“世界のルール”を知ろう

 2013年8月21日~23日、パシフィコ横浜にて開催されている、日本最大のコンピュータエンターテインメント開発者向けカンファレンス“CEDEC 2013”。初日の2013年8月21日に行われた、“異文化理解 -世界にうってでる時に知っておくべき事柄/人種、宗教、政治、セックス、暴力-”と題したセッションをリポートしよう。

 近年、日本のみならず世界の市場に進出する作品は増加の一途をたどっている。しかし、世界に向けて作品を制作する際、制作側は意図せずその地域や文化のルールを犯してしまっていることがある。とくに、以下のテーマはひとつ扱いかたを間違えると、致命的な問題となるものだ。

・人種差別
・宗教の尊厳の毀損
・政治的問題への言及
・チャイルドポルノ

 日本人であるがゆえに、なじみの薄いこれらの問題も、地域によっては非常にデリケートなものであることが多い。バンダイナムコスタジオ 海外コンテンツ制作部の兵藤岳史氏によるこのセッションでは、上記のテーマについて、おもにアメリカ市場における問題事例が紹介された。

『GOD』はダメで『GODS』ならオーケー!? 国外での表現のタブーに迫る!【CEDEC 2013】_01
▲バンダイナムコスタジオの兵藤岳史氏。1983年に入社後、『バトルシティ』(1985年)を始め数々のゲーム制作や管理に携わってきた。

肌の色が紫に……

 最初のテーマは“人種差別”。ここでは、表現者が何の気なしに用いた手法が差別表現となってしまった国内外の3つのケースが紹介された。

 まずは、石ノ森章太郎氏の名作『サイボーグ009』の登場人物のひとりで、アフリカ出身の黒人青年“008”が取り上げられた。彼は“目が大きく、唇が分厚い”といったアフリカ系黒人の身体的特徴をデフォルメした姿で描かれており、これは黒人も数多く住むアメリカでは差別表現となる。ちなみに、2012年に公開された映画版では、等身も含めリアルな造形の、まるで別人のような姿に描き直されている。

 同様の例が、『ポケットモンスター』のポケモン、ルージュラである。彼女も黒い肌のキャラクターとして描かれていたことが問題となり、テレビアニメ版では登場する放送回が丸々削除されたほか、のちの作品で再登場したときは、肌の色が紫になっていた。このことについて、アメリカのヤフー質問箱でも議論がなされていて、「ポケモンを作ったのは日本人だから、差別だと考えなかったのだろう。これがアメリカの人だったらこうはならなかったのではないか」という意見が出ていたらしい。

 日本人はほとんど単一の民族で構成されているため、人種差別になるデリケートな表現を無意識に使ってしまうことは多いのだが、多数の人種が共存するアメリカでも差別表現は起こっているという。スクウェア・エニックスの名作アクションRPG『Deus EX』には、黒人を差別する発言を連発する“レティシャ”という人物が登場し、あるレビューサイトにそのことへの批判が寄せられた。結果として、メーカー側からそのサイトで釈明文が発表されるという事態になっている。

『GOD』はダメで『GODS』ならオーケー!? 国外での表現のタブーに迫る!【CEDEC 2013】_02
▲差別表現に敏感なアメリカだからこそ、こうしたきびしい意見が多く挙がるのだ。

 つまり、ふだんから人種差別について理解が深い環境においても、差別表現によるトラブルは起こり得るということなのである。人種意識の薄い日本では、よほど慎重にチェックする必要があるのだ。

宇宙からの攻撃も止まる宗教問題

 宗教については、関わる人の数、そしてそれらの人々が所属している国、地域の広さから、国家以上に大きな問題になり得る危険をはらんでいるという。しかし、日本は「あらゆる宗教がごった煮状態なので、ほとんどの人が宗教の違いさえも気にしないんですよね」(兵藤氏)。『リトルビッグプラネット』では、ゲームの楽曲の一部にイスラム教の“コーラン”の一説が含まれていることが発売前に発覚し、該当箇所を削除して発売されることになった。イスラム教は比較的寛容な宗教であるが、コーランは“神の言葉”そのものであり、許可もなく使えるシロモノではないのである。

 ゲームではないが、アニメでもしばしば問題が起きている。2002年に制作された『キャプテンハーロック』では、地球を攻撃する兵器の一部にユダヤ教の“ダビデ”の星が描かれており、それに気付いた原作者の松本零士が制作をストップさせたという。当時、松本氏は「血の凍る思いがした」と語っていたんだとか。

 このように、発売前に制作側の誰かが気付けば最悪の事態は回避することができるが、誰も気付かないうちに、あるいは大丈夫と楽観視して発売した結果、問題になったケースもある。プレイステーション3の『レジスタンス』では、マンチェスター大聖堂の中でエイリアンと銃撃戦をするシーンが登場する。そしてゲーム発売後、そのことを知ったイギリスの教会側から抗議が表明される事態になってしまうのだ。その後の経過について公式発表はされていないようだが、おそらく何らかの謝罪があったと見られている。

