたこともありましたね。時田さん(時田貴司氏。スクウェア・エニックス所属。 シニア・マネージャー/プロデューサー)がマール、私はルッカのエピソードを担当して。

坂口 あれはいいエピソードだった。最後の最後に作ったから、スタッフも開発に慣れていて、何をどうすればいいのか理解しているので、一気にできたんだよね。最後の調味料というのはとても大事。切羽詰まった状況になると、作っている人間の生きざまが出てくるんですよ。それでおもしろいものになる。ユーザーからしたら「決められた設定ありきでストーリーができるのでは?」と思われるでしょうが、必ずしもそうではないんです。

北瀬 坂口さんの手法はこうなんだと思いましたね。キャラクターが薄いと思ったら何かを加えろ! と。

ともに戦い“血がつながった”。そして、「『FF』とは何か?」という問いへの答え

――『FF』を築いてきたのが坂口さんであり、いまの『FF』を統括するのは北瀬さんだと思うのですが、おふたりはそういう意識があるのでしょうか。

坂口 『FFV』のイベントはふたりで作ったので、その時点でふたりのものと言えますよね。だから、僕が作った『FF』を北瀬が継いだというか、そこで北瀬と“血がつながった”のだと思っています。そういえば、北瀬が突然「“『FF』とは何たるか”を聞かせてください」というメールを送ってきたことがあったよね。

北瀬 『FFXIII』を作っているときですね。『FFXIII』のチームは大人数で、ともすれば、「何を作っているのかもわからない」という人がいてもおかしくなかった。だから、月に1回は全員を集めて、パートごとにプレゼンテーションをして、全体を確認するという会を実行していたんです。余興みたいなコーナーも設けていて、そこで坂口さんのメッセージを……。

坂口 え、余興だったの!? まじめに書いたんだけど(笑)。

北瀬 すみません、半分余興です(笑)。ディレクターの鳥山(鳥山求氏。スクウェア・エニックス所属。『FFXIII』シリーズディレクター)と「『FF』とは何だろう」と話をしているときに、「たとえばディズニーには、創始者であるウォルト・ディズニーの言葉が残っていて、現代のアニメーターにも受け継がれている。『FF』で言えば、それは坂口さんの言葉ではないか」と言ってきたんです。そもそも、坂口さんと同じ時間を過ごしたスタッフが少なくて、鳥山からも「聞きたい」と言われたので、お話を聞きたいと食事に誘ったんですよ。

坂口 でもそのとき、すごく酔っぱらって、適当に答えてしまって。つぎの日に後悔して、真面目な文章をメールで送った(笑)。

『FF』を生み育てた男たちが初めて明かすエピソード――坂口博信×北瀬佳範レジェンド対談_04

北瀬 そういえば、、「坂口さんと“『FF』とは何ぞや?”という話をした覚えがないな」という話をしていたら、哲(野村哲也氏のこと。スクウェア・エニックス所属。『FFVII』以降の複数の作品でキャラクターデザインを担当)が、「“『FF』はテキストが乗った青いウィンドウさえあれば『FF』なんだよ”と言われた」と回想していたことを思い出しました。

坂口 それだけだと誤解があるなあ~。もちろん、哲はわかってると思うけど、もっと深い意味がある! 『FFV』のときは、僕と北瀬が「とにかく『FF』を変えよう」と、アイデアを出し惜むなんてことはしなかった。それでからっぽになったとしても、またつぎは全力でアイデアを出して、ガラッと変えればいい。「青いウィンドウさえあれば何をしてもいいんだよ」とアドバイスしたってことです。

――そこだけを残しておけば『FF』らしくなるから、ほかは何をしてもいいよ、と。

北瀬 『FF』関連のタイトルでは、開発スタッフたちが自分なりに“『FF』らしさとは何か”と、資料を集めて分析していることがあります。それも必要でしょうが、過去の歴史から『FF』に入っていくことにとらわれず、もっと自由であってもいいかな、と思いますね。

――その坂口さんが書いた“『FF』とは何か”という文章、ぜひ掲載したいです。

北瀬 坂口さんが載せても大丈夫であれば。

坂口 どうぞ。真面目に書いたと思うので、大丈夫です(笑)。


▼坂口氏から北瀬氏に送られたメールより
“『FF』とは何か”という問いへの答え

「足跡のない幾多の道を、ひたすらに生きる者たちで駆け抜け、
最後には同じゴールに到達した後に生まれるもの」

とでもさせてください。
やっぱ、新しいことをつねに目指してたし、今後もそうであってほしいよね。