旗から始まる戦いもある

 続いて兵藤氏が取り上げたのは、政治的問題への言及について。近年日韓あるいは日中で問題となっているので、意識するようになった人も多いかもしれない。

 問題としてよく取り上げられるのが“旗”である。サッカーの試合で燃え上がった韓国における旭日旗問題などがいい例だろう。ほかにも、ドイツでは“ハーケンクロイツ”の旗を政治的意図を持って使うと“民衆煽動罪”という法律で罰せられる。また、中華民国(台湾)やスペイン・バルセロナ周辺のカタルーニャ地方など、日本が独立を認めていない国や地域の旗も、許可なく使うことで国際問題に発展する恐れもあるのだという。

 一方、ゲームが政治のプロパガンダとして使われることもあるようだ。中国でリリースされたある軍事ゲームでは、“尖閣諸島を防衛すること”がゲームの目的となっている。国家が容認しているとはいえ、本来の“娯楽”としてのゲームの存在意義はどうなるのか? 兵藤氏も疑問を投げかけていた。

日本はセクシー王国!?

 もっとも意外な事実が明らかになったのが、“性”や“ポルノ”の問題。なんと、バンダイナムコゲームスの看板タイトルである『アイドルマスター』も、“チャイルドポルノ”にあたる恐れがあるのだという。同作品には、近年大流行している多くのアイドルグループ同様、18歳以下の少女たちがアイドルとして登場している。そして、ゲームによっては彼女たちにタッチする仕様のものも。それが引っ掛かる可能性が高いようなのだ。

『GOD』はダメで『GODS』ならオーケー!? 国外での表現のタブーに迫る!【CEDEC 2013】_03
▲ファンにとっては衝撃的な文字がスクリーンに踊る。ちなみに、某スポーツ紙の飛ばし記事などでは、ない。

 また、ニンテンドー3DSの『DEAD OR ALIVE Dimensions』も、児童ポルノ禁止法に抵触するということで、スウェーデンやオーストラリアで発売中止となった。もっとも、アメリカやその他欧州諸国では問題なく発売されており、国家やゲームの内容によって解釈の違いはあるようだ。このケースの場合、“フィギュアモード”というモードで、18歳未満の設定のキャラクターも扱えることが問題だったのではないかと言われているとのこと。

 兵藤氏によると、アメリカでジャネット・ジャクソンがスーパーボウルで“ポロリ”をして大問題になったように、セクシーな表現については欧米ではかなりきびしい基準を持った国が多く、むしろ日本のほうがそういったものについては規制が緩めなのだという。

やっていいことと悪いことの判断を

 もうひとつ、ゲームからは切っても切れない問題がある。“暴力”についてである。しかし、兵藤氏によると、暴力はこれまで挙げてきた“人種差別”“宗教の尊厳の毀損”“政治的問題への言及”“チャイルドポルノ”という4つの問題と比べれば、致命的な問題にはならないのだという。アメリカには“ESRB(エンターテインメントソフトウェアレーティング委員会)”と呼ばれる、レーティング審査を行う団体がある。日本で言う“CERO”のようなものだが、そこでの審査の柱は

1 アルコール、たばこ、麻薬
2 ギャンブル
3 セックス描写
4 暴力

の4つとなっている。つまり、暴力は程度に応じてレーティングが変わるくらいでしかなく、よほどひどいものでなければそこまで深く考えなくてもいい、ということなのだ。

 最後に、兵藤氏はまとめとして3つのテーマを挙げた。

1 社会的・文化的ルールを尊重する
2 世界にはいろんなルールがある
3 やってはいけないこと、いいことはグラデーション

『GOD』はダメで『GODS』ならオーケー!? 国外での表現のタブーに迫る!【CEDEC 2013】_04
▲海外進出において、念頭に置いておかなければならない3つのテーマ。

 とくに、3のテーマが難しい問題だと語った兵藤氏。「担当者だけで判断することが難しいときには、上層部に話を通して判断を仰いだり、その結果について責任を取れる社内体制づくりが必要です」と、長年培ってきた経験をもとに、海外進出のために必要なものについて締めくくった。

 その後の質疑応答では、「日本のゲームではよく“神”が出てくるのですが、信仰が篤い海外の国々では問題ないのでしょうか?」という、バンダイナムコスタジオに所属する氏に対してならではの鋭い質問が飛び出した。それに対し、兵藤氏は笑顔で「『ゴッドイーター』を作ったときは、一神教の宗教とバッティングしないように『ゴッズ(GODS)』と複数形にして、多神教の世界にすることで問題を回避できるのではないか、という意見が出ました」というエピソードを語ってくれた。

 日本は、構成民族や宗教観を含めた文化など、世界においてかなり特殊な国家であり、多くの事柄について寛容な国民性を持っている。逆に、「狩猟民族がルーツで争いが好き、エロも過激」といったイメージを抱きがちな諸外国のほうが、それらの規制は日本よりもきびしかったりするのだ。つまり、海外進出を視野に入れることで、物づくりにおける制約はより大きくなるということ。その事実を踏まえたうえで、日本だけでなく世界中で受け入れられる作品を作れるようになったとき、日本のゲームが世界を制した、と言えるようになるのだろう。その日が来ることを、われわれも望んでやまない。